第16話 ファステが欲しいもの
「水を分けるにも、入れる物がなければ始まらぬ」
目を覚ました直後、千代が水袋を持ち上げて言った。
「昨日、寝る直前に増やされた仕事が、朝一番で回収された」
「先延ばしにしたのはそなたであろう」
「一晩寝かせて、よりよい案が出るのを待ったんだ」
「出たのか?」
「容れ物が必要だという結論に、さらに自信が持てた」
「何も進んでおらぬではないか」
朝から厳しい。
昨日、俺たちは五人目の寝床を作った。
ついでに残った食料を、すぐ使う分と予備へ分けた。
食料なら、素材の束や床の隆起を使って離して置ける。だが水はそうはいかない。
現在使える水袋は少ない。
一つが破れれば、中身は全部床に広がる。
《淫獄》の床なら汚れにくいかもしれないが、こぼれた水を飲む方法はない。
そもそも五人分を一度に運ぶことも難しい。
「水を入れる物だけではありません」
ファステが指を折りながら続ける。
「乾いた食材を分ける物、傷みやすい物を離す物、火を起こす道具を入れる物、汚れた素材を清潔な物へ触れさせないための物も必要です。それから調理に使う物と、食事を取り分ける物も――」
「待って。いきなり必要数が増えすぎた」
「ですが、どれも皆さまの生活には必要です」
言っていることは正しい。
正しいが、このまま聞いていたら容器だけで一つの倉庫が埋まりそうだ。
その倉庫もない。
「まず用途を決めよう。今すぐ必要な物と、あとでもいい物を分ける」
「それがよい」
千代がうなずく。
「ようやく王らしいことを申したな」
「朝から容器会議を始める王が、本当に王らしいのか?」
「民の水を軽んじる王よりはましじゃ」
反論できない。
◇
五人で共同作業台を囲み、容器に必要な条件を挙げる。
「水へ使うなら、漏れないことが最優先だな」
「落としても簡単に割れない方がいい」
リゼが言う。
「外へ持っていく物には、持ち手か身体へ固定する部分も必要だ。逃げるときに両手が塞がるのは困る」
「内側を洗える形でなければ、長く使うのは難しいと思います」
ファステは水袋の口を広げ、内側を確かめる。
「食材を入れる場合は、匂いが残る物も分けた方がよいです。濡れた物と乾いた物も一緒にはできません」
「素材にひびがあれば、最初は保っても後から漏れるかもしれませんわ」
レイナが表面を指でなぞる。
「見た目だけではなく、厚みや傷みも確認する必要があります」
「大きな物を一つ作るより、小さな物を複数用意せよ」
最後に千代が言った。
「一つ失って全てを失う形は避けるべきじゃ」
俺は全員の意見を頭の中で整理する。
漏れない。
壊れにくい。
洗いやすい。
持ち運べる。
中身を分けられる。
そして一つへ集中させない。
「要求仕様だけは、立派な商品になってきたな」
「しょうひん?」
「こっちの話。問題は、作れる素材がないことだ」
今あるのは、木、繊維、柔らかい詰め物、硬い殻のような破片。
乾いた食材や道具なら包める。
だが水を長く入れておける物となると怪しい。
「一度に完成させるのは無理だ」
俺は三段階に分けた。
「今ある容器の用途を決める。乾いた物を入れる簡単な容器を作る。それから、水を入れられそうな素材を近場で探す」
「近場だけか?」
リゼが尋ねる。
「今日は容器を作る日だ。長距離探索の日じゃない。俺が疲れきる前に戻れる範囲だけ」
「自分を基準にすると、随分と狭い範囲になりそうだな」
「安全性が高いと言ってくれ」
◇
外へ出るのは、俺、リゼ、レイナ、千代の四人になった。
ファステには、《淫獄》へ残って既存の食料と道具を分けてもらう。
「私も外へ出た方が、使える物を見分けられるかもしれません」
「今日は近場だし、レイナが素材を見る。ファステには中の整理を頼みたい」
「ですが、皆さまが戻られるまでに食事の準備も――」
「それも全部終わらせなくていいからな」
「……はい」
返事の間が少し気になった。
ただ、今は外へ出る準備が先だ。
《淫獄》を出ると、千代が足を止めた。
「ここが外界か」
木々。
湿った土。
風に揺れる草。
どこから聞こえるのか分からない鳴き声。
千代にとっては、召喚されて初めて見る《淫獄》の外だ。
腰の刀へ手を添え、周囲を見渡す。
「先に言っておく」
リゼが千代を見る。
「ここでは私が危険を判断する。知らない音や痕跡へ勝手に近づくな」
「心得た」
「随分と素直だな」
「戦場が変われば危険も変わる。昨日そなたが申したことであろう」
千代は自分に経験があるからといって、知らない土地まで知ったふりはしなかった。
リゼが先頭。
その後ろへレイナと千代。
最後尾が俺。
戦力順ではない。
俺を最後にすると、置いていかれる危険があるので速度はかなり遅い。
「もう疲れましたの?」
「まだ探索開始から少ししか経ってないぞ」
「返事になっておりませんわ」
「少し疲れた」
正直は大切である。
◇
最初に見つけた候補は、地面へ落ちていた硬い殻状の物だった。
片側が自然にくぼみ、手のひらより少し大きい。
「内側に細かなひびがありますわ」
レイナが光へかざす。
「水を入れて長く使うのは難しいと思います。ただ、乾いた物なら分けられるかもしれません」
「複数へ分けて持ち帰るぞ」
千代が状態の違う物を選ぶ。
「同じ物でも傷み方が違う。試す前から一つへ絞る必要はない」
「こっちの長い草は使えそうだ」
リゼが繊維の強さを確かめる。
「編めば固定や持ち手にはなる」
「寝床に使った物より細いですけれど、束ねれば十分な強さが出るかもしれませんわ」
成果は地味だ。
完成した水筒が落ちているわけでもない。
拾えるのは、容器になるかもしれない物と、それを固定できるかもしれない物だけ。
それでも、何もないよりはいい。
俺は比較的軽い殻を重ねて抱えた。
数分後、腕が疲れた。
「貸せ」
リゼが半分持っていく。
「まだ持てる」
「落として割ったら、ここまで来た意味がない」
「合理的な理由で俺の荷物を減らされた」
「喜べ」
ありがたい。
少し離れた茂みから低い鳴き声が聞こえたところで、俺は撤退を決めた。
姿は見えない。
リゼも危険が近いとは断定していない。
だが、今回は近距離で素材を試すことが目的だ。
粘る理由はない。
「戻るぞ。今日はこれで十分」
「異論はない」
千代も周囲を警戒しながら答えた。
◇
《淫獄》へ戻ると、共同作業台の上が見事に整理されていた。
水袋。
食材。
火を起こす道具。
汚れた素材。
清潔な素材。
用途ごとに距離を空けて置かれている。
さらにファステは、五人分の食事準備まで始めていた。
「ファステ」
「お帰りなさいませ。すぐお水を――」
「どこまでやった?」
「食材を分け、火の状態を確認し、戻られた皆さまがすぐ休めるようにしておきました。それから、お食事の下準備を少し」
「少し?」
どう見ても少しではない。
食材は既に洗われ、火へ入れる順番まで分けられている。
「全部終わらせなくていいって言ったよな」
「ですが、皆さまが戻られたときに困らないようにしたくて」
怒る理由はない。
命令に逆らったわけでもない。
ファステは自分で、俺たちのために働いた。
その気持ち自体を否定するつもりはない。
ただ、この量を一人で抱える必要もない。
「ファステさん、残りはこちらへ」
レイナが自然に食材の半分を引き寄せる。
「私も確認いたしますわ」
「だが、レイナ様は外から戻られたばかりで……」
「私だけが疲れたわけではありません。それに、自分でやりたいのです」
リゼも持ち帰った素材を下ろし、火の近くへ向かった。
「火は私が見る。お前は座ってろ」
「まだ大丈夫です」
「その台詞は信用しないことになってる」
「一人が倒れれば止まる仕事は、備えとは呼べぬ」
千代が分けられた食料を確認しながら言う。
「そなたしか分からぬ仕事を増やすな。ほかの者へ教えよ」
「ですが、私は皆さまのお役に立ちたくて……」
「役に立ちたいのと、全部一人でやるのは別だ」
俺が言うと、ファステは黙った。
「今日は容器を作る。その作業にもファステの判断が必要なんだ。ここで一人だけ疲れきったら困る」
「私の判断が……」
「必要。だから、分けよう」
ファステは皆の顔を見た。
それから、手にしていた食材の半分をレイナへ渡した。
「では、お願いいたします」
以前より、その言葉が少しだけ自然になっていた。
◇
持ち帰った殻状の素材へ水を入れる。
一つ目は、すぐに底から漏れた。
二つ目は少し保ったあと、ひびから細い水滴が落ちた。
三つ目も、長期保存へ使うには不安がある。
「全滅か」
「水には使えないというだけですわ」
レイナが乾いた布で内側を拭く。
「傷んでいない物なら、木の実や乾いた根を分けておけます」
「小さな道具を入れてもいいと思います」
ファステが匂いを確かめる。
「よく洗えば、食材へ強い匂いが移ることもなさそうです」
「外へ持ち出すなら、このままじゃ落とす」
リゼが繊維を束ね、殻の周囲へ回す。
「ここへ結び目を作る。手首か荷物へ固定できるようにする」
「日常用、予備、外へ持ち出す物で分けよ」
千代が三つの置き場所を指す。
「同じ用途の物を、全て同じ場所へ置かぬようにな」
「じゃあ、俺は置き場を作る」
《淫獄》の床を意識する。
本格的な倉庫はいらない。
今必要なのは、用途が混ざらず、通路も塞がない配置だ。
共同作業台の近くへ低い段差を作り、少し離れた場所にも予備用のくぼみを設ける。
出口近くには、外へ持ち出す物だけを置く。
「そこは火へ近い」
「じゃあ、こっちへずらす」
「水袋を倒した際、予備まで濡れます」
「なら間を空ける」
全員の意見を聞きながら、俺が最後に形を決める。
作業そのものは、既に俺の手を離れていた。
ファステが殻の内側を整え、リゼが固定し、レイナが素材を選び、千代が配置を見る。
俺は次の素材を取ろうとして、ファステと同時に手を伸ばした。
指先が触れる。
「あ……申し訳ありません」
ファステが少しだけ手を引く。
以前のように、怯えて身体ごと離れることはなかった。
作業のためにまとめた髪。
まくった袖からのぞく腕。
近い距離で、少し困ったように俺を見る成人女性。
現実の女性との距離感に慣れていない俺へ、この状況は普通に効く。
『《淫獄石》を10個獲得しました』
『所持《淫獄石》:90』
「……順調」
「何がですか?」
「容器作りが」
「今、私の顔を見ておりませんでした?」
「作業確認の範囲だ」
説明すればするほど怪しくなるので、俺は黙った。
◇
完成した簡易容器は、五つ。
水を長く保存することはできない。
だが木の実、乾いた食材、繊維、火起こし用品、小さな道具なら分けられる。
生活問題を完全に解決したわけではない。
それでも、床へ直接並べるよりはずっといい。
「次に必要なのは、水用の容器です」
ファステが完成品を見ながら言う。
「それから、食材を長く保存するための物。調理道具。皆さまの着替えと、身体を清潔にするための物も必要です。できれば食事を取り分ける器も――」
「ファステ」
「はい」
「それ、全部みんなに必要なものだよな」
「はい。ですから、先にそろえるべきかと」
「そうじゃなくて」
俺は言葉を選ぶ。
「ファステ自身が欲しいものは?」
ファステの表情が止まった。
「私が、ですか?」
「ファステが使いたい物とか、あったら嬉しい物」
「私は、皆さまが困らなければ――」
「今は皆の話じゃなくて、ファステの話」
返事を急かさず待つ。
ファステは視線を落とし、自分の手を見る。
何かを欲しがってはいけないと思っているわけではない。
たぶん、自分のために欲しい物を考える習慣そのものがない。
「前に、紅茶の話をしてただろ」
俺は答えを決めるのではなく、きっかけだけを置いた。
「あのとき、少し楽しそうだった」
「紅茶……」
ファステの表情が、ほんの少し柔らかくなる。
「茶葉と、お湯を沸かす道具。それから、カップがあれば淹れられるのか?」
「はい。もっと必要な物はありますが、最低限でしたら」
「じゃあ、それが欲しい?」
ファステはすぐにはうなずかなかった。
少し考えたあと、完成した簡易容器へ触れる。
「いつか、皆さまへお淹れしたいです」
やはり最初に出たのは、皆のための希望だった。
でも、その声には義務ではない温かさがあった。
「それで、ファステは誰と飲みたい?」
「皆さまと」
今度は迷わない。
「五人で同じ場所に座って、皆さまのお話を聞きながら飲めたら、とても嬉しいと思います」
「うん」
それも、ファステ自身の希望だ。
誰かへ仕えるためではない。
ここへ置いてもらうための仕事でもない。
自分が一緒に過ごしたいから、紅茶を淹れたい。
ファステはそこで言葉を止めた。
一度レイナたちを見る。
それから、少しだけ俺へ近づいた。
「でも……最初の一杯は、夜斗様と一緒に飲みたいです」
「俺と?」
「最初に、紅茶のお話を聞いてくださいましたから」
ファステの頬が、わずかに赤い。
俺は何と返すべきか一瞬迷った。
最初の一杯。
二人で紅茶を飲む。
それだけだ。
それだけなのに、ファステが思い浮かべた未来の中へ俺がいることを、少し特別に感じた。
『《淫獄石》を22個獲得しました』
『所持《淫獄石》:112』
「じゃあ、それまでに茶葉とまともなカップも探さないとな」
俺が答えると、ファステは目を細めた。
「はい」
約束が一つ増えた。
今は、それで十分だった。
◇
作った容器を、それぞれの場所へ置く。
日常用。
予備。
外出用。
水袋はまだ十分に分けられない。
食料を長く保存する方法もない。
本格的な厨房や倉庫には程遠い。
それでも、何がどこにあり、何が足りないのかは昨日より分かりやすくなった。
ファステは、最後に残った小さな容器を手に取った。
「これは、いつか茶葉を入れる物にできますでしょうか」
「茶葉が手に入ればな」
「まだ使える物が少ないのに、一つを空けておくのか?」
千代が現実的な疑問を出す。
「今は必要な物へ使う。代わりができたら紅茶用へ戻す。それなら無駄にはならない」
「……ならばよい」
用途は仮のまま。
中身も空だ。
それでも俺たちは、その小さな容器を置く場所だけ決めた。
『所持《淫獄石》:112』
『所持上限:1,000』
『次回必要《淫獄石》:1,000』
あと八百八十八個。
まだ遠い。
今日はガチャのために何かをしたわけではない。
必要な容器を作り、ファステの欲しい物を聞いただけだ。
少なくとも、俺の中ではそういうことになっている。
「まずは茶葉より、水を漏らさない容器だな」
「はい。そちらが先です」
ファステが小さく笑った。
まだ紅茶はない。
茶葉も、まともなカップもない。
それでも、いつか二人で飲むという約束だけは、俺たちの拠点へ置かれた。




