第155話 選ばなかった九人
十枚の枠は、消えなかった。
食堂の卓も。
椅子に座る皆も。
ミネットの足元で丸くなる縁も、そのまま見えている。
その上へ重なるように、十人の候補が並んでいた。
「時間制限は出ていない?」
ミネットが尋ねる。
「出てない」
「残り時間を示す表示も?」
「ない」
「ならば、すぐに選ばなければならないとは限りません」
「ずっと待てるとも限らないけどね」
「はい」
ミネットは記録帳へ視線を落とす。
「それでも、焦って選ぶ理由にはしません」
俺は最初の候補へ意識を戻した。
大きな盾を持つ男。
防御と護衛に向いている。
今の《淫獄》には、危険な《万物迷宮》と接する壁門がある。
領主側に第二接続地点を見つけられる可能性もある。
戦える人が増えれば助かる。
「この人なら、壁門側を守れるかもしれない」
「本人が守ることを選べばな」
リゼが言った。
「うん」
「能力概要だけでは、実際の強さも分からない」
「防御と護衛に適性がある、まで」
「私やナーヴァより強い可能性も、弱い可能性もあるということか」
「そうなる」
「我より強いなら見てみたい」
ナーヴァが身を乗り出した。
「強くても、すぐ戦わせないよ」
「なぜだ?」
「呼ばれた直後だから」
「強者ならば戦えば分かる」
「相手が嫌だって言ったら?」
「我と戦いたくない強者などいるのか?」
「普通にいると思う」
ナーヴァは納得していない。
それでも、盾を持つ男を選べとは言わなかった。
次の候補を見る。
薬草や治療に関係する能力を持つ女性。
「薬を扱える人も、今は助かる」
ファステが言った。
「街で薬を買えなくなりましたから」
「怪我人が出た時にも必要ですわ」
レイナがうなずく。
「ただし、候補情報には治療できる範囲が詳しくありません」
ミネットが俺の読み上げた内容を確認する。
「病気、毒、呪い、領域による汚染へ対応できるとは限りません」
「それでも、薬を知っている人がいれば違うよ」
「はい。ですが、私たちの知らない肉片まで安全に判定できるとは限りません」
「肉はまだ食えぬのか」
ナーヴァが聞く。
「候補を肉の判定役にしないで」
「薬を知る者なのであろう?」
「知っていても、最初の仕事に危険な肉を渡さない」
「手袋も作ったぞ」
「手袋と作業着があっても、安全になったわけじゃないから」
治療に向いた人も必要だ。
選べば、きっと助かる場面がある。
でも、必要なのはその人の能力だけではない。
その人自身も一緒に来る。
三人目。
土や作物へ関わる人物。
「菜園には、この方が合うかもしれません」
ファステが言う。
「今植えている香草以外にも、育てられる物が増える可能性があります」
「食料を自分たちで作れるようになる?」
ヴィオラが尋ねる。
「可能性はあります。ですが、《淫獄》の土へ詳しいとは限りません」
「育つまでの時間も必要じゃ」
千代が加える。
「今すぐ街へ行けぬ問題を解決する者ではない。されど、長く暮らすなら価値はある」
四人目は、道具の加工と修理。
レイナが興味を示した。
「扱える素材と道具が分かれば、工房でできることが増えそうですわ」
「エウリオと同じ?」
「同じではありません。ゴーレムや魔道具を作れるとは書かれていませんもの」
「でも、椅子とか作れるかもしれない?」
「家具職人とも書かれていませんわ」
「加工と修理って、広いね」
「ですから、本人へ聞かなければ分かりません」
五人目は、魔法現象の記録と解析。
ミネットの筆が少し早くなった。
「この方が気になる?」
ヴィオラがすぐに気づく。
「現在の《淫獄》と《万物迷宮》の接続について、異なる視点を得られる可能性があります」
「ミネットと話が合いそう」
「会っていないので分かりません」
「でも、選びたい?」
「私が興味を持っただけで、この方を選ぶ理由にはなりません」
「全員、自分が欲しい人を選び始めたね」
ヴィオラの言葉に、皆が黙った。
盾を持つ者。
薬を扱う者。
作物を育てる者。
道具を直す者。
魔法を調べる者。
それぞれが今の俺たちにないものを持っている。
見れば、欲しくなる。
《万物迷宮》の影響は感じない。
壁門も閉じている。
それでも、十人を並べられて一人を選べと言われれば、比べずにはいられなかった。
「欲しい能力を考えること自体は、悪くないと思います」
ファステが言った。
「その方が、ここで困らず暮らせるかを考えることにもなりますから」
「でも、能力しか見なくなるのは駄目」
「はい」
「なら、見るものを決めよう」
俺は十人の枠から一度意識を外した。
「今の《淫獄》で迎えられるか」
「一人分なら、生活場所はあります」
ファステが答える。
「食事も、すぐに不足はしません。ただし、食べる量や食べられる物は確認が必要です」
「身体が大きすぎた場合は?」
レイナが尋ねる。
「ナーヴァが竜へ戻れる場所はある」
「我の場所だぞ」
「ナーヴァしか使えないとは決めてないだろ」
「我が戻る時におれば邪魔だ」
「その時は相談する」
「先に我へ聞け」
「分かった」
「候補の中に、竜ほど大きい方は見えますか?」
ファステに聞かれ、十人を見直す。
「今見える姿では、いない」
「姿を変えられないとは限りません」
ミネットが言った。
「ナーヴァさんがそうです」
「また我を例にしたな」
「分かりやすいので」
「次」
俺は指を折る。
「本人の能力へ依存しすぎないか」
「どういう意味?」
ヴィオラが尋ねる。
「治療できる人を選んで、怪我人が出るたび全部任せるとか。作物を育てられる人を選んで、畑を全部やらせるとか」
「それは駄目ですね」
ファステがうなずく。
「本人が望んだ場合は?」
「望んだ範囲ならいい。でも、できるから全部やって、にはしない」
「エウリオへ、できるなら鐘まで作れと言わなかったのと同じじゃな」
千代が言う。
「うん」
「三つ目は?」
「街の問題へ対応できるか」
「それも見るのですね」
ミネットが確認する。
「見る。今困ってることだから」
「能力だけでは選びません。ただ、現在の問題も無視できません」
「そう思う」
俺たちに必要なものを、必要ないふりはしない。
街へ入れる人。
顔を知られていない人。
情報を確認できる人。
買い物や連絡を頼める可能性のある人。
それを選ぶ理由へ含める。
でも、呼んだ後に断られたら終わりだ。
「四つ目」
俺は少し迷ってから言った。
「その役目を断られても、一緒に暮らせるか」
誰もすぐには答えなかった。
まだ候補の名前と姿しか知らない。
性格も。
過去も。
好きなものも。
嫌いなものも分からない。
「候補情報だけで、一緒に暮らせると断定することはできません」
ミネットが言った。
「ですが、能力を使わないなら不要だと判断しないことはできます」
「それでいい」
「敵対した場合は別ですわね」
レイナが付け加える。
「互いの安全を守れない場合まで、同じ邸宅で暮らすとは決められません」
「それもそうだね」
「最後は?」
リゼが尋ねた。
「本人が今、危険な状態かどうか」
自然と、下段の端へ目が向く。
月野アヤメ。
片膝をついた女性。
顔色が悪い。
口元には黒ずんだ赤い跡がある。
「それは、表示から分からないのでしょう?」
ファステが静かに言った。
「分からない」
「ほかの候補にも、見えない危険がある可能性があります」
「うん」
「なら、月野アヤメさんだけを特別に扱う理由になりますか?」
責める言い方ではなかった。
だから、すぐには答えられなかった。
盾を持つ男は、戦場にいるのかもしれない。
薬を扱う女性は、病人のそばにいるのかもしれない。
作物を育てる者には、守らなければならない畑があるかもしれない。
道具を直す者は、誰かに必要とされているかもしれない。
十人全員に、俺たちからは見えない事情がある。
「特別だとは言い切れない」
「では、なぜ気になる?」
リゼが聞く。
「見えてるから」
「何が?」
「苦しそうなところが」
アヤメの枠を見つめる。
「ほかの人にも事情があるかもしれない。でも、俺には見えない」
「見えないものは無視するのか?」
「そうじゃない」
「なら?」
「全員を助ける方法がない」
選べるのは一人だけだ。
三万個はもう消えた。
通常召喚を三回行うこともできない。
候補十人を全員呼ぶこともできない。
「見えない事情を全部想像しても、誰も選べなくなる」
「そうだな」
「でも、見えてる危険まで、ほかにもあるかもしれないから同じだって言うのは違う気がする」
リゼは何も言わなかった。
「この人は、今まさに毒で死にそうなのかもしれない」
「《毒を飲み込む隠者》だから、毒に強いという意味かもしれません」
ミネットが言う。
「でも、耐性を育てている途中なんだろ?」
「表示上は、そう読めます」
「耐えられてるとは書いてない」
「はい」
「口元の跡も、毒じゃないかもしれない」
「はい」
「候補の姿が現在の状態かも分からない」
「そのとおりです」
「全部、違うかもしれない」
それでも。
「でも、今まさに毒を飲んで、死にそうだって意味かもしれないだろ」
食堂が静かになる。
アヤメの姿は変わらない。
顔を伏せ。
片手を床へつき。
力を失いかけているように見える。
「選べば助けられるとは限らぬぞ」
千代が言った。
「召喚が治療になるかも分からぬ」
「分かってる」
「こちらへ来た瞬間に死ぬかもしれぬ」
「うん」
「表示がただの絵なら、何も起きぬかもしれぬ」
「それなら、その方がいい」
「選んだ理由を、本人へ何と話す?」
「全部」
俺は答えた。
「今、街へ行けなくて困ってること。この人の能力が役立ちそうだと思ったこと。日本人みたいな名前が気になったこと。苦しそうに見えて、放っておけなかったこと」
「姿が好みだったことは?」
ヴィオラが聞いた。
「今そこを入れる?」
「全部って言ったから」
「……聞かれたら話す」
「好みなの?」
「成人女性だし、普通に」
「夜斗」
リゼの声が低くなる。
「選ぶ理由の最初にはしない」
「最後にも入れるな」
「本人に聞かれたら嘘をつけってこと?」
「言い方を考えろということだ」
「難しいな」
「そこは悩め」
少しだけ空気が緩む。
それでも、アヤメの姿を見ると笑いきれなかった。
◇
残りの五人も、もう一度確認した。
交渉や価格判断に向いていそうな人物。
採取と運搬を得意とする人物。
戦闘の補助に役立ちそうな人物。
生活設備を整えられそうな人物。
遠くの情報を記録することに適性を持つ人物。
全員の名前を読み上げた。
二つ名も。
能力概要も。
ミネットの記録を一人ずつ確認する。
表示されている情報の量に差はない。
月野アヤメだけ詳しいわけではない。
俺が、アヤメを詳しく見ているだけだった。
「能力だけで選ぶなら?」
千代が尋ねた。
「一人には決められない」
俺は答える。
「戦える人も必要。薬を知ってる人も。食料を育てられる人も。道具を直せる人も。街で話せる人も助かる」
「今、一番困っていることなら?」
「街との連絡」
「ならば、アヤメか?」
「候補の中では、かなり合ってると思う」
「それだけなら?」
リゼが聞く。
俺は少し考えた。
「それだけだったら、選ばなかったかもしれない」
「なぜ?」
「都合がよすぎるから」
「逆ではないのか?」
「必要な能力が全部書いてある人を選んだら、最初からその仕事を期待する」
「期待することまでなくす必要はない」
「でも、断られた時に、少しは困る」
「そうだな」
「困った顔を見せない自信がない」
選んだのに。
その能力があるのに。
どうして使ってくれない。
そんな考えが一瞬でも出るかもしれない。
「だから、能力だけなら迷う」
「しかし、今は違う?」
「うん」
「助けたいから?」
ファステが尋ねる。
「助けられるか確認したい」
「少し違いますね」
「助けられるって決めたら、助けたつもりになるから」
選べば救えるとは限らない。
毒なら、俺たちに治せる保証もない。
そもそも毒を受けていないかもしれない。
「それでも、危険じゃないって確認できないまま、ほかの人を選ぶのは無理だと思う」
「月野アヤメさんが街へ行かないと言った場合は?」
ミネットが尋ねる。
「頼まない」
「表示にあった能力を見せない場合は?」
「見せてもらわない。体調が悪ければ、治すために必要なことだけ聞く」
「回復した後、《淫獄》から出たいと言った場合は?」
「危険がない範囲で出口を開く」
「街へ入って、私たちのことを領主へ話すと言った場合は?」
答えに詰まった。
「それは困る」
「それでも出しますか?」
「すぐには決められない。話し合う」
「自由に出られると説明するのではなかったのですか?」
「自由だから、何をしても止めないってことじゃない。第二接続地点や皆を危険にするなら、そのままにはできない」
ミネットがうなずく。
「分かりました」
ミネットは、それ以上質問を重ねず記録帳へ戻った。
それで十分なのかは分からない。
完璧な選び方なんて、たぶんない。
「皆は?」
俺は尋ねた。
「月野アヤメを選んで、街へ行く仕事を断られても、ここへ迎えられる?」
「はい」
ファステが最初に答えた。
「体調が悪いのであれば、まず休んでいただきます」
「服も寝具も、一人分ならありますわ」
レイナが続く。
「必要なら、体格に合わせて直します」
「敵対しない限り、反対はしない」
リゼが言った。
「話してから決めればよい」
千代も答える。
「私は賛成」
ヴィオラが手を上げる。
「街へ行ける能力は気になるけど、嫌だって言われたら諦める」
「我は、強い者の方がよい」
ナーヴァだけが違う答えを出した。
「反対?」
「毒を飲んで倒れる者が強いとは思えぬ」
「まだ倒れてるとは決まってない」
「ならば立たせて確かめよ」
「選んで呼べってこと?」
「うむ」
「それなら賛成になるけど」
「弱ければ鍛えればよい」
「本人が望んだらね」
「望まぬのか?」
「そこから本人に聞いて」
「注文が多い」
ナーヴァなりに、拒んではいないらしい。
「ミネットは?」
「賛成します」
ミネットが記録帳を閉じる。
「ただし、候補表示が現在状態を示すこと、召喚で毒が消えること、私たちが治療できることは、どれも確認されていません」
「うん」
「助けられなかった場合も考えてください」
胸が重くなる。
「考えたくないけど、考える」
「では、私は止めません」
縁がミネットの椅子の下から出てくる。
十人の表示は見えていないはずだ。
俺の前まで来ることもなく、ミネットの足元へ座り直した。
「全員、いい?」
もう一度確認する。
誰も止めなかった。
俺は月野アヤメの枠へ意識を向けた。
十枚のうち、一枚だけが前へ出る。
選択候補
月野アヤメ
レアリティ:R
《毒を飲み込む隠者》
ほかの九枚も、まだ消えていない。
この候補を正式召喚しますか?
実行。
戻る。
二つの選択肢が現れた。
「確認が出た」
「選び直せますか?」
ミネットが聞く。
「今なら戻れる」
「では、最後に確認を」
「まだあるの?」
ヴィオラが言う。
「選択後は戻れない可能性が高いです」
「分かった。何?」
「選ばなかった九名についてです」
俺は周囲に残る九枚を見る。
盾を持つ男。
薬を扱う女性。
作物に適性を持つ者。
道具を直せる者。
魔法現象を記録する者。
ほかの五人。
全員の名前を読んだ。
姿を見た。
能力を知った。
それでも選ばない。
「選ばなかったら、どうなるかは分からない」
「はい」
「実体化しないことだけ」
「そうです」
「死亡や消滅の表示はない」
「ありません」
「でも、元の場所へ戻るとも書いてない」
「はい」
「分からないままだね」
「分からないことを、都合のよい答えへ変えないでください」
「分かってる」
十人全員を助けることはできない。
助けが必要かも分からない。
俺たちが呼ぶことを、その人たちが望んでいるかも分からない。
だから、一人を選ぶ。
それは、ほかの九人へ何もしていないことと同じなのかもしれない。
それでも、姿を見てしまった以上、何も感じずにはいられなかった。
「選ばなかった九人を、忘れないように記録します」
ミネットが言った。
「それで何かできる?」
「分かりません」
「候補が次も同じとは限らない」
「はい」
「二度と会えないかもしれない」
「それでも、表示された事実は残せます」
俺は一人ずつ、もう一度見る。
そして、前へ出たアヤメの枠へ戻った。
「選ぶ」
実行へ意識を向ける。
月野アヤメを正式召喚します。
選択されなかった九名は実体化しません。
選択を確定しますか?
また確認が出た。
「何回聞くんだよ」
「確認が少ないよりはよいのではありませんか?」
「そうだけど」
今まで説明が足りなかったのに、戻れないところだけは丁寧だ。
「確定する」
選択した。
前へ出ていたアヤメの枠が光る。
同時に、周囲の九枚が薄くなった。
消える前に、全員の姿がもう一度見えた。
誰も俺を見てはいない。
最初から静止した候補情報だったのか。
俺たちの選択を知らないのか。
最後まで分からなかった。
九枚が消える。
月野アヤメの枠だけが残った。
『召喚対象を確定しました』
『月野アヤメの正式召喚を開始します』
「始まる」
俺が言うと、全員が立ち上がった。
リゼが前へ出る。
ファステは寝具と水を確認する。
レイナが布を用意し、千代は周囲へ何も落ちていないか見る。
ナーヴァは手を伸ばせる距離で待つ。
ヴィオラが縁を踏まないよう、ミネットの近くへ寄った。
光が、食堂の空いた場所へ集まり始める。
俺が選んだのは、一人だった。
選ばなかったのは、九人だった。
その九人がどうなったのか、俺には分からない。
ただ、選んだ一人が本当に苦しんでいるのなら。
今度は、分からないままにはできなかった。




