第151話 脱ぐまでが、作業着
完成した四着の作業着が、工房の卓に並んでいた。
薄い灰色の布。
前を留める大きめの金具。
絞れる袖口と裾。
襟の内側には、それぞれ違う色の糸で小さな印が縫いつけられている。
「こちらがリゼ。青がミネット。白がファステ。深い赤が千代ですわ」
レイナが順番に示す。
「名前を書かないの?」
ヴィオラが尋ねた。
「文字が汚れで読めなくなる可能性がありますもの。ファステと相談して、色と糸の結び方でも分かるようにしましたわ」
「洗った後も見分けられる方がよいと思いましたので」
ファステが、自分の作業着に結ばれた糸を指先で示した。
「全部灰色なのに?」
「表側へ大きな色を付けたら、変色を見落とすかもしれません」
ミネットが答える。
「変色が何を意味するかは、まだ分かりませんが」
「じゃあ、意味ないかもしれない?」
「意味があるかもしれないので、見えるようにします」
「いつものだ」
「何がですか?」
「分からないから分かるようにするやつ」
「当然です」
ミネットの足元で、縁が四着の作業着を順番に嗅いでいた。
どれも昨日までは同じ布だった。
それでも一着ずつ確認している。
「縁には違いが分かるのかな」
「分かっているように見えることと、実際に区別できていることは――」
「まだ聞いてない」
俺が止めると、ミネットは口を閉じた。
少し不満そうだった。
「今日は着てみるだけ?」
俺は卓の端に置かれた蓋付きの容器を見る。
作業着を入れるには少し大きい。
以前、街で買った物だ。
「着るだけではありませんわ」
レイナが答える。
「汚れた後、どうやって脱ぐかも確認します」
「普通に脱ぐんじゃ駄目なの?」
「外側へ何が付いているか分からないのです。脱ぐ時に普段着や肌へ触れたら、上から着た意味が薄くなりますでしょう?」
言われてみればそうだ。
作業着は、汚れるために作った。
なら、使った後は外側が汚れているものとして扱わなければならない。
「今日はまだ汚れてないよね?」
「はい。ですから、失敗しても実害のないうちに練習します」
ファステが言った。
「実際に汚れてから初めて試す方が危険です」
「誰が脱がせる?」
「一人で脱げることも確認します。ただ、袖や背中へ付着していた場合は、誰かに補助してもらった方が安全でしょうね」
レイナは床へ二本の紐を置いた。
紐で囲んだ四角が二つできる。
「こちらが作業を終えた者の立つ場所。こちらが補助する者の立つ場所ですわ。脱いだ作業着は、そのまま中央の容器へ入れます」
「そこから出ちゃ駄目?」
ヴィオラが作業する側の四角を指す。
「脱ぎ終わって、手や足元を確認するまでは出ない方がよいでしょうね」
「面倒だな」
入口近くからナーヴァが言った。
いつからいたのかは分からない。
「汚れたなら、燃やせばよい」
「毎回燃やしたら服がなくなるだろ」
「また作ればよい」
「布にも限りがあります」
ファステに言われ、ナーヴァは卓の作業着を見る。
「我の分は?」
「まだ採寸もしていませんわ」
「昨日、欲しいと言ったぞ」
「欲しいと言った順に、その日のうちに完成するわけではありません」
「我の身体なら、毒など通らぬ」
「作業着が必要ないという意味ですか?」
「我だけないのは気に入らぬ」
「では、順番をお待ちくださいませ」
ナーヴァが黙る。
待つらしい。
「最初はリゼとミネットですわ」
レイナが二着を渡す。
二人は隣の部屋へ移動し、完成した作業着へ着替えた。
先に戻ってきたリゼが肩を回す。
昨日引かれていた背中は直っているらしい。
「問題ない」
「腕を前へ出して」
レイナが背中の布へ指を添える。
リゼが腕を伸ばしても、今度は布に余裕が残った。
「これなら大丈夫そうですわね」
「最初からこれでよかった」
「昨日測ったから、今日こうなったのです」
「二度手間だ」
「一度で身体に合う服ができると思わないでくださいませ」
続いてミネットも戻ってくる。
短くした裾を確認し、その場でしゃがんだ。
布が床へ触れる前に止まる。
「以前より余りません」
「歩いてみてくださいな」
ミネットが工房の端まで歩く。
縁も後ろをついていった。
戻ってくる時には、ミネットだけではなく縁まで裾を見ているように見えた。
「では、脱ぐ練習を始めます」
レイナが手袋を二組出す。
「まず、リゼがミネットを補助してくださいな」
「私が?」
「体格も動き方も違う者同士で試した方が、問題を見つけやすいですわ」
「分かった」
リゼが手袋を着ける。
ミネットは紐で囲まれた場所へ立った。
「最初に、袖口と裾の紐を緩めます」
レイナが説明する。
「外側が汚れているものとして扱い、補助する者は表へ触れて構いません。ただし、その手袋で作業着の内側や本人の服へ触れないように」
「難しくないか?」
「だから今日試すんですの」
リゼがミネットの袖口へ手を伸ばす。
結び目を解く。
反対側も同じように緩めた。
「前の留め具は?」
「着ている本人が、内側のつまみを持って外します」
ミネットが首元から順番に留め具を外していく。
一つ。
二つ。
作業着の前が少しずつ開き、その下から学校で着ている服が見え始めた。
昨日も見ている。
毎日のように見ている服だ。
なのに、灰色の作業着の内側から少しずつ現れると、妙に目が引かれる。
「夜斗さん」
「何?」
「容器を、もう少しこちらへ寄せてください」
「見てないよ」
「見ているかどうかは聞いていません」
「今動かす」
俺は容器を持ち、二人の近くへ置いた。
戻ろうとした時、リゼがミネットの背後へ回る。
「次は?」
「襟の内側だけを持って、肩から外してくださいませ」
リゼの指が、ミネットの首元へ入る。
灰色の襟をつまみ、ゆっくり外側へ返した。
ミネットの細い首筋が見える。
作業だ。
安全確認だ。
分かっている。
「外側を内へ巻き込むように」
レイナが近づき、リゼの手へ自分の指を添える。
「そのまま下へ。表側を広げないでくださいな」
「こうか?」
「もう少し内側へ折って」
リゼとレイナが、ミネットの肩から作業着を下ろしていく。
ミネットは両腕を少し後ろへ引いた。
片方の袖が裏返りながら抜ける。
もう片方も続く。
灰色の作業着が外れ、いつもの服へ戻った。
ただ服を一枚脱いだだけだ。
本人も、手伝っている二人も、真剣な顔をしている。
俺だけが、別のことを考えている気がする。
「最後に、そのまま容器へ」
リゼが裏返った作業着を落とす。
蓋はまだ閉めない。
「成功?」
「待ってください」
ミネットが自分の肩を見る。
「右肩へ、表側が一度触れた可能性があります」
「触れたか?」
「分かりません。袖を抜く時に、布が戻りました」
「私も見えませんでしたわ」
レイナが作業着を容器から取り出す。
まだ清潔なので直接確認できる。
「袖口の絞りが緩すぎましたわね。裏返した後に戻っています」
「実際に汚れていたら?」
「右肩も汚染された可能性があるものとして扱います」
「今日は?」
「何も付いていませんから、調整してやり直せます」
「失敗してよかった?」
ヴィオラが聞いた。
「今のうちなら」
ミネットが答える。
「右肩も隔離対象として記録します」
レイナが袖口へ新しい留め方を加える。
外した後、布が戻りにくくするらしい。
「次はリゼですわ。ミネットが補助してください」
「分かりました」
リゼが四角の中へ入る。
ミネットは手袋を着けた。
さっき自分が脱がされた手順を、一つずつ確認しながら進める。
「裾を緩めます」
「いちいち言わなくても分かる」
「声に出した方が、手順を飛ばしにくくなります」
「好きにしろ」
「袖口を緩めます」
リゼは面倒そうにしながらも動かない。
前の留め具を自分で外す。
簡素な作業着の下から、身体へ沿った濃色の服が現れた。
普段はその上から装備を重ねている。
今は武器も防具も着けていない。
「肩を外します」
ミネットがリゼの背後へ立つ。
身長差のため、少し腕を伸ばした。
襟の内側をつまみ、肩から落とす。
「腕を後ろへ」
「これくらいか?」
「もう少しです」
リゼの両腕が後ろへ引かれる。
肩が開き、背中の筋肉が服越しに動く。
ミネットが袖を裏返しながら、ゆっくり引いた。
片方。
もう片方。
「夜斗」
リゼがこちらを向かずに言った。
「何?」
「お前、作業を見ているんだろうな」
「見てる」
「手順をだぞ」
「もちろん」
「目が泳いでいます」
ミネットが言う。
「細かいところまで見てるから」
「では、今どこまで終わりましたか?」
「右袖」
「左袖も終わっています」
「……早いね」
リゼが振り返る。
俺は容器の位置を直した。
必要はなかった。
◇
ファステと千代も作業着へ着替えた。
次は、ファステが千代を補助する。
「妾は自分で脱げるぞ」
「今日は、補助が必要な場合の確認です」
「承知しておる」
千代は紐の中へ立ち、両腕を軽く広げた。
ファステが袖口へ触れる。
「痛くありませんか?」
「紐を解かれて痛む者はおらぬ」
「強く引いてしまうかもしれません」
「それなら言う」
「はい」
ファステは慎重だった。
慎重すぎて、一つの結び目を解くのにも時間がかかる。
「もう少し早くてもよいぞ」
「実際に汚れている時、急いで失敗するよりはよいと思います」
「それもそうじゃな」
前の留め具を外した千代の背後へ、ファステが回る。
襟を返す。
肩から作業着が落ちると、下に着ていた濃色の小袖が現れた。
「腕を少し後ろへお願いします」
「こうか?」
「はい」
ファステが袖を裏返す。
千代は採寸の時と同じく、姿勢をほとんど崩さない。
作業着を脱がされているだけなのに、家臣に装束を解かせている女城主のように見える。
ファステの方は、汚れたかもしれない布を千代へ触れさせないことだけに集中している。
「できました」
裏返した作業着が容器へ入る。
「今のは?」
「表側が内へ収まっていますわ」
レイナが確認する。
「袖も戻っていません」
「では成功じゃな」
「次は交代です」
千代が手袋を着ける。
ファステが四角へ入った。
「よろしくお願いいたします」
「任せよ」
千代の動きには迷いがなかった。
袖口と裾を解き、ファステが自分で留め具を外すのを待つ。
首元から、普段の服が見え始める。
千代は襟の内側だけを持ち、作業着を肩から外した。
「腕を引け」
「はい」
「もう少しじゃ」
ファステが素直に従う。
両腕を後ろへ伸ばしたことで、胸元の服が少し引かれた。
千代は気にせず、袖を裏返していく。
一枚の布が、ファステの身体からゆっくり離れる。
さっきまで全員が同じ作業着を着ていた。
脱いでいくと、その下から一人ずつ、いつもの姿が戻ってくる。
ミネットの制服。
リゼの動きやすい服。
千代の小袖。
ファステの落ち着いた普段着。
同じものを着ている姿もよかった。
同じものを脱いで、それぞれへ戻るところも――。
「夜斗」
千代に呼ばれた。
「何?」
「蓋じゃ」
「え?」
「作業着を入れた。蓋を閉めよ」
「ああ。うん」
容器の蓋を閉じる。
千代が俺を見る。
「今、どこを見ておった?」
「全体」
「便利な言葉じゃな」
「手順を見てた」
「ならば、妾がどちらの袖から外したか言えるか?」
「右」
「左じゃ」
「惜しい」
「何も惜しくないぞ」
ファステが口元を隠す。
笑われた。
「私もやってみたい」
ヴィオラが手を上げた。
「作業着を持っていないだろ」
「補助する側ならできるよ」
「確かに、使用者だけが脱がせ方を知っていればよいわけではありません」
ミネットがうなずく。
「誰かが負傷して、自分で留め具を外せない可能性もあります」
「負傷する前提を増やさないで」
「可能性の話です」
「では、ヴィオラには私の分をお願いします」
ファステが、自分の作業着をもう一度着る。
「今脱いだのに?」
「練習ですから」
「何度も着たり脱いだりするんだね」
「一度で覚えたと言い切る方が危険です」
ヴィオラが手袋を着ける。
レイナが横へ立ち、手順を教えた。
「最初は袖口ですわ」
「これ?」
「外側を掴みすぎないで。紐だけを持ってくださいな」
「難しいなあ」
「実際には汚れていると思ってください」
「まだ何も付いてないよね?」
「そう思って扱う練習です」
ヴィオラの指が、ファステの袖口を解く。
普段は軽い調子で物へ触れるのに、今は妙に慎重だ。
留め具を外したファステの背後へ回り、襟をつまむ。
「近いな」
「脱がせるんだから仕方ないでしょ」
「俺に言ってる?」
「ほかに誰がいるの?」
「皆いるよ」
ヴィオラがファステの肩から作業着を下ろす。
レイナはすぐ横から、その手へ自分の手を重ねた。
「そこを外へ広げないでくださいな」
「こう?」
「内側へ返して」
「こっち?」
「反対ですわ」
二人の身体が近づく。
その間で、ファステは腕を後ろへ引いたまま待っている。
全員、真剣だった。
だから余計に困る。
「右袖、抜けるよ」
「はい」
「次、左」
作業着が裏返りながら外れる。
その下から、ファステのいつもの姿が戻った。
「できた」
ヴィオラが容器へ作業着を入れる。
「今度は問題ありませんわ」
「私にも向いてるかも」
「服を脱がせるのが?」
俺が聞く。
「変な言い方しないでよ。作業着を安全に外すのが」
「今の言い方なら変じゃなかった?」
「夜斗が言うと変になる」
「俺のせい?」
「普段の行いです」
ミネットまで加わった。
「次は、補助なしでも確認します」
「まだ続くの?」
「脱ぐまでが作業着ですもの」
レイナが当然のように言った。
◇
一人で脱ぐ手順では、最初に自分で袖口と裾を緩めた。
留め具を外す。
襟の内側へ指を入れ、表面へ触れないよう肩から落とす。
片方ずつ袖を裏返し、最後に作業着全体を内側へ巻き込む。
言葉にすると簡単だ。
実際にやると、背中側が見えない。
リゼは勢いよく脱ぎすぎて、袖が外へ振れた。
ミネットは慎重になりすぎて、途中で腕が止まった。
ファステは外側へ触れないことを優先し、作業着を床へ落としかけた。
千代は一度で形にしたが、裾の一部が外へ残った。
「全員、補助がいた方が確実ですわね」
レイナが言う。
「必ず二人で調査する?」
「壁門側へ一人で近づかない決まりとも合います」
ミネットが記録帳へ手順を書き込む。
「一人が試料を扱い、もう一人が脱衣を補助する。ただし、補助した人の手袋も隔離します」
「補助の補助は?」
ヴィオラが聞く。
「必要なら三人になります」
「服を一枚脱ぐのに?」
「未知の物を扱った後です」
「どんどん人が増えるね」
「増やせば安全とは限りません。近づく人数が増えることにもなります」
「じゃあ二人?」
「試料をどう扱うか決めてからです」
「結局、まだ肉は開けないんだ」
「試料の扱い方を決めるまでは開けません」
ミネットは真面目だ。
その隣へ縁が座る。
記録帳をのぞいているように見えるが、たぶん文字は読んでいない。
「もう一度、二人一組で確認しますわ」
レイナが言った。
「最初より滑らかにできるか見ます」
四人が、再び作業着を着る。
今度は隣室へ行かなかった。
普段着の上から羽織り、前を閉めていく。
リゼが留め具を一つ飛ばし、レイナに直される。
ミネットは左右の袖口を同じ強さに絞る。
ファステは襟の内側の印を確認してから着た。
千代は裾を整え、紐の長さまで左右で揃える。
同じ服なのに、やはり全員違う。
「夜斗も手順を覚えてくださいな」
レイナが言った。
「俺も脱がせる側になるの?」
「必要な時、ほかに誰もいない可能性はありますでしょう?」
「あるけど」
「見ているだけなら、順番くらい覚えられますわね?」
見ているだけ。
その言葉に、リゼがこちらを見た。
「今度は本当に手順を見ろ」
「分かってる」
「では、私とミネットさんからです」
リゼとミネットが向かい合う。
今度は同時に補助するらしい。
「片方ずつの方がよくない?」
「実際には一人ずつ行います。今回は手順を比較するためです」
ミネットが答える。
二人が相手の袖口へ手を伸ばした。
リゼの指がミネットの紐を解く。
ミネットも、リゼの袖口を慎重に緩める。
距離が近い。
互いの胸元へ手を伸ばしているように見える。
本人たちは服しか見ていない。
「留め具は自分で」
二人が同時に前を開いていく。
灰色の布の隙間から、それぞれの普段着が現れる。
次に、相手の襟へ指を入れる。
肩から布を落とす。
リゼの作業着をミネットが。
ミネットの作業着をリゼが。
互いに腕を引き、相手の袖を裏返していく。
一人ずつやった時より、動きが揃っていた。
「今のところ問題ありませんわ」
レイナが二人の間へ近づく。
「リゼ、もう少しゆっくり。ミネットは途中で止めないで」
「止めていません」
「リゼの動きに合わせようとして遅れています」
「同時に終える必要がありますか?」
「ありませんわ。比較しているだけですもの」
「では、自分の手順を続けます」
ミネットが袖を引く。
リゼの腕が抜けた。
反対側では、リゼがミネットの袖を外す。
二枚の作業着が、ほとんど同時に裏返った。
リゼの濃色の服。
ミネットの学校の制服。
さっきまで同じ灰色に包まれていた二人が、一度にいつもの姿へ戻る。
その後ろで、ファステと千代も向かい合った。
「私たちも始めます」
「うむ」
袖口。
裾。
留め具。
襟。
四人が二人ずつ、互いの作業着を脱がせていく。
レイナはその間を歩き、布の返し方や手の位置を直す。
ヴィオラは容器の蓋を持ち、いつでも閉じられるよう待っていた。
全員が真剣だった。
ふざけている者はいない。
汚れた服を安全に脱ぐために、相手の身体へ近づき、襟へ指を入れ、肩から布を落とし、袖を引いている。
作業着の下から、一人ずつ違う服が現れる。
リゼ。
ミネット。
ファステ。
千代。
四人の間を動くレイナ。
蓋を抱え、面白そうに見ているヴィオラ。
昨日の試着より、ずっと悪い。
何が悪いのかは、俺の頭の中だけの問題だけど。
「夜斗」
リゼに呼ばれた。
「手順は?」
「袖口。裾。留め具。襟。肩。袖を裏返す」
「見ていたな」
「ちゃんと見てた」
「手順以外も?」
「それは……」
ファステの作業着が肩から落ちる。
千代の指が袖を裏返す。
ミネットはリゼの作業着を抱え、汚れた側が外へ出ていないか確認している。
レイナがその背後から手を伸ばし、布の端を内側へ押し込んだ。
ミネットとレイナの肩が触れる。
近い。
「そこまでですわ」
ヴィオラが容器を開く。
四枚の作業着が順番に入った。
蓋が閉じられる。
「二回目は全員、問題ありません」
ミネットが言った。
「外側を、内側へ収められています」
「じゃあ成功?」
「清潔な作業着での練習には成功しました」
「本当に汚れた後も同じようにできるとは限りません」
ファステが付け加える。
「分かってるけど、今日は成功でいいんじゃない?」
「はい。今日確認する範囲では」
四人がいつもの姿へ戻っている。
作業着は蓋の下だ。
もう何も見えていない。
それなのに、さっきの光景が頭から消えなかった。
同じ服を着た四人。
互いに脱がせ合う距離。
灰色の下から戻ってくる、それぞれの服。
本人たちは最後まで真剣だった。
俺だけが。
本当に、俺だけが別のものを見ていた。
視界の端へ、半透明の表示が開いた。
『《淫獄石》を3,000個獲得しました』
『所持《淫獄石》:30,100』
「三千……」
声に出してしまった。
「三千?」
ヴィオラがすぐ反応する。
「今ので?」
リゼが眉を寄せた。
「脱いだからですか?」
ミネットが自分の服を見る。
「作業着を?」
「互いに?」
ファステまで確認してくる。
「細かく聞かないで」
「昨日より増えています」
ミネットが言った。
「数は記録していませんが、昨日は千八百だったのでしょう?」
「なんで分かるの?」
「先ほど三千と口にしました。昨日より多いという会話もありました」
「覚えてたんだ」
「原因を調べる可能性があるためです」
「忘れていいって言ったよね」
「今後も急に増えるなら、そうはいかないかもしれないとも言いました」
「言ってた」
「では、今回は何が違いましたか?」
「昨日は着てた」
「今日は脱いだ」
ヴィオラが笑う。
「そこだけ聞くと、ものすごく分かりやすいね」
「安全に脱ぐ練習だから」
「でも増えた理由は安全じゃない部分でしょ?」
「俺の頭の中の話だから、皆は安全だよ」
「それで安心してよいのでしょうか」
ファステが困った顔をする。
「服を脱いだことだけではないと思う」
俺は諦めて答えた。
「互いに手伝ってたし、全員真剣だったし、同じ作業着の下からいつもの服が出てきて……」
「もうよい」
リゼが止めた。
「聞いた私たちが悪かった」
「質問したのはミネットだよ」
「必要な確認です」
「必要だった?」
「獲得量が増えている可能性は高まりました」
「俺の性癖が広がってる可能性は?」
「それも否定できません」
「否定してほしかった」
千代が肩を揺らす。
「三千も増えたなら、また召喚へ近づいたのではないか?」
「たぶん」
所持数は三万百。
前回見た時より大きく増えている。
通常の《住民召喚》なら、もう使える。
それどころか、三回分に近い。
そう考えた直後だった。
消えかけていた表示の下へ、新しい文字が重なる。
『所持《淫獄石》が解放条件を満たしました』
『新たな召喚方式を確認しました』
「何?」
俺の声に、全員がこちらを見る。
「また増えた?」
「違う」
続く文字を読む。
『《十連召喚》』
理解するまで、少し時間がかかった。
十連。
見間違いではない。
意味も、たぶん知っている。
日本にいた頃、何度も見た言葉だ。
「夜斗?」
レイナが呼ぶ。
俺は表示から目を離せなかった。
「……十連?」
完成した作業着を安全に脱ぐ方法を確認しただけだった。
そのはずなのに。
俺の前には今、今まで存在すら知らなかった召喚方式が表示されていた。




