第144話 使い魔ではありません
「では、こちらで待っていてください」
学校の職員に案内されたのは、校門の内側にある小さな待機場所だった。
石造りの低い壁と、横長の椅子。
その先には、土の地面が広がっている。
訓練場ほど広くはない。
杖を持った学生や、小さな生物を連れた人が時々通り過ぎていく。
縁はミネットの足元へ座った。
片方の耳には、細い革紐が掛かっている。
ミネットの《帰還目印》だ。
今だけ、ほかの使い魔と見分けるために使っている。
「目立つな」
リゼが言った。
「革紐が?」
「縁もだ」
通り過ぎる学生が、何度もこちらを見ている。
見慣れない生物だからか。
耳の革紐が珍しいのか。
ミネットの近くにいるから、使い魔だと思われているのか。
「縁は平気かな」
俺がしゃがむと、縁がこちらを見た。
逃げはしない。
でも、近づいてもこない。
「人が多いです」
ミネットも縁を見る。
「先ほどまでより、私との距離が近くなっています」
「怖がってる?」
「可能性はあります」
「ミネットの近くが安全だと思ってる可能性は?」
「それもあります」
「嬉しい?」
ミネットが黙った。
縁の耳で、革紐が小さく揺れる。
「……嬉しいです」
素直に認めた。
「ただし、私が安全だと思われているかは、まだ分かりません」
「そこは分けるんだ」
「分けます」
職員の女性が戻ってきた。
一人ではない。
年上の女性を連れている。
長い杖を持っているが、こちらへ向けてはいない。
「お待たせしました。使い魔について教えている者です」
「ミネット・ノルンです」
「知っています」
女性はミネットへ答えてから、縁を見た。
「この子が、あなたについてきたという生物ですね」
「はい」
「触れても?」
「私に許可を求められても、決められません」
「そうですね」
女性は縁へ手を伸ばさなかった。
少し離れたところでしゃがみ、外見だけを見る。
「契約や魔力のやり取りは?」
「どちらもありません」
「命令したことは?」
「待っていてください、と話しかけたことはあります」
「従いましたか?」
「従う時も、従わない時もありました」
縁は今も、ミネットの横に座っている。
女性が立ち上がった。
「少なくとも、契約済みの使い魔として扱うことはできません」
「はい」
「校舎と寮へ入れる許可も、すぐには出せません。食性も健康状態も分からず、ほかの使い魔との相性も不明です」
「分かりました」
ミネットは残念そうな顔をしなかった。
でも、縁の耳へ掛けた革紐を一度見た。
「屋外であれば、少し様子を確認できます」
女性が待機場所の先を示した。
「使い魔の訓練に使う区画です。今日は授業がありますから、ほかの使い魔も来ます。それでもよければ、端で待っていてください」
「私たちも入っていいんですか?」
俺が聞く。
「あなた方は、この子を以前から知っているのでしょう?」
「一緒に暮らしてる……というか、同じ場所にいる」
「では、何かあった時のために近くにいてください。ただし、授業の邪魔はしないように」
「分かりました」
リゼも頷いた。
俺たちは、ミネットと縁について屋外区画へ移動した。
◇
土の地面には、いくつかの低い柵が置かれていた。
学生たちが使い魔と一緒に並んでいる。
羽のある小さな生物。
長い耳を持つ四足の獣。
人の肩に収まるほど小さな蜥蜴のような生物。
同じ種類に見えるものもいれば、まったく似ていないものもいる。
「使い魔って、こんなに違うんだ」
「契約できる生物は一種類ではありません」
ミネットが答える。
「それぞれ得意な補助も、必要な環境も違います」
「縁は何ができるんだろう」
「分かりません」
「何かできないと、使い魔にはなれないの?」
「能力だけで決めるものではありません」
ミネットは、ほかの学生と使い魔を見る。
「使い魔は魔法を補助します。ですが、強い能力があれば誰とでも契約できるわけではありません」
「相性?」
「それもあります。魔力の性質や、互いに受け入れられるかどうかも必要です」
「縁とミネットは?」
「契約を試していないので、分かりません」
「今なら試せそうじゃない?」
そう言ったのは、俺ではなかった。
近くにいた学生だ。
ミネットと同じくらいの年齢に見える女性が、興味深そうに縁を見ている。
「その子、ずっとミネットの近くにいるよね」
「はい」
「もう懐いてるんじゃない?」
「そう見えることと、契約を望んでいることは別です」
「でも、使い魔が欲しかったんでしょ?」
「欲しいです」
「だったら――」
「私が使い魔を欲しいことと、縁が私の使い魔になりたいことも別です」
学生が口を閉じた。
怒った言い方ではない。
ミネットは、いつもどおり確認できていることを分けただけだ。
「まだ試さないの?」
「はい」
「もったいなくない?」
「何をもったいないと考えるかによります」
学生は少し考えてから、苦笑した。
「ミネットらしいね」
そのまま自分の使い魔のところへ戻っていく。
「よく聞かれるの?」
「使い魔を探していることは、周囲も知っています」
「じゃあ、今日はもっと聞かれそうだね」
「はい」
「面倒じゃない?」
「説明は必要です」
エウリオなら、聞かれる前に札でも作りそうだ。
『使い魔ではありません』
そんな札を縁へ掛ける姿を想像した。
ミネットなら、縁へ勝手に掛けることを先に嫌がるだろう。
◇
授業が始まった。
学生たちが、使い魔と一定の距離を取って並ぶ。
教師の合図で、使い魔がそれぞれ動いた。
空を飛ぶ。
地面を走る。
小さな物を運ぶ。
主人の杖から生まれた弱い光へ、自分の魔力を重ねる。
命令の仕方も違う。
声で細かく指示する者。
名前を呼ぶだけの者。
何も言わず、視線だけを向ける者。
「契約すると、考えていることが分かるの?」
小声で聞く。
「すべて分かるわけではありません」
ミネットも声を落とした。
「契約の形によります。感情や方向だけ伝わる場合もあります。魔力の動きで、相手が何をしようとしているか分かることもあります」
「縁とは?」
「何もつながっていません」
そう答えた時、訓練中の一体がこちらへ来た。
長い耳を持つ四足の獣だ。
学生の呼びかけを無視したわけではない。
教師が、自由に動かしてよいと指示したらしい。
獣は縁を見つけ、ゆっくり近づいてくる。
縁が立ち上がった。
「止めますか?」
ミネットが教師へ聞く。
「まだ必要ありません。どちらかが嫌がれば離します」
長い耳の獣が、縁の少し手前で止まる。
鼻先を動かす。
縁も相手を見る。
逃げない。
近づかない。
しばらくして、獣の方が一歩進んだ。
縁が横へ動く。
相手から距離を取った。
「嫌がっていますか?」
「近づかれるのを避けたようには見えます」
ミネットはその場から動かない。
縁を呼ばない。
獣を追い払おうともしない。
長い耳の獣が、もう一度近づく。
縁はさらに横へ移動した。
その先に、ミネットがいる。
縁がミネットの足元へ入った。
そこで座る。
長い耳の獣は、それ以上追わなかった。
教師に呼ばれ、元の学生のところへ戻っていく。
「戻ってきたね」
俺が言う。
「はい」
ミネットの声が少しだけ弾んだ。
すぐに記録帳を開こうとして、手を止める。
鞄へ伸ばしかけた手を、そのまま膝へ戻した。
「書かないの?」
「後で書きます」
「忘れない?」
「忘れません」
ミネットは、足元の縁を見た。
耳に掛かった革紐が、風で小さく動いている。
「今は、見ています」
縁が何を考えているのかは分からない。
ほかの使い魔を嫌ったのか。
知らない生物から距離を取りたかっただけなのか。
ミネットの近くを安全だと思ったのか。
どれも決められない。
それでも縁が戻ってきた場所は、ミネットの足元だった。
◇
授業が終わると、何人かの学生が集まってきた。
「ミネットの使い魔?」
「違います」
一人目には、すぐ答えた。
「今日契約したの?」
「していません」
二人目にも答える。
「その耳の紐は契約印?」
「一時的な識別用です」
三人目にも答える。
「名前は?」
「縁です」
「触っていい?」
「私ではなく、縁の反応を見てください」
差し出された手から、縁は少し離れた。
学生も追わなかった。
「嫌みたい」
「少なくとも、今は近づきませんでした」
「ミネットは触れるの?」
「縁から近づいてきた時に、短く触れたことがあります」
「やっぱり懐いてるんじゃない?」
「可能性はあります」
ミネットが答える。
以前なら、そこでもっと強く止めていたかもしれない。
「ですが、それだけで使い魔だとは決めません」
否定はしなかった。
可能性として残しながら、契約とは分けた。
縁は学生たちの間を抜け、ミネットの椅子の下へ入った。
いつものように丸くなる。
「完全にミネットの子じゃない?」
「私の子ではありません」
「でも、その椅子の下を選んだよ」
「はい」
「嬉しそう」
「嬉しいです」
今度は迷わなかった。
学生たちが笑う。
ミネットも、ほんの少しだけ笑っていた。
◇
昼を過ぎた頃、最初に案内してくれた職員が戻ってきた。
「今日の屋外区画での滞在は、問題ありませんでした」
「ありがとうございます」
「ただし、寮で預かることはできません」
ミネットの表情が戻る。
「理由を聞いてもよいですか?」
「契約者がいないこと。食事と健康状態が分からないこと。夜間にほかの使い魔と接触した場合の対応を決められないことです」
「今後も無理ですか?」
「今日の判断と、今後の判断は分けてください」
ミネットが目を瞬いた。
俺も少し驚いた。
「その言い方……」
「あなたがよく使うと聞きました」
職員が少し笑う。
「必要なら、確認する方法から相談しましょう。ただし、今日すぐ寮へ入れる許可は出せません」
「分かりました」
ミネットは縁を見る。
「では、縁を戻します」
「ミネットは学校へ残る?」
俺が聞く。
授業はまだある。
報告も全部終わったのか分からない。
「残る必要があります」
「じゃあ、俺たちが縁を連れて帰る?」
「それは……」
ミネットが言葉を止める。
俺が縁の前へ立つ。
「縁、帰る?」
縁が顔を上げる。
立ち上がらない。
リゼが校門の方へ歩いてみる。
縁は動かない。
「ついてこないな」
「俺が呼んでも駄目かな」
「縁」
もう一度呼ぶ。
縁はこちらを見るだけだった。
ミネットが立ち上がる。
縁も立った。
ミネットが一歩動く。
縁も、その後ろへついていく。
「今はミネットと離れる気がないように見える」
リゼが言った。
「はい」
ミネットは縁を見下ろす。
嬉しそうだった。
でも、困ってもいる。
「私が授業へ戻れば、縁もついてくる可能性があります」
「校舎には入れない」
「はい」
「俺たちと帰る気もなさそう」
「そう見えます」
「どうする?」
ミネットは、しばらく黙って考えた。
「先生へ相談します」
「授業を休むの?」
「まだ決めていません。先に、今日の残りをどう扱えるか確認します」
勝手に休むとも、縁を置いていくとも決めなかった。
ミネットは職員と一緒に校舎の入口まで行く。
縁はついていった。
校舎へ入る手前で止まり、ミネットが戻ってくるまでその場に座った。
少しして、ミネットが出てくる。
「今日は、報告書の提出と午前の授業へ出たことで、残りは免除していただけました」
「いいの?」
「地下入口の異常について、追加の記録をまとめることも課題に含まれました」
「休みになったわけじゃないんだ」
「はい。戻ってから書きます」
「《淫獄》のことは?」
「許可された範囲だけを書きます」
それなら問題ない。
「今日は一緒に戻ります」
ミネットが言った。
「縁を戻すため?」
「それもあります」
「ほかには?」
ミネットは、耳に革紐を掛けた縁を見る。
「私が戻りたいからです」
学校へ残ることもできた。
縁だけを俺たちへ任せることもできた。
でも、今日は自分も戻ると決めた。
◇
学校を出る前に、ミネットは縁の前へしゃがんだ。
「革紐を外します」
縁が耳を動かす。
ミネットはすぐには触れない。
「よいですか?」
縁が逃げないことを確かめてから、細い革紐をそっと外した。
耳を傷つけた様子はない。
毛が少しだけ押さえられている。
ミネットはそこへ触れかけて、手を止めた。
縁が自分から頭を寄せる。
指先が耳の付け根へ触れた。
ミネットが短く撫でる。
「ありがとうございました」
「縁に?」
「はい」
「何に対して?」
「革紐を着けさせてくれたことです」
外した革紐を、記録帳の頁へ戻す。
帰還目印は、またミネットのものとして鞄へ収まった。
契約の印ではなかった。
縁を縛るものでもなかった。
必要な間だけ借り、終わったから返した。
「帰ろう」
俺たちは、人通りの少ない道を選んで水場へ向かった。
縁はまたミネットの近くを歩く。
来た時より、少しだけ迷わなくなっているように見えた。
◇
水場の近くへ着く。
周囲に人はいない。
魔物の姿もない。
リゼが一度広く確認し、ミネットも記録帳から革紐を出した。
「反応を送ります」
「お願い」
ミネットが接続地点の範囲へ入る。
すぐに、帰還目印の反応が届いた。
「来た」
「今朝と同じですか?」
「同じだと思う」
「断定できますか?」
「……俺が区別できる範囲では同じ」
「分かりました」
俺は入口を細く開く。
向こう側に、ヴィオラの顔が見えた。
「遅い!」
「声が大きい」
「異常なし! こっちも全員いる!」
その後ろから、ファステとレイナもこちらを見ている。
壁門側で問題は起きていないらしい。
入口を広げる。
「リゼから入って」
「分かった」
リゼが境界を越える。
次は俺。
それからミネットが入口の前へ立った。
縁は、その横にいる。
「戻ります」
ミネットが縁へ言う。
先に境界を越えた。
縁は外側に残る。
一度、背後の水場を見た。
街へ続く道を見る。
それから《淫獄》の入口を見る。
誰も呼ばなかった。
ミネットも、境界の向こうで待っている。
縁が一歩進む。
自分で入口を越えた。
ミネットの足元まで行くと、そこで座る。
「帰ってきた!」
ヴィオラが声を上げた。
「縁、おかえりなさい」
ファステが笑う。
レイナも安心したように息を吐いた。
ミネットは、すぐには何も言わなかった。
足元の縁を見る。
「今日、縁は私について学校まで来ました」
「うん」
「ほかの使い魔に近づかれた時、私の近くへ戻りました」
「うん」
「帰る時も、私と同じ入口を自分で越えました」
一つずつ、起きたことを並べる。
「だから?」
ヴィオラが聞いた。
ミネットは少しだけ考えた。
「今日、縁が私と一緒にいたかった可能性は、以前より高くなったと思います」
「契約する?」
「しません」
「即答だ」
「今日一緒にいたことと、使い魔になることを望んでいることは別です」
それでも、ミネットは縁から離れなかった。
縁も、ミネットの足元から動かない。
「ただ……」
ミネットが続ける。
「何も分からないとは、もう言いません」
縁がミネットの近くを選んだ。
今日だけで、何度も。
その理由は分からない。
明日も同じかは分からない。
契約を望んでいるかも分からない。
それでも、起きたことまでなかったことにはしない。
「使い魔ではありません」
ミネットは縁を見ながら言った。
「ですが、今日一緒にいたことは、確かです」
縁が、ミネットの靴へ身体を寄せた。
ミネットの手が動く。
けれど、触れる前に止まった。
「私は、縁が私の使い魔になってくれたら嬉しいです」
今まで、口にしなかった言葉だった。
「私がそう望んでいることと、縁が望んでいることは別です」
ミネットは縁の前へしゃがむ。
「ですから、今度は縁に聞きます」
手のひらを上へ向け、縁の前へ差し出す。
「断ってもかまいません。今すぐ答えなくてもかまいません」
縁は、差し出された手を見る。
ミネットは手を近づけない。
逃げ道を塞がない。
ただ、返事を待つ。
「縁」
少しだけ震えた声で、ミネットは尋ねた。
「私の使い魔に、なってくれますか?」




