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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第十二章 「向こうから、つながった」

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第142話 死骸は、まだ向こうにある



 目を覚まして最初に聞いたのは、壁門が破られた音ではなかった。


 食器の触れ合う、小さな音だった。


「おはようございます、夜斗様」


「……おはよう」


 食堂へ入ると、ファステが朝食を並べていた。


 レイナが飲み物を運び、千代が卓の端で昨日の記録をまとめている。


 ヴィオラは椅子へ座ったまま、まだ半分眠っていた。


 ミネットも記録帳を開いている。


 縁は、その椅子の下にいた。


 ここだけ見れば、いつもの朝だった。


「壁門は?」


「何もなかったよ」


 背後からリゼの声がした。


 振り返る。


 装備は着けているが、昨日裂けた外套はない。腕と脇腹の傷には、ファステが巻いた布が残っている。


「もう起きて大丈夫なの?」


「見張りを代わっただけだ」


「休んだ?」


「少しはな」


「少しがどれくらいか聞いてる」


「夜斗よりは早く起きた」


「それ、答えになってないだろ」


 リゼは俺の横を通り、椅子へ座った。


「壁門へ近づく音はなかった。ナーヴァも同じことを言っている」


「ナーヴァは?」


「寝かせた」


「寝たの?」


「寝かせた」


 言い方が少し強い。


 たぶん、素直には寝なかったのだろう。


 黒い人型ゴーレムは、今も壁門の近くにいるらしい。


 異常があれば邸宅まで戻る。


 昨夜、エウリオがそう決めた。


「エウリオは?」


「まだ寝ているよ」


 今度は本人の声がした。


 食堂の入口に、簡素な吊り寝台がある。


 四体の小型ゴーレムに運ばせてきたらしい。


 その上で横になったまま、エウリオが片目だけを開けていた。


「起きてるじゃん」


「話しかけられたからね」


「自分でここまで来たの?」


「運ばせた」


「そうだった」


 エウリオが自分で吊り寝台から降りるはずがなかった。


「黒い方から、何か分からない?」


「何も戻ってきていない。だから、決めた条件に当てはまる変化は起きていない」


「門の向こうが安全って意味ではない?」


「もちろん」


 エウリオは目を閉じた。


「何も知らせに来なかったことと、何も起きていないことは同じじゃないよ」


 その言い方に、ミネットが顔を上げた。


「今のは、私が言おうとしました」


「先に言ったから、もう言わなくていいね」


「そういうものではありません」


「二人とも、朝から元気だね」


 ヴィオラが卓へ頬をつけたまま言う。


 少なくとも、壁門は一晩破られなかった。


 それは分かった。


 でも、向こうには巨大な魔物の死骸が残っている。


 動かないことは確かめた。


 呼吸も止まっていた。


 それでも、何でできているのかも分からない死骸を、いつまでも壁門のすぐ外へ置いておいていいとは思えない。


「今日、死骸を確認したい」


 口にすると、食堂の空気が少しだけ変わった。


 リゼが俺を見る。


「回収するのか?」


「まだしない。どうなってるか、壁門の内側から見るだけ」


「見るだけで何が分かる?」


「腐り始めてるか。ほかの魔物が寄ってきてないか。昨日と位置が変わってないか」


 自分で挙げながら、それだけでは足りないと思う。


 死骸に触れなければ分からないことは多い。


 身体へ張りついていた金属や石。


 黒い血。


 胸の奥にあった脈打つもの。


 何かに利用できるかもしれない。


 毒があるかもしれない。


 別の魔物を呼ぶかもしれない。


「持ち込まずに分かることから、ということですね」


 ミネットが記録帳を閉じた。


「うん」


「私も確認します」


「学校は?」


「出る時間まで、まだ余裕があります」


 学校へ行くには、残った接続地点を開く必要がある。


 以前のように、地下の固定前室から自由に往復することはできない。


 だからといって、確認を急がせる理由にもならない。


「危なくなったら、すぐ下がって」


「はい」


「縁は連れていかないで」


 ミネットが足元を見る。


 縁も顔を上げた。


「ここで待っていてください」


 意味が通じたのかは分からない。


 縁は動かなかった。


     ◇


 壁門の近くには、ナーヴァがいた。


「寝たんじゃなかったの?」


「もう起きた」


「どれくらい寝た?」


「十分だ」


 リゼが無言でナーヴァを見る。


「……少しは寝た」


「戻って寝てていいよ」


「死骸を見るのであろう」


「見るだけ」


「ならば、我も見る」


 止めても来る顔だった。


 黒い人型ゴーレムは壁門の横に立ち、こちらを見た。


 その顔には表情がない。


 エウリオが吊り寝台ごと近づくと、ゴーレムは一歩だけ脇へ退いた。


「何もなかった?」


 俺が聞いても、黒いゴーレムは答えない。


「質問へ答える仕事は与えていないよ」


 エウリオが言った。


「動いてないってことは?」


「邸宅へ知らせに来る条件が起きなかった。それ以上は分からない」


「ずっと向こうを見てたんじゃないの?」


「見たものを全部覚えて、あとから説明するようには作っていない」


 黒いゴーレムは、見張りではない。


 異常が起きた時に知らせるための存在だ。


 人の代わりに立っていても、人と同じことができるわけではない。


「開けるぞ」


 リゼが壁門の前へ立つ。


 ナーヴァと黒いゴーレムが左右に分かれた。


 俺とミネットは、その後ろ。


 エウリオの吊り寝台はさらに離れている。


「少しだけにしよう」


「分かっている」


 リゼが壁門へ手をかける。


 重い扉が、ゆっくりと内側へ動いた。


 最初に入ってきたのは、空気だった。


 湿った石の臭い。


 焼けた肉。


 乾き始めた血。


 昨日より、少しだけ重い臭いがする。


「閉める?」


「まだだ」


 リゼが細い隙間から向こうを見る。


 俺も、その横から覗いた。


 灰色の床。


 巨大な魔物の身体。


 倒れた位置は変わっていない。


 四本の腕も、昨日見たままだ。


 身体へ張りついていた金属板や骨も、大部分は残っている。


「膨張は?」


 ミネットが聞く。


「分からない。昨日の大きさを測ってない」


「皮膚の色は?」


「灰色。血がついたところは黒い」


「昨日より変わっていますか?」


「……自信ない」


 正確に覚えていない。


 あの時は、生き残ることしか考えていなかった。


「臭いは強くなってる」


 リゼが言う。


「ただし、腐敗だけが原因とは限らない。焼けた部分や血の臭いも混じっている」


 ナーヴァが鼻を動かす。


「うまそうな匂いがするな」


「食べないで」


「我だけとは言っておらぬ。そなたらも食えるかもしれぬぞ」


「なんで皆の分まで考えてるんだよ」


「以前の獲物は食えたのであろう。ならば、あれも確かめる価値はある」


 ミネットが記録帳へ視線を落とす。


「以前の魔物を食べられたことと、別種の魔物も食べられることは別です」


「言うと思ったぞ」


「分かっていたなら、先に区別してください」


「食える可能性まで消す必要はなかろう」


「可能性は否定していません。安全を確認する前に食べることへ反対しています」


「では、確認すればよい」


「その方法から考える必要があります」


 ナーヴァは納得したように頷いた。


 少なくとも、今すぐ食べるつもりはなくなったらしい。


 魔物の身体へ視線を戻す。


 動いていない。


 その奥の通路にも、今のところ何も見えない。


「金属板が一枚減っていませんか?」


 ミネットが言った。


「どれ?」


「右側です。昨日、肩の近くに細長い物があったと思います」


 言われて見ても、分からない。


 ただ、魔物の右肩には、何かを剥がしたような跡がある。


「戦ってる間に落ちたんじゃない?」


「その可能性もあります」


「ほかの魔物が持っていった可能性もあるな」


 リゼが床を見る。


 死骸の周囲には、細い跡が残っている。


 昨日の戦闘でできた傷かもしれない。


 何かを引きずった跡にも見える。


「もう少し開ける?」


「待て」


 ナーヴァが低く言った。


 全員が黙る。


 灰色の通路の奥から、硬いものが石へ当たる音がした。


 一度。


 少し間を置いて、もう一度。


 何かがいる。


 姿は見えない。


「閉めるぞ」


 リゼが扉へ力をかける。


 その直前、通路の奥から小さな影が走ってきた。


 人間の腰にも届かない。


 細い四肢を持つ、灰色の魔物だった。


 こちらへ来る。


 けれど、最初に向かったのは壁門ではなかった。


 巨大な死骸だ。


 小型の魔物は死骸の肩へ飛び乗った。


 剥がれかけていた金属片へ両手をかける。


「持っていく気か?」


 俺が呟く。


 金属片は、簡単には外れない。


 小型の魔物は何度も引いた。


 爪を差し込み、身体を反らし、それでも取れないと分かると、今度は死骸の皮膚へ噛みついた。


 引き裂く。


 黒い肉が露出した。


「金属だけではないようだな」


 リゼの声が低くなる。


 魔物は肉片を口にくわえた。


 食べるのかと思った。


 だが、その場では飲み込まない。


 抱え込むように両腕で押さえ、周囲を見回した。


 通路の奥から、別の音が聞こえる。


 もう一体。


 最初の魔物が肉片を持って逃げようとする。


 その時、こちらを見た。


 目が合った。


 小型の魔物が動きを止める。


 抱えていた肉片。


 壁門の内側にいる俺たち。


 頭が、ゆっくりとこちらへ向く。


「閉めろ」


 リゼとナーヴァが同時に言った。


 扉が閉じる。


 最後に見えたのは、肉片を捨てて壁門へ走り出す小型魔物だった。


 重い扉が合わさる。


 直後、向こう側から何かがぶつかった。


 一度。


 爪で引っかくような音が続く。


 黒いゴーレムが壁門の前へ出た。


 ナーヴァも構える。


 でも、扉は開かない。


 小型の魔物も、こちら側へは来ない。


 やがて、引っかく音が止まった。


 すぐには誰も動かなかった。


「死骸より、こっちを選んだ」


 俺が言う。


「生きているものを見つけたからだろう」


 リゼが壁門を見たまま答える。


「死骸を欲しがらないわけじゃない。でも、生きてる俺たちの方を優先した」


「一個体の行動です」


 ミネットが言う。


「すべての魔物が同じ順序で選ぶとは限りません」


「うん」


「ですが、死骸が別の個体を引き寄せる可能性は高くなりました」


 それも、まだ一体だけだ。


 死骸の臭いに寄ってきたのか、金属を見つけたのか、偶然通りかかったのかは分からない。


 それでも、壁門のすぐ向こうに置き続けていいとは思えなかった。


「奥へ運ぶか?」


 ナーヴァが言った。


「死骸へ近づいて?」


「我なら動かせる」


「持ち上げた時に何が出るか分からない」


「では、焼くか?」


「煙がどうなるか分からない」


「凍らせる?」


 ヴィオラが来ていれば、そう言ったかもしれない。


 でも、凍らせれば安全になるとも限らない。


「何もしないのですか?」


 ミネットに聞かれる。


「今は、持ち込まない。触らない。焼かない」


「監視は?」


「続ける」


「ずっと?」


「方法を考える」


 人が立ち続けるのは無理だ。


 黒いゴーレムに新しい条件を与えるなら、エウリオが決める必要がある。


 壁門へぶつかった時だけ知らせるのか。


 向こうで音がした時も知らせるのか。


 その違いをゴーレムが判別できるのか。


「僕を見ないでくれる?」


 エウリオが吊り寝台の上で言った。


「まだ何も頼んでない」


「頼もうとしている顔だった」


「顔で分かるの?」


「分かるようになってきたよ」


 エウリオは面倒そうに息を吐いた。


「今の黒い個体は、壁門を突破しようとする動きがあれば知らせる。それ以上をさせるなら、条件を決め直す必要がある」


「頼んでいい?」


「内容を聞いてから決める」


「壁門の向こうで、大きな音が続いた時も知らせてほしい」


「どれくらいが大きい?」


「今の、ぶつかった音くらい」


「一度だけでも?」


「何度か続いたら」


「何度?」


 答えられない。


 三回。


 五回。


 回数を決めても、ゆっくり叩かれた場合はどうする。


 巨大な魔物が一撃で門を壊そうとしたら、二回目はないかもしれない。


「決めることが多いな」


「自動で判断させたいならね」


「エウリオなら、どうする?」


「僕なら、壁門の外を見ようとしない」


「それで破られたら?」


「邸宅へ入る」


「菜園や敷地は?」


「諦める」


 迷いがない。


 エウリオにとっては、それが一番仕事の少ない方法なのだろう。


 でも、俺は同じようには決められなかった。


 壁門の内側には、皆で植えた香草がある。


 縁が選んだ場所がある。


 ナーヴァが竜の姿へ戻れる広場がある。


 邸宅へ逃げれば命は守れるかもしれない。


 それでも、外側を全部渡していいとは思えない。


「俺は、知らせてほしい」


「なら、何を知らせるか決めて」


「すぐには決められない」


「決まってから呼んで。近くにいる時なら変えるよ」


「手伝ってくれるの?」


「断るかどうかは、内容を聞いてから決めると言ったよ」


「分かった。ありがとう」


 エウリオが少しだけ目を細める。


「まだ何もしていないけど」


「考えるところまでは聞いてくれたから」


「それで礼を言う人も珍しいね」


 それ以上、エウリオは何も言わなかった。


     ◇


 壁門から離れ、食堂へ戻る。


 縁はミネットの椅子の下に残っていた。


 ミネットが近づくと、顔だけを上げる。


「待っていたのでしょうか」


 ヴィオラが聞く。


「ここにいただけです」


 ミネットはそう答えた。


 でも、椅子へ座る時の口元が少し緩んでいた。


「確認できたことを書きます」


 記録帳を開く。


「巨大な魔物の死骸は、位置が変わっていませんでした。昨日より臭いが強く感じられましたが、腐敗によるものとは確定できません」


「小さいのが一体来た」


「死骸に付着していた物品と、死骸の肉らしきものを持ち去ろうとしました」


「それから俺たちを見て、こっちへ来た」


「生きている対象を認識した後、優先する対象を変えたように見えました」


 ミネットの筆が止まる。


「死骸をどうしますか?」


「今は残す」


「残したいのですか?」


「違う」


 残したいわけではない。


 欲しいわけでもない。


 価値がないと決めたわけでもない。


「安全に動かす方法が分からないから、触らない」


「分かりました」


「でも、放っておけばいいとも思ってない」


「では、継続して確認します」


「壁門は必要以上に開けない。見る時は戦える人を置く。何か来たらすぐ閉じる」


「外へ運び出す可能性は?」


「今は考えない」


 現地世界への入口は一つしかない。


 しかも場所を隠している。


 正体の分からない死骸を、そこから外へ出すつもりはなかった。


 《淫獄》の生活領域へ入れるつもりもない。


 向こうへ残せば、魔物が寄ってくる。


 こちらへ持ち込めば、何が起きるか分からない。


 倒したから終わりではなかった。


「学校へも、このことを伝えますか?」


 ミネットが聞いた。


「魔物の死骸が残ってることは、組合へ伝えた方がいいと思う。でも、場所の説明は……」


「第二接続地点を明かさずに伝えられる範囲へ留めます」


「お願いしていい?」


「はい」


 ミネットは迷わず答えた。


 その足元で、縁が身体の向きを変える。


 革紐の挟まった記録帳を一度見上げ、また丸くなった。


 壁門の向こうには、《万物迷宮》がある。


 巨大な死骸も、そこに残っている。


 俺たちが倒したものだった。


 だからといって、俺たちのものになったわけではない。


 持ち帰らないと決めることも。


 触れずに見張ると決めることも。


 倒した後に残った、俺たちの仕事だった。

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