第14話 今日は休む日
「食料は二か所へ分けるべきじゃ。水も一つの袋へ頼るのは危うい。火の近くには、燃えやすい素材を置かぬ方がよい。それから外の地形も、早いうちに――」
「今日は外に出ない」
俺が言うと、千代が話を止めた。
「何?」
「今日は外に出ない。探索もしない。大がかりな作業もしない」
朝。
目を覚ました俺の前で、千代は既に共同作業台へ食料や素材を並べていた。
召喚されてから、まだ一日ほどしか経っていない。
月影城が落ちた直後に呼び出され、知らない場所で俺たちと出会い、昨日は《淫獄》の状況を一通り確認した。
普通なら、今日くらい寝込んでも誰も責めない。
なのに千代は、俺より早く起きて拠点の改善案を出している。
「珍しいな」
武器の状態を確認していたリゼが言った。
「むしろ今まで出すぎなんだよ。俺は外の世界や危険なことを好まない、善良な引きこもりだぞ」
「お前、最初はずっとここに引きこもるつもりだっただろ」
「初心を思い出した」
「何の初心だ」
異世界へ来てから、俺は自分でも驚くほど外へ出ている。
水を探し、食料を探し、素材を探し、人里を探した。
俺の人生における外出頻度としては、明らかに異常である。
「食料には最低限の余裕がある。水も今日一日は問題ない。昨日は人里を探しに遠くまで行ったうえ、千代が来た。全員、一度休んだ方がいい」
「問題はいくらでもあるぞ」
千代が食料置き場を示す。
「五人分の備蓄としては心許ない。寝床も四つしかない。容れ物も足りぬ。外の状況も――」
「だからこそ。全部今日やる必要ないだろ」
「……王がそのようなことでよいのか?」
「休む日を決めるのも王の仕事だ」
「今考えただろ」
リゼの指摘が早い。
「王権ということにする」
「都合のよい王権じゃな」
「俺が使える王権なんて、それくらいでいいんだよ」
正直に言えば、外へ出なくてよい理由を見つけて少し嬉しい。
だが合理的な理由もある。
疲れた状態で探索すれば、判断が遅れる。
怪我をしても治療する設備はない。
食料の問題は深刻だが、一日休んだせいで即座に全滅するわけでもない。
つまり今日は、堂々と引きこもってよい日だ。
「というわけで、今日は休む」
俺はもう一度宣言した。
◇
「ならば、せめて備蓄の配置だけでも今日中に――」
「やらない」
「なぜじゃ」
「昨日来た人間に働かせすぎだろ」
「私は働かされておらぬ。自分でやっておる」
「それが一番面倒なやつなんだよ」
強制されているなら止めやすい。
本人が自分の意思で働き続けていると、どこから休ませればいいのか分からない。
「……少し、分かります」
ファステが小さく言った。
「何がじゃ」
「何もしなくてよいと言われると、かえって落ち着かないことです」
共感を得た千代が、わずかに目を見開く。
「そなたもか」
「はい。以前の私は、何かしていなければ、ここに置いていただけないのではないかと考えていました」
「以前というほど昔ではないけどな」
ファステが《淫獄》へ来てから、それほど長い時間が過ぎたわけではない。
それでも、最初の頃とは少し変わった。
今も働きすぎるところはある。
休むことが得意になったとも言い難い。
だが、自分の希望を口にし、誰かと一緒に作業し、時にはほかの人へ任せられるようになり始めている。
「休めない人間が二人になった」
「休む必要があるときは休んでおります」
ファステが反論する。
「昨日も、最後まで食料の確認をしてただろ」
「あれは必要なことでしたので」
「千代と同じこと言ってる」
二人が顔を見合わせた。
「必要なことを行って何が悪い」
「何も悪くありません」
「そこで意気投合しないでくれ」
ファステはともかく、千代まで働き続ける側へ加われば、止める手間が二倍になる。
「今日は食事を作ったら、ファステも休むこと」
「ですが――」
「千代も、改善点を書き出すくらいならいい。でも実際に動かすのは明日」
「指示を出すだけならよいのか」
「駄目。全員休む」
「随分と厳しい休息じゃな」
そこまで言わなければ休まない人間がいるからだ。
◇
ファステが作った食事は、相変わらず簡素だった。
火を通した根。
食べられる部分だけを選んだ野草。
少量の木の実。
豪華とは程遠い。
調味料も、まともな調理道具もない。
ただ、温かい。
そして共同作業台の周囲へ、初めて五人分が並んだ。
ファステは並べ終えた食事を、しばらく黙って見ていた。
「どうした?」
「いえ。五人分になったのだと思いまして」
最初は俺一人だった。
そこへファステが来た。
リゼが召喚され、レイナが加わり、昨日は千代が来た。
食事を作る相手が、一人ずつ増えてきた。
「大変になったか?」
「少しだけ」
ファステは正直に答え、それから柔らかく笑った。
「ですが、嫌ではありません」
命じられたから作った食事ではない。
ここへいるための代価でもない。
ファステ自身が、五人で食べるために作ったものだ。
「量は全員、大体同じだな」
俺は並んだ食事を確認する。
「はい。今日は夜斗様にもご心配をおかけしないようにしました」
「まるで普段は心配させてる自覚があるみたいだな」
「……いただきましょうか」
「流した」
◇
五人で低い台を囲む。
千代は粗末な食事を前にしても、特に嫌な顔をしなかった。
「一応聞くけど、城主ってこういうの食べられる?」
「食えるものを食う。籠城では選んでおれぬ」
「思ったより強い答えが返ってきた」
「城主がいつでも豪勢な食事をしておると思ったか」
「少し」
「兵糧が尽きかけた城で、当主だけが腹を満たせばどうなる」
「恨まれる」
「それ以前に、そのような者へ誰がついてくる」
千代は焼いた根を一口食べ、真剣な顔で噛んだ。
「味は薄いが、腹へ入る。温かいだけでも十分じゃ」
「私より慣れていらっしゃいますわね……」
レイナが少し複雑そうな顔をする。
「そなたは何を食べて育ったのじゃ」
「その質問は少々長くなりますわ」
「最初に水袋を持っただけで限界になった人だからな」
「夜斗さん、その話はいつまでなさるつもり?」
「重要な思い出だから」
「消してくださる?」
レイナの笑顔が少し怖い。
「リゼは傭兵のとき、何を食べてたんだ?」
「食べられるものだ」
「説明が千代より雑」
「干したものがあればマシ。なければ、その辺で採るか捕る。火が使えないときは、味より腹を壊さないことが優先だ」
「全員、思ったより食生活が強い」
「夜斗様の世界では、何を召し上がっていたのですか?」
ファステに尋ねられ、俺は少し考える。
「買えばすぐ食べられるもの」
「随分と曖昧じゃな」
「俺の世界では、店に行けば調理済みの食事が買えたんだよ。家から出なくても届くことがあった」
「家から出ずに食事が届く?」
千代が理解できないものを見る目で俺を見た。
「理想の文明だった」
「なぜそのような場所から、ここへ来たのじゃ」
「俺が一番知りたい」
元の世界では、腹が減っても森へ入る必要などなかった。
獣の気配へ怯えながら根を掘ることもない。
画面を数回触れば、料理が玄関まで届く。
改めて考えると、現代日本は引きこもりへ優しすぎる。
「ファステは、どんな料理が得意なんだ?」
「今ある道具と食材では作れないものばかりです」
「紅茶以外にもあるのか」
「はい。焼くものや、煮込むものも。お菓子も少しだけ」
ファステの声がわずかに明るくなる。
「道具と材料が手に入れば、いつか作ってみたいです」
「目標が増えたな」
「まず紅茶ではありませんこと?」
レイナが言う。
「どちらも作ればいい。拠点は生活を便利にするために発展させるものだからな」
「休む日にも拠点の話をするのか?」
リゼに指摘される。
「雑談だ。作業はしてない」
こういう、今すぐ生き残ることと関係のない話をするのは久しぶりだった。
何を食べていたか。
どんな料理が好きか。
いつか何を作りたいか。
知らなくても今日を生きることはできる。
それでも、同じ場所で暮らすなら、知っていた方が少し楽しい。
《淫獄》は、生き延びるためだけの場所ではなくなりつつあった。
◇
食後。
作業を始めようとする人間が二人いたので、俺は強制的に別のことを提案した。
「何か遊ぶか」
「遊ぶ?」
千代が聞き返す。
「休む日なんだから、仕事以外のことをする」
「必要があるのか?」
「必要がないことをするのが遊びだ」
近くにあった小さな石を一つ取り、片手へ隠す。
「どっちに入ってるか当てる。それだけ」
「子供の遊びではないか」
「簡単な方が、全員分かるだろ」
最初は千代も興味がない顔をしていた。
だが、レイナが二回続けて正解した辺りから目つきが変わった。
「もう一度じゃ」
「三度目ではなくて?」
「次で決着じゃ」
「さっきから毎回そう言ってない?」
「黙れ、王」
「負けてるときだけ王って呼ぶな」
俺が石を隠す。
レイナと千代が同時に右手を選ぶ。
正解は左。
「今回は二人とも外れ」
「では、勝負はついておりませんわね」
「そうじゃな」
「何で自然に延長戦へ入るんだよ」
「私と千代さんのどちらが先に当てるかという勝負でしょう?」
「最初はそんなルールじゃなかった」
レイナも意外と負けず嫌いだ。
千代はもっと分かりやすい。
俺の手元を真剣に見つめ、石を移動させた瞬間の指の動きまで読もうとしている。
「そなた、先ほどから左へ入れる前に右肩がわずかに動くな」
「そこまで観察する遊びじゃないから!」
「勝負ならば手を抜く方が失礼であろう」
「子供の遊びって言ってたのに」
「勝負は勝負じゃ」
結局、レイナが先に当てた。
「もう一度じゃ」
「千代さん、これで五度目ですわ」
「次こそ決着じゃ」
「もう決着してる」
「しておらぬ!」
昨日まで燃える城を見ていた人とは思えないほど、声に力が戻っている。
悪いことではない。
ただし、負けを認めるまで続ければ日が暮れそうだった。
◇
リゼは少し離れた壁際にいた。
武器の手入れを終え、既に横になっている。
「リゼは休むの上手いな」
「何だ、その褒めてるのか分からない言い方は」
「千代とファステを見たあとだと、ものすごく上手く見える」
「休めるときに休むのも仕事だ」
リゼは腕を枕にしたまま答えた。
「疲れて動けなくなってから休んでも遅い。戦う前に身体を戻しておく方がいい」
千代の視線がリゼへ向く。
「分かっておる」
「分かってる奴は、朝から全部やろうとしない」
「私は戦の前ではない」
「だから今のうちに休めるだろ」
千代は反論しようとして、口を閉じた。
理屈では分かっているのだろう。
籠城や戦を経験した城主が、休息の重要性を知らないはずはない。
だが、他人を休ませることと、自分が休むことは別らしい。
これはリゼにも少し似ている。
リゼは戦いが終われば休める。
ただし、誰かを守る必要があると、自分の休息を後回しにする。
千代は今、守るべき城を失ったばかりだ。
だからこそ止まれないのかもしれない。
何もしていなければ、自分が失ったものを考えてしまうから。
そこまで思ったが、口には出さなかった。
◇
俺は簡易寝床へ寝転がった。
今日は俺の場所を千代へ貸していない。
昨夜は素材を寄せ、俺とリゼの寝床を少しずつ詰めて、千代が横になれる場所を作った。
当然、狭かった。
今日も夜までには同じようにする必要がある。
だが、それはあとで考える。
今は何もしない。
壁にもたれ、横になり、五人をぼんやり眺める。
リゼは壁際で休んでいる。
ファステは食器代わりに使ったものを片づけ終え、袖を整えて座った。
レイナは生活向けにまとめた衣装の裾を横へ流し、千代へ勝負の結果を丁寧に説明している。
千代は部分甲冑を外し、昨日より自然な姿で座っていた。
異なる世界から来た四人の成人女性が、同じ場所でそれぞれくつろいでいる。
誰も戦っていない。
逃げていない。
泣いても、怒鳴ってもいない。
ただ、同じ空間で時間を過ごしている。
「……いいな」
「何がですか?」
ファステが尋ねる。
「何も起きないの」
外へ出れば危険がある。
食料を探す必要がある。
人里も探したい。
一緒に転移した大学生たちのことも気になる。
元の世界へ戻る方法だって分からない。
問題はいくらでもある。
だが今この瞬間は、《淫獄》の中だ。
安全で、温かい食事を食べたあとで、全員が無事に休んでいる。
「何も起きないことが、そんなによいのか?」
千代が尋ねた。
「いい。最高だ」
「退屈ではありませんこと?」
レイナも首を傾げる。
「何かしたくなったら、そのときすればいい。でも何かが起きて、強制的に動かされるのは嫌なんだよ」
「筋金入りだな」
リゼが呆れる。
「必要がなければ外へ出なくていい。問題が起きてないなら、ここで過ごせばいい。これほど合理的な生活はない」
「外へ出ぬ理由を探しておるだけではないか」
「千代、もう俺のこと分かってきたな」
拠点が快適になれば、不要な外出を減らせる。
これは引きこもりの悪化ではない。
拠点運営の効率化だ。
本当に。
たぶん。
ファステが袖を整える。
レイナが髪を片側へ流す。
リゼが防具を外した姿で寝返りを打つ。
千代も張りつめた姿勢を少し崩し、壁へ背を預けた。
俺の拠点で、四人がそれぞれ自分なりに休んでいる。
戦士。
家政婦。
令嬢。
女城主。
本来なら同じ場所へ集まるはずのない人物たちが、何でもない一日を一緒に過ごしている。
その光景そのものが、俺の好みへ静かに刺さった。
『《淫獄石》を16個獲得しました』
『所持《淫獄石》:40』
「……何もしてないのに増えた」
「何がじゃ?」
「こっちの話」
正確には、何もしていないわけではない。
俺が四人の日常を見て、勝手に欲望を刺激されただけだ。
だが石を集めるための行動はしていない。
外へも出ていない。
狙った状況を作ってもいない。
「これ、普通に暮らしてるだけでも増えるんだよな」
「前からそうだっただろ」
リゼが寝転んだまま答える。
「いや、改めて考えると効率よくない?」
「休む日じゃなかったのか?」
「考えるだけなら休んでる」
「そのうち考えるだけでは済まなくなりそうだな」
「まだ九百六十個足りないんだぞ。すぐ回せるわけない」
口にしてから気づいた。
俺はもう不足数を計算している。
リゼも気づいたらしいが、何も言わず、かわいそうなものを見る目を向けてきた。
◇
夕方。
千代は再び立ち上がり、食料置き場へ向かった。
「そろそろ残りの備蓄を分けるぞ」
「続きは明日にいたしましょう」
ファステが止める。
「今日中に終わらせた方が――」
「今日でなくていい」
今度はリゼだ。
「私も明日、お手伝いしますわ」
レイナも続く。
「四対一」
俺が言うと、千代は眉を寄せた。
「多数決で決めることではなかろう」
「今日は王命ということにする。休め」
「そなた、こういう時だけ王を使うのか」
「便利だから」
「随分と正直じゃな」
千代はしばらく食料置き場と俺たちを見比べた。
それから、小さく息を吐く。
「……明日、必ず行うぞ」
「明日になったらな」
千代は自分から籠手を外し、部分甲冑を外した。
昨日のように倒れかけてからではない。
まだ動けるうちに、自分で作業をやめた。
壁際へ座り、黒髪を結び直す。
「何を見ておる」
「ちゃんと休んだなと思って」
「監視されねば休めぬ者のように申すな」
「監視してないと作業へ戻るだろ」
千代は否定しなかった。
◇
問題は、夜になってからだった。
「やっぱり寝る場所はどうにかしないとな」
四つの簡易寝床と、床へ寄せた素材を見る。
住民は五人。
寝床は四つ。
昨日と同じように詰めれば全員横にはなれるが、長く続ける形ではない。
「ようやく働く気になったか」
千代が言う。
「明日から」
「今日やればよいではないか」
「今日は休む日」
「まだ申すか」
「日付が変わるまでは休む日だ」
この世界に正確な時計はないが、そこは気分である。
今日は外へ出なかった。
新しい住民も増えていない。
大きな設備も作っていない。
食料問題も、寝床不足も解決していない。
物語として見れば、何も進んでいない一日かもしれない。
それでも、ファステと千代は休めないことへ少しだけ共感した。
千代とレイナは、子供のような勝負をした。
リゼは、休むのも仕事だと教えた。
五人で同じ食事を囲み、どうでもいい話をした。
千代は昨日より少しだけ自然に武具を外した。
俺は何もしない時間を、心地よいと思った。
第1話では、灰色の空間に俺一人しかいなかった。
今は五人分の気配がある。
少し狭い。
食料も足りない。
寝床も一つ足りない。
問題だらけだ。
それでも俺は、外へ出ることより、今ここにいることを選びたかった。
「明日になったら、また考えればいい」
今日は何も起きなかった。
たぶん、それが一番よかった。




