第136話 近くにいても、呼べない
警報が鳴った。
一度だけ。
融合入口側だ。
「リゼ!」
「聞こえた!」
椅子を引く音と同時に、リゼが立ち上がった。俺も壁門へ向かう。ナーヴァはすでに立っていた。
「我も行くぞ」
「うん。でも、先に門の向こうを確認する。勝手に出ないで」
「分かっておる」
千代が残る者たちへ声をかける。
「ファステ、レイナ、ヴィオラは邸宅内へ。ミネットは記録より先に、退路を確認せよ」
「はい」
エウリオはいない。
昨日、近くの街に借りた家の玄関から、《無為宮》へ帰ったままだ。
門前空間に残っているのは、警戒設備を担当する石製の小型ゴーレム。吊り寝台のそばで待つ小型ゴーレム三体。それから、融合入口側を警戒する淡い色の人型ゴーレムだけだ。
壁門を少し開ける。
灰色の影が二つ見えた。
「二体いる」
リゼが言った。
一体は細身で、前脚だけが妙に長い。もう一体は四足で、腹が床へ触れそうなほど低い姿勢を取っている。
淡い人型ゴーレムは、すでに細身の魔物と向き合っていた。
魔物が壁門側へ動く。人形が進路を塞ぐ。横へ回り込めば、同じだけ横へ動く。
倒すことより、先へ進ませないことを優先しているように見えた。
「エウリオがいなくても動いてる」
「決められた範囲だけだ」
リゼが剣を抜く。
「任せきるな」
四足の魔物が、吊り寝台の木枠へ噛みついた。首を振り、金具のついた部分を持ち去ろうとする。
だが、壁門の隙間から俺たちを見つけた瞬間、その動きが止まった。
魔物が木枠を放す。頭がこちらを向く。
「来るぞ」
リゼの声と同時に、魔物が床を蹴った。吊り寝台も、剥がしかけた金具も残している。
俺たちの方を選んだ。
リゼが前へ出て、振り下ろされた前脚を剣で受ける。
「ナーヴァ!」
「分かっておる!」
ナーヴァが魔物の横へ回る。炎は使わない。伸ばされた首をつかみ、そのまま床へ叩きつけた。
石床が鈍く鳴る。魔物が脚をばたつかせるが、ナーヴァの腕は動かなかった。
「まだ動くぞ」
「そのまま押さえて!」
「軽い」
その時、門前空間の端で、容器がもう一度鳴った。
最初と同じ、融合入口側を示す一度だけの音だった。
もう一体が、淡い人形の横を抜けようとする。
人形は深追いしない。横へ一歩だけ動き、魔物の胴へ腕を当てる。
勢いを崩された魔物が床を転がった。起き上がる前に、人形の足が背中を押さえる。
二体とも動けなくなった。
リゼが融合入口の向こうへ目を向ける。
「ほかには?」
「見える範囲にはいない」
すぐ近くに、新しい影はなかった。
◇
警戒設備は、すでに元へ戻っていた。
倒れた容器は起こされ、紐も木片も元の位置にある。融合入口側の器には、小石が二つ増えていた。
「二体だから、二つ?」
安全を確認した後、ヴィオラが壁門から顔を出した。
「記録としては一致しています」
ミネットも器の中を確認する。
石製ゴーレムは、警戒設備の横で動きを止めていた。少し前まで戦闘が起きていたのに、魔物へ近づこうともしない。
「ちゃんと動いたのに、何も助けてくれないんだ」
ヴィオラが言った。
「助けるようには決めていません」
「目の前で襲われていても?」
「状況を理解しているとは確認できていません。仕掛けを戻し、通過数を残す。それだけです」
千代が二つの小石を見る。
「失敗ではない。頼んでおらぬ仕事をしなかっただけじゃ」
警報は鳴った。どちら側から来たのかも分かった。仕掛けも戻され、通過数も残っている。
頼んだ仕事は、全部終わっている。
淡い人型ゴーレムも、事前に決められた範囲で魔物を止めた。
それでも、足りないものがあった。
「エウリオ、来ないな」
俺は固定前室門を見る。
「警報が鳴ったことを知らないのではありませんか?」
ミネットが答えた。
「音が届くのは、この周辺だけです。石製ゴーレムにも、エウリオさんへ報告する手順はありません」
「でも、近くの街にいるんだろ?」
「近くにいることと、音が届くことは別です」
「……近くに住んでも、呼べなかったら来られないのか」
街までの距離は短くなった。《万物迷宮》を通る必要もなくなった。
けれど、異常が起きたことを知らなければ、移動を始めることもできない。
エウリオが近くに住んだことで短くなったのは、来ると決めた後の時間だけだった。
◇
エウリオが現れたのは、それからしばらく後だった。
固定前室門の向こうから、黒い外套をまとった人型ゴーレムが入ってくる。その後ろを、エウリオが歩いていた。
灰色の通路側からではない。借家から街へ出て、地上の地下入口を通ってきたのだろう。
エウリオは、床に残った戦闘痕を見た。次に、動けなくした二体の魔物を見る。
「何か来たの?」
「見れば分かるだろ」
「二体?」
エウリオは、融合入口側の器を確認した。
「小石も二つ。記録は合っているね」
「合ってる。でも、エウリオは今まで知らなかった」
「そうだね」
「警報、聞こえなかった?」
「僕の家まで聞こえるわけがないだろう?」
「昨日のうちに気づいてほしかった」
「実際に必要になったから、今確認できた」
エウリオは淡い人型ゴーレムへ近づき、腕や脚を確認する。目立った損傷はないらしい。
「こちらも、決めたとおり動いたようだね」
「二体を止めた。でも、エウリオを呼びには行かなかった」
「呼びに行けとは設定していないからね」
「近くに住んだのに、呼べなければ来られないんだな」
俺が言うと、エウリオは少しだけ考えた。
「そのようだ」
「今気づいた?」
「起きない問題まで全部考えるのは面倒だよ」
「起きる可能性はありました」
ミネットが言う。
「可能性を全部並べれば、何も始められない」
それも間違いではない。
ただ、エウリオの場合は、考える必要がある問題まで同じ箱へ入れてしまうことがある。
「同じ役割の個体を、もう何体か置けばいい」
エウリオが淡い人形を見ながら言った。
「そうすれば、僕が来なくても済む」
「それは、エウリオへ知らせる方法じゃないだろ」
「呼ばれなくても、全部終わっていれば問題ない」
「今回は二体だった」
リゼが口を挟む。
「次に来るものが、同じ数、同じ強さとは限らない」
「数を増やせば、対応できる範囲も増えるよ」
「どこまで増やすつもりだ?」
「必要なだけ」
「必要な数が分からないと言っている」
千代も頷く。
「それに、そなたの戦力を他者の領域へ常設する話でもある。便利だからと、その場で決めることではあるまい」
「警報すること、エウリオさんへ伝えること、侵入者を迎撃することは、それぞれ別です」
「三つに増やさないでほしい」
エウリオが嫌そうに言った。
「最初から三つなんだよ」
人型ゴーレムを増やす話は、そこで止めた。
◇
「じゃあ、警戒用の石の個体へ、知らせに行く仕事を追加する?」
「ここでは変えられるよ」
「これからも、設定を変えるたびにエウリオが来るの?」
エウリオが石製ゴーレムを見る。
「その個体を、僕の家まで持ってくればいい」
「俺たちが?」
「調整したいのは君たちだろう?」
「作ったのはエウリオだろ」
「所有者であることと、毎回取りに行くことは別だよ」
また便利に使っている。
ミネットは、言い回しではなく内容を確認した。
「それは、私たちがその個体を運んでもよいという許可ですか?」
「調整が必要な時だけなら」
「分解や、別の用途への転用は?」
「しないでほしい」
「調整後は、私たちが持ち帰る?」
「そうして」
所有者はエウリオのまま。俺たちが自由に使える物になるわけではない。
「固定前室門を通れるの?」
ヴィオラが聞いた。
「試せば分かる」
「危なくない方法でお願いします」
エウリオが石製ゴーレムへ近づいた。
「今から少し運ばれる。警戒設備の仕事は、戻ってから再開する」
石製ゴーレムから返事はない。
俺が抱き上げる。見た目どおり、かなり重い。
「これ、毎回俺が運ぶの?」
「ナーヴァへ頼めば?」
「我なら片手で足りる」
「頼むかどうかは、その時に決める」
抱えたまま、固定前室門へ一歩を踏み出す。
拒まれなかった。
俺も石製ゴーレムも固定前室へ入り、すぐ門前空間へ戻った。
「通れた」
床へ下ろすと、石製ゴーレムは自分で警戒設備の横へ戻った。
「ゴーレムだから通れたのでしょうか」
「俺が持ってたから?」
「エウリオさんが許可したことも関係するかもしれません」
「今分かったのは、その条件で一度往復できたことだけだね」
エウリオが言った。
調整へ持ち出している間は、自動復旧も通過数記録も止まる。その間は俺たちが手動で警戒することにした。
◇
「でも、エウリオの家って街のどこだよ」
「外れの方」
「それだけで分かる?」
「魔道具士の看板を出しているから、見れば分かる」
「……もう看板まで出したの?」
「ゴーレムを連れている理由を、会う人全員へ説明する方が面倒だろう?」
家を借りたと思ったら、その日のうちに看板まで出していたらしい。
「何て書いたの?」
「作業用魔道人形と魔道具の製作、調整」
「エウリオ、魔道具士だったの?」
「作業用ゴーレムを作って、調整して、直せる。こちらでは、それを魔道具士と呼ぶのだろう?」
「一般的な魔道具士と、同じ方法で作っているのですか?」
ミネットが聞く。
「同じ方法とは言っていないよ」
嘘ではない。でも、全部を話しているわけでもない。
「看板を出したら、仕事を頼まれない?」
「ほとんど受けないよ」
「それで看板を出す意味ある?」
「僕がゴーレムを連れている理由は説明できる。仕事を受けるかどうかは、別の話だろう?」
「看板があるのに仕事を断るんだ」
ヴィオラが面白そうに言った。
「値段を伝えれば、大半は帰るよ」
「そんなに高いの?」
「魔道具は、一般的に安価な物ではありません」
ミネットが答えた。
「複雑な機能や希少な素材が必要であれば、さらに高くなることがあります」
「ゴーレムなら、素材も調整も必要になる」
エウリオが続け、少しだけ言葉を切った。
「生成には、《怠惰石》も使うからね」
「……怠惰石?」
聞いたことのない名前だった。
けれど、すぐに《淫獄石》を思い出した。
「エウリオにも、石があるの?」
「あるよ」
「《無為宮の王》の?」
「僕の固有資源だね」
「何に使う?」
「ゴーレムを作る。役割を増やす。より複雑な判断をさせる。ほかにも使い道はある」
エウリオは淡い人形と黒い人形を順に見た。
「高性能な個体ほど、必要になる石も多い」
「それ、どうやって増えるの?」
「その説明を始めると長い」
「短く」
エウリオは少し考えた。
「僕が自分で繰り返さなくて済む仕組みを作ると、増えることがある」
「今の警戒ゴーレムみたいな?」
「あれで増えたかどうかまでは教えない」
「なんで?」
「所持数や増え方まで話す必要はないだろう?」
そこは、エウリオ自身の情報だ。俺だって《淫獄石》のことを話していない。
名前が似ているからといって、仕組みまで同じとは限らない。
それでも、王の能力に結びついた石を持っているのは、俺だけではなかった。
「わざと高くして、仕事を断ってる?」
「必要な素材と石を使うのだから、高いだけだよ。安く受ければ、次も頼まれる。細かな特注を受ければ、修正が増える」
「じゃあ、どんな仕事なら受けるの?」
「長く同じ作業を続けられるもの。今ある仕組みを大きく変えずに作れるもの。あとは、金が必要な時」
「看板を出してるのに、客はいらないんだ」
「客が来ることと、仕事を受けることは別だよ」
「やっぱりミネットの言い方、便利に使ってるだろ」
「説明が短くなるからね」
「前にも、魔道具士をしてた?」
「似たことはしたよ」
「どこで?」
「今、その話も必要?」
「少し気になる」
「必要になったら話す」
それ以上は答えなかった。
◇
警戒ゴーレムの調整方法は決まった。
設定を変えてほしい時には、俺たちがエウリオの借家へ持っていく。看板が目印になる。
けれど、異常が起きたことを遠くへ知らせる方法は決まっていない。
「固定前室の上まで綱を通して、鐘を鳴らせないかな」
俺が言うと、エウリオが固定前室門を見る。
「できるかもしれないね」
「じゃあ、エウリオに――」
「嫌だよ」
「まだ何を頼むか言ってない」
「これ以上、僕の仕事を増やす話だろう?」
「でも、鐘があればエウリオにも知らせられる」
「僕へ知らせるために、僕が新しい仕組みを作るの?」
「そうなるけど」
「なら、知らないままでいい」
「言い切ったな」
エウリオは石製ゴーレムを指した。
「警報を鳴らす。どちらの入口で作動したかを分ける。仕掛けを戻す。通過した数を残す」
次に、淡い人型ゴーレムを見る。
「融合入口から来たものを止める」
「うん」
「設定を変えたいなら、僕の家へ持ってくれば調整する」
「うん」
「僕は、もう十分に仕事を減らす仕組みを渡した」
エウリオが俺を見る。
「その先まで僕へ任せるなら、君たちの仕事を僕へ移しているだけだよ」
言い返そうとして、止まった。
一理ある。
門前空間は《淫獄》の一部だ。固定前室と地上入口には、探索者組合も関わっている。
エウリオが仕組みを作れるからといって、ここで起きる問題を全部任せていいわけではない。
「分かった」
俺が言うと、エウリオが少し目を開いた。
「……それだけ?」
「今まで手伝ってくれた分だけでも、かなり助かってる」
石製ゴーレムを見る。
「警報を戻すのも、侵入数を残すのも」
淡い人型ゴーレムは、すでに融合入口側の定位置へ戻っている。
「人形が戦ってくれたのも」
エウリオへ向き直る。
「ありがとう」
エウリオは答えなかった。
いつもの眠そうな顔のまま、俺を見ている。
「それで終わり?」
「断ったんだから、これ以上は頼まないよ」
「できるのに?」
「できることと、やらなきゃいけないことは別だろ」
「君まで、その言い方をするんだね」
「便利だから」
エウリオが、ほんの少しだけ息を吐いた。
呆れたのか、笑ったのかは分からなかった。
「その石の個体は、試験が終わっても置いておいていいよ」
「いいの?」
「今さら持ち帰って、別の仕事を設定する方が面倒だから」
「それ、本当の理由?」
「理由を増やす必要がある?」
声が、少しだけ柔らかくなったように聞こえた。
気のせいかもしれない。
「鐘は作らない」
「うん。探索者組合に相談する」
「ただ、今の警戒設備が何をして、何をしないかくらいは書いておくよ」
「それも仕事じゃない?」
「一度書けば、君たちが同じ説明を何度もせずに済む」
「俺たちの手間を減らすため?」
「間違った説明をされて、あとで僕へ確認が来るのを防ぐためだよ」
結局、自分のためらしい。
でも、それだけではない気もした。
追及はしなかった。
◇
石製ゴーレムは、期限を決めずに借り続けることになった。
設定変更が必要になれば、俺たちがエウリオの家へ持っていく。
人型ゴーレムは増やさない。新しい伝令用ゴーレムも作らない。
警鐘については、探索者組合と相談する。
エウリオは、設備の現状と限界だけを書面にする。鐘そのものを作る仕事は引き受けない。
決めた後、エウリオは黒い人型ゴーレムを伴い、固定前室門へ向かった。
門を越える直前に、こちらを見る。
「君は、頼めることを全部頼まないんだね」
「断られたら止めるだけだよ」
「それができない人は多いよ」
それだけ言って、エウリオは固定前室へ出た。
来た時より、少しだけ話しやすそうに見えた。
断られても、俺たちの関係が遠くなったとは思わなかった。
エウリオは鐘を作らず、自分で選んだ分だけ、もう少し手を貸してくれた。




