第134話 帰るのが面倒になった
昨夜、話が終わると、エウリオは邸宅の寝具を使わず、門前空間の吊り寝台へ戻った。
泊まっていけばいいと言ったのだが、返ってきたのは、
「寝る場所を変えると、朝に確認することが増えるから」
という答えだった。
結局、俺たちは壁門を閉じ、エウリオはゴーレムたちと門前空間に残った。
そして翌朝。
壁門を開けると、吊り寝台の上から声が飛んできた。
「遅いね」
「起きてたの?」
「今、起きた」
「じゃあ遅くないだろ」
エウリオは返事をせず、寝台の上で片手だけを持ち上げた。
融合入口側には淡い色の人形。壁門側には黒い人形。残る小型ゴーレム三体は吊り寝台のそばにおり、試験中の石製個体だけが警戒設備の横に立っている。
昨夜から配置は変わっていないように見えた。
「警報は?」
俺が聞くと、ミネットが二つの器を確認した。
「固定前室門側に、小石が二つあります」
「昨日の巡回者の行きと帰りだな」
「はい。融合入口側にはありません」
紐も木片も元の位置へ戻っている。石製ゴーレムにも、目立った損傷はなかった。
試験結果と、俺たちが見た出来事は一致している。
「一日目は問題なし?」
「確認できた範囲では、決められた作業を行っています」
ミネットは言い直した。
「問題がないことまで確認できたわけではありません」
「分かってる」
「それならよいです」
エウリオが寝台の上で目を閉じたまま言う。
「試験は終わり?」
「一日だけって話だったから、続けるならもう一度決める」
「外すの?」
「外してほしいの?」
「外して、また必要になって、もう一度設定するのは面倒だね」
千代が警戒設備を眺める。
「今のところ、記録と実際の食い違いはない。役割も増えておらぬ。数日、同じ条件で続けてみてもよかろう」
「俺もそれでいいと思う。エウリオは?」
「動かさなくていいなら、それでいいよ」
試験期間だけを延ばす。
役割は変えない。
融合入口と固定前室門のどちらかで仕掛けが動けば、決められた音を鳴らす。仕掛けを戻し、入口ごとの器へ小石を一つ入れる。
戦わない。追わない。人物や会話を記録しない。壁門の内側へ入らない。
変更が必要なら、エウリオ本人がここへ来て設定し直す。
「これで、また何日か来る必要があるのか」
条件を確認した後、エウリオが呟いた。
「記録を見るならね」
「《万物迷宮》を通って?」
「今のところは」
エウリオは灰色の通路を見る。
昨日までと違い、そこに何がいるのかを俺たちは少しだけ知っている。
命や物を奪おうとする魔物。
強欲を止められなくなった王。
エウリオが通ってきたからといって、安全な道になったわけではない。
「帰る時も、あそこを通るんだよな」
「そうだね」
「危なくないの?」
「危ないよ」
「普通に言うんだ」
「危なくないと言っても、魔物は消えないからね」
淡い色の人形がいる理由も、それなのだろう。
エウリオ自身が戦う代わりに、危険へ対応するものを連れている。
「ここへ来るたびに、あの通路を通るの?」
「それが面倒なんだ」
「危険じゃなくて?」
「危険だから、余計に手順が増える」
護衛を動かす。
安全な経路を選ぶ。
途中で何か起きれば対処する。
吊り寝台に乗っていても、移動そのものが消えるわけではないらしい。
「この近くに、街はある?」
唐突にエウリオが聞いた。
「あるけど」
「歩いて行ける?」
「地下入口からなら行ける。俺たちが組合へ行ってる街」
「なら、そこに住む」
「……誰が?」
「僕が」
エウリオは、寝台から起き上がる気配もなく言った。
◇
「街に住むって、《無為宮》を出るの?」
「出ないよ」
「でも家を借りるんだろ?」
「そう」
「どっちに住むんだ?」
「《無為宮》」
話が合っているようで、合っていない。
エウリオはようやく身体を起こし、吊り寝台の縁へ腰を下ろした。
「街で家を借りる。その家の玄関を、《無為宮》へつなぐ」
「玄関を?」
「普段は普通の家として使える。必要な時だけ、扉の先を《無為宮》へ変える」
「そんなことができるの?」
「前にも似た使い方はしたよ」
ミネットがすぐに記録帳を開く。
「物理的に扉や建物を作り変えるのですか?」
「前に試した場所では、目に見える損傷は残らなかった」
「接続中、外側から扉を開けた場合は?」
「設定による」
「誰でも通れますか?」
「それも入口の設定と、つないだ先による」
「《淫獄》の入口と同じ仕組み?」
「似た使い方ができるだけで、同じとは限らないよ」
そこはエウリオも分けるらしい。
便利そうではある。
街の家から自分の領域へ帰れるなら、毎回《万物迷宮》を通る必要はなくなる。
警戒設備を確認したい時も、街から地下入口へ来ればいい。
「それ、いつやるつもり?」
「家を借りたら」
「すぐ?」
「後回しにする理由がある?」
俺は、門前空間を見回した。
一方には《万物迷宮》へ続く融合入口。
もう一方には、固定前室へ続く門。
壁門の向こうには、《淫獄》の敷地と邸宅がある。
入口同士が近づいただけで、二つの領域は融合した。
そのすぐ近くの街へ、今度は《無為宮》の入口を作ろうとしている。
「待って」
「何を?」
「《無為宮》をつなぐのは」
エウリオが、分かりやすく嫌そうな顔をした。
「家を借りるのは、エウリオが決めればいい。でも、入口を作る前に少し考えたい」
「何を?」
「また領域同士がくっつかないか」
「離れた街だよ」
「どのくらい離れれば影響しないか、分かってる?」
「分からない」
「《万物迷宮》も近くにある」
「あるね」
「三つが近くなっても、何も起きない?」
「起きないとは言えない」
そこは迷わず認めた。
「なら、先に確認しよう」
「誰へ?」
「少なくとも、街へ行く前に俺たちで話す。探索者組合にも、灰色の通路から来た人がいることは伝えないといけない」
「長くなりそうだね」
「街の人を巻き込むかもしれないんだぞ」
「分かったよ」
返事は早かった。
納得したのか、反論が面倒になったのかは分からない。
◇
まず、エウリオが現地世界側へ出られるかを確認した。
エウリオは吊り寝台から下りた。
固定前室門の前に立ち、何のためらいもなく一歩を踏み出す。
身体は拒まれなかった。
そのまま固定前室へ入り、こちらへ戻ってくる。
「通れたね」
「王だから?」
「分からない」
「人間だから?」
「それも分からない」
「夜斗さんが認めたからでしょうか」
ミネットが聞く。
「今分かったのは、僕が通れたことだけだよ」
エウリオ本人が、一番早く話を止めた。
固定前室門を通れたことと、安全に街で暮らせることも別だ。
身元も、この世界での立場も、借りられる家があるかも分からない。
それでもエウリオは、もう街へ行くつもりらしい。
「今日はどうするの?」
「帰る」
「《万物迷宮》を通って?」
「その予定だった」
エウリオが灰色の通路を見る。
「でも、また近いうちに戻ってくるなら、帰るのも面倒になってきた」
「じゃあ、ここに泊まる?」
「寝台ごと入っていいなら考える」
壁門の内側へ入れるかは、俺一人で決めることではない。
皆を見る。
条件付きで、一時的に滞在することなら反対は出なかった。
ただし、勝手に部屋を調べない。能力を使わない。ゴーレムを増やさない。融合入口に異常があればすぐ共有する。
今夜すぐ邸宅へ泊まると決めたわけではない。
エウリオはしばらく条件を聞き、最後に吊り寝台へ戻った。
「考えておくよ」
「街の家も?」
「それは借りる」
「接続は待って」
「分かっているよ」
そう答えたエウリオは、すぐに目を閉じた。
エウリオは、《無為宮》へ帰るのをやめたわけではなかった。
帰るために、まず近くの街で家を借りようとしていた。
楽をするための仕事は、警報を作った時より増えていた。




