第128話 入ったのに、増えていない
壊れかけた壁門は、閉じたままだった。
外れた金具の代わりになる物はない。
とりあえず内側から重い物を寄せ、扉が勝手に開かないようにしている。
「これで止められると思うか?」
リゼが、門へ立てかけた木材を押す。
「小さいのが一体なら」
「二体なら?」
「分からない」
「大きいのは?」
「もっと分からない」
門を補強したというより、閉じた状態を少し維持しやすくしただけだ。
向こうにある融合入口は消えていない。
固定前室へ続く門も開いたままだ。
壁門を閉じているため、邸宅の近くから直接見ることはできない。それでも、向こうから聞こえる音が完全になくなったわけではなかった。
時折、石を引っかくような音がする。
何かが争うような声も聞こえた。
「水は?」
俺が尋ねると、ファステが残っている容器を確認した。
「今日と明日の分はあります。ただ、普段どおりに使えば、その先は足りなくなると思います」
「なら、少し節約しよう。水場への入口は開けない」
二つ目の接続地点は残っている。
入口を開く感覚もある。
だが、今は使わない。
閉じられない入口が一つある以上、閉じておける方まで開く必要はなかった。
「生成した水は?」
ヴィオラが浴室の方を見る。
「身体を洗う用途では使いましたが、まだ飲用には使えません」
ミネットが答えた。
「植物に与えている側も、成長が続くか確認している途中です」
「育ってるんだから、飲んでも平気じゃない?」
「植物が育つことと、人が飲めることは別です」
「やっぱり言うよね」
ヴィオラが笑う。
普段ならナーヴァも何か言うところだが、今日は壁門を見たまま黙っていた。
「我が向こうを見てこよう」
「駄目」
「まだ何も言っておらぬぞ」
「見てくるって言っただろ」
「戻ってくるとも言うつもりだった」
「戻れるって分かってない」
融合入口の先へ入ったら、同じ場所へ帰ってこられるのか。
昨日までの地下と同じように、通路が続いているのか。
俺たちには何も分からない。
「では、いつまで待つ」
「組合へ連絡できるまで」
「向こうから来る者を待つだけか」
「今はそれしか――」
言いかけた時だった。
壁門の向こうから、声が聞こえた。
「誰かいるのか!」
魔物の声ではない。
人間の声だった。
◇
「全員、邸宅へ入って」
俺が言うと、ナーヴァが眉を寄せた。
「なぜ我まで下がる」
「正体を話してないから」
「我は我だ」
「竜だって知られたら説明が増えるんだよ」
「面倒なのか?」
「かなり」
ナーヴァは不満そうだったが、ファステたちと一緒に邸宅へ戻った。
縁もミネットの足元を離れ、ファステの後を追う。
門前空間へ向かうのは、俺、リゼ、千代、ミネット。
壁門をすぐには開けない。
まず内側から声をかける。
「そっちは誰?」
「探索者組合の巡回だ! 地上の入口から下りてきた!」
予想していた相手ではある。
それでも、すぐに門を開けてよいかは分からない。
「何人?」
「二人だ!」
「固定前室にいる?」
「固定前室だった場所にいる! その先に知らない門がある!」
声は、昨日現れた固定前室門の方角から聞こえている。
地上の地下入口。
石段。
固定前室。
そこまでは今までと同じだったらしい。
だが、固定前室からダンジョンへ続いていた境界はなくなっている。
代わりに、《淫獄》の門前空間へ続く門がある。
「門を通った?」
「一人だけ通った! もう一人は前室に残している!」
「もう入ってるの?」
思わずリゼを見る。
「敵ではなさそうだ」
「そういう問題?」
「入れたなら、少なくとも門には拒まれなかったということだ」
俺は能力表示を開いた。
住民の名前を確認する。
昨日までと同じ名前が並んでいる。
新しい名前はない。
人数も増えていない。
「……増えてない」
「何がだ?」
リゼが聞く。
「住民」
壁門の向こうが静かになった。
「何の話だ!」
「こっちの話!」
答えながら、もう一度確認する。
やはり増えていない。
知らない人間が、《淫獄》へ入った。
それなのに住民にはならなかった。
「開けるぞ。そこから動かないで」
「分かった!」
内側の物を動かし、壁門を少しだけ開く。
門前空間に、見覚えのない男が立っていた。
探索者らしい装備を身につけている。
腰には組合の印が付いた札。手には記録用らしい板と、小さな金属製の道具を持っていた。
男の後ろには、灰色の石で囲まれた固定前室門がある。
その向こうに、もう一人の巡回者が見えた。
「あなた方は?」
門前空間へ入っている巡回者が尋ねる。
「先に聞きたい。どうやって入った?」
「地上入口から石段を下りた。固定前室の奥が消えていて、この門が開いていた」
「勝手に通ったの?」
「呼びかけても返事がなかった。異常確認のため、一人だけ入った」
俺たちは壁門の内側にいた。
聞こえなかったのだろう。
「その門、開けた?」
「最初から開いていた。扉を動かす必要もなかった」
やはり、固定前室門は俺が開閉する通常入口とは違う。
常につながっている。
少なくとも、この巡回者は俺の許可なしで通過できた。
「ここは、どこだ?」
巡回者が門前空間を見回す。
腰掛け。
小さな卓。
棚。
損傷した壁門。
その反対側には、灰色の通路へ続く融合入口がある。
「それを、今から説明しないといけない」
「あなた方が作った場所なのか?」
「全部じゃない」
「全部ではない?」
「この壁の内側は、俺の能力と関係してる。でも、あの灰色の通路と固定前室へ続く門は、俺たちが作ったんじゃない」
巡回者の表情が険しくなった。
「詳しく聞かせてもらう」
「俺たちも詳しく知りたい」
昨日までなら、固定前室の先にはダンジョンがあった。
今は、誰かの能力と関係する空間が挟まっている。
説明を求められるのは当然だ。
それでも、《淫獄の王》や召喚のことまで全部話すつもりはない。
何をどこまで話すか考えようとした時、リゼが融合入口へ顔を向けた。
「来るぞ」
灰色の通路から、爪が石を打つ音が近づいていた。
◇
「前室へ戻れ!」
リゼが叫ぶ。
門前空間にいた巡回者が、固定前室門へ走る。
向こうで待っていたもう一人も武器を抜いた。
灰色の通路から現れたのは、昨日見たものと同じくらいの小型魔物だった。
四本の脚。
長い前脚。
石を削る爪。
魔物は俺たちを見た。
次に、巡回者を見る。
その腰で揺れている金属製の道具へ、顔を向けた。
「そっちを狙ってる!」
巡回者が固定前室門を越える。
小型魔物は、その後を追った。
「止める!」
リゼが横から追いつこうとする。
だが、魔物の方が門に近い。
前脚が伸びる。
巡回者の背中へ届く直前、灰色の身体が止まった。
鈍い音が響く。
何もない場所へ正面からぶつかったように、小型魔物が門前空間へ転がった。
「……入れない?」
固定前室門は開いている。
巡回者二人は、その向こうにいる。
壁も扉も閉じていない。
小型魔物が立ち上がり、もう一度門へ飛びつく。
爪が空中で止まった。
境界の向こうへ進まない。
「今です!」
ミネットの声と同時に、リゼが剣を振る。
刃の腹が魔物の身体を横から打った。
灰色の身体が固定前室門から離れる。
起き上がろうとしたところへ、リゼがもう一撃を加えた。
魔物の動きが止まる。
俺たちはすぐには近づかなかった。
「死んだ?」
「まだ寄るな」
リゼが剣先で距離を測りながら確認する。
「動かない。だが、触るのは後だ」
固定前室側に退いた巡回者が、門の向こうからこちらを見ている。
「今のは、門を通れなかったのか?」
「そう見えます」
ミネットが答える。
「あなた方は通れました。ですが、あの魔物は通れませんでした」
「なら、この門が魔物を防いでいる?」
「少なくとも、今の個体が、今の方法で越えられなかったことは確認できます」
「ほかの魔物は?」
「分かりません」
「攻撃や毒は?」
「確認していません」
巡回者が少し黙った。
「確認するために試すつもりは?」
「ありません」
ミネットは即答した。
「防げなかった場合、地上側へ危険を出すことになります」
昨日、俺たちが外界入口を開かなかったのと同じだ。
通れないかもしれない。
でも、通れた時の被害が大きすぎる。
「そっちから、門前空間へ戻れる?」
俺が尋ねる。
「試してよいのか?」
「一人ずつ。ゆっくり来て」
最初に入ってきた巡回者が、再び固定前室門を越える。
今度も何も起きない。
門前空間へ普通に戻ってきた。
続いて、固定前室に残っていたもう一人も門を越える。
二人とも、何かに阻まれることなく門前空間へ入った。
「二人とも通れました」
ミネットが記録する。
「人間なら通れる?」
「まだ分かりません」
「敵じゃないから?」
「それも分かりません」
この巡回者たちは通れた。
あの小型魔物は通れなかった。
分かったのは、それだけだ。
◇
巡回者二人を門前空間の腰掛けへ案内した。
壁門は閉じたままにする。
その内側にある邸宅や、住民たちの生活場所へ入れるつもりはない。
「改めて聞く。ここは何だ?」
「外の街や地下とは分かれた空間」
「誰が管理している?」
「少なくとも、俺の能力と関係する部分は俺たちが使ってる」
「帝国の領域ではないと?」
「それは俺には決められない」
この場所が、現地世界の土地と同じように扱われるのか。
帝国の中にあるのか。
俺の能力の中だから俺のものなのか。
そんなことは考えたこともなかった。
「以前から、この場所は存在したのか?」
「存在してた。でも、地下入口とこんなふうにつながってはいなかった」
「では、どうやって外へ出入りしていた?」
「俺が入口を開いてた」
「今も開けられるのか?」
「水場の近くに登録した場所へは、開けられると思う。でも、今は閉じてる」
「固定前室へは?」
「もう開けられない。登録の表示は残ってるけど、今はあの門でつながったままになってる」
巡回者は、聞いたことを板へ書き込んでいく。
「昨日までの固定前室から、この場所へ入ったことは?」
「ある。でも、その時は俺が開いた入口を使った。今みたいに門が残り続けてはいなかった」
「今回の変化は、あなたが起こしたのではない?」
「起こしてない」
「証明は?」
「ない。でも、俺は入口を開けてないし、閉じられない」
「昨日まで閉じられたものが、今日は閉じられない?」
「そう」
疑われても仕方がない。
俺自身、何が起きたのか説明できない。
「灰色の通路から魔物が来たのは、いつからだ?」
「昨日。最初に数体入ってきた」
「被害は?」
「壁門の金具を取られた。壁の内側にも入られた。菜園の囲いも壊された」
「負傷者は?」
「いない」
「倒した魔物は?」
「壁の内側に三体。今の一体もいる」
「魔物の一部や持ち物を移動させたか?」
「触ってない」
前回、残骸をそのまま放置して怒られたことを思い出す。
「今回は、すぐ知らせるつもりだった」
「地上入口は閉鎖中です」
「だから、どう知らせるか考えてた」
「街へ出る入口があるのでは?」
「街へ直接はつながらない。それに、別の入口まで安全だと決めつけたくなかった」
巡回者は記録を止めた。
「……以前よりは慎重になったようですね」
「褒められてる?」
「まだ判断していません」
それは褒めていない気がする。
「ところで、あの通路が新しいダンジョンなのか?」
リゼが融合入口を指す。
「現時点では判断できません。少なくとも、固定前室から続いていた従来の接続領域とは構造が変わっています」
「でも、地上から地下へ入るなら、ここを通ることになる」
俺は順番に指した。
固定前室門。
門前空間。
融合入口。
その先の灰色の通路。
「固定前室から、あの通路へ直接行く道はない」
巡回者も経路を見る。
「つまり、この入口を今後利用する者は――」
「一度ここへ入ることになる」
巡回者の顔がさらに険しくなった。
「帝国が管理する地下入口の途中へ、個人の能力に関係する空間が挟まったことになります」
「俺が挟んだわけじゃない」
「原因と、現在の管理上の問題は別です」
ミネットが少しだけ反応した。
だが、何も言わなかった。
「これ、俺たちが怒られるの?」
「私の判断で決められることではありません」
「じゃあ、誰が決める?」
「持ち帰って報告します」
巡回者は板を閉じた。
「少なくとも、一般の探索者へ入口を開放することはできません」
「俺たちも、あの通路へ入るつもりはない」
「前回のような規模の戦闘ができる方も?」
「名前は言えないけど、勝手に入らないよう伝えてある」
「必ず伝えてください」
「もう伝えた」
「なら、もう一度確認してください」
ナーヴァへ話したら不満を言いそうだ。
それでも確認するしかない。
◇
地下入口の閉鎖を続け、双方とも一人では門を越えない。変化があれば組合と知らせ合う。決まったのは、それだけだった。
「俺たち、ずっとここを見張るの?」
「交代で確認するしかない」
リゼが答える。
「組合の人が、こっち側を管理することになる可能性は?」
「それも私には決められません」
巡回者が壁門を見る。
「壁の内側へ入る許可は?」
「今は出せない」
「理由は?」
「皆が暮らしてるから」
巡回者は少し考えた後、頷いた。
「では、今回は門前空間までと記録します」
「勝手に入ろうとはしないんだ」
「管理の必要があることと、何をしてもよいことは別です」
今度こそ、ミネットが巡回者を見た。
「何です?」
「いいえ」
少しだけ嬉しそうに見えたが、本人へ聞くのはやめておいた。
「戻ります」
巡回者が立ち上がる。
一人ずつ固定前室門を越える。
二人とも問題なく固定前室へ戻った。
「この門は閉じられないのか?」
「俺には閉じられない」
「こちらからも、扉を動かせるようには見えません」
「じゃあ、行き来はできる?」
「少なくとも、俺たちはできた」
巡回者は、最後まで断定しなかった。
「次の連絡があるまで、灰色の通路へ入らないでください」
「分かった」
「魔物が来た場合は?」
「止める」
「追いかけて通路へ入らないでください」
「それも分かった」
巡回者たちは石段の方へ戻っていった。
足音が遠ざかる。
固定前室門は、開いたまま残った。
◇
壁門を閉じ、邸宅へ戻る。
待っていた皆へ、巡回者と決めたことを伝えた。
「我は入るなと言われたのか」
ナーヴァが真っ先に聞く。
「俺たち全員」
「我だけではないのだな」
「そこ?」
「ならば、今は従おう」
少し納得したらしい。
「それより、本当に住民は増えてないの?」
ヴィオラに聞かれ、俺は再び表示を開いた。
「増えてない」
「二人も入ったのに?」
「うん」
「ファステとミネットは、入った後に住民になったよね」
「はい」
ファステが答える。
千代が記録を開く。
「住民となる条件は、まだ確定できぬ。されど、中へ入った者が必ず住民になるわけではない」
少し安心した。
固定前室門を通るたびに、探索者組合の人間が住民になっていたら困る。
「住民じゃなくて、来ただけの人か」
口にすると、ヴィオラが笑った。
「じゃあ、来訪者?」
「呼び方としては分かりやすいと思います」
ミネットが言葉を選ぶ。
「ただし、能力上の正式な区分かは分かりません」
「今は仮の名前でいいんじゃない?」
「記録には暫定呼称と書きます」
《来訪者》。
表示に、そんな項目はない。
巡回者が入った時も、何の通知も出なかった。
ただ、入れた。
そして、住民にはならなかった。
俺は邸宅の窓から、壁門の方向を見た。
以前の門前空間は、外から来た誰かと、暮らしている場所を分けるための場所だった。
今は違う。
融合入口からは、魔物が来る。
固定前室門からは、現地世界の人間が来る。
その両方が、一度同じ門前を通る。
巡回者は《淫獄》へ入っても住民にはならなかった。だが、今の構造が続けば、地下へ向かう者は全員一度、俺たちの門前を通る。




