第126話 入口は、開けていない
「高い方が勝ちではないのか」
ナーヴァが、菜園の前で腕を組んでいる。
生成水を与えている側と、今まで使ってきた外界の水を与えている側。
二つに分けた区画のうち、生成水を使っている側には、ほかより少し高く見える芽が一本あった。
「競争じゃないよ」
「ならば、なぜ比べておる」
「違いがあるか確かめるため」
「違いがあれば、優れている方を選ぶのであろう」
「高く育った方が優れてるとは限らないんじゃない?」
ヴィオラがしゃがみ込み、囲いの外から芽をのぞく。
「ミネットなら、育つことと食べても安全なことは別です、って言いそう」
「本人がおらぬところでも言われるようになったか」
千代は記録へ目を落としたまま答えた。
「実際、一本だけでは何とも言えぬ。昨日より伸びたようには見えるが、水の違いによるものか、種ごとの差かは分からん」
「やっぱり別だった」
「我はその言い方をしておらぬ」
ナーヴァが不満そうに眉を寄せる。
縁は試験区画の外側に座り、俺たちのやり取りを見ていた。
芽を見ているのか。
土を見ているのか。
それとも、ただ朝の庭にいるだけなのか。
今日も分からない。
「水をやるぞ」
千代の言葉を受け、左右で分けている容器を確認する。
量を間違えないようにしている時、《帰還目印》から反応が届いた。
「ミネット?」
「今日は早くない?」
ヴィオラが立ち上がる。
ミネットは学校へ戻ったばかりだ。いつもなら、まだこちらへ来るような時間ではない。
「何かあったかもしれない。見てくる」
俺は作業を千代たちへ任せ、リゼと一緒に外界入口を開けられる場所へ向かった。
◇
外側の安全を確認して入口を開く。
境界の向こうには、学校で使う荷物を抱えたミネットがいた。
走ってきたわけではなさそうだが、普段より呼吸が少しだけ速い。
「何かあった?」
「近隣の地下入口が、一時的に閉鎖されました」
「閉鎖?」
ミネットが境界を越える。
俺は周囲をもう一度確かめてから入口を閉じた。
「魔物が外へ出たのか?」
リゼが尋ねる。
「今のところ、その報告はありません」
「じゃあ、どうして閉めたんだ?」
「現在の接続先が変わる前兆かもしれないそうです」
以前聞いた、地下入口の構造を思い出す。
地上にある入口と、下へ続く石段。
その先にある固定前室。
変わるのは、前室より奥の領域だ。
「もう、そんな時期?」
「以前聞いた予測から考えれば、大きく外れてはいません」
だいたい2か月。
正確な日付ではなかったが、そろそろ変わってもおかしくない時期には来ている。
「学校にも連絡が来たの?」
「はい。接続先が変われば、周辺で必要になる授業や実習の内容も変わる可能性がありますから」
「グールじゃなくなるかもしれないから?」
「魔物だけではありません。毒、病気、汚染、採取できる資源も変わる可能性があります」
ミネットは、学校側へ伝えられた内容を順番に説明した。
前室の奥から聞こえていた音が、急に弱くなったこと。
奥から流れてくる空気と臭いが変わったこと。
固定前室と変動領域の境界が、以前より見えにくくなっていること。
それらが、過去に記録された接続先変更前の状態と似ているらしい。
「じゃあ、接続先が変わるって決まったんだ」
「決まっていません」
ミネットはすぐに否定した。
「複数の変化が確認されたため、その可能性を考えて入口を閉鎖した段階です」
「確定してないのに閉めるの?」
「確定するために人を入れて被害が出ては、順序が逆です」
「それはそうだな」
何が起きているか分からないから、中へ入って確かめる。
前なら、それが一番早いと思ったかもしれない。
でも、分からない場所へ入った結果、戻れなくなれば意味がない。
「組合へ確認しに行こう」
俺が言うと、リゼが頷いた。
「その方がいい。学校へ伝わった話と、利用者へ求められる対応が同じとは限らない」
「私も同行してよいでしょうか」
「ミネットは学校から聞いたんだろ。来てくれた方が助かる」
「分かりました」
◇
探索者組合の窓口には、地下入口の一時閉鎖を知らせる紙が出ていた。
詳しい理由までは書かれていない。
近隣入口を利用する予定だった者は窓口へ確認すること。
現在は入口へ近づかないこと。
大きく書かれているのは、それだけだった。
「来ると思っていました」
以前対応してくれた担当者が、俺たちを見るなり言った。
「俺たち、そんなに問題起こしそう?」
「一度、入口の利用について確認した方は、次も確認に来る可能性が高いという意味です」
「本当に?」
「今回は、そういうことにしておきましょう」
完全には信用されていない気がする。
「入口が閉まったって聞いた」
「はい。現在の接続領域が弱まっている可能性があります」
「弱まるって、どうなるの?」
「それを確認しているところです」
担当者にも、分からないらしい。
「奥へ入って確認しないんですか?」
ミネットが尋ねる。
「現時点では入りません。固定前室から確認できる範囲を記録し、過去の接続先変更時の資料と照合しています」
「境界が不安定な状態で入った場合、戻れなくなる可能性があるからですか?」
「その可能性を否定できません」
担当者は机の上へ簡単な図を置いた。
地上入口。
石段。
固定前室。
その奥に、現在の接続領域。
「変化が完了した場合、今までの情報は一度切り離して考えてください」
「最低危険度じゃなくなる?」
「可能性があります」
「グールも?」
「別の魔物へ変わる可能性があります。資源価値も同様です」
危険度が上がれば、入口の扱いも変わる。
帝国側の許可や、採取した資源の納付が必要になるかもしれない。
「前回まで入れた範囲だから、次も安全だとは考えないでください」
「分かった。調査が終わるまでは入らない」
「お願いします」
担当者は、そこで一度言葉を切った。
「特に、前回のような規模の戦闘ができる方を、確認前に勝手に入れないでください」
俺とリゼは顔を見合わせた。
「名前は話せないけど、伝えておく」
「狩りに行くこと自体を永久に禁止しているわけではありません。次の状態が分かるまで待ってほしいだけです」
ナーヴァが素直に待つかは分からない。
でも、勝手に行かないと決めてもらう必要はある。
◇
《淫獄》へ戻り、全員へ組合で聞いた内容を伝えた。
「では、次の狩りはいつになる」
最初に聞いたのは、やはりナーヴァだった。
「分からない。新しい接続先の確認が終わってから」
「我の腹は、組合の確認を待たぬぞ」
「しばらくは、残ってる食料と外で買える物で何とかする」
「足りぬと言ったら?」
「その時は別の方法を考える。でも、今は地下へ行かない」
ナーヴァが腕を組む。
「前回と同じ獲物がいるとは限らぬのだな」
「うん。危険度も変わるかもしれない」
「状況が変わったなら、我にも知らせよ」
「一緒に確認する」
「ならばよい」
不満は消えていない。
それでも、自分だけで行って確かめるとは言わなかった。
「登録した場所はどうなるの?」
ヴィオラが聞く。
俺は能力の表示を開き、外部接続地点を確認した。
固定前室を登録した表示は残っている。
「消えてない」
「じゃあ、こっちから開けば中を見られるんじゃない?」
「地上側を閉鎖している時に、別の入口から入るな」
リゼがすぐに止めた。
「入らないよ。見るだけ」
「入口を開く時点で、閉鎖を迂回している」
「うん。開けない」
俺が答えると、ミネットも頷いた。
「開けられる可能性があることと、開けてよいことは別です」
「言うと思ったぞ」
ナーヴァが少し得意そうに言う。
「先に言ったのは夜斗さんです」
「我も分かっておった」
「ならいいけど」
固定前室の登録が残っていることは確認できた。
だが、今そこが安全なのかは分からない。
外側が閉鎖されていることも、表示には出ていない。
接続先が変わりかけていることも。
開いてよいかどうかも。
表示が残っているから使ってよいとは限らなかった。
「もう一つの接続地点は?」
レイナに聞かれ、水場から少し離れた場所を登録している二つ目の表示も確認する。
こちらには、今までと同じように入口を開く感覚が残っていた。
「水場の方は、開けられると思う」
「では、今日の水汲みはどうしますの?」
「行かない。今ある分で足りるなら、閉じたままにする」
異変が起きているのは地下入口の方かもしれない。
水場は別の場所にある。
それでも、同じ《淫獄》から開く入口だ。片方で何かが起きている時に、もう片方まで普段どおり使えると決めつける理由はなかった。
「必要になれば、その時に改めて考えよう」
「分かりました。残っている水の量を確認します」
ファステが頷く。
固定前室へも、水場へも、今は入口を開かない。
閉じていられる方は、閉じておくことにした。
◇
「地下へ行かなくても、こちらで確認できることはあります」
ミネットが記録帳を開いた。
「《淫獄》の中で?」
「はい。固定前室の登録が消えるか。門前空間の明るさや温度が変化するか。入口を開いていない状態で、音や臭いに変化が現れるか」
「壁と門も見るべきじゃな」
千代が付け加える。
「以前の変化では、入口付近の形そのものが変わった」
「邸宅や菜園も確認した方がいい?」
「目立った変化がないかを見る程度でよいと思います。変化を起こすためのことはしません」
「観察することと、変化を促すことは別?」
ヴィオラが先に言った。
「はい」
「もう皆、分かってきたよね」
「分かっていても、必要なら確認します」
まず、今の状態を記録することになった。
門前空間へ行くのは、俺、リゼ、千代、ミネット。
全員で集まって、何かあった時に動けなくなるのは避ける。
縁は、ミネットの少し後ろからついてきた。
外界への入口を開く場所に変化はない。
床にも、目立つ物は落ちていない。
空気も、いつもと同じように感じる。
その先にある壁と門も、見ただけでは変わっていなかった。
「現時点では、確認できる変化はありません」
ミネットが記録する。
「変わってないことも書くの?」
「変化前の状態を残さなければ、何が変わったのか比較できません」
確認した時刻。
門前空間の様子。
臭い、音、床、壁、門。
固定前室の登録が残っていること。
邸宅や菜園に、目立った変化がないこと。
分かる範囲だけを書き残す。
「ずっと誰かが見張る?」
ヴィオラが聞いた。
「一人を置き続ける必要はない」
リゼが答える。
「決めた時間に、二人以上で確認する。一人では門前へ行かない。入口は開かない。異常があれば、まず壁内へ戻る」
「壁が守ってくれるとは限らぬぞ」
千代が門を見上げる。
「分かってる。危険かどうか判断できなかったら、邸宅まで下がろう」
入口から一番遠く、扉を閉じられる場所。
それ以上の理由はない。
邸宅が本当に安全なのかも、俺たちはまだ知らなかった。
◇
夜になった。
次に状態を確認する時間になり、俺はリゼとミネットへ声をかけた。
門前空間へ一人で行かない。
自分たちで決めたばかりのことだ。
門へ近づく。
音がしたわけではない。
ただ、門前空間だけが妙に静かに感じられた。
「変だと思う?」
俺が聞くと、リゼはすぐには答えなかった。
「まだ分からない。開けるぞ」
門を少しだけ開き、三人で門前空間を確認する。
縁がミネットの足元から離れた。
「縁?」
呼ばれても戻らない。
外界への入口が現れる場所へ近づき、何もない床の臭いを嗅ぐ。
そのまま進むかと思ったが、縁は数歩下がって座った。
「何かあるのでしょうか」
「分からない」
「入口を開きましたか?」
「開けてない」
俺が答えた直後、リゼが手を上げた。
「待て」
鼻先をわずかに動かす。
「湿った石の臭いがする」
言われてから、俺も気づいた。
冷えた石。
わずかな湿気。
地下入口の石段を下りた時に感じた臭い。
「固定前室と似てる」
「私も、以前確認した臭いに近いと思います」
ミネットは床や壁へ触れず、門前空間を見回した。
入口はない。
石段もない。
固定前室も見えない。
それでも、地下と似た空気がここにある。
「昼には?」
「確認していません」
ミネットが記録帳を開く。
「少なくとも、同じ位置で同じ強さの臭いは感じませんでした」
「温度は?」
「測れる道具はありません。ですが、昼より冷たく感じます」
「感じるだけだな」
「はい。推定として分けます」
その時、縁が見ていた床の近くに、小さな灰色の粒があることへ気づいた。
「何か落ちてる」
リゼが俺より先に手を伸ばしかけ、止めた。
砂のような物が、数粒だけ床に落ちている。
「昼の確認ではなかった?」
「少なくとも、記録した位置にはありません」
「地下から来た?」
「まだ分かりません。誰かの靴から落ちた可能性もあります」
ミネットが、触れずに位置だけを記録する。
「回収しますか?」
「今は触らない」
リゼが即答した。
「先に全員を下げる」
「分かった」
縁を呼ぶ。
一度では動かなかったが、ミネットが門の内側へ戻ると、その後を追ってきた。
俺たちは門前空間から退き、門を閉めた。
◇
「少しだけ入口を開けば、向こうが見えるんじゃない?」
報告を聞いたヴィオラが言った。
「開けない」
「でも、もう何か来てるかもしれないよ」
「だから開けないんだよ」
入口を開いていないのに、地下と似た空気が現れた。
原因を確かめるために入口を開けば、さらに何かが変わるかもしれない。
「では、向こうから来たならどうする」
ナーヴァが尋ねる。
「まず、皆を邸宅へ下げる」
「我は?」
「一緒に考える。でも、一人で門の外へ出るな」
「我まで隠れる必要があるのか?」
「何が来るか分からない間は、ナーヴァでも同じだ」
ナーヴァは不満そうに鼻を鳴らした。
「状況が分かれば、我にも話せ」
「話す」
「ならば、今は待とう」
門前空間の確認は続ける。
必ず二人以上。
入口は開かない。
異常があれば、門を閉めて邸宅まで戻る。
今夜は、それ以上のことをしない。
俺はもう一度、閉じた門を見た。
その向こうにあるはずなのは、外界入口を開くための小さな空間だけだ。
地下へ続く石段はない。
固定前室もない。
俺は、入口を開けていない。
なのに向こうは、もう《淫獄》へ触れ始めていた。




