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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第十一章 「広くなりすぎた家」

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第125話 椅子の下

「それは我のだ」


 食堂へ入った途端、ナーヴァの声が聞こえた。


 見ると、ヴィオラが大きな椅子の背へ両手をかけている。


「分かってる。確認しただけ」


「何を確認した」


「本当にナーヴァ以外が座ったら駄目なのか」


「駄目だ」


「確認できた」


 ヴィオラは満足そうに手を離し、隣の共用椅子へ座った。


 ナーヴァ用だけは一回り大きく、背も脚も太い。誰の物か聞かなくても分かるのに、わざわざ触りに行くところがヴィオラらしい。


「壊れてない?」


「壊す前に止めた」


「私が壊すと思った?」


「座ろうとはしたであろう」


「ちょっと座るだけで壊さないよ」


「座るな」


 椅子が増えてから、食堂で席を探す必要はなくなった。


 ナーヴァの物以外は誰が使ってもいい。その日の気分や、先に座っている相手に合わせて場所が変わる。


 新しい椅子を買ったのに、新しい決まりはほとんど増えなかった。


 その日の夕方、ミネットの《帰還目印》から反応が届いた。


     ◇


「ただいま戻りました」


 入口を越えてきたミネットは、記録帳と学校で使っている荷物を抱えていた。


「おかえり。今日は泊まる?」


「まだ決めていません。明日の予定を確認してから決めます」


「分かった。先にご飯にする?」


「その前に、菜園の記録を確認してもよいですか?」


「食堂に置いてあるよ」


 ミネットが食堂へ入ると、ナーヴァの椅子の正面にある共用椅子が空いていた。


 彼女はそこへ座り、千代が残した記録を開く。


「今日の水やりは、記録どおりですか?」


「うむ。量も時刻も、大きくは変えておらぬ」


 千代が答える。


「芽の状態は?」


「見た限りでは大きな差はない。高さの違うものはあるが、昨日からの続きか、今日生じた差かまでは分からぬ」


「ありがとうございます」


 ミネットは記録帳へ短く書き足した。


「ご飯の前まで記録?」


 ヴィオラが横からのぞき込む。


「忘れる前に書いているだけです」


「食べながらでも忘れないと思うけど」


「思うことと、忘れないことは別です」


「ほら、やっぱり便利」


 ヴィオラがナーヴァを見る。


「我を見るな」


 皆が席へ着き、ファステが料理を並べ始める。


 俺も空いている椅子を引いたところで、ミネットの足元に小さな影があることへ気づいた。


「縁、そこにいたのか」


 ミネットの手が止まる。


「どこですか?」


「椅子の下」


 ミネットは足を動かさず、上体だけを少し横へ傾けた。


 縁は彼女の椅子の下で丸くなっている。


 足へ身体を寄せているわけではない。椅子の奥側、卓の下からも少し外れた位置だ。


「いつからですか?」


「分からない。俺も今気づいた」


「入ってくるところを見た者は?」


 千代が皆を見る。


 誰も答えなかった。


 縁は、俺たちがミネットの記録を見ている間に入ってきたらしい。


「新しい椅子の下が気に入ったんじゃない?」


 ヴィオラが言う。


「狭くて暗いし、隠れるにはちょうどよさそう」


「前も、立派な寝床より棚の下の箱を選んでたもんな」


「では、この椅子が気に入った可能性があります」


 ミネットは縁を見たまま答える。


「ミネットの近くだからかもしれない」


 俺が言うと、彼女は少し黙った。


「どちらも可能性です。今は分けられません」


 そう言いながら、右手を膝から下ろしかける。


 指先が椅子の横まで来たところで止まった。


「撫でないの?」


「今は、縁から触れてきていません」


「前は撫でたよね」


「前は、縁が自分から頭を寄せました」


 今回は違う。


 縁はただ、椅子の下で身体を休めているように見える。


「そのまま休んでいるのかもしれませんね」


 ファステが声を落として言った。


 ミネットは手を膝へ戻す。


「では、休んでいる可能性を優先します」


 縁を起こさないようにするためか、ミネットは食事中も足の位置をほとんど変えなかった。


     ◇


 次にミネットが来た日は、前と少し違っていた。


 彼女が食堂へ入った時、前回使った椅子にはレイナが座っていた。


「こちら、使っていますわ」


「はい。椅子は共用ですから」


 ミネットは迷わず、卓の反対側にあった空いている椅子へ座る。


 前の場所を空けてもらおうとはしなかった。


 縁はその時、食堂の入口近くにいた。


 俺たちを見ているのか、料理の匂いを気にしているのか、それとも偶然そこにいるだけなのかは分からない。


 ミネットも縁へ声をかけず、千代から菜園の記録を受け取った。


「生成水を使った側の一本が、少し高く見えます」


「伸びた?」


「前回から高さは変わっています。ただ、ほかの芽と生えた時期が同じとは限りません」


「まだ水のおかげかは分からない?」


「分かりません」


 記録帳を卓へ置き、前回の線と今日の線を見比べる。


 その間に、縁が入口から動いた。


 一度、ナーヴァの椅子の近くで止まる。


 そこから卓に沿って歩き、レイナが座っている椅子の横を通った。


 前回ミネットが使った椅子の下には入らない。


 卓の反対側まで来ると、今日ミネットが座っている椅子の下へ潜り、その奥で丸くなった。


「椅子じゃなかったみたいだな」


 俺が言うと、ミネットが椅子の下を見る。


「二度だけです」


「嬉しくない?」


「二度では、繰り返す行動だと判断するには少ないです」


「それは聞いてない」


 前にも同じようなやり取りをした気がする。


 ミネットは記録帳へ向けていた視線を下げた。


 椅子の下の縁を見る。


「……嬉しいです」


 小さな声だった。


「ですが、私の近くを選んでも、使い魔になりたいと決まったわけではありません」


「そこまでは誰も言ってないよ」


「私が言いたくなるかもしれませんから」


 ミネットは一度閉じかけた記録帳を、もう一度開いた。


「書くの?」


「確認できたことだけです」


 千代が自分の記録用具を持って近づく。


「どこまでを残す?」


「呼んでいません。餌も使っていません。魔法も使っていません。今回は触れてもいません」


「異なる位置の椅子の下へ、自分から来たことは?」


「書きます」


 ミネットは少し考え、続けた。


「好意がある、とは書きません」


「そこまで書かないと駄目?」


 ヴィオラが聞く。


「あとで私が、そうだったと思い込みたくなるかもしれませんから」


 使い魔が欲しい。


 縁が使い魔になれる種類の生物だと分かってからも、その気持ちは消えていない。


 だからこそ、自分に都合よく意味を決めたくないらしい。


「小さいのが、そなたの近くを選んだ。それでよかろう」


 ナーヴァが自分の椅子へ深く座ったまま言った。


「理由は分かりません」


「理由が分からねば、近くにいることまで消えるのか?」


 ミネットの筆が止まる。


「……消えません」


「ならば、いる間はそうしておけばよい」


 ナーヴァはそれだけ言って、料理へ手を伸ばした。


 特別なことを言ったつもりはなさそうだ。


 ミネットは記録帳を見下ろす。


 少し迷ってから、確認した事実の最後へ一行だけ加えた。


「何て書いたの?」


「異なる場所でも、近くに来ました」


 それ以上の意味は書かなかった。


 だが、起きたことまで小さくもしなかった。


     ◇


 食事の後、ミネットは菜園へ向かった。


 二つの区画には、前より少し伸びた芽が並んでいる。


 生成水を使っている側の一本が、確かにほかより高く見えた。


「こっちの方が育ってる?」


「この一本は高くなっています」


「じゃあ、生成水の方がいい?」


「高いのは今のところ、この一本だけです。水の影響だと決めるには早いです」


 ナーヴァは椅子を買ってからも、菜園を見る時だけは外へ出てくる。


 本人は何も育てていないが、変化があるかは気になるらしい。


 縁も、少し遅れて食堂から出てきた。


 試験区画の中には入らない。


 以前、ミネットが札を移した外側の土を嗅ぎ、その近くへ座る。


 ミネットが区画の反対側へ動いても、すぐにはついてこなかった。


 俺たちが水の量と芽の高さを確認している間も、縁は同じ場所にいる。


 それでも、記録が終わる頃には、ミネットから遠すぎない位置だった。


 偶然かもしれない。


 菜園のその場所が気に入っているだけかもしれない。


 ミネットはそれを記録しなかった。


 ただ、立ち上がる前に一度だけ縁を見た。


     ◇


「今日は学校へ戻ります」


 ミネットがそう決めたのは、日が傾き始めた頃だった。


「明日の予定がある?」


「はい。朝から確認したい資料があります」


 学校へ帰るための荷物を持ち、《帰還目印》を挟んだ記録帳を確かめる。


 俺が入口を開く準備をすると、縁が菜園からついてきた。


 ミネットのすぐ後ろではない。


 離れすぎてもいない。


 門前の空間まで来て、前と同じように入口の近くで止まった。


 ミネットがしゃがむ。


 手は伸ばさない。


「私についてきたいのですか?」


 縁は答えない。


 ミネットを見ているようにも見えるが、入口の生まれる場所を見ているだけかもしれなかった。


「外へ出たいだけかもしれない」


 俺が言う。


「分かっています」


 ミネットは縁から目を逸らさずに答えた。


「だから、私が連れていきたいだけでは連れていけません」


 抱き上げれば、そのまま一緒に外へ出られるかもしれない。


 だが、それでは縁が何を選んだのか分からなくなる。


 外側に危険がないことを確認してから、俺は入口を開いた。


 ミネットが境界を越える。


 縁は入口の近くまで進んだ。


 それでも、外へは出ない。


 ミネットは外側で足を止めた。


 縁を呼ばない。


 手も差し出さない。


 少しの間、互いに境界の反対側から見ている。


 やがてミネットが立ち上がった。


「今日は、ここまでですね」


 少しだけ残念そうに聞こえた。


 でも、無理に連れていこうとはしなかった。


「また来ます」


 縁へ待つことを求める言葉ではない。


 ミネット自身が、また来ると決めた言葉だった。


 縁の身体がわずかに動く。


 それが何を意味したのかは分からない。


 ミネットが外側へ離れた後、俺は入口を閉じた。


 縁は《淫獄》側に残っている。


 閉じた入口の前にしばらくいたが、やがて庭の方へ戻っていった。


 その夜、ミネットが使っていた共用椅子にはヴィオラが座った。


 縁は、その椅子の下へは行かなかった。


 縁が気に入ったのは、新しい椅子の下なのかもしれない。


 暗くて狭い場所なら、ほかにもいくつもある。


 それでも縁は、ミネットが座るたび、その近くへ来た。


 理由はまだ分からない。


 ただ、選んだ場所だけは、前より少し分かるようになっていた。

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