第124話 竜、家具を買う
二つに分けた香草の芽は、今日も見た目だけではほとんど変わらなかった。
「同じに見える」
「見た目が同じことと、状態まで同じであることは別です」
ミネットは答えながら、二つの区画に出ている芽の位置を記録していく。
縁はその少し後ろで丸くなっていた。昨日よりミネットに近いが、外界由来の水を使った側にも、生成水を使った側にも寄っていない。
「水の違いは?」
「まだ、影響したとは言えません」
「いつ分かる」
横からナーヴァが聞いた。
「分かりません。比較できるだけ育つまで待ちます」
「では、その間に椅子を買うぞ」
ナーヴァにとって、今日の目的は最初からそちらだったらしい。
「まず皮と角を売ってからな」
「ならば、すぐに売れ」
「その前に、誰が金を受け取るか決めないと」
「我の金なのであろう?」
「そうだけど、組合はナーヴァのことを知らない」
大型魔獣を倒した方法も、倒した者の正体も、探索者組合には話していない。
ナーヴァ本人を窓口へ連れていけば、説明しなくていいことまで増えるかもしれなかった。
「俺が代わりに受け取ってもいい?」
「そなたが受け取り、我へ持ってこい」
「共同資金には入れない。受け取ったら、そのままナーヴァの金として分けるから」
「当然だ。我の金なのであろう」
一度教えたら、そこはもう迷わないらしい。
金など要らないと言っていた昨日より、少しだけ話が進んでいた。
◇
探索者組合では、前と同じ担当者が紙を確認した。
「売却について、ご本人の了承は得られましたか?」
「得た。代金は俺が受け取って、本人へ渡すことになった」
「分かりました」
担当者は、それ以上ナーヴァのことを聞かなかった。
扱える状態で残っていた皮と角の一部だけが引き取りの対象となり、売却が成立した。
受け取った袋は、共同資金を入れている物より軽い。
「思ったより少ない?」
「先に、大きな利益にはならないとお伝えしたはずです」
「聞いてた。でも、皮と角ってもっと高そうに見えたから」
「大きさだけで価値は決まりません。それに、今回売れたからといって、次も同じ状態で持ち帰れるとは限りません」
「分かってる。グールの汚れが付いてたら、落とす方が高くつくんだろ」
「その可能性があります」
同じ魔獣を狩れば、同じだけ金になるわけではない。
ナーヴァの食料を得ることと、素材を売って稼ぐことも、まだ同じにはできなかった。
俺は受け取った袋を、共同資金とは別の場所へしまう。
「混ぜないんだな」
リゼが確認する。
「混ぜたら、どこまでがナーヴァの金か分からなくなるから」
「それでいい」
金額は大きくない。
それでも、俺の物ではなかった。
◇
「これが我の金か」
《淫獄》へ戻って袋を渡すと、ナーヴァは片手で重さを確かめた。
「この中から、椅子と敷物を買う。全部使わなくてもいい」
「早く選べ」
「俺が?」
「店にある物を見て、持ってくるのであろう」
「候補を見て、どんな物があったかナーヴァに話そうとは思ってたけど」
ナーヴァの眉が寄る。
「我が使う物を、なぜそなたが先に選ぶ」
「……そうなるよな」
椅子はナーヴァの物だ。
敷物も、ナーヴァの部屋へ置く。
所有者へ選ばせると言いながら、買い物だけ俺たちで済ませるのは変だった。
「でも、街へ行くなら条件を決めたい」
「またか」
「前よりできることが増えたからって、何をしても平気になったわけじゃないだろ」
以前は、ナーヴァを街へ連れていくこと自体が怖かった。
今も怖くないわけではない。
ただ、狩りの条件を守り、分からないことを分からないと言い、炎を途中で止めることも覚え始めている。
最初の頃と同じだと決めるのも違う気がした。
食堂へ皆を集め、条件を一つずつ確認する。
「人型のままでいる。炎や竜の力は使わない。自分が竜だって話さない。俺とリゼとレイナから離れない」
「なぜその三人だ」
「俺は入口を開くため。リゼは外で何かあった時の判断。レイナは家具と金のことが俺より分かるから」
レイナが軽く頷いた。
「人が多い場所には長くいない。問題が起きたら、買い物の途中でも戻る」
「我の椅子を置いてか?」
「必要なら」
「面倒だな」
ナーヴァは腰に下げた赤黒い小石へ触れる。
「これも持っていくのであろう」
「うん」
「椅子を買うだけで条件が多いな」
「椅子を買うことと、街で何をしてもよいことは別です」
ミネットが言った。
「そなたが言う前に分かった」
「でしたら結構です」
「行っていい?」
俺が聞くと、ナーヴァは袋を握ったまま答えた。
「我の物は、我が見る」
条件を聞いたうえで、それでも行くという意味らしい。
◇
人型のナーヴァは、レイナが選んだ外出着の上から、目立つ部分を隠せる羽織を身につけた。
窮屈だとは言ったが、脱ぎはしなかった。
街へ入ってからも、俺たちのそばを離れない。
ただ、肉を扱う店の前を通るたびに、顔だけはそちらへ向いた。
「今日は椅子」
「見ていただけだ」
「三軒とも?」
「違いを見ておった」
「肉の?」
「店のだ」
たぶん肉も見ていた。
家具を扱う店は、街の中心から少し外れた場所にあった。
大きな家具を出し入れするためか、入口が広い。中には卓、棚、寝台、椅子が並び、木と布の匂いが混ざっていた。
ナーヴァは一度全体を見回し、一番大きく見える椅子へ向かう。
「これだ」
「まだ座ってないだろ」
「大きい」
「大きければいいとは限らないって、昨日測ったばかりじゃない?」
「座れば分かる」
店の者へ試してもよいか尋ね、許可をもらう。
ナーヴァは椅子の前へ立ち、ゆっくり腰を下ろした。
壊れなかった。
それだけで少し安心したが、ナーヴァはすぐに背を離した。
「違う」
「何が?」
「背が当たる。座る場所も高い」
立ち上がって、背もたれの飾りへ指を置く。
見た目は大きいが、身体を預けると装飾が邪魔になるらしい。
「大きさだけでなく、毎日どんな姿勢で使うかも大事ですよ」
店の者が、別の椅子を示した。
「座る姿勢に種類があるのか」
「食事をする時と、長く休む時でも変わりますから」
ナーヴァが俺を見る。
「あるみたいだな」
「人間は座るだけでも面倒だ」
「竜だって今困ってるだろ」
次に示された椅子は、最初の物ほど飾られていなかった。
幅があり、脚と背もたれが太い。華やかではないが、見るからに頑丈そうだ。
ナーヴァは座面を押し、脚を見てから、もう一度店の者へ視線を向けた。
「座るぞ」
「どうぞ」
今度は、さっきより慎重に腰を下ろす。
全員が椅子を見た。
軋む音はしない。
ナーヴァが少しずつ背中を預けても、脚は揺れなかった。
「これならばよい」
「座りやすい?」
「狭くない。背も邪魔をせぬ」
壊れなかったからではない。
ナーヴァが実際に座り、自分に合うと判断した。
「では、これを全員分買え」
「待って」
「なぜだ」
俺も試しに座ってみる。
足が床へ届かないほどではないが、座面が高く、背もたれも俺には遠い。動かそうとすると、普通の椅子よりかなり重かった。
「これ、俺たちには大きすぎる」
レイナも寸法を確認する。
「全員分をこちらにすれば、費用もかなり増えますわ」
「我に合う物が、全員に合うとは限らぬのか」
「そういうことみたいだ」
ナーヴァは自分の椅子に座ったまま、店内のほかの椅子を見る。
「ならば、そなたらの分は、そなたらに合う物にしろ」
共用の椅子は、昨日測った卓の高さに合う物から選んだ。
飾りは少なく、安定していて、必要な時に動かせる重さ。今《淫獄》にいる者だけでなく、ミネットが泊まる日やセリナが戻った時にも困らないよう、少し余裕を持たせる。
誰の椅子かは決めない。
食堂で、その時に使う者が座る椅子だ。
「これで我だけ椅子がなくなることはないな」
「ナーヴァのは一番目立つけどな」
「我の物だからな」
そこは気に入っているらしい。
◇
敷物は、椅子よりも選ぶのに時間がかかった。
模様の入った物を見せても、ナーヴァはほとんど反応しない。
色の違いも、高価な織り方も興味がないようだった。
「どれでも同じだ」
「触ってから決めた方がいいんじゃない?」
「敷けば終わりであろう」
「その上で寝るんだろ」
店の者に確かめてから、ナーヴァは敷物の端へ手を置く。
薄い物は一度触っただけで離した。
柔らかくても滑りやすい物は、手でずらして首を振る。
最後に残ったのは、飾り気の少ない、厚手で丈夫な敷物だった。
ナーヴァは靴を脱ぎ、その端へ乗る。
膝をつき、掌を押し当てる。
「地面よりは柔らかい」
「比較する相手が地面なんだ」
「地面でも眠れるからな」
しばらく感触を確かめた後、ナーヴァは立ち上がった。
「これも持ち帰る」
「椅子だけじゃなくていいの?」
「我の金なのであろう」
「そうだよ」
「ならば、我が使う物を買う」
全員で使う椅子だけを選び、自分の物を後回しにはしなかった。
昨日までなら、地面で眠れると言って終わっていたかもしれない。
今日は、その先を自分で選んだ。
◇
代金を払う時、ナーヴァは金の袋を俺へ渡さなかった。
「どれを何枚出す」
レイナが貨幣を分け、必要な分を示す。
「こちらが椅子と敷物の代金です。残るのはこちらですわ」
「残った金で肉は買えるか」
「少量でしたら」
「ならば残せ」
ナーヴァは必要な分だけを取り、店の者へ自分の手で渡した。
「我の金なのだろう。ならば、我が払う」
返された分も、その場でレイナと確かめる。
貨幣の価値を全部覚えたわけではない。
それでも、分からないまま袋ごと差し出しはしなかった。
共用の椅子は運びやすいようまとめてもらい、ナーヴァの椅子と敷物も街外れの受け取り場所まで運んでもらうことになった。
《淫獄》へ直接届けてもらうわけにはいかない。
店の者が戻り、周囲に人がいなくなったことを確かめてから、俺は入口を開いた。
「我の物だ。我が持つ」
ナーヴァが自分の椅子へ手をかける。
「人前で軽々持ち上げるなよ」
「分かっておる。今は人がおらぬ」
周囲をもう一度見てから、椅子を持ち上げた。
俺とリゼが二人で運ぼうとしていた物が、ナーヴァの腕では普通の荷物に見える。
「軽いぞ」
「それを街で言わなくてよかった」
共用の椅子は俺たちも運ぶ。
ナーヴァへ全部任せなかったし、ナーヴァも自分用の椅子を運び終えると、勝手に残りを抱えたりはしなかった。
自分でやると言った分だけを運び、入口の向こうへ入る。
◇
食堂へ新しい椅子を並べると、大きな卓だけが置かれていた時より、ようやく部屋らしくなった。
共用の椅子は高さが揃っている。
ナーヴァ用だけは一回り大きく、背も脚も太い。
「これ、誰がどこへ座るかも決める?」
ヴィオラが椅子を一つ引きながら聞いた。
「ナーヴァの椅子以外は共用でいいんじゃない?」
「毎日変えてもいい?」
「使いたい人がいなければ」
「では、我の椅子は変えるな」
「それは見れば分かるよ」
ヴィオラが笑う。
全員が座っても、椅子はわずかに残った。
「誰も座らぬ物まで買ったのか」
ナーヴァが聞く。
「ミネットが泊まる日もあるし、セリナが戻るかもしれない。足りないよりはいいだろ」
「あれが戻れば、これを使うのか」
「どれを使うかはセリナが決めるよ」
「そうか」
空いた椅子は、誰か一人のための物ではない。
それでも、帰ってきた者へ座る場所を作るための物にはなった。
ファステが料理を運んでくる。
今度は、皆が同じ卓を囲みやすい椅子が揃っている。皿を置く手も、前より迷わなかった。
ナーヴァは自分の椅子へ深く座り、背中を預ける。
椅子は揺れない。
それから、同じ卓の周りへ座った皆を見た。
「これで、我だけが座ることはないな」
「最初から一人で食べてなかっただろ」
「椅子の話だ」
「分かってる」
ナーヴァは満足したように、最初の皿へ手を伸ばした。
◇
食事の後、ナーヴァは敷物を抱えて自室へ向かった。
「手伝う?」
扉の外から聞く。
「要らぬ」
「分かった」
本人の部屋だ。
どこへ敷くかまで、俺たちが決める必要はない。
翌朝、食堂へ来たナーヴァは、昨日より少し遅かった。
「敷物、どうだった?」
「悪くない」
「使ったんだ」
「買ったのだからな」
それだけ言って、自分の椅子へ座る。
《淫獄》が大きな卓を作った。
けれど、その周りへ誰の椅子を置くかまでは決めなかった。
ナーヴァが狩った獲物は金になり、その金は椅子と敷物になった。
初めて自分の金を使った竜は、自分の椅子へ座り、皆が揃うのを待っていた。




