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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第十一章 「広くなりすぎた家」

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第122話 水を変えるのは、半分だけ

 香草の芽は、昨日より少しだけ増えていた。


 増えた、と言っても、土の上へ顔を出した緑色の点が二つほど多くなっただけだ。


 背が伸びたように見える芽もある。でも、本当に伸びたのか、見る角度が違うだけなのか、俺には分からない。


「触らないでください」


 確かめようと指を伸ばしたところで、ミネットに止められた。


「触る前に止めたのに」


「止めていただくために言いました」


 ミネットは菜園の端へ膝をつき、記録帳を開いた。


 土に近づいた細い革紐へ、縁が鼻先を寄せる。


 ミネットは革紐を引き上げなかった。縁の方へ差し出すこともしない。そのまま記録帳へ挟み直し、昨日と同じ場所に印を置いた。


「全部は出てないな」


「はい。植えた数に対して、確認できる芽はまだ一部です」


「出なかった種は駄目だったのか?」


「まだ分かりません。芽が出る時期に差があるかもしれませんし、土の中で変化している途中かもしれません。発芽しなかったと判断するには早いです」


 聞くたびに、待つ理由が増えていく。


 種を植える前は、芽が出たら育ったことになると思っていた。


 実際には、芽が出ても正常か分からないし、そのまま育つかも分からない。育ったとしても、食べられるとは限らない。


「それで、今日は水を変えるのか?」


 隣から覗いていたナーヴァが聞いた。


「半分だけです」


「なぜ半分なのだ。育てるなら、すべて同じ水でよかろう」


「比べられるものを残すためです」


 ミネットは迷わず答えた。


 今日は、《淫獄》で生成された水を香草へ使ってみることになっている。


 あの水は、短時間の入浴や身体を洗うためには使った。今のところ、目立った異常は出ていない。


 でも、飲んではいない。


 植物へ与えたこともない。


「全部に生成水を使って、育たなかった場合、水が原因なのか、ほかの条件が原因なのか分かりにくくなります」


「育てば問題ないのではないか?」


「植物が育っても、その水を私たちが飲めるとは限りません」


 ミネットは反論せず、記録帳へ視線を戻した。


     ◇


 比較すると言っても、今ある菜園を真ん中から割れば終わり、というわけではなかった。


 まず、芽が出ている位置と数を確認する。


 同じ日に植えた種でも、右側と左側では、すでに芽の数が少し違っていた。


「最初から同じじゃないけど、いいの?」


「完全に同じ条件にはできません」


 ミネットが土へ触れないよう、細い棒で位置を示す。


「ですから、水を変える前の状態を記録します。今後、差が出た場合も、水だけが原因だと断定はしません」


「比べるのに、断定できないのか」


「一度の比較だけで断定する方が危険です」


 千代が用意していた小さな札を二つ置いた。


 一方は、これまで使ってきた外界由来の水。


 もう一方は、《淫獄》の生成水。


 文字だけでは離れて見ると分かりにくかったので、札へ結ぶ紐の色も変えた。


「こっちが今までの水で、こっちが中の水だな」


「うむ。記録上は左右ではなく、札で区別する。後から立つ向きが変わっても間違えぬようにな」


「さすが千代」


「そなたが右と左を二度間違えたからじゃ」


「見る方向が変わったんだよ」


「ゆえに札を置いた」


 反論できなかった。


 ファステとレイナが、同じくらいの量になるよう水を二つの器へ分ける。


 片方は、これまで使っていた水だ。


 もう片方は、邸宅内の設備から出した生成水を、そのまま運んできたものだった。


 見た目だけでは違いが分からない。


 どちらも透明で、変な匂いもしない。


「生成された直後から変化している可能性は?」


 リゼが器を見ながら聞く。


「あります」


 ミネットが答える。


「汲んでからの時間、使った器、運んだ経路でも条件は増えます。ただ、最初からすべてを分けて調べることはできません」


「今日は、普通に運んで使った場合を見る?」


「はい。生活の中で続けられる方法を優先します」


 調べるためだけに、毎回誰かが水の前で見張るわけにはいかない。


 畑を作ったのは、記録を増やすためではなく、いつか食べられるものを育てるためだ。


 そのために必要な範囲で、分かることを増やしていく。


「では、こちらから水をやりますね」


 ファステが外界由来の水を持った。


「待って」


 その足元を、縁が横切った。


 縁は二つの札の間で止まり、色の違う紐の片方へ顔を寄せる。


「それは食べ物じゃないぞ」


 俺が声をかけても、縁は気にしない。


 前足で紐へ触れそうになり、ミネットが手を伸ばしかけた。


 でも、途中で止めた。


 縁を抱き上げる代わりに、札の方を静かに抜く。


 少し離れた場所へ挿し直すと、縁は空いた場所の匂いを嗅ぎ、その場へ座った。


「追い出さないの?」


 ヴィオラが聞く。


「水をやる場所には座っていません」


「札を動かしたら、条件が変わらない?」


「札は区画の外です。植えた場所にも触れていません。動かしたことは記録します」


「そこまで書くんだ」


「後で見た時、なぜ札の位置が記録と違うのか分からなくなりますから」


 ミネットは、縁が手伝ったとは言わなかった。


 邪魔をしたとも言わなかった。


 ただ、縁が札へ近づいたことと、札を移動させたことだけを書いた。


 ファステが、外界由来の水を片方の区画へ少しずつ注ぐ。


 レイナは生成水を持ち、反対側へ同じように注いだ。


 土の色がゆっくり濃くなる。


 すぐに芽が伸びることも、光ることも、枯れることもなかった。


「変わらないな」


「今は、です」


 ミネットが言う。


「次はいつ見る?」


「これまでと同じ頃に確認します。見る時刻まで変える必要はありません」


「水をやる量は?」


「できるだけ揃えます。ただし、土の乾き方に大きな差が出た場合、同じ量を与え続けることが適切かは考え直します」


「同じにすることと、同じことを続けることは別?」


 俺が聞くと、ミネットがこちらを見た。


「……そうです」


「合ってた」


「うつっておるな」


 ナーヴァが満足そうに頷いた。


     ◇


 作業が終わっても、縁は菜園から離れなかった。


 生成水を使った区画を見るわけでもなく、芽へ顔を寄せるわけでもない。


 移動した札のそばから立ち上がると、今度は記録を続けているミネットの方へ歩いていく。


 ミネットは気づいていた。


 それでも呼ばず、手も出さず、記録帳へ今日の水の量を書いている。


 縁はその足元で一度止まった。


 それから、ミネットの靴へ身体が触れないほどの場所に座る。


 前に頭を撫でられた時より、少し離れていた。


 でも、菜園のほかの場所はいくらでも空いている。


「近くにいるな」


 俺が言うと、ミネットは顔を上げずに答えた。


「そう見えます」


「嬉しくない?」


 そこで初めて、手が止まった。


「私が嬉しいことと、縁がここへ座った理由は別です」


「それは聞いてない」


 ミネットは少しだけ黙った。


 足元の縁を見る。


 縁も顔を上げたが、近づきはしなかった。


「……嬉しいです」


 小さな声だった。


 ミネットは縁へ触れない。


 縁も、それ以上は近づかない。


 ただ二人は、そのまま同じ場所にいた。


「育ったら、食えばよいのだな」


 ナーヴァが土を見て言った。


「育っても、食べられると確認するまでは待ってください」


「知っておる。確認しただけだ」


 ミネットは記録帳へ一行書き足した。


 同じ種を植えた、小さな二つの区画。


 今日から、意図して変えるのは水だけだった。


 どちらが育つのか。


 育ったものを食べられるのか。


 生成水が植物へ何を与えるのか。


 まだ、どれにも答えはない。


 ミネットの足元では、縁が静かに座っていた。


 答えはまだ、土の中に残っていた。

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