第121話 お風呂クリティカル
召喚するつもりはなかった。
ただ、しばらく見ていなかった数字が気になっただけだ。
能力表示を開き、《淫獄石》の所持数を見る。
『所持《淫獄石》:15,241』
「……増えてる」
最後に確認した時は、15,001個だった。
そこから240個増えている。
でも、いつ増えた?
最近あったことを順番に思い出す。
土のある場所へ香草の種を植えた。
小さな芽が出た。
ミネットと縁の距離が少し縮まった。
皆が自分で選んだ部屋を使い始め、浴室も特別な設備ではなく、普段の生活の中で使われるようになった。
どれも大事な変化だ。
だからといって、仲がよくなっただけで《淫獄石》が増えるわけではない。
俺の性的な欲望に何かが刺さらなければ、石は増えないはずだ。
「性癖クリティカル……あったか?」
あれほど強く刺されば、さすがに覚えていると思う。
少なくとも、5,000個も増えた時のようなことはなかった。
それなのに、数字は増えている。
◇
「それで、妾へ聞きに来たのか」
千代は、俺が伝えた数字を記録の端へ書き加えた。
「前にも、知らないうちに増えてたことがあっただろ」
「あったな」
「今回も、何か分からない?」
「まず確認するが、このところ、明確な性癖クリティカルはなかったのであろう?」
「あったら、たぶん覚えてる」
「では、今分かるのは、前回の確認から240個増えたことだけじゃ」
「何で増えたかは?」
「分からぬ。一度に増えたのか、何度かに分かれたのかもな」
やっぱり、すぐに答えは出なかった。
千代は、最近の生活について残していた紙を何枚か取り出した。
菜園の記録とは別のものだ。
浴室を使った日も書かれている。
誰が風呂へ入ったかを細かく監視するためではない。
生成した水の量や、温めるために使った燃料、ナーヴァへ炎を頼んだか、排水した後に異常がなかったかを確認するための記録だ。
「浴室は、何度か使ってるな」
「使えるようにしたのだから、使うであろう」
「誰がどんな格好で出てきたかは?」
「そのようなことまで記録しておらぬ」
「よかった」
「分かるのは、浴室を使った日と、そなたが共用場所にいた時間が重なることがあった、という程度じゃ」
皆が浴室を使った日でも、俺が全員の風呂上がりを見ていたわけではない。
自室にいる時もあれば、菜園の芽を見ている時もある。
たまたま共用場所に戻ったところで、髪を濡らした誰かと会ったことはあった。
それを一つずつ、いつ誰だったかまでは覚えていない。
「前にナーヴァが一人で入った時は、増えておらぬ」
「あの時は、出てくるのを待たずに部屋へ戻ったから」
「その後の表示は15,001個であったな」
千代が、以前の記録を指で示す。
「少なくとも、誰かが湯を使っただけで自動的に増えるわけではなさそうじゃ」
「それは分かってたつもりだけど」
「記録で比べれば、つもりではなくなる」
風呂へ入ったから増えたのではない。
では、風呂上がりを見たから増えたのか。
そう考えるには、今ある記録だけでは足りなかった。
「ミネットにも見てもらえば、分かること増えない?」
こういう条件を分ける話なら、ミネットも得意そうだ。
けれど、千代はすぐに首を振った。
「増えるかもしれぬことと、本人の知らぬ秘密を見せてよいことは別じゃ」
「今の、ミネットみたいだった」
「近頃よく聞くからな」
ミネットは、《淫獄石》のことを知らない。
菜園の共同記録へ、石の数を書き足す理由もない。
千代は、二つの記録を重ねずに別々の場所へ戻した。
◇
「もう一度、皆で同じように風呂へ入れば分かるんじゃない?」
ヴィオラへ話すと、すぐにそんな答えが返ってきた。
「やらない」
「まだ何をするか全部言ってないよ」
「皆の風呂上がりを揃えて、同じ服を着てもらって、俺が見るんだろ」
「だいたい合ってる」
「余計にやらない」
「新しく試す必要はない」
千代も言った。
「今までどおり暮らせばよい」
「俺は?」
「浴室の前で待つな」
「待たないよ」
「ならば、変えるのは確認する時間だけじゃ」
変えるのは確認時刻だけ。俺が表示を見て、千代が合計を書き残すことになった。
◇
最初の日、浴室は使われた。
俺は菜園の囲いを確かめた後、自分の部屋へ戻った。
誰が風呂から出てきたのかは知らない。
決めた頃に表示を開く。
『所持《淫獄石》:15,241』
変わっていなかった。
次の日。
共用場所へ戻ると、ファステとレイナがいた。
二人とも浴室を使った後らしい。
ファステは濡れた髪を肩の後ろへ流し、普段より軽い室内着で、自分の飲み物を用意していた。
俺に気づくと、世話を始めるのではなく、空いた椅子を指す。
「夜斗様も、お休みになりますか?」
レイナは自分で整えた室内着の襟元へ触れ、まだ乾ききっていない髪を片側へまとめていた。
「こちらの方が乾きやすいようですわ」
温まった肌。
普段より力の抜けた姿。
ファステが俺を世話するためではなく、自分の休息へ誘うこと。
レイナが誰かに選ばれた衣装ではなく、自分で整えた物を着ていること。
二人の身体と、その変化が同時に目へ入る。
俺の欲望が、はっきりと動いた。
でも、その場で通知を意識することはなかった。
夜になってから確認すると、数字は増えていた。
『所持《淫獄石》:15,511』
270個。
ただし、ファステが何個でレイナが何個かは分からない。
二人以外の出来事が混ざっていないとも言い切れない。
千代は合計だけを書いた。
さらに次の日。
浴室から出てきたナーヴァと廊下で会った。
髪はまだ湿っていたが、俺の手には、菜園へ運ぶ水の入った容器がある。
「そこを空けよ」
「ちょっと待って。これ、こぼれる」
「ならば先に運べ」
俺はナーヴァの横を急いで通り過ぎた。
その日の表示は、15,511個のままだった。
「見ても増えない日がある」
「そなたが、濡れた髪より容器の水を気にしておったからではないか?」
「そこまで記録から分かる?」
「そなたが自分で話したのであろう」
千代が呆れた顔をする。
もう一日、同じように過ごした。
その日は、浴室を使った後の千代とヴィオラが共用場所にいた。
千代は髪を下ろし、記録を読む時にもいつもより深く椅子へ身体を預けている。
湯上がりで頬にわずかな熱が残っていても、紙を読む目から威厳は消えていなかった。
ヴィオラは髪を拭きながら俺の隣へ来ると、俺の顔を覗き込んだ。
「今、増えたか気にした?」
「気にしてない」
「嘘だ」
湿った髪が肩に触れそうな距離で笑われる。
普段の千代との落差。
ヴィオラとの近さ。
見慣れ始めたはずの風呂上がりでも、同じ姿になるわけではない。
その日の確認では、さらに石が増えていた。
『所持《淫獄石》:15,801』
今度も、誰の何が何個分だったかは分からない。
分かったのは、増えた日と増えなかった日があったことだけだ。
◇
数日分の記録を前に、千代が口を開く。
「湯そのものが原因ではなさそうじゃ」
「うん」
「浴室を使っても、そなたが誰とも会わぬ日は増えておらぬ」
「うん」
「会えば必ず増えるわけでもない」
「それも分かった」
「されど、増えた日は風呂上がりの者と顔を合わせておることが多い」
「細かく分析しないで」
「記録とはそういうものじゃ」
千代は止まらなかった。
「濡れた髪。湯で温まった肌。普段とは異なる室内着。入浴後に気の緩んだ仕草」
「もういいって」
「それに、普段の役割や強さとの落差。そなたとの関係の変化。それらへ反応した時に増えた可能性が高い」
分けて言われるほど恥ずかしい。
「つまり、風呂じゃなくて風呂上がり?」
「今の記録では、その方が近い」
「つまり、これがお風呂クリティカル?」
ヴィオラが勝手に名前を付けた。
「勝手に名前をつけるな」
「分かりやすいでしょ?」
「毎回増えるわけではない。性癖クリティカルほど大きいとも限らぬ」
千代が訂正する。
「でも、お風呂の後に起きやすいんでしょ?」
「今のところはな」
お風呂クリティカル。
もちろん、表示された正式な名前ではない。
ヴィオラが今つけただけの呼び方だ。
「以前、風呂上がりを見るたび増えるかもしれぬと言っておったな」
ナーヴァが思い出したように言う。
「本当に覚えてなくていいことだけ覚えるな」
「我の記憶へ何を残すかは、我が決める」
「そうだけど」
正しいことを、今使わなくてもいいところで使われた。
「では、これからはもっと湯を使いますか?」
ファステが確認する。
「今までどおりでいい」
「同じ服を着る勝負は?」
「ヴィオラ、勝負にするな」
◇
自室へ戻り、もう一度表示を開く。
『所持《淫獄石》:15,801』
15,001個から、合計で800個増えた。
通常《住民召喚》のボタンは、今も押せる。
一回引いても、5,801個残る。
「増えたなら、一回くらい――」
指を近づけかけて、止める。
今、召喚が必要になったわけではない。
受け入れる場所は増えたが、呼ばれる側に選ぶ時間があるかは今も分からない。
それに、風呂上がりで増えた石を見つけた直後に回すのは、何か負けた感じがする。
「今日はやめよう」
表示を閉じた。
普段より気の抜けた皆を成人女性として意識した時、俺の欲望が反応することはあるらしい。
ただ、これから風呂上がりの皆と顔を合わせるたび、増えていないか少し気にしてしまいそうだった。




