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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第十一章 「広くなりすぎた家」

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第120話 観察しているのは、どっち?



 翌朝、土から芽は出ていなかった。


「やっぱり、まだ何も出てない」


 囲いの前でしゃがみ込み、昨日植えた場所を見る。


 土の色が少し変わっているのは、水を与えたからだ。


 目印は動いていない。囲いにも壊れたところはない。大きく掘り返された跡もなかった。


 でも、緑色の物はどこにも見えない。


「昨日植えたばかりですから」


 ファステが、俺の隣で少し笑う。


「早く芽が出るって聞いたけど」


「一晩で出るとは聞いていませんよ」


「そうだった」


 すぐに育つとは誰も言っていない。


 店で聞いたのは、この辺りで使われる香草の中では、比較的早く芽を確認しやすいという話だけだ。


「変化なし、と書けばよい」


 千代が記録へ目を落とす。


「何も起きなかったことも記録するの?」


「昨日は何もなく、今日になって突然芽が出た、とだけ残すよりはよかろう」


 千代は、囲い、目印、土の表面、芽の有無を順番に書いた。


 縁は少し離れた土の上で丸くなっている。


 昨日掘った場所へ、もう一度入ろうとはしなかった。


 囲いがあるからなのか、今日は土に興味がないのか、それも分からない。


     ◇


 その日の少し遅い時間に、《帰還目印》の反応が届いた。


 外へ出て登録接続地点の周囲を確かめると、記録帳を抱えたミネットが待っていた。


「学校は終わった?」


「はい。今日は、こちらへ来られる時間が取れました」


 入口を開くと、ミネットは自分の足で《淫獄》へ入る。


 毎日来ると決めているわけではない。


 学校側の予定があり、俺もいつでも入口を開けられるとは限らない。来られない日は、千代たちが残した記録を後から確認することになっている。


「芽は出ましたか?」


「まだ」


「では、何も記録していないのですか?」


「千代が、変化なしって書いてた」


「見せてもらえますか」


 ミネットは試験区画へ向かう前に、千代の記録を読んだ。


 昨日植えた時の状態。


 今朝見た時の状態。


 水を追加していないこと。


 囲いと目印に変化がなかったこと。


「この形なら、私が見ていない日のことも分かります」


「何もなかった日も?」


「はい。私が見ていない時間を、なかったことにはできませんから」


「見ておらぬ時間を埋めるための記録でもある」


 千代が答えると、ミネットは頷いた。


 二人で、次から確認する順番を簡単に揃える。


 土の乾き方。


 目印の位置。


 囲いの状態。


 芽の有無と数。


 同じ物を同じ順番で見れば、来た人が違っても比べやすいらしい。


「細かいな」


「後から何を見たか分からなくなるよりはよいです」


 記録を整えた後、皆で試験区画へ向かった。


 先にいたのは縁だった。


 囲いの少し外側で、土の匂いを嗅いでいる。


 ミネットの足が止まった。


「気になる?」


「はい」


 答えは早かった。


 けれど、ミネットはそのまま近づかなかった。


 縁が何をしているのか。


 なぜ土の近くへ来るのか。


 以前会ったミネットを覚えているのか。


 聞きたいことは多そうだったが、縁へ質問しても言葉で返事が来るとは限らない。


「縁が畑の近くへ来たことも、記録してよいでしょうか」


「縁のことを調べるの?」


「いいえ」


 ミネットは記録帳を開かずに答える。


「試験区画へ近づいたか、囲いを越えたか。栽培へ影響する範囲だけです」


「縁そのものを調べるんじゃなくて、畑の近くで何をしたかだけ?」


「はい。今の目的は、植えた種の状態を確認することです」


 縁の種族や身体、魔力、使い魔としての性質を調べる話ではない。


 そう説明してから、ミネットは千代の共同記録へ短く書き加えた。


 縁あり。囲いの外。侵入なし。


 それだけだった。


 ミネットが少し離れた場所でしゃがむ。


 その動きに気づいたのか、縁が顔を上げた。


 二人の視線が重なる。


 次の瞬間、縁はミネットから数歩離れた。


 ミネットは追わなかった。


「名前を呼んだら来るかもしれないよ」


 ヴィオラが言う。


「来るか確かめるためだけに呼ぶのは、やめておきます」


「呼ぶだけでも?」


「普段どおり必要があって呼ぶのと、反応を見るために呼ぶのは同じではありません」


「出た。それは別です」


「まだ言っていません」


 ヴィオラが笑い、ミネットは少しだけ困った顔をした。


 結局、その日は縁との距離は縮まらなかった。


     ◇


 ミネットが帰る時間になり、俺は入口まで一緒に歩いた。


「一つ聞いていい?」


「内容によります」


「縁を使い魔にしたい?」


 ミネットの足が止まった。


 すぐに否定はしない。


 しばらく考えた後、抱えていた記録帳へ指を置く。


「使い魔がほしいとは思っています」


「うん」


「縁と契約できる可能性にも、興味があります」


 そこまで言ってから、ミネットは《淫獄》の奥へ目を向けた。


 縁の姿は、ここからは見えない。


「ですが、私が望んでいることと、縁が望んでいることは別です」


「やっぱり言った」


「必要な区別です」


 使い魔がほしいという気持ちまで、なかったことにはしない。


 縁に興味があることも隠さない。


 ただ、それだけで縁も同じことを望んでいるとは決めない。


「だから追わなかった?」


「追って距離を縮めても、縁が選んだことにはなりません」


 入口を開く。


 ミネットは一度振り返ったが、縁を探しには戻らなかった。


「では、また来られる日に」


 そう言って、一人で学校側へ帰っていった。


     ◇


 それから何度か、同じような確認を続けた。


 土が乾き始めれば、外から運んだ水を少し与える。


 水が溜まるほどは入れない。


 《淫獄》で出る水も、植物を育てる魔法も使わなかった。


 変える条件を増やさないためだ。


 ミネットが来られない日は、俺かファステか千代が様子を見る。


 来た日は、ミネットも同じ順番で試験区画を確認した。


 縁は、いつもいるわけではなかった。


 箱の中で寝ている日もあった。


 ナーヴァの近くにいる日もあった。


 試験区画へ来ても、土を嗅いですぐ離れることがある。


 ミネットの方を見たように思えても、そのまま別の場所へ行くこともあった。


 それでもミネットは追わなかった。


 ある日、いつものように囲いの前で記録帳を開く。


 その時、縁がミネットの横から顔を出した。


「あ」


 ミネットの手が止まる。


 縁が鼻先を近づけたのは、記録帳に挟まれた細い革紐だった。


 ミネットが自分で選んだ《帰還目印》だ。


 以前、初めて会った時にも、縁は同じ革紐の匂いを嗅いでいた。


「前も、それ嗅いでたよな」


「覚えているのでしょうか」


「分からない」


「はい」


 ミネットは革紐を動かさなかった。


 縁の前で揺らして、反応を確かめようともしない。


「ですが、同じ物へ二度近づいたことは記録できます」


「菜園の記録に?」


「これは書きません」


 縁が試験区画を荒らしたわけではない。


 記録帳へ興味を示したことと、香草の栽培は別だった。


 しばらく匂いを嗅いだ後、縁は革紐から顔を離した。


 そのまま去ると思った。


 けれど、縁はミネットの少し横へ座った。


 ミネットの背中が固まる。


「緊張してる?」


「動いて、離れられたくありません」


「それ、縁よりミネットの方が警戒してない?」


「……否定できません」


 ミネットは、記録帳を膝の上へ置いたまま動かなかった。


 縁もすぐには動かない。


 二人で並び、囲いの中の何も出ていない土を見ている。


 少しして、ミネットの右手が動いた。


 縁の頭へ伸ばしかけ、途中で止まる。


「触れてもよいのでしょうか」


「俺に聞かれても、縁が決めることだと思う」


「聞いて答えられるでしょうか」


「分からない。でも、嫌なら離れるかもしれない」


 ミネットは縁へ手を近づけなかった。


 少し離れたところで、掌を上に向ける。


 縁は動かない。


 ミネットも動かない。


 俺まで息を止めそうになった頃、縁がゆっくり顔を寄せた。


 鼻先が、ミネットの指へ触れる。


 匂いを嗅ぎ、それから顔を離した。


 ミネットの手は追わなかった。


「触れました」


「縁が触ったんじゃない?」


「……そうですね」


 ミネットは自分の指先を見る。


 表情はいつもとほとんど変わらない。


 でも、声だけが少し柔らかかった。


「何か起きた?」


「契約のことですか?」


「うん」


「何も感じません」


 使い魔の契約がどう成立するのか、俺は知らない。


 ただ、今の短い接触で何かが結ばれたわけではないらしい。


「残念?」


「今は、縁が自分から触れたことの方が重要です」


 今は。


 ミネットはそう言って、指先を握った。


     ◇


「何か出てる」


 最初に気づいたのは、ファステだった。


 縁との間に気を取られていた俺たちは、揃って囲いの中を見る。


 目印の近くで、土の表面が小さく割れていた。


 その隙間から、ごく細い緑色が覗いている。


「芽?」


「そのように見えます」


 ミネットが近づく。


 縁も立ち上がったが、囲いの中へは入らなかった。


「育った!」


 ヴィオラが声を上げる。


「まだ芽が出たところです」


「でも、出たんでしょ?」


「はい。少なくとも、一つは発芽したように見えます」


 ほかの目印も確かめる。


 土が少し盛り上がっている場所はあるが、緑色が見えたのはまだ一部だけだった。


「全部ではないのじゃな」


「はい。これから出る可能性も、出ない可能性もあります」


「このまま育つ?」


「分かりません」


「普通の形なのかは?」


「比較するには、もう少し待つ必要があります」


「食べられる?」


「それは、さらに後です」


 質問するたび、答えが先へ逃げていく。


 それでも、昨日まで土しかなかった場所から、初めて緑色の物が出た。


 ファステは囲いの前へしゃがみ込み、小さな芽を見つめている。


「本当に、出ましたね」


「ファステが植えたのかもしれない」


「位置だけでは、まだ分かりません」


 千代が記録を確かめる。


「最初の一粒に近くはあるが、土を戻した時に多少ずれた可能性もある」


「誰が植えた種でも、育てば同じです」


 ファステはそう言いながら、嬉しそうだった。


 ミネットが発芽したように見える位置と、その時の土の状態を書き残す。


 縁はミネットの隣にいた。


 囲いを越えなかったのは、入れなかったからかもしれない。


 入らないと決めたのかもしれない。


 どちらかは分からない。


     ◇


 学校側へ戻る時間になり、ミネットが記録帳を閉じた。


「次に来た時、どのくらい変わっているでしょうか」


「すごく伸びてるかも」


「枯れている可能性もあります」


「ミネットは喜んだ後にすぐ悪い方も言うよね」


「両方ありますから」


 ヴィオラに答え、ミネットは入口へ向かう。


 俺も外の安全を確認するため、その後を追った。


 途中で振り返ると、縁もついてきていた。


「縁?」


 名前を呼ぶと、縁は立ち止まった。


 ミネットも気づいて足を止める。


 縁は引き返さない。


 そのまま入口付近まで来て、少し離れた場所へ座った。


「外へ出たいのかな」


「分かりません」


 ミネットは縁を見ながら答える。


「私についてきたとも、まだ決められません」


「ただ、ここまで来た?」


「はい」


 それ以上の意味は付けなかった。


 ミネットも、縁へ一緒に来てほしいとは言わない。


「ここから先へ、一緒に来てほしいとは言えません」


「学校へ連れていかないの?」


「縁が外へ出たいのかも、学校へ行きたいのかも分かりません」


 使い魔にできるかもしれない生物を見つけたからといって、勝手に外へ連れ出すつもりはないらしい。


 ミネットが入口の前でしゃがむ。


 もう一度、掌を上へ向けた。


 縁はすぐには動かなかった。


 ミネットも待った。


 しばらくして、縁が鼻先を寄せる。


 指の匂いを嗅ぎ、そのまま頭を少し下げた。


 縁の頭が、ミネットの指の下へ入る。


 ミネットは一度動きを止めた。


 それから、縁の様子を見ながら、指先でゆっくり頭を撫でる。


 一度。


 縁は逃げなかった。


 もう一度だけ触れる。


 縁は抱き上げられるのを待つような動きはせず、少しすると自分から顔を離した。


 ミネットも追わなかった。


「今のは、触れてもよいという意味でしょうか」


「少なくとも、今は嫌じゃなかったんじゃない?」


「今は、ですね」


 一度撫でられたから、これからはいつでも触ってよい。


 そう決めるつもりはないようだった。


「私は、縁の様子を見ているつもりでした」


 ミネットが言う。


「違った?」


「縁も、私が何をするのか見ていたのかもしれません」


「じゃあ、どっちも観察中?」


「そう考えることはできます」


 ミネットの口元が、ほんの少し緩んだ。


 縁は入口の手前から動かない。


 俺が外を確かめて入口を開いても、越えようとはしなかった。


 ミネットも縁を連れていかず、一人で外へ出る。


「また来ます」


 誰へ言ったのかは聞かなかった。


 入口を閉じると、縁はしばらくそこにいた。


 やがて身体の向きを変え、菜園の方へ歩いていく。


 香草の芽は、まだとても小さい。


 縁との距離も、使い魔の契約と呼べるものには程遠い。


 それでも、昨日まで触れたことのなかった相手へ、今日は指先が届いた。


 ただし、ミネットが一方的に距離を詰めたわけではない。


 ミネットが縁を見ていた間、縁もミネットを見ていたのかもしれない。


 どちらが先に相手を選び始めたのかは、まだ分からなかった。

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