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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第十一章 「広くなりすぎた家」

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第119話 最初に植えるのは、一つだけ



 壁の内側に、土がある。


 初めて見つけた時は、それだけでも驚いた。


 でも、何日か眺めているうちに、ただ土があるだけでは何も増えないことが分かってきた。


 当然と言えば当然だ。


 昨日まで何も植えていなかった場所から、今朝になって野菜が生えてくるわけがない。


「これだけ広いなら、いろいろ植えられそうだね」


 ヴィオラが、何もない地面の上を歩きながら言った。


「育てばな」


 千代がすぐに付け加える。


 菜園に使えそうな土地は広い。


 けれど、畝もなければ水路もない。土を掘る道具も、種を置く場所を示す札もなかった。


 何より、この土で植物が育つのかすら分からない。


「まずは料理に使えるものがよいと思います」


 ファステが土を見ながら言った。


「香りを付ける草や、日々のお食事へ少しずつ使える野菜でしたら、無駄になりにくいかと」


「保存できる物の方がいいんじゃないか?」


 リゼが周囲を見回す。


「一度に食べ切れなくても残せる。育つなら、食料の備えにもなる」


「食べる以外にも使える植物がよろしいのではなくて?」


 レイナは、自分の袖へ触れた。


「繊維や加工へ使えるものなら、衣服や日用品にも役立つかもしれませんわ」


「初めは、変化の早いものがよかろう」


 千代が記録用の紙を開く。


「芽が出るまで長くかかれば、土が悪いのか、まだ待つべきなのかも判断しにくい」


「私は甘い実がいいな」


「最初から難しそうなのを選ぶなよ」


「甘い方が、育った時に嬉しいでしょ?」


 それは分からなくもない。


「ナーヴァは?」


「肉だ」


「肉は畑から生えないって前にも言っただろ」


「ならば、我の希望はない」


 ナーヴァは興味をなくしたように答えた。


 それでも立ち去らず、少し離れた場所で俺たちの話を聞いている。


 学校から戻ってきたミネットにも、皆の希望を伝えた。


「ミネットは、何が育てやすいか分かる?」


「植物について授業で扱うことはありますが、畑を作った経験があるわけではありません」


 ミネットはそう断ってから、紙へ並んだ希望を見る。


「土の状態も分かりません。ですから、私が育てやすい植物を決めることはできません」


「じゃあ、少しずつ全部植えてみる?」


 ヴィオラが言った。


「広いんだし、どれかは育つかもしれないよ」


「育たなかった時は、どうしますか?」


「別のを植える」


「何が原因だったか分からないまま?」


 ヴィオラが口を閉じる。


「植物によって、必要な水の量や光、土の状態、芽が出るまでの期間が違う可能性があります」


 ミネットは皆の希望を一つずつ指で示した。


「最初から条件を増やすと、育たなかった理由が分かりません」


「では、一つに絞るべきじゃな」


 千代が頷く。


「広い土地があるのに、一つしか植えぬのか」


 ナーヴァが口を挟んだ。


「一つ育てられることと、何でも育てられることは別です」


「またそれか」


「今回は使い方が合っています」


 ミネットは真面目に答えた。


     ◇


 最初に植える物を決めるため、俺とファステとミネットで街へ行った。


 相談する条件は、出る前に決めてある。


 初心者でも育てやすいこと。


 小さな場所で試せること。


 芽が出たと分かるまで、あまり長くかからないこと。


 この辺りで普通に売られていて、値段が高すぎて育てるのを諦めるような物ではないこと。


 特別な肥料や大きな道具が、最初から必要ではないこと。


 できれば、料理に使えること。


 店の人には、《淫獄》の話はしない。


 初めて小さな畑を作ろうとしていることと、土の状態をまだよく分かっていないことだけを話す。


「この条件なら、香草がよいと思います」


 種を並べていた店の人は、いくつかの袋を見比べた後、そのうち一つを手に取った。


 この地域では料理によく使われるらしい。


 比較的丈夫で、植えてからあまり長く待たずに芽を確認できる。広い畑も必要なく、最初は小さな区画で試せるという。


「知らない土でも育つ?」


「そこまでは約束できません」


 当然のように返された。


「土が固すぎたり、水が多すぎたり少なすぎたりすれば、うまく育たないことはあります。種を深く埋めすぎてもいけません」


「光は必要ですか?」


 ミネットが聞く。


「必要ですが、強ければ強いほどよいわけではありません。最初は、普段どおり明るくなる場所で様子を見るとよいでしょう」


「芽が出なかった場合、種の状態が原因である可能性もありますか?」


「もちろんあります」


 ミネットは、店の人が言ったことを記録へ書いていく。


 その横で、ファステは勧められた香草の使い方を確認していた。


「葉を少しずつ使えるのでしたら、育った後も扱いやすそうです」


「これにする?」


「はい。ただ……」


 ファステは、ほかの種が入った袋へ目を向ける。


 野菜もあった。保存しやすい作物も、甘い実になるという種もある。


「一種類だけでよいのでしょうか」


「育てられると分かれば、次を増やせます」


 自分へ言い聞かせるように呟き、ファステは香草の袋を選んだ。


 少量の種と、土をほぐすための小さな手道具を一つ買う。


 食料を買えなくなるほど高い物ではない。


 それでも、何も取れないかもしれない土へ使う金だ。


 俺一人なら、少し迷っていたと思う。


「もし育たなくても、何が足りないかを考える材料にはなります」


 ミネットが言った。


「何も取れなかったら、損じゃない?」


「分からなかったことが一つ減るなら、何も得ていないわけではありません」


「ミネットはそういう考え方だよな」


「はい」


 迷いなく頷かれた。


     ◇


 戻ると、リゼたちが試験に使えそうな場所を決めていた。


 日中は明るく見え、壁や邸宅の影へすぐ隠れない場所だ。


 土の上には大きな石も、見ただけで危険と分かる物もない。


 だから安全で肥えている、とはまだ言えない。


「最初は、ここだけじゃ」


 千代が紙へ描いた小さな区画を示す。


 広い土地の中では、ほんの一部だった。


「水は、あっちで出るのを使う?」


 俺が邸宅の方を指すと、ミネットが首を振った。


「今回は、外から運んだ水を使いませんか」


「水も試した方が早くない?」


「土と水を同時に変えたら、育たなかった時にどちらが原因か分かりません」


「そっか」


 水が出ることと、その水で植物が育つことは別だ。


 しかも今は、《淫獄》の水を飲んだり料理へ使ったりしていない。


 最初の栽培には、普段から外で手に入れている生活用の水を使うことにした。


 種も、街で普通に売られている同じ袋の物だけ。


 変えるのは、植える場所が《淫獄》の土であることだけに近づける。


「じゃあ、最初はこれ一個?」


 袋から出した小さな種を、一粒だけ指先へ載せる。


「一粒だけでは、種そのものが悪かった可能性を分けられません」


「一つだけって言ったのに?」


「一種類だけです。同じ条件で複数粒を植えます」


「一つが多いな」


「言葉の指す範囲が違います」


 ヴィオラが横から種を覗き込む。


「何粒芽が出るか、当てる?」


「賭けないぞ」


「まだ何も言ってないのに」


「当てるって言っただろ」


「数えるだけかもしれないよ?」


「では、ヴィオラは数を確かめよ。賭けはなしじゃ」


 千代に紙を渡され、ヴィオラは少し残念そうな顔で種を数え始めた。


 作業は、思っていたより全員ですることになった。


 リゼが土の表面をもう一度確認する。


 千代が試験区画の位置と広さを書き残す。


 レイナは紐と小さな札を用意し、どこに植えたか分からなくならないよう整えた。


 ファステは、店で聞いた間隔と、育った場合にどの部分を料理へ使うかを確かめる。


 俺は買ってきた道具で土をほぐし、外から運んだ水を近くへ置いた。


 ミネットは、店で聞いた育て方と、俺たちが実際に行ったことを分けて記録している。


 ナーヴァは、少し離れたところから見ていた。


「手伝わないの?」


 ヴィオラが聞く。


「何をすればよい」


「土を掘るとか」


「我が掘れば、そこは穴になるぞ」


「見てるだけでいいと思う」


 俺が言うと、ナーヴァは頷いた。


「ならば見ておる」


 無理に参加させる必要はない。


 そう思って土へ向き直った時、柔らかくしたばかりの場所へ、小さな影が入り込んだ。


「あ」


 縁だった。


 縁は土へ鼻先を寄せる。


 匂いを嗅いだ後、前足で一度、二度と地面を引っかいた。


「待って。そこ、今から植えるところ」


 俺が近づくと、縁は顔を上げた。


 言葉が分かったのか、俺が動いたから離れただけなのかは分からない。


 ただ、数歩だけ下がり、こちらを見ている。


「先客がいたね」


「植える前でよかった」


 レイナが崩れた土を整える。


「魔物より先に、縁への対策が必要だったな」


 リゼが言った。


「縁も住みやすくなった場所だからね」


 ヴィオラの言うとおりだった。


 ここは、畑として作られたと決まった場所ではない。


 土があり、俺たちが菜園に使えそうだと思っただけだ。


 縁にとっても、匂いを嗅いだり、身体を休めたりできる場所なのかもしれない。


「試す場所だけ、囲った方がよさそうだな」


「縁が怪我をしない物にしましょう」


 ファステの言葉に、皆が頷く。


 高い柵で菜園候補地全体を閉じるのではなく、小さな試験区画の周囲だけに簡単な囲いを作る。


 人が世話をする時には開けられる。縁が触れても、尖った部分で傷つかない。


 それでも越えて入ろうとするなら、先に理由を考える。


「種が気になるのかな」


「まだ植えてもおらぬ」


「土が柔らかかったから?」


「今の行動だけでは判断できません」


 ミネットは縁を少し見た後、記録へ視線を戻した。


 囲いを作っている間、縁は邪魔をしなかった。


 少し離れた柔らかい土の上で身体を丸め、こちらを眺めている。


「あそこは残そう」


 俺が言うと、リゼが縁のいる方を見る。


「畑にしないのか?」


「全部使わなくてもいいだろ。通る場所もいるし、縁が使う場所もある」


「そうだな」


 場所が広くなったからといって、空いている所をすべて埋める必要はない。


 誰かが使っている場所まで、俺たちの都合だけで畑にしなくてもいい。


     ◇


 囲いができると、いよいよ種を植えることになった。


「最初は、ファステが植える?」


 俺が聞くと、ファステは種を受け取り、少しだけ驚いた顔をした。


「私でよろしいのですか?」


「料理に使いたいって最初に言ったのは、ファステだから」


 ファステは手のひらの種を見る。


 それから、ゆっくり頷いた。


「では、最初の一粒だけ」


 聞いてきた深さに作った小さな窪みへ、ファステが種を置く。


 俺とリゼが、その上へ土を戻した。


 レイナが目印の札を立てる。


 千代とミネットが、植えた位置と時刻、土の見た目を書き残す。


 ヴィオラが残りの種を一粒ずつ渡し、同じくらいの間隔で複数粒を植えていく。


 一種類だけ。


 でも、一粒だけではない。


 種そのものが悪かった場合と、この場所で育たなかった場合を、少しでも分けるためだ。


「これが肉になるのか」


 最後の種を植え終える頃、ナーヴァが言った。


「ならない」


「では、なぜ我まで見ておる」


「自分で来たんだろ」


 ナーヴァは否定しなかった。


 そのまま、俺が水を運ぶところまで見ている。


 最初に与える水は、外から持ってきた物だ。


 土が流れないように、少しずつ落とす。


 乾いたままにならず、水が溜まるほどでもないくらい。


 正確な量が分かる道具はないから、使った容器と残った水の量を千代が記録した。


「芽が出たら成功?」


 ヴィオラが囲いの外から覗き込む。


「少なくとも、芽が出たとは言えます」


「育ったら?」


「育ったことを確認できます」


「食べられたら?」


「その時に、食べてよい状態かを考えます」


「育ったら食べていいんじゃないの?」


「植物が育つことと、それを安全に食べられることは別です」


「今日は何度別になるのだ」


 ナーヴァが呆れたように言った。


「必要なだけです」


 ミネットは気にした様子もなく、最後の記録を書き終えた。


 植えた場所を全員で見る。


 何も変わっていない。


 光ることもない。


 土が盛り上がり、その場で芽が伸びてくることもなかった。


「変わらないな」


「植えたばかりですから」


 ファステが笑う。


「次は、いつ見る?」


「毎日、同じ頃に確認してはどうでしょう」


 ミネットが記録を見せる。


「土の乾き方、芽が出るまでの日数、発芽した数、色や形に違いがないか。それから、虫や小さな生き物が近づくかも確認したいです」


「縁が入ろうとするかもな」


「それも記録へ加えよう」


 千代が頷いた。


 育てることは、植えれば終わりではないらしい。


 何も起きていない時間も見て、水をやり、変わったことがあれば書き残す。


 すぐに答えが出ないからこそ、待たなければならない。


 《淫獄》は、土のある土地を用意した。


 でも、種も作物も勝手には生まれなかった。


 何を育てるかを選び、街で種を買い、土をほぐし、水を与えたのは俺たちだ。


 《淫獄》に、食料は勝手に生えなかった。


 だから俺たちは、最初の一粒を自分たちで植えた。


 芽はまだ出ていない。


 それでも、昨日まで何もなかった土の下には、初めて俺たちが置いた種があった。

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