第12話 あと少しだった
目を覚まして最初に確認したものは、仲間の無事でも、今日の食料でもなかった。
『所持《淫獄石》:270』
『次回必要《淫獄石》:300』
「あと三十個」
「朝一番に確認することがそれか」
すぐ近くからリゼの呆れた声が飛んできた。
俺は表示を閉じ、簡易寝床から身体を起こす。
「確認しただけだ。回すとは言ってない」
「寝る前にも見てただろ」
「寝ている間に増えている可能性が、万に一つくらいあるかもしれない」
「何もしてないのに増えるのか?」
「増えなかったから、その仮説は棄却された」
「最初から分かるだろ」
朝から正論が痛い。
俺だって、寝ているだけで石が増えるとは本気で思っていない。
ただ、あと三十個なのだ。
三百個のうち、二百七十個まで貯まっている。
残りは一割。
スマホゲームなら、あと一回イベントを走れば届きそうな数字である。
しかも俺は、どんな状況が自分の欲望へ刺さりやすいのか、少しずつ理解し始めていた。
人物単体。
衣装。
役割。
過去。
俺との関係。
そして、住民同士の関係。
なら、石が増えそうな状況を意図的に作れば――。
「夜斗様」
ファステの声で、思考を中断する。
「残っている食料を確認したのですが、四人分となると、あまり余裕がありません」
低い共同作業台には、残りの食材が用途別に並べられていた。
焼いて食べられる根。
処理の必要な野草。
いくつかの木の実。
どれも外で集めた原始的なものばかりだ。
今日明日で直ちに飢えるほどではない。
だが、安定しているとはとても言えなかった。
「水も、次の探索まで十分に保つとは限りませんわ」
レイナが水袋を確かめながら言う。
「容器が少ないため、一度に運べる量にも限界があります。それに、布や道具も自然の素材だけでは……」
「そうなんだよな」
現在の《淫獄》は、粗末ながら拠点と呼べる段階にはなった。
火がある。
水と食料の置き場がある。
共同作業台がある。
素材や装備を分けて置ける。
四人分の簡易寝床も作った。
だが、それだけだ。
本格的な厨房も、保存設備も、風呂もない。
着替えや布も足りない。
食料は現地調達。
しかも手に入るのは、名前すら分からない根や野草や木の実ばかり。
新しい住民を呼べば、何かが解決するかもしれない。
だが当然、何も解決しない可能性もある。
むしろ食べる人数だけが増えることだってあり得る。
「次のガチャで都合のいい人が出る保証なんてない。今いる四人でできることを増やす方が先だ」
俺が言うと、リゼが少しだけ意外そうな顔をした。
「まともなことも考えられるんだな」
「俺はいつも合理的だ」
「石が寝てる間に増えてないか確認した直後に言われてもな」
そこは忘れてほしい。
◇
「私が逃げてきた方向に、人の住む場所があるはずです」
ファステから話を聞くことになった。
もっとも、正確な道順を覚えているわけではない。
元家主のもとから逃げ、追っ手を避けるため森や荒れた場所へ入り、何度も方向を変えた。
疲労と空腹。
見つかるかもしれない恐怖。
そんな状態で目印を一つずつ記憶していろというほうが無理だ。
「正しい道は分かりません。ただ……私がここまで逃げてこられたのですから、何日も離れた場所ではないと思います」
「徒歩だったんだよな?」
「はい。途中で眠ってしまったこともあるので、どのくらい進んだのかまでは……」
ファステの声が小さくなる。
「申し訳ありません。もっときちんと覚えていれば」
「いや、十分な情報だ。方向が分かるだけでも違う」
「ですが、もし私が間違っていたら……」
「分からないなら分からないでいい。間違った確信の方が危ない」
ファステへ責任を負わせるつもりはない。
逃げ切るだけで精いっぱいだった人間に、地図作成まで求めるほうがおかしい。
「覚えているものだけ教えてくれ。確実に見たものと、たぶん見たものは分けて」
「……はい」
ファステは少し考えながら、断片的な記憶を挙げた。
大きな岩。
水音。
傾斜した地面。
横倒しになった太い木。
木々が薄くなっていた場所。
足が沈むほど柔らかな土。
そして、どこかで人の通る道らしい場所を横切った気がするという。
「『気がする』で構いませんわ」
レイナが穏やかに言う。
「何もないところから探すより、ずっと助けになりますもの」
「ありがとうございます」
ファステの肩から、わずかに力が抜けた。
◇
今回の目的は、人の暮らす場所を見つけること。
食料、布、衣服、容器、調理道具、保存に使えるもの、調味料。
必要なものを挙げれば切りがない。
貨幣も、この世界の地理も、社会の常識も知らない。
それに、俺たちと一緒に転移した大学生がどうなったのかも分からないままだ。
とはいえ、町を見つけたからといって、そのまま入るつもりはない。
「まず場所を見る。安全かも分からないのに、いきなり入る気はない」
「人間だから安全とは限らない」
リゼが自分の装備を確かめながら言った。
「獣より話が通じる可能性はあるが、その分、別の危険もある」
ファステの表情がわずかに硬くなる。
元家主や追っ手と遭遇する可能性もある。
それに、《淫獄》の存在を他人へ話していいのかも決めていない。
「今回は人間の生活圏がありそうな方向を確認する。危険を感じたら、成果ゼロでも戻る」
「今さら確認することか?」
「遠くまで行くときほど確認するんだよ」
今回、外へ出るのは四人全員。
ファステの記憶が必要だからだ。
先頭はリゼ。
危険を察知し、俺たちを守る。
ファステは逃亡中の記憶と、この地域で人が使いそうな道や水場を見る。
レイナは加工されたものや人工的な痕跡を見分ける。
俺は距離と方角を覚え、撤退を決め、《淫獄》への入口を開く。
戦闘能力だけ見れば、相変わらずリゼ一人に負担が集中している。
だからこそ、戦闘になる前に戻る。
「全員、リゼの指示を優先。拾ったものより命。迷ったら撤退」
「夜斗様も、無理はなさらないでください」
「俺は無理ができるほど強くないから大丈夫だ」
「それを大丈夫と言ってよろしいのでしょうか」
レイナが首を傾げる。
よくはない。
だが今回は長所ということにしておこう。
◇
《淫獄》の外へ出ると、俺たちはファステの記憶を逆向きにたどり始めた。
「この岩は、見覚えがあります」
最初に確信を持てたのは、大きな岩だった。
片側が不自然に平らで、根元には雨水が削ったらしい溝がある。
「ここは通りました。こちら側から来たと思います」
「思う、か」
「はい。そこまでは確かだと思うのですが、その前が……」
「十分だ」
リゼが周囲の地形を見る。
「こっちは傾斜が急すぎる。疲れた状態で下ってきたなら、足跡か滑った跡が残りやすい」
古い痕跡までは見つからなかったが、進めそうな方向は絞れた。
少し先で倒木を見つける。
「これも、見たような気がします」
「確実ではありませんのね?」
レイナが確認する。
「はい。似た木だったかもしれません」
「では、候補ですわね」
確実。
不確実。
可能性あり。
情報を分けながら進む。
ファステが不安そうに何度か俺を見るたび、俺は「候補が増えただけでも十分」と繰り返した。
歩く距離が増えるにつれ、当然のように俺の足は重くなる。
リゼは周囲を警戒しながら進み、ファステはまだ記憶を探し、レイナも足元の変化を見ている。
俺だけが、もう座りたい。
「少し休むか?」
リゼが振り返った。
「まだいける」
「足が上がってないぞ」
「これは省エネ歩行だ」
「転ぶ前に休め」
結局、俺たちは短い休憩を入れた。
弱さを隠して全員を危険にさらすより、早めに認めたほうが合理的である。
これは言い訳ではない。
◇
最初の明確な痕跡を見つけたのは、レイナだった。
「お待ちになって」
彼女が細い枝を示す。
一見すると、どこにでもある折れた枝だ。
だが断面を見れば、自然に裂けたものではなかった。
「これは折れたのではありません。道具で切られていますわ」
リゼが断面へ指を当てる。
「新しくはない。だが、人の手が入った跡で間違いなさそうだ」
周囲を調べると、柔らかい地面に複数の足跡らしき窪みが残っていた。
完全な形ではない。
獣の跡が混ざっている可能性もある。
それでも、同じ方向へ進むものがいくつもある。
さらに少し離れた場所には、黒く変色した土と、小さく組まれた石があった。
「火を使った跡でしょうか」
ファステがしゃがみ込む。
「たぶんな。火事の跡にしては範囲が狭い」
リゼは周辺を確認し、土を少し崩した。
「一人じゃない。何人かが、ここで休んだ可能性がある」
「人が、近くに……」
ファステがつぶやく。
そこに期待があるのか、不安があるのか。
おそらく両方だ。
「少なくとも、人間がここを通ってる」
俺はそれ以上を断定しなかった。
町の住民かもしれない。
旅人かもしれない。
ファステの追っ手かもしれない。
大学の講義室から一緒に飛ばされた連中だという可能性も、ゼロではない。
だが、この時点ではただの願望だ。
◇
「夜斗さん、こちらは何でしょう?」
レイナが、低い草へ引っかかっていた白いものを拾い上げる。
薄く、端が破れている。
土と湿気で汚れているが、植物の皮には見えない。
俺は受け取り、表面を見た。
規則的な細い線。
見覚えのある紙質。
そして、短い文字。
『東へ』
『水場あり』
「……日本語だ」
声が勝手に低くなる。
「夜斗様には読めるのですか?」
「ああ」
大学のノートから破ったような紙片だった。
名前も、日付もない。
人数を示すものもない。
ただ、日本語で二つの短い情報が書かれている。
「たぶん、俺と一緒にこの世界へ来た連中だ」
「『たぶん』だ。お前がさっき言ってただろ」
リゼがすぐに指摘する。
「分かってる」
この世界に日本語を使う人間が元から存在しないとは断言できない。
紙片自体が、いつ落とされたものなのかも分からない。
だが、大学の講義中に集団で転移し、その後どうなったか分からない学生たちがいる。
その状況で大学ノートらしい紙に日本語だ。
無関係だと考えるほうが難しかった。
「知り合いなら追わないのか?」
リゼが尋ねる。
俺は紙片の先へ目を向けた。
『東へ』
その方向は、ファステが人里のある可能性を示した方向と大きくはずれていない。
転移した学生たちも水場か人里を目指したのかもしれない。
追えば会える可能性がある。
知っている顔がいるかもしれない。
元の世界へ帰る手掛かりを持っているかもしれない。
だが。
「痕跡がいつのものか分からない。相手が何人いるかも、どんな状態かも不明だ」
大人数と接触する準備はない。
《淫獄》のことも話せない。
ファステの追っ手と鉢合わせする危険もある。
周辺に何がいるのかも分からない。
「生きてる可能性が分かった。それだけでも今日は大きい」
俺は紙片の示す方向を覚える。
「方向だけ確認する。無理には追わない」
「そう言うと思った」
リゼは反対しなかった。
◇
そこから先へ進んだのは、ほんの短い距離だった。
地面に残る痕跡が、わずかに増えている。
人が何度か通った道なのか、獣道と重なっているのかまでは分からない。
「……待って」
ファステが小さな声を出した。
俺たちは足を止める。
「今、何か聞こえませんでしたか?」
全員が黙る。
風が葉を揺らす。
少し遠くで枝が鳴る。
その向こうから、一瞬だけ、何かが聞こえた。
低い音。
続いて、短く重なる音。
「今、人の声じゃなかったか?」
「その可能性はありますわ」
レイナが声を潜める。
「もう少し近づけば――」
「動くな」
リゼの声が変わった。
視線は声がした方向ではなく、その横の茂みへ向いている。
「鳥の声が消えた」
言われて初めて気づく。
さっきまで聞こえていた小さな鳴き声がない。
草がわずかに揺れた。
風とは違う方向へ。
さらに奥から、腹へ響くような低い音がした。
何がいるのかは見えない。
見えないままで十分怖い。
「戻るぞ。ここから先は危ない」
リゼが俺たちと茂みの間へ入る。
「もう少しだけなら――」
口に出したあと、自分で驚いた。
俺が、危険を前にして前進を考えた。
人の声が聞こえた。
日本語の紙片もあった。
本当にあと少し進めば、同じ講義室にいた誰かと会えるかもしれない。
だが、その「あと少し」で死ぬ可能性もある。
俺一人ではない。
ファステも、リゼも、レイナもいる。
「……撤退。今日はここまでだ」
「それでいい」
リゼが短く答えた。
安全を取れば生きて帰れる。
安全を取れば、再会は遅れる。
その両方が正しいとしても、俺が選ぶのは前者だった。
◇
来た道をそのまま戻れるとは限らなかった。
危険の気配は、俺たちが進んできた方向の近くにある。
リゼは別の経路へ俺たちを導いた。
「足音を立てるな。走るのは私が言ってからだ」
「分かりました」
ファステがレイナの腕を取り、滑りやすい場所を支える。
レイナは自分の裾を片手で押さえながら、もう一方の手でファステの破れた服が枝へ引っかからないよう守った。
互いに声をかけず、必要な動きだけをしている。
やがてリゼが、岩と地面の間にできた狭い隙間を示した。
「一度、ここでやり過ごす」
「《淫獄》へ戻らないのか?」
「今すぐ入口を開けば、何かに見られる可能性がある。気配が離れるまで待つ」
俺たちは狭い場所へ身を寄せた。
リゼが一番外側。
危険のある方向を警戒する。
その内側へ俺。
さらにファステとレイナが身体を小さくする。
四人で隠れるには狭すぎた。
俺の肩へリゼの背中が触れる。
反対側では、ファステとレイナの衣服が重なり、かすかな布擦れの音がした。
レイナの髪がファステの頬へかかり、ファステが音を立てないよう指先でそっとよける。
レイナはファステの手を取り、枝へ触れそうになった袖を押さえた。
その動きに打ち合わせはない。
リゼは全員を守る。
ファステとレイナは互いを気遣う。
俺はいつでも入口を開けるよう《淫獄》へ意識をつなぐ。
四人が、それぞれの役割を黙って果たしている。
怖い。
心臓の音を聞かれそうなくらい怖い。
それでも俺の意識は、近すぎる三人の体温や息遣いと、危険の中で噛み合っている関係へも向いてしまう。
最低だとは思う。
だが、反応するものは反応する。
遠くで何かが地面を踏む音がした。
草が擦れる。
低い気配が、ゆっくり遠ざかっていく。
しばらく待ってから、リゼが小さく息を吐いた。
「今だ。戻れるか?」
「ああ」
周囲に誰もいないことを確認し、俺は《淫獄》への入口を開いた。
ファステ。
レイナ。
俺。
最後にリゼ。
全員が入った瞬間、入口を閉じる。
見慣れた灰色の壁が、こんなにありがたく思えたことはない。
『《淫獄石》を30個獲得しました』
『所持《淫獄石》:300』
「……三十」
必要だった数ぴったり。
狭い場所で、三人の成人女性と身体を寄せ合っていた。
それだけなら、俺が反応しても不思議ではない。
だが、それだけではない気もする。
危険な状況で、全員が互いを守るために動いた。
第9話から積み重ねてきた役割と関係が、実際の場面で自然に機能した。
たぶん俺は、その光景にも刺された。
そう考えながら表示を進める。
『所持上限:300』
「……所持上限?」
見慣れない項目だった。
「こんなの前からあったか?」
「私に聞くな。見えてるのはお前だろ」
リゼが周囲を確認しながら答える。
「いや、そうだけど。少なくとも、今までは気づかなかった」
「三百へ到達したことで、表示されたのではありませんこと?」
レイナが言う。
「条件を満たしたから表示された……とか?」
十分にありそうだ。
《淫獄》の機能には、条件達成後に初めて分かるものがある。
第一住民が登録されたあと、《住民召喚》が解放されたのもそうだった。
所持上限も、到達するまでは表示する必要がなかっただけかもしれない。
俺は関連項目を確認する。
画面の上部には、
『《淫獄の王》』
とだけ表示されていた。
「……あれ?」
「今度は何だ」
「レベル表記がない」
最初に取得したときは、確かに《淫獄の王》Lv.1だった。
だが今は、能力名しか表示されていない。
一度画面を閉じ、最初から開き直す。
『固有スキル:《淫獄の王》Lv.1』
今度は普通に表示された。
「あるな」
「見間違いか?」
「いや……表示画面によって省略されるだけか」
たぶん。
所持上限が出たことといい、今まで確認していなかった画面を開いただけなのだろう。
そう結論づけ、俺は表示を閉じた。
◇
「お怪我はありませんか?」
ファステは、自分の息が整うより先に全員を見回した。
「私は平気です。ファステさんこそ、腕を見せてくださる?」
「枝が触れただけです。傷にはなっていません」
レイナがファステの袖を慎重に上げ、肌を確かめる。
その横で、リゼは装備を外しながら出口の方向を見ていた。
「気配がついてきた様子はない。入口を見られた可能性も低い」
「リゼも怪我してないか?」
「ない。戦ってないからな」
「戦わずに帰ってこられたなら成功だ」
「お前にしては正しい」
「今日は正しい判断の割合が多いだろ」
「自分で言うな」
リゼがファステの腕を確認する。
ファステは今度こそ自分もリゼの装備と手足を見て、傷がないか確かめる。
レイナは二人の服へついた細かな葉を払っていた。
全員が無事だ。
誰か一人に任せきりにせず、自然に互いを確かめ合っている。
先ほどの緊張が解けたせいか、俺の中にも別の熱が戻ってくる。
『《淫獄石》の生成を確認しました』
また出た。
これなら三百を超えて――。
『所持上限に達しているため、獲得できません』
『所持《淫獄石》:300』
「……は?」
「どうかなさいましたか?」
ファステが振り返る。
「石が出た。でも、増えてない」
「上限と書いてあるだろ」
リゼがあっさり言う。
「生成されたのに消えたんだぞ?」
「貯められる量に限りがある、ということでしょうか」
レイナが表示の見えない位置から、俺の説明だけで推測する。
「その限りが三百個。次の召喚に必要なのも三百個……」
数字を並べた瞬間、嫌なほど綺麗につながった。
『所持《淫獄石》:300』
『所持上限:300』
『次回必要《淫獄石》:300』
このまま三百個を持っていたら、次に生成される石は受け取れない。
今、実際に一度失った。
何個生成されたのかすら表示されていない。
「何で今まで上限を表示しなかったんだ」
「今、上限へ達したからではありませんの?」
「それはそうなんだけど……」
《淫獄の王》は、召喚しろとは言っていない。
今すぐ使えとも言っていない。
ただ、次回召喚に必要な数と同じ所持上限を表示した。
使わなければ、その後に生まれた分が無駄になる。
そういうルールが見えるようになっただけだ。
石を作る俺の欲望が変えられたわけではない。
召喚を選ぶのも俺だ。
それなのに、選択肢の片方へ「損失」と書かれた札を下げられたような気がした。
「……考えすぎか」
上限がなければ無限に貯められてしまう。
何らかの制約があるのは、ゲームとして考えれば珍しくもない。
これは現実だが、能力の仕組みはかなりゲーム的である。
なら、所持上限くらいあっても不思議ではない。
俺はそう結論づけた。
◇
俺たちが撤退してから、数十分ほど後。
日本語の書かれた紙片が落ちていた場所へ、別の足音が近づいていた。
「誰かいた?」
「いや、見てない」
「でも、足跡、新しくないか?」
何人かの若い男女が、焚き火跡の周囲を調べている。
服は汚れ、表情には疲れがあった。
それでも互いに声をかけながら、水場と、人の住む場所を探して進んでいた。
「獣じゃないのか?」
「混ざってる。でも、こっちは人の靴っぽい」
「この辺に黒瀬とかいたら笑うけどな」
「あいつなら真っ先に安全な場所探してそう」
「分かる。冒険とか絶対しないだろ」
小さな笑いが起きる。
彼らは少し前まで、その場所に黒瀬夜斗がいたことを知らない。
黒瀬夜斗もまた、彼らがそこまで来ていたことを知らなかった。
◇
『所持《淫獄石》:300』
『所持上限:300』
『次回必要《淫獄石》:300』
《淫獄》へ戻った俺は、三つの表示を並べていた。
今日得たものは多い。
人為的に切られた枝。
複数人の足跡。
小さな焚き火の跡。
大学ノートらしい紙片。
日本語。
遠くから聞こえた人の声。
ファステが逃げてきた方向と、日本語で示された方向も大きくはずれていない。
人里は、何日も離れた場所ではない可能性がある。
大学の講義室から一緒に転移した誰かも、生きているかもしれない。
ただし、今日は会えなかった。
町も見つけていない。
危険な何かがいることも分かった。
次に進むなら、さらに準備が必要だ。
そして、もう一つ。
「このまま持ってたら、次に出る石は全部無駄になる」
「また始まったな」
リゼが言う。
「いや、これはガチャを回したいんじゃない」
「聞いてない」
「資源ロスを防ぐための話だ」
「使わずに失うのでしたら、使うべきではなくて?」
レイナが自然に口を挟む。
「ほら、レイナもこう言ってる」
「味方を見つけた顔をするな」
「ですが、新しい方のお食事も必要になります」
ファステの一言で、俺は表示から残りの食料へ目を移した。
「……そこは忘れてない」
忘れてはいない。
次に誰が来るのかも分からない。
人が増えれば、必要な食料も水も増える。
町へ近づく準備も必要だ。
今すぐ回すべきだと決まったわけではない。
それでも。
石はもう足りている。
しかも持ったままでは、次に生まれる分が消える。
なら使うのは浪費ではない。
損失を防ぐための、合理的な資源運用だ。
たぶん。
今日、俺たちは人里へあと少しの場所まで進んだ。
同じ世界から来た誰かとの再会へも、あと少しだった。
そして今。
三回目の《住民召喚》を実行する理由も、あと少しで完全にそろおうとしていた。




