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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第十一章 「広くなりすぎた家」

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第117話 風呂上がりは、性癖クリティカル

 新しくできた浴室を見つけてから、数日が過ぎた。


 それでも、まだ誰も風呂には入っていない。


「今日の分も、見た目は変わっていません」


 ミネットが、窓際へ並べた小さな容器を一つずつ確認する。


 中に入っているのは、《淫獄》で生成した水だ。出した日と時刻を分け、同じくらいの量を保管してある。


 少なくとも、俺たちが見て分かる範囲では、濁りもない。変な匂いもせず、底に何かが沈んでもいない。


「じゃあ、安全?」


「数日間、目立った変化がなかったことと、長期間安全に使えることは別です」


 予想どおりの答えが返ってきた。


「今回は真似しないからな」


「言われる前に気づいたんだ」


 ヴィオラが笑う。


「何の話ですか?」


「こっちの話」


 ミネットは少し不思議そうにしたが、それ以上は聞かなかった。


 俺は袖をまくり、左腕を見せる。


 生成水を少量だけ手と腕へ触れさせる確認も、何日か続けていた。触れた後は外から運んだ水で洗い流し、時間を置いて皮膚の状態を見る。


 今のところ、痛みもかゆみもない。赤くなったり、腫れたりもしていなかった。


「少なくとも、夜斗さんが少量を皮膚へ触れさせた範囲では、短期的な異常は確認されていません」


「では、身体を洗う程度なら使えるかもしれぬ、と」


 千代が確認する。


「可能性はあります。ただし、使ってよいと証明されたわけではありません」


「風呂に入れるようになるまでが長いな」


「知らない水を身体へ使うのですから、短い方だと思います」


 ミネットには、浴室を見つけた日の方が楽しそうだった気がする。


 調べることが増えるのは嬉しいが、安全だと言う役目は別らしい。


「使うなら、今回は普通に身体を洗う範囲だけにしてください。飲まない。料理へ使わない。縁にも与えない。傷がある場合は避ける。ダンジョン由来の汚れや、正体の分からない物を洗い流すためには使わない」


「水を浴びるだけで、ずいぶん面倒だな」


 ナーヴァが腕を組む。


「お前は平気でも、ほかの者が平気とは限らない」


 リゼが言うと、ナーヴァは小さく鼻を鳴らした。


「また別か」


「今回は本当に別だよ」


 使うかどうかも、各自で決める。


 まず俺が短時間だけ試し、しばらく様子を見る。それで何も起きなかったとしても、ほかの全員に安全だとは決めない。


 分かっていることを聞いたうえで、それぞれが選ぶ。


 そこまで決めてから、ようやく新しい浴室を使うことになった。


     ◇


 問題は、水が出ても湯は出なかったことだ。


「温かい水を想像しても駄目?」


 俺は水の出口へ手を触れ、もう一度試す。


 流れてきたのは、さっきと同じ冷たい水だった。


「水温まで変える機能がないのか、夜斗殿が使い方を知らぬだけかは分からぬな」


「今日は調べること増やさなくていいよ」


 ヴィオラが容器を抱えたまま言う。


 結局、生成した水の一部を厨房で温め、浴室へ運んで冷たい水と混ぜることになった。


 外から全部の水を運ぶよりは楽だ。それでも、大きな容器に湯を用意するのは一仕事だった。


「熱い方は俺が持つ」


「私も運ぶ」


 リゼが反対側を持つ。


「滑らせないでくださいね」


 ファステが先に通路を確認し、レイナが床へ水がこぼれた時に拭く布を用意する。


「お風呂へ入る前に疲れそうですわ」


「最初だけじゃ。手順が分かれば、次からは減らせよう」


「次も温めるところからだよね?」


「そこは変わらない」


 浴室にも、ひとまず簡単な決まりを作った。


 一人ずつ使う。使用中は勝手に入らない。入る前には声をかける。設備に変化があったり、身体に異常を感じたりしたら、すぐに知らせる。


「俺は絶対に入らないからな」


「誰もまだ疑ってないよ」


「疑われる前に言った」


「余計に怪しくなったね」


 最初に使うのは俺だ。


 数日間、接触確認をしていた俺が先に試すことには、誰も反対しなかった。


 身体を洗い、温めた湯へ短時間だけ入る。


 久しぶりに肩まで湯に沈んだ瞬間、思わず息が漏れた。


「……生き返る」


 誰もいない浴室で呟く。


 新しい部屋もありがたかった。でも、身体を拭くだけではなく、温かい湯へ入れることの方が、今はよほど大きな変化に思えた。


 長く入りすぎないように出て、身体の状態を確認する。


 すぐに変わったところはない。


 使った水を少しずつ流しても、排水口は詰まらず、逆流もしなかった。異臭もない。


 だからといって、排水先が分かったわけではない。


 普通に身体を洗った水が流れた。それだけだ。


 浴室から出ると、全員がこちらを見た。


「どう?」


「すごくよかった」


「水のことを聞いています」


 ミネットに訂正された。


「今のところ、変な感じはない。痛くもかゆくもない」


「少し時間を置いて確認します」


「風呂の感想も大事じゃない?」


「安全性の確認とは別です」


 今度はヴィオラが先に言った。


 ミネットがそちらを見る。


「合っていますが、真似する必要はありません」


「一回言ってみたかったんだ」


 しばらく待っても、俺の身体に目立った異常は出なかった。


 ミネットは結果を記録し、今日のうちに学校へ戻る準備を始める。


「入っていかないの?」


「今日は戻る予定です。それに、夜斗さん一人へ短期的な異常がなかっただけですから」


「変わったことがあったら知らせる」


「お願いします」


 ミネットは記録帳を閉じる。


「私も、次に試すかは記録を見てから決めます」


 住民になったから使うのではない。浴室ができたから入るのでもない。


 ミネットは、今日入らないことを自分で決めた。


 俺は入口を開き、学校へ戻るミネットを見送った。


     ◇


 ファステが浴室から出てきた時、俺は食堂で水を飲んでいた。


 もちろん、外から運んだ水だ。


「お待たせしました」


「別に待っては――」


 顔を上げたまま、言葉が止まる。


 ファステの髪は、まだ少し濡れていた。いつものようにきっちり整えず、邪魔にならない程度に緩くまとめている。


 服も、すぐに働くためのものではない。自分の部屋で休むために選んだ、軽い室内着だった。


 湯の熱が残っているのか、頬も普段よりわずかに赤い。


「何か、おかしいでしょうか」


「いや。何も」


「そうですか」


 ファステは厨房へ向かいかけて、足を止めた。


「今日は、少し休んでから片づけます」


「うん。その方がいい」


 用意したのは、自分が飲むための水だけだった。


 それを持って、俺の向かいではなく、少し近い隣の席へ座る。


「夜斗様も、ご一緒に休まれますか?」


「もう休んでる」


「では、ご一緒ですね」


 誰かの世話をするためではなく、自分の休む時間へ俺を入れる。


 濡れた髪から落ちた小さな雫が、ファステの首筋を伝った。


 見ない方がいいと思った時には、もう見ていた。


 視界の隅で、表示が淡く光った気がした。


 今は開かないことにした。


     ◇


 次に浴室を使ったのはリゼだった。


 出てきた姿を見て、最初に気づいたのは剣がないことだ。


「剣、持ってこなかったんだ」


「浴室へ持ち込む方がおかしいだろ」


「いや、そうだけど」


 装備も身につけていない。


 湿った髪が首筋へ残り、いつもより軽い服の下では、肩から余計な力が抜けている。


 それでも、食堂へ入った瞬間に出口と窓へ目を向けた。


 いつもの癖だ。


 だが、リゼは一度周囲を見ただけで、それ以上は確認しなかった。


「どうした?」


「何でもない」


 そう言ってから、少しだけ考える。


「今日は、ここにいる者を警戒する必要はない」


 俺たちを信用している、と言葉にしたわけではない。


 けれど、剣を置き、濡れた髪のまま同じ場所へ座る姿は、戦場で最後まで残った傭兵とはまるで違って見えた。


 表示がまた淡く光る。


「夜斗、顔が赤くないか?」


「風呂に入ったから」


「もう時間が経っているだろ」


「まだ残ってるんだよ」


 何が残っているのか、自分でも分からない言い訳だった。


     ◇


 レイナは、浴室から出た後も自分で髪を整えていた。


 新しい部屋で過ごすために自分で選んだという室内着は、飾りが少なく、動きやすそうだった。それでも布の重なりや袖の形には、レイナらしさが残っている。


「その服、自分で直したの?」


「はい。まだ仮縫いに近いものですが」


 濡れた髪をまとめようとして、指の間から一房が落ちる。


 レイナは少し困ったように笑い、もう一度、自分の手で結び直した。


 誰かに見せるためではない。


 自分が楽に過ごすために、自分で選び、自分で整えた姿だった。


「見すぎではありません?」


「服を見てた」


「服だけですの?」


「……その質問、答えないと駄目?」


「結構ですわ」


 答えを聞かなかったわりに、レイナは少しだけ満足そうだった。


 その後に出てきた千代は、髪を下ろしたままだった。


 背筋は伸びている。歩き方も声も、いつもの千代と変わらない。


 なのに、湯の熱が残る頬と、肩へ流れた髪のせいで、普段よりずっと柔らかく見える。


「何を見ておる」


「見てない」


「今、目を逸らしたであろう」


「見てたから逸らした」


「正直に言えばよいという話でもないぞ」


「じゃあ、どうすればいいんだよ」


「自分で考えよ」


 難しい。


 また表示が光った。


 もう、気のせいではない。


     ◇


 ヴィオラは、濡れた髪を布で拭きながら俺の隣へ来た。


「夜斗」


「近い」


「まだ何もしてないよ」


「何かする気だっただろ」


「顔を見ようと思っただけ」


「それが近いんだよ」


 濡れた髪がすぐ近くにあり、風呂上がりの熱が伝わってくる。


 いつもと同じヴィオラなのに、普段とはまるで違って見えた。


 ヴィオラは俺の顔を覗き込み、すぐに口元を上げた。


「今の、性癖クリティカルでしょ」


「自分で言うな」


「違う?」


 違うとは言えなかった。


 ファステだけではない。


 装備を外したリゼ。自分で選んだ服を着たレイナ。髪を下ろした千代。そして、今も近すぎるヴィオラ。


 どれか一つではなく、違う方向から続けて刺さっている。


「……一回じゃない気がする」


「何が?」


「性癖クリティカルが重なってる」


「それ、すごいんじゃない?」


「俺にとっては危険だよ」


「数える?」


「数えない」


「誰が一番だったか調べる?」


「調べない」


「同じ格好でもう一回――」


「再現もしない」


 ヴィオラは残念そうな顔をした後、すぐに笑った。


「成長したね」


「前にやったからだよ」


 性癖クリティカル選手権は、一度で十分だった。


     ◇


 ナーヴァだけは、まだ浴室を使っていなかった。


「入らないの?」


「我に湯浴みなど必要ない」


 人間と同じ方法で身体を洗わなくても、ナーヴァには困らない方法があるらしい。


 使う必要がないなら、無理に勧める理由もなかった。


「入りたくなった時に使ってください」


 ファステも、それだけ言った。


 湯上がりの皆が食堂へ集まる。


 温かい物を飲む者。髪を乾かす者。自分の部屋へ戻る前に、もう少し同じ場所で休む者。


 ナーヴァは少し離れたところから、その様子を見ていた。


 しばらくして、浴室の方へ目を向ける。


「まだ湯はあるのか」


 皆の動きが止まった。


「あるけど、入るの?」


「使える物か確認するだけだ」


「入りたいんだ」


 ヴィオラが言う。


「違う」


「では、使わぬのじゃな?」


 千代に聞かれ、ナーヴァが黙った。


「……使う」


 誰かに勧められたからではない。


 皆が使った後の様子を見て、自分から選んだ。


 冷めた分だけ湯を温め直し、ナーヴァは人型のまま浴室へ入った。


 俺は食堂から動かない。


「壊れないかな」


「ナーヴァも加減はできる」


 リゼが言う。


「できるの?」


「……浴室による」


「本人じゃなくて浴室側なんだ」


 やがて水音が止まった。


 少しして、ナーヴァが戻ってくる。


 濡れた髪を片手で後ろへ払い、煩わしそうに息を吐く。


 いつもの戦装束ではない。本人が選んだ簡素な室内着をまとい、湯の熱が残る肌には、普段の張り詰めた気配が薄い。


 強大な竜であることは変わらない。


 それでも今、目の前にいるのは、風呂上がりで髪を濡らした一人の成人女性だった。


「どうだった?」


「悪くない」


「気に入った?」


「悪くないと言った」


 ファステが髪を拭くための乾いた布を差し出す。


 ナーヴァは当然のように受け取り、皆がいる場所へ来た。


 元の世界では恐れられ、孤高だった竜。


 そのナーヴァが、自分で湯へ入り、気の抜けた姿のまま、同じ卓へ加わる。


 誰も驚かない。


 誰も特別扱いしない。


 濡れた髪。火照った肌。簡素な服の下にある、戦装束では隠れていた女性らしい身体の線。


 圧倒的な強さと、ここでだけ見せる無防備さ。


 全部が一度に、俺の欲望へ深く刺さった。


 今度は、表示を見落としようがなかった。


『《淫獄石》を5,000個獲得しました』


『所持《淫獄石》:15,001』


「多い」


 思わず声が出た。


「やっぱり性癖クリティカルだった?」


 ヴィオラがすぐに反応する。


「重なった結果だと思う」


「誰と誰が?」


「言うわけないだろ」


「また我か」


 ナーヴァまでこちらを見る。


「今回はナーヴァだけじゃない」


「では、誰だ」


「だから言わない」


「全員だったりして」


「黙って」


 否定できないことまで見抜かないでほしい。


「でも、これからはお風呂上がりを見るたび、石が増えるかもしれないね」


 ヴィオラが楽しそうに言った。


「毎回、性癖クリティカルになるわけじゃないぞ」


「住民の風呂を、石の収入源みたいに言うな」


「期待してないの?」


 否定しようとして、さっきまでの光景を思い出した。


 濡れた髪。火照った肌。普段より力の抜けた姿。


「……否定はしない」


「正直でよろしい」


 表示には、15,001という数字が残っている。


 一回召喚しても、5,001個残る。


 そんな考えが、頼んでもいないのに頭へ浮かんだ。


「回さないの?」


「今日は回さない」


「今日は?」


「そこ拾うな」


 前は、上限に達するから回した方が得だと思った。


 今度は、回しても残るから一回くらい、と考え始めている。


 理由が変わっただけで、ガチャを回したい欲が消えたわけではないらしい。


 初めて浴室を使った日。


 身体を洗えるようになった。


 皆が少しだけ気を緩め、自分で選んだ姿で過ごせるようになった。


 その結果、俺の欲望だけが大きく働いた。


 風呂上がりは、性癖クリティカル。


 前にも使った言葉なのに、今日は一回では足りなかった。

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