第111話 住民ですが、帰ります
「住民になったから残るのではありません」
ミネットは新しくできた腰掛けへ座った。
「私が、もう少し確認したいと思ったから残ります」
住民になったことと、今ここにいたいと思うことは別だ。
「何から確認する?」
「まずは、私自身からです」
ミネットは両手を膝の上へ置き、目を閉じた。
「気分悪い?」
「今のところは。大きく乱れている感覚はありません。ただ、普段と完全に同じかは、ここだけでは比較できません」
「記憶は?」
「連続しています。自分の名前も、魔法学校へ所属していることも覚えています」
「使い魔ができた感じは?」
「ありません。住民になることと、使い魔を得ることには、今のところ関係がないようです」
「記録を取ってもよいですか?」
ミネットは鞄へ手を伸ばしかけた状態で止まっていた。
「記録には、周囲の情報も含まれます」
俺だけでは決められない。入口の近くにいる皆へ確認する。
「私は構いません。ただし、奥の生活区域や、他の方の持ち物については書かないでください」
「外から入口までの道もだ」
リゼが続ける。
「書いたものを学校へ提出する予定はあるのか?」
千代が尋ねる。
「ありません。これは私自身が、分かったことと分からないことを混ぜないための記録です」
「後に誰かへ見せる必要が出たなら?」
「その前に、どこまで見せてよいか確認します」
千代が頷く。
ミネットは、記憶の欠落は自覚できない、意識の混濁なし、身体に目立った痛みなし、自由意思による拒否行動が一度可能、使い魔との契約感覚なし、と記録した。
「そこまで書くの?」
「『変化なし』だけでは、何を確認したのか分かりませんから」
次に灰色の床、低い仕切り、二つの腰掛け、壁際の浅い棚を見る。生活区域へ続く方角については書かず、入口付近に簡素な区画があるとだけ記録する。
「明るさはあります。光源は……」
ミネットが天井を見上げた。
「どこ?」
「分かりません」
「夜になると暗くなる」
「外と同じ時刻ですか?」
「比べてない」
「空気はあります。呼吸もできます。風は……今はほとんど感じません」
「もっと奥だと感じる時もある」
「外から入ってきている風ですか?」
「分からない」
「分かりました」
「分かってないんだけど」
「分からないと分かった、という意味です」
ミネットは一度筆を止め、俺を見る。
「魔力の流れも確認したいのですが、よいですか?」
「魔法を使う?」
「いいえ。まずは、自分に分かる範囲で外から見ます。より詳しく調べるには魔法が必要になるかもしれませんが、今日は行いません」
「どうして?」
「この場所が魔法へどう反応するか分からないからです」
俺が頷く前に、千代が口を開いた。
「外から見るだけならば構わぬ。ただし、妙な反応を感じても追うでないぞ」
ミネットは床や仕切りへ近づき、触れる前にも許可を求めた。
「この区画は、以前からあったのですか?」
「昨日まではなかった」
「私が来ると決まった後にできた?」
「皆が入れていいって決めた後だな」
「誰も作っていないのですよね?」
「少なくとも、ここにいる者は作っておらぬ」
「必要に応じて、《淫獄》内部の形が変わる可能性がある」
「可能性じゃ」
「はい」
ミネットは書いた言葉へ線を加えた。
「入域者を迎えると住民間で決めた時期と、入口付近の変化が確認された時期が近い。原因は不明」
何に反応したのかは分からない。ただ、ミネットを迎えると決めた後で、迎えるための場所らしいものができた。今分かるのは、それだけだった。
◇
入口近くへ来ることへ同意した皆が、順番にミネットへ名乗った。
「リゼだ」
「レイナと申します」
「千代じゃ」
「ヴィオラ。よろしくね、新しい住民さん」
「ミネット・ノルンです。よろしくお願いします」
「新しい住民と呼ばれることに、まだ慣れていません」
「そのうち慣れるよ」
「慣れるかどうかも、今は分かりません」
最後に来たのは、ナーヴァだった。人型の姿だが、角も鱗も隠していない。
「お名前を伺ってもよいですか?」
「ナーヴァだ」
「種族についても伺えますか?」
「今は必要あるまい」
「分かりました」
「聞かぬのか?」
「今は話さないと、本人が決めたのでしょう?」
「そうだ」
「では、必要になった時に改めて理由を説明して伺います」
「……好きにせよ」
「住民になった気分は?」
ヴィオラが尋ねる。
「まだ分かりません。住民として表示されたことは確認しました。ただ、それだけで生活まで変わったとは言えません」
「真面目だねえ」
「ヴィオラは、すぐ住民だって思えたの?」
「私は呼ばれて来たからね。考える前に、もう中にいた」
ミネットは何か聞きかけて、口を閉じた。
「その話を聞いてよいか、まだ確認していませんでした」
通常召喚のことへ踏み込まず、ミネットは自分の記録へ戻った。
◇
入口付近だけでも、ミネットが確認することは多かった。どれも、その場で答えを出すためではない。後で普段の環境と比べるための記録だった。
「もっと見ていく?」
「今日は帰ります」
「住民になったのに?」
言ってから、自分でおかしいと思った。
「住民になったことと、今日ここへ泊まることは別だと、夜斗さんが説明しました」
「そうだった」
「学校で確認したいこともあります。自分の魔力や身体に変化がないか、普段の環境でも比べたいです」
ミネットは一度言葉を切り、手元の記録へ視線を落とした。
「それと、今日確認したことを手掛かりに、学校で似た現象を調べてもよいですか?」
「《淫獄》のことを話す?」
「いいえ。まずは公開されている資料から、外部と分かれた空間や、入口を通って入る場所について調べます」
「誰かへ質問する必要が出たら?」
「《淫獄》を特定できる情報は出しません。それでも説明が必要だと思った場合は、先に皆さんへ確認します」
「それなら、俺はいいと思う」
「他の皆さんにも確認してください」
「うん。俺一人の秘密じゃないからな」
「じゃあ、外へ出られるかも確認する?」
「お願いします」
外への入口を開く。ミネットは境界の前で足を止めた。
「出たら住民じゃなくなるかもしれない?」
「分からない。でも、ファステたちは外へ出ても住民のままだった」
「私も同じとは限りませんね。では、出た後で確認します」
ミネットは、自分の足で境界を越えた。
姿が完全に向こう側へ移った後、《住民管理》を確認する。
『ミネット・ノルン』
名前は消えていなかった。
「残ってる」
「では、少なくとも今回、外へ出ただけでは住民登録は解除されなかったようです」
「残っててよかった?」
「それも、まだ判断できません。ですが、勝手に消えなくて安心はしました」
「次に確認したい時は、どうすればよいですか?」
「今は、俺と会ってからになる。一人で戻る方法もあるかもしれないけど、準備するなら皆と相談して、ミネット自身にも選んでもらう」
《帰還目印》のことは、まだ説明していない。俺一人で勝手に決めて登録するものでもない。
「分かりました。では、次も学校でお待ちします」
「住民なのに?」
また同じことを言ってしまった。
「私は、《淫獄》の住民になったようです」
「うん」
「ですが、今日は学校へ帰ります」
「うん。それでいい?」
「私が決めたことです。はい。それでよいと思います」
《淫獄》の住民が、一人増えた。
それでも、その人がどこで暮らすかまで、《淫獄》が決めたわけではなかった。




