第110話 自分で入ります
ミネットに《淫獄》の存在を話す許可は得た。だが、中へ入れる判断は別に必要だった。
「話すのと、入れるのは別だからな」
「分かっておるではないか」
千代が満足そうに頷いた。
俺は、ミネットが内部を確認したいと言ったことを皆へ説明した。
「ミネットは、どこまで知っている?」
リゼに聞かれ、前回ミネットへ渡した情報と、話していない情報を千代の記録で分けた。
「通常召喚のことは?」
「話してない」
「石は?」
「それも」
「我のことは?」
「名前も、竜だってことも、能力も話してない」
ナーヴァは腕を組んだ。
「ならば、そのままでよい」
「ミネットが来る時は、人型でいてくれる?」
「その姿でいることに異論はない。されど、人間のふりをするつもりもないぞ」
「角を隠してほしいって意味じゃない。ミネットに聞かれたら、自分で答えるか決めてくれればいい」
「最初からそう言え」
「最初から言ったつもりなんだけど」
「足りぬ」
「縁のことも、必要がなければ話さないでよいでしょう」
ファステの声に、俺は頷いた。
「私は構わない」
リゼが言った。
「ただ、最初は入口の近くで話した方がいい。いきなり全員の寝床や荷物がある場所へ連れてくる必要はないだろ」
「そうですね。ミネットさんも、知らない場所へ入った直後に囲まれたら落ち着かないと思います」
千代、レイナ、ヴィオラも、それぞれ条件を確認してから同意した。
最後に、俺はファステへ向き直った。
「ミネットには、ファステの時のことを話した。中へ来たら、もっと聞かれるかもしれない」
「私が自分で選んだことなら、お話しして構いません。ただ、私と同じことが起きるとは限りません」
「そこは俺も伝えてある」
全員の意思を確認できた。
あとは、どこで迎えるかを決めようと入口側へ目を向けた時だった。
「……あれ?」
昨日まで、入口のすぐ内側には何もなかった。今は、その途中に低い仕切りができていた。
向こう側を完全に隠す壁ではない。それでも、入口から生活区域がそのまま見えるのを防ぐ程度の高さはある。
仕切りの手前には、簡素な腰掛けが二つ。壁際には、小物を置けそうな浅い棚まで増えている。
「いつ作った?」
「私は作っていません」
「我でもない」
「ナーヴァが作ったとは思ってない」
「なぜだ」
「お前が作るなら、もっと大きいだろ」
「当然だ」
ヴィオラが腰掛けを指で押し、座っても崩れないことを確かめる。
「誰かを待つ場所みたい」
「ミネットさんを、いきなり生活場所へ通さないためでしょうか」
ファステの言葉に、俺は仕切りを見た。
「《淫獄》が、そこまで考えたの?」
「考えたのか、我らの望みに応じただけかは分からぬ」
千代は周囲を調べながら答えた。
「ミネットを安全に迎えたい。されど、我らの生活と秘密は守りたい。誰か一人ではなく、皆が似たことを望んでおった。その結果かもしれぬ」
「でも、表示は出てない」
「表示がなければ何も起きておらぬ、とは、もう考えておるまい?」
「……うん」
「迎えると決めたのであろう」
ナーヴァが新しい腰掛けへ座った。
「ならば、迎える場所が要る。それだけではないか」
「ナーヴァが座ると、待ち受けてるみたいなんだけど」
「何か問題があるか?」
「ミネットが帰るかもしれない」
「それは困るな」
◇
次に魔法学校へ行った時、俺はミネットへ全員の許可が得られたことを伝えた。
「では、《淫獄》を確認してもよいのですか?」
「前に説明した危険と不明点は、覚えてる?」
「住民になる可能性と、解除できるか分からないことですね」
「うん。住民になっても、俺の命令へ従う義務や、ここへ住み続ける義務は確認されていない」
「学校へ戻ることもできますか?」
「外へ出ることはできる。でも、住民になったことを学校へ伝える必要があるかとか、そのまま所属していいかは、学校側の決まりだから俺には分からない」
「私にも分かりません。今日、《淫獄》へ入ったとしても、すぐに学校を辞めるつもりはありません」
「辞めてほしいとも言ってない。中へ住んでほしいとも、まだ言ってない」
「住民になるかもしれないのに?」
「住民になることと、どこで暮らすかは別だろ」
ミネットは少し黙った。
「入らなかった場合、今後の相談は続けられますか?」
「続けられる。中へ入ることを、相談する条件にはしてないから」
「分かりました」
「今日決めなくてもいい」
ミネットは記録を閉じた。
「いいえ。今日、見せていただけるなら確認したいです」
「本当に?」
「前に説明を聞いてから、考えていました。学校での用事がない時間を選びました」
「そこまで考えてたんだ」
「何も考えずに未知の場所へ入ろうとしていると思われていましたか?」
「思ってない。俺より考えてると思ってる」
◇
ミネットを、俺が入口を開けられる場所まで案内した。ファステとリゼにも同行してもらっている。
入口を開く前に、リゼが周囲を確認した。
「今は誰もいない」
「では、開けてもよいと思います」
残るのは、ミネットの意思だけだった。
「開けるぞ」
「はい」
《淫獄》へ意識を向ける。境界が開き、外にはない灰色の床が向こう側へ続いた。
「これが、《淫獄》ですか?」
「入口から見える範囲は」
俺は入口の横へ退き、最後に一度だけ尋ねた。
「それでも入る?」
ミネットは開いた境界を見つめたまま、少しだけ息を整えた。
「分からないことは残っています。ですが、分からないことを隠されたわけではありません」
ミネットが俺を見る。
「私は、自分で確認すると決めました」
俺は腕を差し出さなかった。ファステも背中を押さない。リゼも急かさずに待っている。
「自分で入ります」
ミネットが、自分の足を前へ出した。
光に包まれることもなかった。召喚の画面も開いていない。ただ、一人の女性が、自分で入口を越えただけだった。
その直後、《住民管理》に反応があった。
新しく加わった名前が、一つ。
『ミネット・ノルン』
その名前は、住民として表示されていた。
「……住民になった」
「ファステさんと同じことが起きたのですか?」
「結果は、たぶん。でも、同じ条件だったかは分からない」
ミネットは目を閉じ、しばらく動かず、自分の状態を確かめた。
「記憶に、欠けた部分はないと思います。考える内容も、自分のものです」
「俺の命令を聞かないといけない感じは?」
「試してみてもよいですか? 何か命令してください」
「じゃあ……そこへ座って」
入口の近くにできた腰掛けを指した。
「今は座りません」
「断れた」
「はい。座ること自体に問題はありませんが、断れるかを確認しました」
「使い魔ができた感じは?」
「ありません。魔法や身体については、今すぐ変化がないとは断定できません。後で確認が必要です」
「住民になったの、嫌じゃない?」
「まだ判断できません。ただ、自分で入ると決めたことは覚えています」
ファステが境界を越え、ミネットの前へ進む。
「改めまして、ファステ・フェルンです」
「ミネット・ノルンです。あなたが、自分でここへ入った方ですね」
「はい」
「入った後、後悔したことはありますか?」
ファステはすぐには答えなかった。
「困ったことはあります。分からないことも、今でもたくさんあります。でも、ここへ入ると決めたことを、誰かに決められたとは思っていません」
ミネットは、その言葉を記録しなかった。ただ、ファステの顔を見て、小さく頷いた。
「中を確認する? それとも、一度外へ戻る?」
「今日は、確認してよいと決めた範囲だけをお願いします」
「一度外へ戻らなくていい?」
「住民になったから残るのではありません」
ミネットは新しくできた腰掛けへ、今度は自分から座った。
「私が、もう少し確認したいと思ったから残ります」
住民になった。だから暮らす。だから従う。だから学校を辞める。
そんなふうに、その先まで勝手に決まったわけではなかった。
俺は召喚ボタンを押さなかった。
入口を開いただけだった。
そこへ入ると決めたのは、ミネット自身だった。




