第109話 秘密の入口
ミネットへ返事をする前に、前日まとめた開示条件を確認した。
「それで、どうなりましたか?」
魔法学校で再び会ったミネットは、俺が席へ着くのを待ってから尋ねた。
「相談は受ける。ただ、関係する本人への確認が必要なら、一度持ち帰る」
「はい」
「話した内容を他の人へ伝える必要が出た時は、先に教えてほしい」
「必ず先に、とは約束できません。危険が迫っていた場合や、学校の外で私が扱ってはいけない問題だと分かった場合は、相談する必要があるかもしれません」
「うん。前にも聞いた。その時は、できるだけ俺たちへ関係ない形で相談できるか考えてほしい。それも無理なら、どこまで話す必要があるか教えてくれ」
ミネットは少し考えてから頷いた。
「分かりました。記録する場合も、話せない部分は話せない情報として分けます」
「では、以前の汚水について、最初から確認してもよいですか?」
俺は、グールと戦った後のことを話した。血や汚れが付き、水で洗い、洗った後で、その水をどうすればいいのか分からないことに気づいた。
「洗う前に、汚れが水へ移った後のことは考えましたか?」
「考えてなかった」
「洗う場所は決めていましたか?」
「そこも、あまり」
「使う水の量は?」
「汚れが落ちるまで」
ミネットの手元で文字が増えていく。怒られているわけではない。でも、答えるたびに自分たちが何も決めずに洗い始めたことが分かってきた。
「洗浄後の水は、すぐに別の場所へ移しましたか?」
「他の水とは分けた。蓋もした」
「保管場所の温度は安定していましたか?」
「たぶん……いや、分からない。温度を測ってないし、あの場所の温度が外と同じように変わるのかも分からない」
「外と同じように?」
「風が通るのかも、どこから来るのかも分からない。季節で変わるのかも、まだ確認できていない」
ミネットの視線が、記録から俺へ移った。
「地下ではないのですか?」
「地下から行ける。でも、地下にあるのかは分からない」
「倉庫でもない?」
「住んでる場所に、保管用の区画を作った」
「住んでいる場所へ、地下から入るのですか?」
ここから先を話せば、俺一人のことではなくなる。
「ごめん。そこは、まだ話せない」
「分かりました。保管環境は不明。詳細は開示できない、としておきます」
「それでも相談になる?」
「なります。少なくとも、洗う前に決めていなかったことは分かりました。洗浄後に隔離し、蓋をしたことも分かります。保管環境が判断できないなら、同じ場所へ次も置いてよいとは言えません」
「分からないことが増えただけじゃない?」
「何が分からないかを分けるのも、必要です」
前に会った時と同じだった。ミネットは答えを増やすより先に、質問を増やす。ただ、今回は質問の先に、《淫獄》があった。
「今日は、ここまででも構いません。話せないことを話してもらうための相談ではありませんから」
「……もう一回、皆に聞いてくる。今話せなかった場所のことを、どこまでなら話していいか」
◇
「結局、そこへ行き着いたか」
戻って事情を説明すると、千代が記録を見ながら言った。
「保管場所の話をするなら、《淫獄》のことを隠したままじゃ無理だった」
「でも、全部話す必要はないよな」
「当然です」
ファステが答えた。
「私たちが暮らしている場所であること。夜斗様が入口を開けること。外とは分かれた場所であること。そのくらいで十分ではないでしょうか」
「中の広さも話さなくていいだろうな。どこへつながってるのか、私たちにも分かってない」
「ナーヴァのことは?」
「必要ない。汚れた水を置いていた場所と、我に何の関係がある」
ヴィオラが指先でコインを転がしながら、俺を見る。
「その見習い、ここを見たいって言うかもね」
「言うかな」
「環境が分からないから判断できないんでしょ? だったら、見た方が早いって考えるんじゃない?」
「入れてよいかは、また別の話じゃ」
千代が言う。
「場所の存在を話すことと、入口を開くことを同じにするでない」
「もし入れるなら、どうなるんでしょう」
ファステが静かに尋ねた。
「私の時は、ここへ入った後で住民になりました」
そうだった。ファステは召喚で来たわけじゃない。俺たちと出会い、自分で《淫獄》へ入り、その後、住民として扱われるようになった。
「同じことが起きるかもしれないってこと?」
「分かりません。ただ、起きないとも言えません」
「来訪だけで済む仕組みがあるかどうかも、我らは知らぬ」
「じゃあ、入っても何も変わらないとは言えないな」
《淫獄》は俺のスキルだ。それでも、何が起きるのかを俺が全部知っているわけじゃない。
「ミネットが入りたいって言ったら、ファステのことも話す。住民になる可能性があること。住民になっても、俺の命令を強制されるわけじゃないこと。外へ出られること。ここへ住み続ける義務もないこと」
「解除できるかは?」
「分からないって言う」
「学校へ戻れるかは?」
「外へ出ることはできる。でも、学校にそのまま所属できるかは、学校の決まりもあるから分からない」
◇
次に魔法学校を訪れた時、俺は最初に確認した。
「前に話せなかった保管場所のこと、少しだけ話していいことになった」
「記録してもよいですか?」
「場所が特定できる書き方はしないでほしい」
俺は、《淫獄》が外とは分かれた生活空間で、俺が入口を開き、複数の住民が暮らしていることを話した。汚水は生活区域から隔離していたが、空間そのものの仕組みは俺たちにも分からない。
「《淫獄》」
名前を聞いたミネットは、一度だけ繰り返した。
「外とは分かれているというのは、壁や扉で区切られているという意味ですか?」
「たぶん違う」
「移動魔法で遠方へつながっている?」
「それも分からない」
「内部の空気は外から取り込んでいますか?」
「分からない」
「水は?」
「使える場所がある。でも、どこから来るのかは分からない」
「内部で生き物は育ちますか?」
「育ってる」
「日照は?」
「昼と夜はある。外と同じ周期かは、ちゃんと比べてない」
答えるたびに、ミネットの記録へ「不明」が増えていく。
「……分からないことが多いですね」
「ごめん」
「なぜ謝るのですか? 情報は足りません。ですが、分からないと確認できたことは増えました」
ミネットの指が、記録の一か所で止まった。
「内部を実際に確認することはできますか?」
「入ってみたいってこと?」
「安全だと判断したわけではありません。むしろ、判断できないから確認したいです。ただし、入ることで何が起きるか分からないなら、それも先に知りたいです」
俺はファステのことを話した。
「召喚じゃなく、自分で《淫獄》へ入った人がいる。その人は、入った後で住民になった」
「住民になると、どうなりますか?」
「人格が変わったり、俺の命令へ逆らえなくなったりはしてない。外へも出られるし、どこで暮らすかも自分で決められる」
「住民でなくなることはできますか?」
「分からない」
「私が入った場合も、住民になりますか?」
「それも分からない」
「住民になった場合、学校へ戻れなくなりますか?」
「外へ出られなくなることはないと思う。でも、学校へそのまま通えるかは、俺には決められない」
そんな場所へ、簡単に来てほしいとは言えなかった。
「今すぐ決めなくていい。場所を見たいって言われても、俺ももう一度、皆に確認する。入口を開くかはその後になる」
「分かりました」
「怖くなったなら、やめてもいい」
「怖くないとは言えません。ですが、興味がなくなったとも言えません」
ミネットは閉じた記録へ手を置いた。
「分からないことは残っています。それでも、入る前に何が起こる可能性があるのかは聞きました。皆さんの許可が得られたなら、もう一度説明を聞かせてください」
「その後で決める?」
「はい。最後は、自分で決めます」
俺はまだ入口を開いていない。ミネットも、まだ《淫獄》を見ていない。
それでも今度は、入口の向こうにいるかもしれない誰かを、何も知らせずに呼ぶのとは違った。
分かっていることも。分からないことも。入った後に起こるかもしれないことも。
伝えたうえで、本人が決める。
秘密の入口は、まだ閉じたままだった。




