第108話 話していい範囲
「では、本人へ聞けばよい」
ナーヴァは、まるで話が終わったかのように目を閉じた。
「ミネットに?」
「違う。話される側全員にだ」
一瞬、誰も答えなかった。それから千代が頷く。
「もっともじゃな」
「我は当然のことを言っただけだ」
「うん。すごく正しい」
「なぜ意外そうなのだ」
「少し前までなら、必要なら話せって言いそうだったから」
「必要かどうかも決めておらぬのであろう」
ミネットは、今後俺たちが判断に迷った出来事に出会ったら、その経過を聞かせてほしいと言った。
「じゃあ、どこまで話していいと思う?」
全員へ聞くと、リゼが眉を寄せた。
「何についてだ」
「俺たちのこと」
「広すぎる」
「どこまで、と聞かれても答えられませんわ」
レイナにも言われた。
「誰の、何を、何のために話すのか。それを分ける必要があるのではなくて?」
「ならば、関係のあるものから並べればよい」
千代が記録用の紙を広げた。
「ミネットへ話す可能性があることを、まず全て出す。話してよいかを決めるのは、その後じゃ」
「全部出したら、すごく多くならない?」
「多いか少ないかも、出してみなければ分からぬ」
ヴィオラがコインを弾いた。
「増える方へ賭ける」
◇
最初に書いたのは、今回の汚水に直接関係することだった。
グールと戦った。血や体液が身体と装備についた。水で洗った。汚れた水を生活用の水から分けた。捨て方が分からず、隔離して保管した。魔法学校へ少量試料を持っていった。探索者組合へ相談し、汚水と布と容器を引き渡した。
「ここまでは、だいたいミネットも知ってるよな」
「全部ではない」
リゼが紙を見る。
「戦った場所の正確な位置は話していない」
「誰が戦ったかもですわね」
「洗った場所もじゃ」
千代が、既に話したことの横へ印をつける。
「地下での戦闘によって汚水が出たことは伝えておる。されど、どの入口か、《淫獄》で洗浄したこと、誰に何が付着したかまでは話しておらぬ」
「ナーヴァが狩ったことも」
「我が倒した」
「それを話すかどうかを決めるんだよ」
「なぜ隠す」
「ナーヴァが恥ずかしいからじゃない」
「当然だ」
「竜が大型魔獣を狩って食べてますって言ったら、ミネット以外にも話が広がるかもしれないだろ」
「広がれば何が困る」
「分からないから、今は話してない」
ナーヴァが片目を開けた。
「また分からぬ、か」
「知られた後に、誰がどう動くか分からない。見に来るかもしれないし、討伐しようとするかもしれない。利用しようとする人もいるかもしれない」
「来るなら焼けばよい」
「それで済ませるから話しにくいんだよ」
「ならば、今は話すな」
あっさりした答えだった。
「いいの?」
「我のことを隠すのが最善だと決めたわけではあるまい。話す必要が生じた時、改めて我へ聞け」
「じゃあ、ナーヴァの名前、竜であること、能力、狩りの詳しい話は、今は話さない」
「我が許可しなかったからか?」
「今後の全部については許可してないだろ」
「そうだ」
「だから、その都度聞く」
◇
「《淫獄》のことは、どうする?」
俺が聞くと、ファステが少し考えてから答えた。
「夜斗様の能力ではありますが、今は私たちが暮らしている場所でもあります」
「俺だけの秘密じゃない?」
「入口を開くことができるのは、そなただけじゃ」
千代が言う。
「されど、誰かへ場所を明かし、中へ入れるならば、ここで暮らす者全員の安全に関わる」
最初に《淫獄》へ来た時、ここは俺だけの逃げ場所だった。今は違う。
「《淫獄》を話す時は、先に皆へ相談する」
「今回も既に相談しておるがな」
「今は話すかどうかの相談。実際に話す内容は、もう一回確認する」
「慎重になったね」
ヴィオラが言う。
「皆の家を、勝手に外へ説明するわけにいかないだろ」
◇
レイナ、千代、リゼは、今回担った作業については話してよいと答えた。ただし、婚約、落城、戦場など、それぞれの過去は相談と関係がない。ヴィオラも、旅や賭けの内容には他人の情報が混ざると指摘した。
「名前を隠して、似た経験があったって話すのは?」
「知っている本人には、自分の話だと分かるかもしれない」
名前を隠しても、出来事から本人が特定できる場合はある。
「一般的な例として話す場合も、一度本人へ聞く」
千代が記録する。
◇
「能力については?」
リゼの戦闘能力。千代の統治と記録。レイナの品質を見る目。ヴィオラの危険や嘘を読む力。ナーヴァの力。俺の《淫獄の王》。
「できることを知られるだけでも、頼まれることや警戒されることが変わるかもしれません」
ファステが言った。
「能力も本人の情報か」
「当然だ」
ナーヴァが答える。
「我が何を焼けるかを、なぜそなたが勝手に語る」
「焼ける範囲を聞いても、いつも正確に答えないけど」
「獲物による」
「ならば、我にも正確には決められぬことを、そなたが外で話せるはずもなかろう」
「正しいけど、言い方が強い」
リゼが少し考える。
「得意なことを大まかに話すだけなら問題ない場合もある。だが、戦い方や弱点、どの程度まで耐えられるかは別だ」
「能力、弱点、戦い方、限界は、本人へ聞く」
書き加える項目が増えていく。
◇
庭から、小さな足音が聞こえた。
縁が共用部屋へ入り、俺たちの間に広げられた紙へ近づく。
「縁のことは?」
「ミネットへ話していい?」
縁が紙の端を前足で押さえる。
「縁には聞けない」
「ゆえに、必要がなければ話さぬ」
千代が答えた。
「本人の意思を確認できず、正体も分からぬ。わしらの都合で外へ知らせる理由はない」
「縁は未開示のまま」
千代がそう記録した。
紙には、まだ項目が残っていた。
外にいるセリナのこと。探索者組合から聞いたこと。そして、俺自身のこと。
話していい範囲を決めるには、まだ半分も終わっていなかった。
「セリナのことは?」
俺が聞くと、ヴィオラの指先でコインが止まった。
「本人がいないんだから、今は聞けないね」
「外へ出た住民もいるってことは?」
「それが今回の相談に必要?」
「……今のところは、必要ないと思う」
「なら、話さなくていいでしょ」
「でも、後で必要になるかもしれない」
「その時に考えればいい。名前も行き先も出さずに話せるかもしれないし、本人に聞かないと話せないことかもしれない」
「連絡できない場合は?」
「返事が来ないことを、許可だと思わなければいい」
ヴィオラがコインを再び転がす。
「賭けで相手が何も言わないからって、勝手に参加したことにはできないでしょ」
「ヴィオラがまともなこと言ってる」
「私を何だと思ってるの?」
「場末の賭け師」
「システムに文句を言って」
セリナは今、ここにいない。その不在を利用して、本人の過去や選択を俺たちが代わりに話してよいことにはならない。
「セリナの個人情報は、新しく話さない。必要になったら、その時に考える」
千代が記録する。
「不在を許可とみなさぬ、でよいな」
「うん」
◇
「探索者組合から聞いたことは?」
地下入口を最終的に管理しているのは帝国で、日常の巡回や利用者対応を探索者組合が代行している。現在の入口は最低危険度で、資源価値も低い。
「それは、俺たちの情報じゃないよな」
「一般に尋ねれば教えられることと、個別の相談で聞いたことを分ける必要がある」
リゼが言った。
「私たちがどの入口を使ったか。何を倒したか。組合からどんな対応を求められたか。それは個別の話ですわ」
レイナが分ける。
「組合に秘密にしろとは言われてないけど」
「言われなかったから自由に話してよい、とも限らぬ」
千代が記録へ線を引く。
「他者から得た情報は、わしらだけのものではない。必要なら、情報元へ確認する」
「また確認先が増えた」
「増えたのではない。最初からおったのじゃ」
「ミネットが自分で言ったことを、ミネットへ話すのは?」
「それは構わぬであろう」
「よかった。全部難しくなるところだった」
◇
「話せないことが多いと、嘘をつくことにならない?」
俺が言うと、リゼが首を振った。
「話さないことと、偽ったことを話すのは別だ」
「でも、理由を聞かれたら?」
「話せないと言え」
「怪しまれない?」
「嘘をついて、後から食い違う方が怪しまれる」
本人へ確認していない。場所は明かせない。今の情報では答えられない。必要なら持ち帰って相談する。
千代が、使える答えを並べていく。
「どれも、相手が満足する答えではないかもしれぬ」
「でも、嘘ではない」
「そうじゃ」
「何でも教えてくれないと困るって言われたら?」
「その場合は、相談そのものが成立しないこともある」
リゼの答えは厳しかった。
「情報が足りなければ、ミネットにも判断できない。それは本人も言っていただろ」
「なら、話せぬせいで分からぬままになっても、それが今の答えじゃ」
◇
千代は、目的の確認、本人の許可、共同情報の扱い、判断できない場合の持ち帰りを一枚にまとめた。
「条件、多くない?」
「相手がミネットなら、むしろ喜ぶのではないか」
「確かに」
「これで、申し出を受けるのか?」
リゼが聞く。
「皆が嫌じゃなければ」
「また全員まとめて聞こうとしておるぞ」
「今度は何が違うの?」
「それぞれ、自分についてどこまで話してよいか確認するのであろう」
「そうだった」
◇
五人は、汚染物の隔離、護衛、容器の確認、記録、相談先の選定について、個人を特定しない形なら話してよいと答えた。
「昔の旅や賭場の話は?」
「その時に聞いて。内容によって変わるから」
ナーヴァを見る。
「我は既に答えた」
「名前も、竜だってことも、能力も、狩りの詳しいことも、今は話さない」
「必要になれば我へ聞け」
◇
「そなた自身のことはどうする」
千代が俺へ筆を向けた。
「俺が決めていい?」
「そなたの過去だけならな。《淫獄》に関わる部分は皆にも関係する」
「俺が異世界から来たことは?」
「ミネットの相談に必要か?」
「今は必要ないと思う」
「ならば、話す理由はない」
《淫獄の王》。《淫獄石》。通常《住民召喚》。入口を開く力。《帰還石》と《帰還目印》。どれも、まだミネットは知らない。
「自分が判断に失敗したことなら、話してもいい」
「どの失敗じゃ」
「多すぎる?」
「そなたの失敗には、大抵ほかの者が関わっておる。先に内容を確認せよ」
「分かった」
俺自身の経験でも、俺一人だけの話ではない。
◇
「結局、ミネットの相談は受けるの?」
ヴィオラが聞いた。
「受けてもいいと思う」
「何でも話すわけではないぞ」
リゼが釘を刺す。
「分かってる。出来事ごとに、話していい人へ確認する」
「その条件を、先にミネットへ伝えるのじゃ」
「話せないことが多いって言ったら、向こうから断るかもしれない」
「それを決めるのも、あの見習いじゃ」
申し出そのものは受ける。ただし、話せる範囲は出来事ごとに変わる。その場で答えず、関係する者へ確認する場合がある。場所や人物を明かせないこともある。
それでもよいか、ミネット本人へ確認する。
「《淫獄》のことは?」
「まだ話さぬ」
千代が答えた。
「まずは、あちらがこの条件でも相談を続けたいかを聞く。その後、必要になれば改めて考える」
「分かった」
今回は、《淫獄》を明かすかどうかまで決めない。隠し続けると決めたわけでもない。
◇
「ずいぶん時間がかかったね」
ヴィオラが紙を覗き込む。
「話すか、黙るかだけなら早かったんだけど」
「どちらかに決めた方が楽だった?」
「楽ではあったと思う」
「全部黙っていれば、誰の許可もいらぬ」
ナーヴァが言った。
「でも、それだとミネットとの話も終わる」
「全て話せば早い」
「それだと皆のことを勝手に渡すことになる」
「ゆえに、一つずつ決めたのであろう」
「面倒だな」
「そなたらは、最初から面倒なことばかりしておる」
「ナーヴァに言われたくない」
「我は単純だ。焼くか、焼かぬかだ」
「今、二択だけじゃ駄目って話をしてたんだけど」
「我の場合は二つで足りる」
「本当に?」
「……獲物による」
また条件が増えた。
千代が記録を閉じる。
秘密は、俺が持っている一つの箱ではなかった。
中には、皆の過去や、力や、選んだことが別々に入っている。
話してよい物もある。今は話したくない物もある。理由を聞いてから決めたい物もある。
そして、その箱の鍵を持っているのも、俺一人ではなかった。




