第102話 前にもいた
「美咲、こっちへ寄せる!」
「もう少し右!」
「そっちから見た右だろ! 俺からだと左!」
「じゃあ私から見た右!」
「最初からそう言え!」
「二人とも、戦ってる途中だから!」
小川ひなたの声で、神崎蓮は目の前の魔物へ意識を戻した。
大型犬より少し大きな灰色の身体が、頭の短い角を下げて迫ってくる。
以前なら正面から受け止めていた。力で押し返して動きを止め、美咲に撃たせる。そのつもりで、何度も前へ出すぎた。
「神崎君、左足!」
「傷はない!」
「さっきからかばってる! もう一度受けないで!」
蓮は剣を構えたまま横へ跳んだ。角が服のすぐ横を通り過ぎる。
「今度こそ、美咲から見て右!」
「分かってる!」
魔物の横腹を剣の平で打つ。倒すためではない。進む方向を変えるための一撃だ。
魔物が地面を削りながら向きを変える。蓮は追わず、射線から外れた。
「今!」
美咲が片手を前へ向ける。光が集まり、すぐに大きく膨らんだ。
「高峰、抑えろ!」
離れた位置から監督者の声が飛ぶ。
「今やってます!」
「まだ大きい!」
「これでも小さくしてます!」
「標的の後ろまで壊すな!」
美咲が歯を食いしばる。集まった光が少しずつ縮んだ。
「撃っていい!」
「言われなくても!」
放たれた光が魔物の胴へ命中した。鈍い音が響き、魔物は横倒しになる。
後ろの地面には小さな焦げ跡しか残らなかった。以前のような穴もなく、木も倒れていない。
「……倒した?」
美咲が聞く。
「たぶん」
「たぶんって何」
「動いてない。でも、確認するまでは分からない」
「急に慎重になった」
「前に確認せず近づいて怒られたからな」
「二人とも、そのまま待って」
監督者が先に近づき、長い棒で魔物へ触れた。首元と呼吸を確かめ、ようやく頷く。
「終わりだ」
「三人で?」
ひなたが聞いた。
「三人で倒した!」
蓮が答えると、美咲が笑って手を上げた。蓮も手を上げる。
手のひらが触れる直前、腕へ鋭い痛みが走った。
「痛っ」
「何それ」
「ちょっと腕が」
「格好悪い」
「成功した後に叩かれるとは思わなかったんだよ」
「まだ叩いてない。触っただけ」
「神崎君、腕も見せて」
「大したことない」
「足も何ともないって言ってたよね?」
「足は本当に傷がない」
「痛くないとは言ってないね」
蓮は逃げ道を探した。美咲は楽しそうに見ている。監督者にも助ける気はなさそうだった。
「……少しだけ痛い」
「最初からそう言って」
◇
「今回は後ろの地面を壊してません」
美咲が焦げ跡を指さした。
「見れば分かる」
「木も倒してません」
「それも見れば分かる」
「味方も巻き込んでません」
「巻き込んだら訓練を中止している」
「そこ、少しくらい褒めてもよくないですか?」
監督者が顔を上げた。
「できて当然になるまで続けろ」
「褒める気ないですよね」
「前より良かった」
美咲の表情がすぐに明るくなる。
「ですよね」
「単純だな」
「神崎も褒められたそうな顔してるけど」
「してない」
「神崎。一人で倒そうとしなかったのはよい」
「はい」
「顔が嬉しそう」
「黙ってろ」
「小川も左足への注意が早かった」
「ありがとうございます」
「ほら、小川だって嬉しそうだろ」
「私は普通に嬉しいよ」
蓮は自分の状態へ意識を向けた。見慣れた表示が開く。スキルの名前も段階も変わっていない。
「上がってない」
「神崎も見てるじゃん」
美咲も表示を開いていた。
「これだけうまくいったのに、何で変わらないの?」
「一回成功するたびに上がったら、すぐ五になるだろ」
「でも成功したんだよ?」
「表示が変わるために戦ったわけではなかろう」
監督者が呆れたように言った。
「できなかったことが、できるようになった。それでは不足か」
「不足じゃないですけど、何か出た方が分かりやすいのに」
ひなたも表示を確かめる。
「私も変わってない」
「小川も見るんだな」
「二人だけ増えてたら気になるし」
「三人とも同じです」
美咲が満足そうに言う。
「全員、何も上がってないけどな」
「そこまで言わなくていいでしょ」
数字は同じだった。それでも、以前にはできなかった連携を成功させた。何も変わっていないわけではない。
◇
「もう歩きたくない」
帰り道へ入ってすぐ、美咲が言った。
「さっきまで走ってただろ」
「訓練は終わったから、もう動く理由がない」
「戻らないとご飯も食べられないよ」
ひなたの言葉に、美咲は背筋を伸ばした。
「歩く」
「切り替え早いな」
「今日のご飯、何だろう。甘い物も食べたい」
「この前も言ってたな」
「言ったら出てくるかもしれないでしょ」
「誰が出すんだよ」
「誰か」
「雑すぎる」
「でも、私も少し食べたいかも」
ひなたまで加わった。
「元の世界なら、帰りに買えたのにね」
三人の間が少しだけ静かになる。
「……次に街へ出られたら、似たものを探そう」
蓮が言った。
「神崎がおごって」
「何でだよ」
「無敵の剣士だから」
「関係ないだろ」
静かになった空気は、すぐに戻った。
◇
「楽しそうなところ悪いけど、また見られてたぞ」
三浦悠斗が道の先で待っていた。隣には水野葵もいる。
「今、褒められた余韻に浸ってたのに」
「知らないよ」
「誰に見られてた?」
「いつもの関係者と、記録を取ってた人間が三人。たぶん能力調査」
「たぶん、なんだ」
水野が聞く。
「断定すると、お前たちが怒るだろ」
「少しは学んだね」
「何で俺まで褒められる側なんだよ」
「服装は?」
蓮が尋ねた。
「街の役人みたいだった。ただ、役人かは分からない」
「顔、描ける?」
美咲が聞く。
「無理」
「観察役なのに?」
「観察役は似顔絵師じゃない」
水野が二人を止めた。
「誰が見ていたか分かっただけでもいいでしょう。あとで特徴を共有しよう」
「強くなったか確かめてるだけじゃないのか?」
蓮の問いに、三浦は肩をすくめる。
「それだけならいいけどな」
以前なら疑いすぎだと返したかもしれない。今は、記録されている事実まで無視する理由はなかった。
「あとで教えてくれ」
「分かる範囲でな」
「助けてもらってることと、全部を信用することは別。でも、疑ってるから敵だと決めるのも別」
水野が言う。
「今は、見られていたことだけ覚えておこう」
◇
街へ戻る前の休憩場所で、蓮たちは自分たちの噂を聞いた。
「剣を持った若い男が、魔物を一人で倒したらしい」
「女の魔法使いは森ごと焼けるんだと」
「治療役もいる。死にかけても、すぐ元どおりだそうだ」
五人が黙る。
「森ごと焼けるって」
美咲が嬉しそうに言った。
「しないでね」
「しないよ。たぶん」
「焼かない方の絶対を言って」
三浦が蓮を見る。
「一人で倒したんだってな。無敵の剣士」
「今日も三人で倒した」
「噂では一人らしいぞ」
「最後まで見てくれよ」
「私は何でも治せるわけじゃないよ」
ひなたが困ったように言う。
「三人で倒したって訂正する?」
美咲が噂をする者たちを見る。
「自分で?」
「……やめようか」
「恥ずかしいね」
実際に苦労した連携より、派手な個人能力の方が噂には残りやすいらしい。五人は何も言わず、その場を離れた。
◇
戻った後、五人は以前にも話を聞かれた部屋へ通された。
「また能力の話かな」
美咲が小さく言う。
「聞こえるぞ」
「聞こえるように言ったから」
「今日は能力の強さを確認するためではありません」
担当者が先に答えた。
聞かれたのは、元の世界の文字、国や土地、日用品、転移直前の状況、言葉が通じたこと、自分でスキル表示を確認できることだった。
「前にも答えましたよね?」
美咲が眉を寄せる。
「以前の回答を疑っているわけではありません」
「では、何と比べるんです?」
三浦が尋ねた。
「古い記録です」
部屋の空気が変わった。
「あなた方のように、別の世界から来たと話す者は、過去にも存在したとされています」
「私たち以外にも?」
「今もいるんですか?」
「その人たちはどうなったんですか?」
「帰れたんですか?」
声が重なった。担当者がわずかに身を引く。
「順番にお願いします」
「無理ですよ。今の話をされて落ち着けるわけないです」
水野の言葉に、担当者は頷いた。
「記録は非常に古く、数も多くありません。事実と、後から作られた伝承が混ざっている可能性もあります」
「帰れた人は?」
ひなたが改めて聞いた。
「私が確認できる範囲では、元の世界へ帰還したと確実に証明できる記録はありません」
美咲の肩が下がる。
「じゃあ、帰れないってこと?」
「そこまでは分かりません。記録が途切れた者が、帰還したのか、別の土地へ移ったのか、そこで生涯を終えたのか。それを判断できる資料がないのです」
「結局、分からないんですね」
「はい」
過去にもいたと聞いた瞬間、帰る方法も残っているのではないかと思った。だが、そんな都合のよい答えはなかった。
「その人たちは、この世界で何をしたんですか?」
水野が尋ねる。
「見慣れない道具の考え方や作業方法、独特の言葉や習慣を残したとされる記録があります。ただし、本当に異世界由来だったのか、後世に話が加わったのかは分かりません」
「そんな記録があるなら、なぜ最初に教えてくれなかったんですか」
蓮の声が少し強くなる。
「あなた方の証言と照合できるか確認していました。また、確かめられていない話を帰還できるという希望として渡すべきか、判断できなかったためです」
「俺たちを調べる材料が増えたから、今になって話した面もありますよね」
三浦が言う。
「その面もあります」
「そこ、否定しないんだ」
「嘘をつかれるよりはいいよ」
水野が言う。
「正直なら何でもいいわけでもないけどな」
「三浦、今日ずっと面倒だな」
「お前が単純なんだよ」
「今の話を、途中の街にいる皆にも伝えられますか?」
ひなたが尋ねた。
「一緒に来たほかの学生と、先生たちです」
現在この街にいるのは五人だけだった。ほかの学生や教員は、移動途中の街で働く場所や学べる場所、保護先を見つけて暮らしている。
「連絡が可能か確認します」
「お願いします」
「先生、また難しい顔で聞きそう」
美咲が小声で言う。
「誰のことだよ」
「何人かいるでしょ」
蓮は担当者へ向き直った。
「もう一人、確認したい人がいます。俺たちと一緒に来て、行方が分からなくなったやつです」
「黒瀬夜斗という方ですね」
名前を覚えていた。それだけで、蓮は少し息を吐いた。
「古い記録から、黒瀬がどこへ転移したか分かりませんか」
「分かりません。転移地点を予測できるほど、記録は揃っていません」
また、分からない。
今日分かったことは増えた。それ以上に、分からないことも増えた気がした。
◇
「帰る方法、あると思ったのに」
部屋を出た後、美咲は食事の並んだ机へ突っ伏した。
「俺もかなり思った」
「正直だね」
「私も少し期待した」
ひなたも認める。
「期待しすぎだ」
三浦が椅子へ座った。
「三浦は思わなかったの?」
「……少しは思った」
「全員同じじゃん」
水野が笑う。
「途中の街にいる皆は、どう思うかな」
「帰りたい人もいると思う」
「今の生活を続けたい人もいるかも」
「先生だからって、全員を連れて帰りたいとは限らないよね」
本人たちへ聞かなければ分からない。帰る方法自体、まだ見つかっていない。
「過去にもいたなら、黒瀬も生きている可能性はある」
蓮が言った。
「過去例があることと、黒瀬が無事なことは別でしょ」
「分かってる」
美咲が少し驚いた顔をする。
「言い返さないんだ」
「俺だって学ぶ」
「無事だって決められない。でも、もう駄目だって決めなくてもいい理由は一つ増えたと思う」
ひなたが静かに言った。
「見つけた時に、帰るよう押しつけないことも忘れるなよ」
三浦が続ける。
「まず生きてるか確かめる。その後は黒瀬に聞く」
「神崎が担いで連れ帰らないようにね」
「しない」
「本当に?」
「何で全員、俺を信用しないんだよ」
蓮以外の四人が、ほぼ同時に頷いた。
◇
「明日、休みにならないかな」
美咲が再び机へ突っ伏す。
「さっきまで強くならないとって話してただろ」
「強くなりたいのと、明日休みたいのは両立する」
「神崎君は腕を見てからね」
「もう痛くない」
ひなたが腕へ触れようとすると、蓮は反射的に引いた。
「今、避けたよね」
「反射だ」
「明日の朝、もう一度確認するから」
「訓練は?」
「状態を見てから決める」
「少し学んだね」
「休むとは言ってない」
「だから、見てから決めるの」
「高峰は休みでも寝過ごしそうだな」
三浦が言った。
「起きられる」
「絶対?」
「……起こして」
「誰が?」
「起きてる人」
「雑だな」
五人の話は、いつの間にか明日の朝食へ移っていた。
◇
夜。
蓮は寝台の上で、自分のスキル表示を開いた。
Lv.は変わっていない。新しいスキルも増えていない。
それでも今日は、三人で魔物を倒した。一人で前へ出る以外の方法を選べた。
そして、自分たちより前にも異世界から来た者がいたと知った。
帰る方法は分からない。黒瀬の居場所も分からない。
それでも、自分たちだけが世界から外れた存在ではなかった。
蓮は表示を閉じる前に、もう一度だけ何も増えていない一覧を見た。
明日の朝、腕が動けば訓練する。
動かなければ、ひなたに怒られる前に休む。
過去の転移者がどうしたのかは分からない。
まずは自分たちが、明日をどうするかだった。




