第16章 部室の掃除をする話
那加の命令で俺は部室の掃除をすることを申し出た。結局ロッカーの移動までする大掃除をやらされることになってしまった。
結局、先生が部員たちに自分のロッカーを土曜日までに空にしておくよう指示を出して、俺が土曜日にロッカーを動かして掃除することになった。そこまでやるつもりはなかったのだが,こうなっては仕方がない。
大野という先輩は、なかなか、たちが悪い。顔はきれいでスタイルもいい。おまけに頭もいいらしい。だが、性格だけは悪い。びっくりしたのは、酒出に対する意地悪の数々だ。露骨なことはしない。たとえば、ピッチャーの酒出にボールを返すシーンがあると、ほぼ毎回ミスをするのだ。暴投をして、酒出に玉を拾いに行かせる。それでいて「あー、ごめーん」とか白々しく謝っている。あまり的確に酒出が取りにいかなければならないようなコースに暴投するので、俺も学習して、先回りしてボールをとって酒出に返してやったりした。すると、今度は、俺にもとれないコースに投げて、俺を走らせたりする。先生の前では絶対にやらないのもずるがしこい。
酒出のちょっとしたミスを大げさに非難したりする。とれそうもない球を捕り損なうと「それぐらいとれよ」と、文句を言うのだ。もっとも、大野が男子みたいに口の悪いのは、元々の性質らしく、機嫌が悪いと誰にでも荒い口調で話す。ことさら意図的ないじめとも言いにくいが、とにかく、酒出と、最近は俺のことも気に入らないらしいことだけは伝わってくる。あの優しい酒出が、時々は、ふくれっ面のような表情を見せたりするのを見ると、俺の心も痛む。
「大野先輩もかわいそうな人よね」
ある朝のミーティングで、部活動の様子を聞かれて話したとき、那加は言った。
「かわいそう・・・・・・ですか?」
「あら? ジラが、一番そう思ってるかと思っていたけど……」
「いや、あまり……」
「そうね。大野先輩はセクシー美人だし、明るくて友達も多いし、ジラとは違うか」
「なんのことです?」
「大野先輩ね。大宮先輩が好きだったみたいだよ。もしかすると、今もかな。噂だけどね。もしかすると告ったんじゃないかな。でも、断られた」
俺はびっくりした。大宮先輩というのは酒出の恋人である。ソフトボール部に酒出を迎えに来るので、俺も何度か見たが、確かにイケメンのスポーツマンで、モテ男の典型のような先輩だ。
「そうなんですか」
「推測よ。でも、狙ってたことは間違いないわ。あれだけ美人だと、自信があったのかもしれないわよ。でも、相手にされなかったとしたら、悲しいし、悔しいよね……そしたら、次の年、とびきりかわいい後輩が、同じソフト部にはいってきて、大宮先輩からアプローチして恋人になっちゃった、としたらどう? ショックよね。頭にこない? もてないジラなら、気持ちがわかるんじゃない」
「いや俺は、全くもてないんで、もてないことに改めてショックは受けませんが……」
「おまけに、大宮先輩って、みなみんのこと、自分に縛りたいタイプみたいね。いつも一緒に帰ってるの、よく見るもの。手はつないでないけど、仲よさそうだよね。もうキスくらいはしてるのかなあ。たぶん、それ以上はいってないとは思うけど……。いつも大宮先輩が迎えに来るんでしょう?」
「そうですね。グラウンドのすみで待ってる姿をよく見かけます」
あんなにこれ見よがしに待っていなくてもいいのに、とは俺でも思う。時々、手を振っていたりする。おかげで、酒出は終わっても大急ぎで片付けなくてはならず、他の人に迷惑をかけないようにと、毎日、必死だ。俺は出来るだけ手伝っているが、文句を言う人には、当然、言われてしまう。
「大野先輩からしたら、それも気に入らないよね、きっと。手を振り合ってるのを見ただけで、キスシーンを見せられた気分になって、かっとしちゃうかもね。八つ当たりをしたくもならない? ジラならわかるでしょ」
「だから、俺はあきらめてるんで、今さら」
「だめよ。ジラ、自分の気持ちに正直にならなくちゃ」
「それなら、それでもいいですよ。つまり、おれにどうしろと?」
「別にどうしろとは言ってないわ。ただの噂話よ。ジラは、まずは部室の掃除、頑張りなさい」
部室の掃除は大変だった。土曜日は午前練だったので、午後掃除をすることにした。部員たちは私物は持ち出してくれたが、私物を持って、みんな帰ってしまった。酒出も帰ってしまった。まあ、大宮先輩が相変わらず露骨に待っていたので、約束があったのだろう。仕方がない。
ロッカーを一人で動かすのは困難なので、一人でもいいから手伝ってくれないかと、内心、思っていた俺は、がっかりした。なかには、もしかすると手伝ってもいいと思う人がいたかもしれないが、大野先輩たちが「マネージャーが言い出したんだから一人で全部出来るよね」と、釘を刺したのだ。うっかり手伝ったら、後でどんなこと言われるかわからないというメッセージだけは、よく伝わっていた。
なるほど、これがいじめの構図ってわけですか。いじめに荷担したくなくても、いじめる側に回らざるを得なくなるわけですね、などと考えながら、俺はロッカーの上を片付け始める。ロッカーの中は空になっているが、上にわけのわからないものがたくさん乗っているのだ。それを下ろして、ほこりを払うだけでも一苦労だ。さて、それをいったん部室の外に出して、さあ、どうやって一人でロッカーを動かそうかと途方に暮れた。大野先輩は無理とわかっていて、俺をぎゃふんと言わせてやろうと思ったのかもしれない。
とにかく押してみる。少し動いたぞ。だけど、こんなんじゃ、日が暮れてしまう。
一人では無理だ。誰か応援を頼むしかない。だけど、友達のいない俺が、今、頼れるのは……クラスメートをいろいろ思い浮かべるが、こういう場面に頼れる人は思い浮かばない……まさか、那加?
……無理だろうな。そもそも連絡のとりようがない。
途方に暮れていると、後ろでドアの開く音がした。
振り返ると、酒出だった。続いて何人かの1年のソフトボール部員が入ってきた。「鯨岡君、手伝いに来たよ。ちょっと遅くなっちゃったけど」
「あ、ありがとう」
俺は、びっくりして声も出なかった。
「ごめんね。一人でやらせちゃって。手伝おうってみんなで相談してたんだけど、なんか先輩たちに睨まれそうだから、いったん帰って、来られる人はまた来ようって話になってたの。私も大宮先輩と約束があってね。ごめん、遅くなっちゃった」
「じゃ、まずみんなでロッカーを動かしちゃおうよ」キャッチャーの荒川が声をかける。大柄で力持ち、1年のなかではリーダー的存在だ。
俺は感動した。途方に暮れていたところに救いの神が現れたわけで、1年の部員たちが、本当に神様のように輝いて見えた。そのうちに1年の部員がさらにやってきて、掃除はてきぱきと進む。俺の出番がないくらいだ。それでも、終わるまでには2時間か3時間はかかった。しかし、夕方には、部室はぴかぴかになった。
「わー、きれいになったね」と部員たちは感動している。俺も感動した。何より、俺のために……というのは言い過ぎかもしれないが、みんなが一緒になって、部室をきれいに出来たことに。マネージャーの仕事を頑張っても、どこかで疎外感を感じていた俺が、そのときはみんなの一部になれた気がした。
俺は、一人一人に頭を下げた。
「ありがとうございました。本当に助かりました」
月曜日、顧問の先生にほめられた。
「鯨岡君、本当にきれいにしてくれたのね。ありがとう。ここまできれいになるとは思わなかったわ。よくロッカー動かせたわね。さすがは男の子」
「いや、実は友だちの力を借りて……」
1年生のことは口に出さない方がいいかなと思った。
「頼りになるお友達がいるのね」
「そうなんです。全く頼りになります」
その日の練習の後、グラウンド整備をしていると、荒川と何人かの一年生がやってきた。俺を手伝うふりをしながらこっそりと「ケーキありがとうね」と言う。
「いえ、部室がきれいになった記念に、差し入れをと思いまして」
前々から、那加に「チャンスがあったら差し入れするのよ」と言われていたので、1年生へのお礼の気持ちを込めて全員分のミニケーキと飲み物を部室に用意しておいて、酒出に配ってもらったのだ。。2年生の分まで用意するのは、しゃくな気持ちもあったが、これも1年生のためだと思えば惜しくはない。こうして、俺の気持ちを理解して、一言、お礼を言ってもらえるだけで、俺はうれしかった。那加は、まさか、こんな結末を予想して部室の掃除をしろと言ったわけではないよな、とふと思う。
次の指令は洗濯だ。俺は、ある日の練習の終わりに酒出に声をかけた。
「酒出さん、今日は、ずいぶん、ユニフォームが汚れたね。俺、よかったら、今日、洗濯しておいてあげるよ。部室棟の洗濯機で。明日までには乾くと思うから……」
「え、いいよ。大変でしょう」
北先輩がそれを聞きつけてやってきた。
「マネージャーさん、洗濯もしてくれるの? そう言うんだから、南、してもらおうよ。当然、私たちの分もしてくれるのよね」
北先輩は意地悪のつもりで言ったのかもしれないが、俺は、内心ほくそ笑む。那加の言ったとおりの展開になった。「最初から洗濯しますなんて言うと、また反発されるかもしれないから、まず酒出に声をかけてみるといいかも」と言われたのだ。
と言うわけで、めでたく(か?) 俺は、その日から、汚れたユニフォームを全部集めて、毎日、洗うことになった。
洗濯機が乾燥までやってくれて干すだけと言えば干すだけなのだが、泥汚れはなかなか頑固で苦労した。日にもよるが、完全に1時間は帰りが遅くなった。最初は一人でやっていたが、だんだん、酒出が残って手伝ってくれるようになった。
そのうち、毎日二人でやるのが習慣のようになっていた。
そんなある日、一緒に洗濯物を干しながら、ふいに酒出は言った。
「ねえ、ジラって呼んでいい?」
俺はびっくりする。「どうして、その名前を?」
「那加が鯨岡君はジラって呼ばれると喜ぶよって、言っていたから」
那加のやつ、と内心思うが口には出さない。
「もちろん、うれしいけど、どっちでもいいよ」
「じゃあ、ジラって呼ぶね。一度、お礼を言おうと思っていたんだ」
「お礼?」
「うん。マネージャーというか、それ以上にいろんなこと、部活のために、みんなが楽しくできるようにって、がんばってくれてるお礼」
「お礼なんて……全然、そんな。酒出さんの役に立つのは、俺、うれしいんだ」
「私のことも、よかったら南って呼んでよ。みんなが呼ぶみたいに、『みなみん』でもいいよ。私ね、ジラってすごいなって思った。だって、一生懸命なんだもの。私のためにもみんなのためにも、すごくよくがんばってくれて……」
(もうしわけありません。すべて那加の命令です。)
「ひどいこと言われても怒らないし……」
(根性無しが俺の特性なんで)
「私、実は、ずっと部活のことで悩んでたんだ。まあ、もうわかってると思うけど、先輩との仲があまりうまくいってなくて……でも、ジラを見ていてわかったの。私、自分でも気がつかないで、ちょっとうまいからって、いい気になってたんだって。ジラが人に何と言われても、みんなにほんとにやさしくしているのを見て、ああ、私ってバカって思った。私は、こんなにがんばってないもの、みんなに意地悪されて、いちいち腹立ててるんだもの。だから、私、少しでも、ジラのこと手伝って、見習おうって思ってるんだ」
そんなふうに思えるところが、酒出のすてきなところだよ、と内心思うが、口には出さない。
「それで、この前からジラを手伝って、一緒に、マネージャー的な仕事もがんばるようにしてるでしょ。ジラをみならって、片づけでもなんでも率先してやってるの。そしたらね、このごろ、何となくだけど、いじわるがなくなってきた感じがするの。先輩たちも、一年も、前より楽しそうに部活してる気がする。私、ジラのおかげでやっとわかった気がする。部活って、楽しむためにあるんだってこと。楽しいことって、うまくなることも、勝つことも楽しいけれど、みんなと力を合わせてがんばることが一番楽しいんだなって思った。みんなが楽しくなるために、自分のできることをやっていこうと思った。そう考えるようになって、ずいぶん悩みが軽くなったの。ジラのおかげだよ。いつか、お礼を言いたいなと思っていたんだ。ありがとう」
酒出が、かわいい声で心を込めてそう言うのを聞いて、俺は、背中がぞくぞくっとするのを感じた。酒出は、本気で俺に感謝しているらしいことがよくわかって、目頭が熱くなった。俺は那加に命令されてやってるだけで、そんな感謝されるような人間じゃないという思いとともに、最初から、これが那加のねらいだったのか、ということが初めてわかったような気がして、体が震えるのを感じた。那加は、なんてやつだ。俺が、ひたすら奴隷になりきれば、気持ちの優しい酒出は自然に俺を手伝うようになることを、見通してたってわけだ。「動かせるところを動かすの」って言うのはこういう意味か
「そんな、俺……」
何もしてないよ、と言いかけてやめた。うしろの扉が開いた。
「南、遅いよ。何してるんだよ」
入ってきたのは、大宮先輩、酒出の彼氏である。
「あ、ごめんなさい。もうそんな時間?」
酒出はあわてる。
「だいたいさ、なんで南がこんなことしてるの? マネージャーの仕事でしょ?」
「ごめんなさい。すぐ着替えてきます。ジラ、ごめん。私、もう、行くね」
二人は後ろのドアから出たが、扉の向こうで、言い争っている声が聞こえた。
「何なんだよ、あのマネージャー。おかしいでしょ。おまえ、少し用心した方がいいよ。なんか、下心があってやってるようにしか見えない」




