第15章 マネージャーとして頑張るジラの話
テストで二位になった俺。眞知の会わせてあげると言われ、駅前で待っていると不意に後ろから声をかけられた。振り向くとそこに眞知がいた。
あわてて、俺は声が出ない。声の出し方を忘れてしまったようだ。奇跡のように――と俺には思えた――美しい少女がそこにいた。はっきりした優しい眼も、そのまつげも、すんなりした鼻も、薄紅色の唇も、緩やかに落ちる少し長めの髪の毛も、朝の光に光るうぶ毛の一本一本まで、何一つ欠点のない完璧な美しさだった。
あわてて声の出ない俺に、眞知は少し首をかしげる。
「ジラ、鯨岡さんですよね」
「あ、はい」
ようやく声が出た。
「初めまして。私、眞知です。電話で、前、話しましたよね。覚えてますか?」
「あ、はい。もちろんです。あの……お会いできてうれしいです」
眞知はにっこり笑う。その笑顔が比喩でなく太陽みたいにまぶしかった。まぶしすぎて直視できずに、俺はうつむいてしまった。
「私も、うれしいです。お姉ちゃんから噂を聞いていて、すてきな人だから、いつか会わせてあげるって言われていたんです。やっと、お目にかかれてうれしいです」
「そんな、すてきな人って、そんなんじゃ……」
と言いかけて、那加の言葉を思い出す。
「いい? 眞知に紹介するんだから、ジラのことについては、少し盛ってあるからね。謙遜はしてもいいけど、否定はしないでよ」
「テストで二番だったけど、実質的には一番だったって聞きました。実は、私も二番だったんですよ。ちょっとがんばったんです。そしたら、ご褒美に、ジラに……あ、ごめんなさいジラって呼んでいいですか」
「あ、そう呼んでもらえるとうれしいです」
「よかった。いつもお姉ちゃんと噂話してるものですから……私のことはよかったら『眞知』って呼んでくださいね。というわけで、やっと本物のジラにあえて、とてもうれしいです。ちょっと感激です」
それは、俺のセリフなんですけど、と思う。一体、どんな盛り方をしてるんだ、那加は。すてきだとか、会えて感激、なんて女の子に言われること、もう一生ないだろうなと思いつつ、否定も謙遜もうまい言葉が見つからなかった。
「俺も感激です」
眞知は少し顔を赤らめた。
「そう言ってもらってうれしいです。もう時間なんで、行きますね」
「あ、はい」
眞知は、行きかけて振り向いた。「お礼を言うの忘れてました。あの、ケーキとかクッキーとか私の分までありがとうございました」
「え? あ、はい、あの……」
眞知は、急いで駅に消えていく。発車のアナウンスが流れている。俺は、彼女の背中が人ごみにまぎれていくのを茫然と見送った。
胸の鼓動が止まらない。会えてうれしくてたまらないはずなのに、同時に胸が苦しい。あまりにもうまく話せなかった後悔が、胸を締め付ける。眞知はあまりにも美しすぎて、俺は自分がみじめになった。また会いたい、少しでもそばにいたいと思う一方、どんなに恋しても、どうせ届くわけない、という悲しみに近い気持ちがせまって、ただ、胸が締め付けられる思いだけが残った。
それにしても、ケーキって何のことだ、と眞知の言葉を思い出す。那加にぶつかって最初のころ、持って行ったやつか? 那加は確かにいつも「二つ」って言っていた。もう一つは、眞知の分だったってわけか。
「盛りすぎ、って、ジラ、あなた、盛らなくてどうにかなると思ってるの?」
その日の朝のミーティングで、眞知との会話を報告した。胸はまだどきどきしている。
「は、まあ、その通りですが」
「最初、変な奴って思っていたのが、実はいい奴で恋に落ちていく、というのが少女マンガのパターンだけどね。それは理想にすぎないよ。ジラの場合、まず、興味を持ってもらえなければお話にならないでしょ。その盛り方に、自分を近づけてよ」
「はあ。確かにそうですけど」
「いい? 私の一番大切な妹に紹介してるんだから、今のうちに言っておくわ。眞知みたいにかわいい子って他にいる? 透子さんは絶世の美女だと思うけど、かわいさでは眞知にはかなわないと思うよ。眞知には最高の男の子がふさわしいよ。だから、彼女にキスしたいなら、まず最高の男の子になろうって思わなくちゃ」
相当にむちゃな要求ですね……最高の男の子って言うのはつまり、俺じゃないと宣言してるわけですね、と思うが、口には出さない。
「ジラが、眞知の顔の美しさだけが好きなら、もう、会わせないよ。顔やスタイルは外見だけにすぎないよ。眞知のほんとうの美しさは中身だよ。ジラは、まだ中身をほんとうには知らないよね。これから、少しずつ知って行くといいわ。知れば知るほど好きになると思うよ。眞知にとっても、同じことなんだよ。私はジラを素敵な人として眞知に話している。それは最初の外見だよ。ジラはその外見にふさわしい人になるの。本当のあなたって何? ろくに努力もせずに、何となく四流でいじけている姿なの?」
「たぶん、そうですね」
「私は、眞知をえさに、おバカな四流男を奴隷にしてこき使うことにしたの。約束通り紹介してあげれば、相手にされなくて終わってしまっても、笑ってやればいいだけだものね。笑われないようにするかどうかは、ジラ次第よ。とにかく、あなたは命令とは言え、学校で二番をとった。それは本物よ。ニキビも消えたし、だいぶスリムになったし、前に比べたら、ずいぶん、かっこよくなってるよ。それも本当。自分はどうせ駄目なやつだと、何でも初めからあきらめれば楽だけど、それってどこが本当なの? 私はあなたのことを素敵な人だって眞知に話している。盛りすぎかもね。今のあなたなら……だけど、これから、それを本当にしなさいよ。私の奴隷であり続けることで、いつか眞知とデートしたいなら……それとも、もうやめる?」
「いや。そんなつもりは……」
「そうよね。やっと眞知に会えたんだものね。ここで怖気づいて逃げ出すようなら男として最低よ。考えてみて、あの眞知を抱きしめて、キスできる日が来るかもしれないのよ。それを思ったら、どんなことだってできると思わない?」
うーん、結局、那加に笑われる運命なんだろうな……と思ったが、なぜか奴隷生活をやめる気持ちはまったく起きなかった。
那加は、紙切れを差し出した。
「がんばって、マネージャー。通常の仕事のほかに、もし時間が見つけられたらこの紙に書いてることを実践しなさい」
那加の差しだした紙には、草取りやら部室の掃除やらこまめな洗濯やら、ポケットマネーでの差し入れやら、いろいろなことが書いてあった。
「洗濯……? するんですか? 先生にはそういう仕事、言われてませんけど」
「するのよ。毎日じゃなくていいし、全員の分じゃなくてもいいから、その日に汚れたユニフォームを預かって、部室棟の洗濯機で洗って干すのよ。大丈夫。乾燥機があるから、洗濯機に任せておけば洗ってくれるよ。ただ、泥の汚れは頑固だから、つけ置きとか工夫するのよ。部活終了後に洗っちゃえば、次の日にはもう着られるわ」
「それはそうでしょうけど、マネージャーってそこまでするんですか」
「たぶんあまりやらないかもね。だけど、ジラはやるのよ」
「はあ、わかりました」
ご主人様の命令は絶対だ。やるしかない。
まず、部室の掃除からにするか……などと気楽に考えた俺が馬鹿だった。
ある日の練習の後、俺は顧問の先生に「今度の土曜日あたり、俺、部室の掃除をしようかと思ってるんですけど」と話してみた。すると、驚いたことに、北と相馬がすっ飛んできた。
「どういう意味、鯨岡君。私たちがちゃんと、掃除をしてないって言いたいの?」
まるで挑むような声でしかられて、俺は縮こまるしかない。
「すいません。そういう意味じゃないんです。いえ、皆さん、きれいに使っていると思います。でも、古い道具とかあるし、棚とか壁とかも汚れていると思うので、きれいにしたほうがいいかなと……」
「掃除が必要ってのは、汚いって言ってることでしょ。そんな言い方、絶対に許さない!」
「そういう意味ではないんです……」
北と相馬は物事を何でも悪い方にとって怒鳴り散らすので、一回怒り出すと止まらない。まあ、実際、他人のゴミにはうるさいくせに、自分は平気でゴミを散らすタイプだ。彼女たちのせいで部室が片づかない部分も確かにある。
「わかりました。取り下げます。部室の掃除はしません」
那加の命令でやろうとしただけで、別にやりたいわけじゃない。那加に事情を話して許してもらおう。
……と思って少しほっとしていると、大野か聞きつけてやってきた。
「いいじゃん、やってもらおうよ。いつもさ、年度末の掃除の時、ロッカー、運び出して掃除がしたかったけど、重くてさ、できなかったじゃん。男手がほしいなと思っていたんだ。みんな運び出してもらって、徹底的にきれいにしてもらおうよ。そうしたいって言うんだからさ。まかせようよ。ね、マネージャー、私たち練習あるし、一人で出来るよね」
「あ、はい」
なんかよくわからなくなってきたぞ。結局、掃除をさせて、俺が苦労するのを見た方が楽しいってことなのか?
どうも、結局、掃除をやらされるってことらしい?
しかも、俺の想定を超えてたいへんな重労働になりそうだ。




