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第116章オーディションの朝3

那加との朝のミーティングで夕べの顛末を話した俺。那加が不意に俺の手を取った。

「ねえ、ジラ。私、何度も、あなたが本物だって言ってるわよね。あなたが、もし恋人を作るんだったら、私との奴隷契約を離れて、本当に愛される自信を手に入れてからにしたいという気持ちはわからなくはない。でも、あなたは自信がなさすぎよ。眞知は待ってるの。もちろん、双子の私にだって、眞知の本当の気持ちはわからないわ。でも、今の眞知はたぶん、ジラに恋焦がれている。ジラが本当に好きみたい。好きになっちゃったのね、って言ったら恥ずかしそうにうなずいていた。正直、ここまでジラに夢中になるとは思ってなかったんだけど……もう、待ちきれないみたいなの。女の子は、本当に好きになっちゃうと、それが片思いかもしれないと考えるだけで苦しいものなの。わかる?」

「わかります。俺は、万年片思いなんで……」

「だから、もう、待たせないで。この文化祭の劇があと二カ月で終わるよね。それまでは我慢するように言うから、終わったら、眞知に告白して」

 那加は、俺をじっと見つめた。眼鏡越しの瞳が美しいと俺は思った。眞知の言うとおり、那加は美人に違いない。

「残念だけど、ジラの方は、『眞知しか目に入らない』というほどではないみたいね。ううん、眞知に夢中なんだけど、他の人にも夢中になってるってことかな。無理ないよね。あまりにすてきな人が多いもの。私もびっくりよ。こんな田舎に、と言ったら失礼だけど、東京では見たことのないような、とびきりの美少女が何人もいるんだもの」

 那加は少し目を伏せて、軽くため息をついた。

「おまけに、みんな性格も美人だしね。私がジラで、誰かをあげるよって言われたらきっと迷っちゃう。全員恋人にしたい。だから……いいよ。もし、佐和の方が好きだというなら、佐和に告白して。それとも、絶対美少女が好きなら彼女に告白して。それか、みなみんでもヴィーナス先輩でもいいよ……ジラがほかの人の方が好きだというならあきらめる。しかたないもの。でも、眞知だって、美しさも賢さも性格も、何よりジラを慕う気持ちは負けてないわ。ジラが、もし迷うなら、その迷う中に眞知が入っているなら、眞知を選んで欲しい。告白するならまず眞知からにしてほしい。これは」

 那加は少し言葉を切って、眼をあげて俺を見つめた。

「命令じゃないわ。お願いよ。私のお願い。もし、他の人と同じくらい眞知が好きなら、眞知を選んで。そうしてくれたら」

 那加は真剣な瞳で俺を見つめた。こんな風に、近くで那加の表情を見たのは久しぶりのような気がする。

「私、ほんとうに感謝をする」

 那加は俺の手を一層強く握った。

「眞知から聞いたんだけど、ジラ、私のために何かできることはないかなって考えてくれたんだって? もし私に感謝してくれるなら……もし、ジラが、私のために何かしたいって思ってくれるなら、私の一番のお願いは、眞知を選んでくれること。眞知に好きだって言って、そしてキスしてあげて。そして、眞知のそばにずっといて、眞知を幸せにしてあげて」

 俺は何と言っていいかわからずに、那加を見つめた。俺のご主人様が、奴隷の俺に跪かんばかりに懇願しているなんて信じられなかった。そもそも、それほどに眞知が俺に恋しているなんて信じられない。眞知は本当の俺を知らない。本当の俺を知ったら、百年の恋だっていっぺんに覚めてしまう。それは那加だってわかっているはずじゃないか。わかっていてこんなことを言うのか。それとも、那加は、俺が本当の俺を隠し通せると思っているのか。

「ご主人様、俺は、奴隷だから、ご主人様のためなら、どんなことでも命懸けでやります。だから、もし、命令だというなら、今すぐにでも告白します。でも、命令じゃないんですよね」

「ジラ、そんな質問をするほどお馬鹿さんなの? わかってるでしょ。あなたが私の命令で、眞知に告白して、眞知にキスして、眞知はそのキスを喜ぶと思う? ジラがあの輝く美少女たちよりも、眞知を大好きだと思ってくれて、キスしたくてたまらなくて、眞知とキスすることが自分の最高の幸せと感じてくれてこそ、そのキスは眞知を幸せにできるの。だから、命令じゃなくて、お願いなのよ」

 那加は、何と、俺の両手を髪の毛越しに自分の額に押し当てた。俺は、内心、少し慌てる。

「今じゃなくていい。この劇が終わってからでいいよ。美少女たちが愛を語る、夢のような役だもの、この夢を見ている間は、ジラは、誰のものにもならなくていい。青柳佐和か、それとも、絶対美少女か、みなみんか、先輩かと愛しあう夢を見ていいよ。そして、彼女たちにも、ジラと愛し合う夢を見せてあげて。今はそれでいい。そして、すべてが終わった時、ジラは、眞知に告白して、眞知の恋人になってほしい。あなた自身の意思で……」

 俺は那加を見つめた。俺の神のようなご主人様。それが、まるで、俺の奴隷にでもなったようにひざまずいて、俺を見つめていた。

 俺は、一瞬、めまいがするような気がした。俺は夢を見ているのじゃないのか?

 しかし、那加の手から伝わる体温も、手の少し固い感触も本物だった。この神様のようなご主人様も、ひとりの弱い人間に過ぎないという現実が、おれの心にしみこんできた。

「ご主人様」

 俺は俺の手を握っている那加の手を、逆に握りなおして、椅子から降りるとひざまずいて那加を見つめた。

「俺も、実は、そのつもりでした。俺、文化祭が終わったら、那加の奴隷をやめるつもりでした。昔のくだらない俺に戻ります。そして、告白するつもりです」

 俺は言葉を切った。那加は目を見開いて俺を見つめる。瞳しか見えないのに、その瞳の美しさに俺は身をすくめた。なんて完璧なご主人様だろう。一人の人間のはずなのに……俺は言葉をつづける。

「那加の言う通りです。俺、眞知も、さーちゃんも、委員長も同じくらい大好きです。みなみんやヴィーナス先輩を含めて、俺、こんなすてきな人たちと、同じ時間が共有できたこと、すごく幸せに思います。でも、俺、俺の思いは、所詮は、俺の片思いであることをずっと知ってたんです。知ってたから、いつも悲しかったんです」

「どうして片思いなの。眞知はジラに恋してるって言ってるじゃない。それだけじゃなくて、佐和や、おそらく、透子さんもジラが好きよ。キスしていいよって言ってたんでしょう」

「那加ほどの天才が、見抜けないはずはないので、何か理由があってそんなことを言っているんだろうとは思いますが、もし、俺に好意をもってくれているとしても、それは那加の作り上げたジラという虚像に対してだけです。本当の俺にじゃない。俺が那加の奴隷でなくなったら、那加の指示をもらえなくなったら、俺は、残念なボッチのオタクにすぎません。それがわかったら、みんなが本当に恋してくれていたとしても、どんな恋だっていっぺんに覚めてしまいます」

 俺は、那加の手を額に当てると目を閉じて自分に言い聞かせるように言った。「俺、このごろ、ときどき夜中に目が覚めるんです。そして、すごい、なんというか、絶望的な、すさまじく苦しい気分になるんです。なぜかって言うと、たぶん、今の俺が幸せすぎるからなんです。俺、今、すごく幸せなんです。だって、俺の相手役になりたい美少女が四人も競い合ってくれているんですもの。みんなが俺と愛を語りたいと本気で思ってくれているんですもの。」

「眞知を入れたら五人ね」

「そうですね。俺、すごく幸せです。すべては那加のおかげです。生徒会長として一目置かれ、いろいろな人に好意的に声をかけられ、忙しいけど毎日が楽しい。でも、たぶん、俺は、心の底では、この自分って那加にもらった借りもので、こういう日々はいつか終わるってわかってるんです。眞知と会っているとすごく楽しい。俺、眞知が大好きです。自分から手を握ってくれて、笑顔をくれて、心の底から好きです。でも、好きで、一緒にいて幸せだからこそ、同時に俺は苦しいんだなと思います。だって、いずれは化けの皮がはがれて、この幸せを、全部、失う日が来るってわかっているんですから……」

「ジラ、あのね」

 那加が言いかける。俺は、那加の両手を額に当てたまま首を振った。

「わかってます。本物になればいいって言うんですよね。そうです。そのとりです。那加はいつでも正しい。俺も、がんばればそれができるって思っていたこともあります。でも、違うんです……」

 俺は言葉を切って、考えを整理した。ずっと思っていて、自分の中でうまく言葉にできなかった一言が、ようやく見つかった気がした。


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