第115章 オーディションの朝2
友部にキスしなかった俺。次の朝、那加は朝早く俺を書斎に呼び出した。
「ジラ、送り狼になったの?」
那加がいきなり聞いてきたので、俺は、一瞬、開いた口がふさがらなかった。
ああ、そうか、と思った。それが聞きたいことだったのだ。「聞きたいことがあるから、明日は、いつもより一時間早く、書斎に来るように」と夜中に那加からメールが来て、今日は、朝早く「書斎」に来ていた。
「どうして知ってるんです?」
「あ、やっぱり、透子さんを襲っちゃったんだ。昨夜、バイトに行く途中、透子さんの自転車を見かけたの。あれっと思ったら、今度はジラが追いかけて行くじゃない。何かありそうだなとは思ったんだけど、バイトに行かなくちゃいけなかったので、つけてもいけないし、まあ、明日、白状させようと思って、今日はどきどきしながら来たわけ。さあ、何があったの。全部、正直に。白状なさい。命令よ」
俺は仕方なく一部始終を話した。
「ばかばかばか、ほんとにばかね。世界中探しても、そんな状況でキスしない男なんて、ジラぐらいのものじゃないの。あんな美少女とキスできたら、死んでもいいという男子がどれぐらいいると思うの?」
「俺も、その一人です」
「じゃ、どうしてしなかったの?」
「それは……本当に死にそうだったから」
「なに、それ! 命くらい惜しくないでしょ」
俺は少し考えた。何故なのか、うまく言えなかった。
「でも、俺はよくても……委員長の弱みに付け込むような、そんな気がして……」
「ふーん」那加は少し首をかしげた。「委員長はキスしたかったんだよ、たぶん。キスしたいくらい、ジラのことが好きだったんだよ。少なくとも、昨日はね」
「まさか! いつも俺のことを嫌いって言ってますよ」
「知ってる。教室でも、私にも、他の子にも、ジラの話題になると二言目には嫌いって言ってる。それも嘘じゃないと思うよ。でも、心の底から嫌ってはいないよね。冗談でちょっとキスしてもいいと思えるくらいにはね。ジラだってそのぐらいはわかるでしょう。心の底から嫌いな人とデートなんかしないよ」
「いや、俺とのデートはいやそうでしたよ」
「ほんとにいやだったら、カラオケまでつきあわないよ。まあ、少なくとも無害であるという程度には信頼されてるんじゃない?」
「まあ、俺は『どうでも』がつく『いい人』の素質はあるみたいですから……でも、那加が俺を使って、いろいろ、彼女のためにやったことには感謝されました。委員長のことを助けたというか、俺のおかげで毎日が楽しくなったって言ってました。俺も最初は気がつかなかったんですけど、そもそも、賭けに始まる一連のことは、委員長を救うというか、とにかく委員長のためだったんですね」
「おやおや、買いかぶられたわね。その方が透子さんのためにもなるとは思ったけど、結果まで見通していたわけじゃないよ」
「委員長は俺に感謝してくれているみたいです。ありがとうって言われました。俺、あの時、委員長が俺にキスを許す気になったのは、そのこともあるのかなって思います。感謝の代わりに、今、俺が一番欲しいものをくれようとしたのかなって。ほんとは俺がしたことじゃないのに、偽物のまま唇を奪うなんて、そんなことしていいのか? せめてそんなことをしないくらいには委員長を大事にしなくちゃいけないんじゃないかって、そう思ったような気がするんです」
「ふーん。本当なの? それが本当なら、ジラの正義としては正しいのかもしれないけど、透子さんはキスしてほしかったと思うよ。女の子の気持ちも大事にしなくちゃ」
「ほんとですか?」
「絶対美少女だって好きな人とはキスしたいよ。女の子なんだもの。委員長のほんとの気持ちは私にだってわからないけど、ファーストキスをあげてもいいと思えるくらい、ジラのことを好きなのかなって思う。もしかして、望めばそれ以上のこともできたかも……ジラだって、ほんとは狼になりたかったんでしょ? 畳の上に押し倒して……処女を奪っちゃったのかなと思って、私、どきどきしながら来たのよ」
「そんな……」
追いかけていって、ガラス戸に手をかけたところまでは、なんとなく言いづらくて黙っていた。とんだ勘違い野郎になるところだったかもしれない。
「あはは、ジラ、顔が真っ赤だよ。ジラは純情でいいな」
「奴隷だからって、からかいようがありますよ」
さすがの那加もそこまでは想像していないようだった。
「うふふ、そうだったね。じゃあ、おわびに今度キスの練習をしてあげるよ。次のチャンスを逃さないようにね。マスク越しだけど、本番に備えて、鼻と鼻がぶつからないように……私も、一応、女だからうれしいでしょ?」
「うれしくて、涙が出そうです」
那加は東京の中学にいたころはマスクもメガネもせずにいたと、眞知が言っていた。眞知が「私以上の美人」というのだから相当な美少女なのだろう。妙な男につきまとわれた話も聞いたが、そうでない男もいたろうし、彼氏もいて、キスしたこともあるのだろうか。そう考えると俺はなんだかせつない気分になった。俺だけのご主人様でいてほしいと言ったら笑われるだろうか?
「眞知には、この話、しないでおいてあげるね。でも、ほっとした。ジラが透子さんと深い仲になってたら、眞知はショックで寝込んじゃうかも。ジラは、眞知にいつ告白してくれるの? それとも、眞知じゃなくて、もしかして、透子さんの方が好きなの。それとも、佐和とか、みなみんとか? もし、他に好きな人がいるなら、はっきり言って。眞知がかわいそうだから」
「俺は……」
「眞知が好きなんでしょ」
俺はうなずく。それは間違いない。一目見た時から、俺はずっと眞知に恋してきた。
「でも、佐和にもずっと恋してきた」
俺はうなずく。たぶん、小学生のころから恋してきた。それに気づかないふりをして。
「透子さんにも心を奪われている」
俺はうなずく。委員長の魅力にはどうしようもなく引きつけられる俺がいる。
「みなみんを奪いたい」
「いや、それはさすがに」
「でも、みなみんも好きでしょ」
おれはうなずく。あのさわやかさは何にたとえたらいいのだろう。一緒にいるだけで、こちらの心の邪念まで払われる感じだ。
「もし、みなみんが一番というなら、不可能じゃないよ。噂だけど、みなみんの彼氏の大宮先輩は、もし、みなみんがどうしてもジラの恋人になりたいんだったら許す、って言ってるらしいよ。びっくりよね。みなみんにその気があるかどうかは知らないけど、脈ありかもよ。みなみんはいつもジラの大ファンだって言っているし……」
その話が那加の耳にまで入っているなんてびっくりしたが、考えてみれば、妹のクラスにたくさんこのクラスの兄弟がいるんだった。噂とは恐ろしい。
「いや、さわやかみなみんはそんなことしません」
「どうかな、みなみんだって女の子だもの。もともと、みなみんが大宮先輩を好きになって彼女になったわけじゃないよね。すてきだなと思っていたかもしれないけど、交際を申し込まれて、それがうれしくて彼女になっただけとも言える……でも、そのあとジラに出会って、ジラには恋するようになった、とすれば、ジラが望めばジラのとこに来るわよ」
「そんなことはないと思います」
「どうなのかな。みなみんだって聖人君子じゃないからね。ジラはみんなに恋しているのね。もしも、透子さんと佐和とみなみんと小尾先輩とそして眞知がジラのことをみんな好きで、そしてジラに恋人になってほしいとしたら、誰を選ぶ? 眞知を選んでくれる?」
「そんな……からかうのはやめてくださいよ」
「からかってないよ。本気だよ。ジラの人気は本物だよ。どう? 一流男子の気分でしょ?」
「からかってるじゃないですか」
「からかってないよ。前から言ってるじゃない。今のジラはモテモテの一流男子よ。眞知を選んで欲しいけど、なかなかはいとは言ってくれないのね」
前にも同じような会話をしたことがある。那加は俺がモテモテで、女の子を選び放題だと言う。そして、奴隷の俺にまるで懇願するように「眞知を選んで欲しい」と言うのだ。だが、三流もいいとこの俺がリアルな世界で、こんなシチュエーションになるなんてあるはずがない。これは那加が見せてくれた夢だ。
「那加、あなたが一番知っているはずじゃないですか。正直に言うと、那加の言うとおり、みんなは、俺にある程度、好意を持ってくれているのかなとも思っています。そのこと自体は、俺は、天に昇るほどうれしいです。でも、あの美少女たちが、もし、俺を好きだというのが本当だとしても、それは、俺という人間そのものでなく、那加の奴隷として、傀儡として行動する俺が好きなんです。みんなが見ているのは俺の虚像です……さっきも言いましたけど、委員長は、俺が、俺の意思で委員長のために無理やりデートしたと思ってるんです。みなみんの時なんか、言葉の一つ一つまで那加の言う通りしていただけなんです。彼女たちが好きなのは、でっかく膨らんだ虚像の俺です。本物の俺じゃありません」
「違うよ」
那加は珍しく座っている椅子を立って、一段低い奴隷のいすに座っている俺の脇に来ると、俺の両手をとった。眞知とは違うあの固い手で。




