第112章 ジラが送り狼になる話3
深夜に家にかえる友部を離れてついて行く俺。友部の前に突然男が現れるのが見えた。不審者か?
そんな馬鹿な! 本当に? だが、ありえないことじゃない。俺の胸は張り裂けそうに動悸を打った。とにかく急がなくちゃ。
俺は必死で自転車をこぎ出した。何か武器になるものを持ってきた方がよかったかなとか、朝のホームルームで聞いた不審者情報や、いろんなことが頭を駆け巡る。すぐにでも追いつきたいのに、もどかしいぐらいに遠いし、暗くてよく見えない……かなり離れているので、相当な時間がかかりそうだ。もし、不審者だったら、襲いかかられる前には間に合わないかもしれない。友部のことだからそう簡単に負けはしないだろうが、さすがに力では負けるかもしれない。こんな軟弱な俺でも、いないよりはましだろう。一刻でも速く着かなくては……。
立ってペダルに力を込める。心臓が爆発しそうだ。
こんなところじゃ、助けを呼ぼうにも誰もいないし、いくらなんでも、もう少し近くを走っていればよかった、ああ、俺はなんて馬鹿だ、とパニックになりそうになりながら坂を登る。俺の自転車の明かりが見えれば、それだけでも相手はひるむだろう。
やっと友部の姿が大きくなってきた。もう少しというところで、男が一人、急ぎ足に俺の脇を過ぎると、坂を下って行った。
見ると、友部は一人で自転車を降りてこちらを見ている。
ああ、なんでもなかったみたいだ。勘違いか。
全身の力が抜ける。俺は自転車を止めた。心臓が激しく鼓動して、気持ち悪いぐらいに息が切れている。しばらくハンドルに両手を置いて顔を沈めたまま動けなかった。
しばらくして、目を上げると、友部がすぐ近くに来ていた。少し離れたところから友部の自転車の明かりがこちらを照らしている
「ジラの送り狼。遅かったわね。危うく先を越されるところだったよ」
「え? あいつ、やっぱり……」
「違うよ。道に迷ったみたい」
「なんか森の中から出て来たようにも見えたけど」
「そうよ。いきなり、木の間から出てきて両手で道をふさいだので、正直、私も焦った」
「やっぱり、そうなの?」
「道が聞きたかったみたい。道に迷って、すっかり遅くなって、焦っていたようよ……だけど、あのシチュエーションじゃ、私だってパニくるわよ。ジラがついてきてくれてるとわかっていたから、心強かったけど。一人だったら、悲鳴あげていたわ」
「俺がついてきてたの、知っていたんだ」
「後ろから、ついてくる自転車に気づいて、実は、最初は不安になったけど……ああ、きっとジラだなと思って……気づかないふりしていようかと思ったんだけど」
「委員長は何でもお見通しですね」
「ジラらしいよね。ふだん、まったく気がきかないくせに、誰かのためになると思ったら、愚直にがんばるんだから」
「いや、別に、そんなおおげさな」
「ジラ」
友部は、腰に手を当てて、俺の顔をのぞきこんだ。
「私が気づいていないと思ってる? ……と言っても、正直、最初は気づかなかった……私ね、ある晩、勉強しているときに、ふと、『勉強って楽しいな』って思ったの。どうしたの? って自分でもびっくりした。前は、勉強なんか大嫌いだったのに、なんで? って思った……そして、いろいろ考えて、それが、ジラというライバルがいるせいだと気がついたとき、すべての謎が解けたのよ」
「謎?」
「そうよ。ジラとのこれまでのことが一瞬でよみがえってきて、ああ、これって、すべて、ジラが、私のために仕組んでくれたことなんだってわかったの。テストで賭けをしたこと、無理やりデートしたこと、生徒会に誘ってくれたこと……全部、私のためにしてくれたんでしょ」
「いや、そういうわけじゃ」
「ジラのご両親は、ジラは私が好きで、私とデートしたくて、勉強をがんばっていると思っているみたいだけど、実は、逆よね。ジラは、私を助けるために、私をしあわせにするために、私とデートしてくれたのよね。テストで賭けをしたのも、生徒会へ誘ったのも、全部、それが私のためになると知っていたから、私のためにやってくれたのよね」
「ぜんぜん、そういうわけじゃありません。あれは、委員長に本気になってもらおうと思って」
おそらく、それこそが那加の意図だったろう。友部が見破ったように、すべては友部を救い出すために仕組んだことだ。だが、俺の意思ではもちろんないし、命令でとも言えないので、必死で否定する。まあどっちにしても、那加に聞いても同じように否定するだろう。
「嘘つき。どうして隠す必要があるの?」
友部は両腕を腰にあてたまま身を起こした。明りと言えば、二人の自転車のライトが光っているだけなので影になって表情はよく見えない。
「あの突拍子もない提案はみんな私のためのものだったんだ、って思って、私、鳥肌が立っちゃった。それとも違うの?」
友部は、俺の両手をとると、俺を自転車から降ろさせて、両手をとったまま俺を見上げた。
「いいよ、認めなくて。認めるつもりはないんでしょうから。それも、ジラらしいよね。だけど、今は、ありがとうを言わせて。ジラが、どういう気持ちでいたとしても、ジラのおかげで、友部透子は前よりもずっと楽しい、しあわせな毎日を送れているわ。ありがとう」
「いや、そんな。俺はお礼を言われるようなことはしてないし、というより、お礼を言うのは、俺のほうで……」
今の言葉、那加には伝えておきますが……と俺は心の中で言った。
「ねえ、ジラ、私をもう少し幸せにして」
「え?」
「私、明日のオーディションで勝ちたいの。ジラは、もう、だれに投票するか、決めてるの?」
「え……いや、まだ……」
「迷っている候補の中には私も入っている?」
「それは、もう、もちろん」
「だったら、私に投票してよ……もし、投票してくれたら……」
友部はにらむように俺を見つめた。その美しさに思わず胸がさわぐ。
「そしたら……」
友部は、俺を見つめて唇をかんだ。俺は胸がどきどきしてきた。
「お礼に、私のファーストキスをあげるわ」
一瞬、俺は聞き間違いかと思った。
「え? ふぁ、ファーストキス?」
友部はあいかわらず美しい瞳で俺を見つめている。
「そうよ。私は、まだ、生まれてから一度もキスしたことがないの。だから、今、ここでキスをしたら、それがファーストキス。女の子のファーストキスって貴重なものよね。一人の一生にたった一回きりなのだから。それをジラにあげるよ」
俺は、一瞬、あっけにとられた。
「いや、あの。冗談ですよね」
「そう、冗談よ。だけど、冗談でもキスぐらいできるわ。大嫌いな人同志でも、デートができるんだもの、キスなんて簡単でしょ? 男はどんな女の子でもキスできたらうれしいんでしょう? ジラは違うの?」
「いや、否定はしませんが……」
「じゃあ、私とキスしたい?」
「いや、そう聞かれれば、もちろん、キス、したいです。だけど……」
どんな女の子どころか、友部とキスをできたら、死んでもいいくらい幸せだ、と内心思う。だけど、俺が、本当にそんなことしていいのか?
「彼女に知られたら大変?」
「いや、まさか! 俺、彼女なんていないんで……」
友部は誰のことを言っているんだ? 眞知のことか?
「ほんと? デートの噂、聞いたんだけど……それに、ジラには、大事な佐和もいるしね。でも、大丈夫。深夜のこんな森の中、誰も見ていないし、私は、誰にも、絶対に、言わない。冗談でキスしても、知っているのはジラと私だけ。二人だけの秘密よ。誰にもわからないよ。誰も傷つかないよ。」
友部は体を俺の方に寄せた。柔らかい胸の先が俺に当たるくらいに。俺は、顔が熱くなるのを感じた。ますます、どきどきしてきた。冗談のつもりなのか、どうせ俺にはできないと思っているのか、それとも、欲望にかられる俺を笑いたいのか、それとも、本気で俺にキスを許そうと思っているのか……頭の中がぐるぐる回って、俺は体が震えるのを感じた。友部を抱き寄せてキスできたら、どんなにすてきだろう。
「私に投票して……そしたらキスしていいよ」
頭の中で何かが爆発する気がした。俺は思わず両手を伸ばして友部を抱き寄せた。
抱きしめると胸のふくらみを通して友部の心臓の鼓動が速いのを感じる。
友部の柔らかな体がおれの腕の中にあった。
そして、友部の美しい顔が目の前にあった。心の奥から何かが胸いっぱいに広がる感じがした。
「本当に……本当にいいの?」
「いいよ」
友部は、黒い大きな瞳で俺を見つめた。まさに完璧な美しさだった。柔らかな白い肌、形のいい鼻、そして、かすかに開いた、ほのかに赤いやわらかそうな唇から視線が離れない。唇が、ほんの少し動く。かすれたような小さな声だった。
「目を閉じたほうがいい?」




