第111章 ジラが送り狼になる話2
夜更けに、家にかえる友部の自転車を追いかけながら、俺はなんだか悲しくなった。
友部の自転車のかすかな明かりを追いながら、ちょうど俺の悲しみは、こんな風だなと思う。闇の中、遠くのかすかな光を追い続ける悲しみ。友部という奇跡のような美少女に出会って、憧れながら、追いかけても追いかけても決して届かないという悲しみ。考えてみれば、かつて俺があれほど友部を嫌っていたのは、友部が高圧的だったことだけが理由じゃないのかもしれない。美しい友部に魅かれながら、絶対に相手にされないという現実があって、独りよがりにいじけていただけかもしれない。
今は那加の作ってくれた虚像のおかげで、友部も、俺のことを、友部と対等か、それ以上の存在として認識していてくれる。しかし、那加の作った大きな虚像の中の、ちっぽけな本当の俺は、今の状態と同じ、追いつけない遠くの光を闇の中で追いかけるだけの俺に過ぎない。手を伸ばしても、決して届かない。
友部が好きだ。両手で思い切り抱きしめたい。青柳も酒出も小尾先輩も、そして、眞知も。輝く美少女たち。彼女たちは俺の永遠の憧れだ。今、俺の走っている黒い森の上に広がる、この空の星たちのように、憧れても、憧れても、手を伸ばしても決して届くことがないきら星たち。
俺の悲しみは、俺がこの美少女たちに愛されないことだ。というより、本当の俺が愛されるにふさわしい存在になりえないということだ。
俺は、ずっと長い間、美少女に愛されることを妄想して、そういう妄想小説を読んできた。そして、そんな都合のいい妄想が現実になりえないと知りながら、その現実が明らかになることを恐れて、逃げてばかりいた。そういう自分が嫌で、苦しかったが、どうすることもできなかった。
たまたま出会った那加が、俺を助けようとしてくれたらしい。奴隷という、俺にはぴったりの役割を与えることで、実に、見事に、俺を、このリアルな現実世界の中で外見的には愛されるにふさわしい人間に仕立て上げてくれた。そう、今の俺なら、眞知は告白を待っていてくれるかもしれない。青柳に、もしかすると、友部や酒出や青柳先輩にさえ手が届くかもしれない。現実世界で、本物の美少女の、本物の唇に触れてキスできるのかもしれない。しかも、そのキスを相手が喜んでくれるかもしれない。
けれども、美少女たちが俺の存在を認めてくれることを実感できることは間違いなくうれしいが、一方で、俺は、逆に、本物の俺と、見かけの俺とのギャップを余計に感じる。那加が作り上げた、大きな大きな風船のような俺の中に、本物のちっぽけな俺が、その風船の大きさにおびえているのだ。
那加が作り上げたような俺に本当になれれば、何を恐れることもなく、あの時、眞知を抱きしめることもできただろう。青柳にずっと好きだったとも言えただろう。だけど、本当の俺は俺の虚像にはほど遠い。那加は「ジラは本物よ、自信を持て」と言ってくれる。自信を持てば、俺は、見かけと同じ俺になれるのか?
それができたら、どんなにうれしいだろう。大宮先輩がとてもかなわないと言ってくれるような俺に本当になれたら……その自信こそ、俺の決して手の届かない理想だ。
そして、それが俺の悲しみだ。
今は、那加の見せてくれた美しい夢の中で、幸せとさえ言えるような毎日を送っている。でも、これは、いわばリアルで妄想しているようなものかもしれない。那加は本物になれると言ってくれる。俺もそれを信じたい。信じるふりをしている。でも、いつか、きっと妄想から覚めるのだという予感がするのだ。
俺の根底にはいつも悲しみが流れている。本当の俺が、俺の望むような俺になれない悲しみだ。
そして、俺の思いすごしかもしれないが、友部も同じ悲しみを持っているような気がする。昔、はじめて友部の家に行った時、友部がひざを抱きかかえるようにして、俺に言ったのを思い出す。
「ジラが嫌い。ジラを見ていると自分を見ているような気がする。いつも人の顔色をうかがって」
道は森を抜けて、山間の平坦な田んぼの間を抜ける砂利道になった。前より友部の自転車はずいぶん遠いが、光はよく見える。耳を過ぎる風が暖かい。
友部は明日のオーディションに勝てないかもしれないと思っているようだ。後台先輩が言っていた。
「透子はヒロインの役、すごくやりたいみたいね。でも、無理だとも思っているようね。少なくともすごく不安みたい。あの透子に手が届かないことがあるなんて、ね。最近、ちょっと沈んでること、多いわよね」
確かに、人気という点では、青柳や酒出の方に分があるかもしれない。
友部は完璧すぎる。俺とのデートが(あれをデートというのならだが)初めてのデートだと言っていた。俺の友達は、誰もが、友部の美しさをほめそやし、デートしてみたいという。でも、ほんとにデートしたら何を話していいかわからないとも言う。そして、近づくことさえしない。遠くから憧れているだけだ。
友部は孤独なのかもしれないとも思ったりする。俺と違って、友部は社交性が高く、いつも友だちと一緒にいる。一流男子とは、冗談を言い合ったりもする。それでも、本当に親しい人というのはいないような気がする。周囲の人間は、美貌や頭の良さや才能をほめそやし、まるでスターに接するように取り巻いてくれても、友部があまりに完璧すぎて、どこかに気後れを感じてしまうのは事実だ。
そして、友部の方も明るくふるまっていても、那加が言っていたように、人との関係は案外に不器用だ。自分の本心がなかなか言えない。デートした時も、パフェを罵りながらおいしそうに食べていた。だから、心の底からわかりあえる友人というのは、なかなか見つけられないのかもしれない。
小尾先輩のいうとおり、どんなに美しくても、それを自分で見ることはできない。それだけで幸せになることもできない。すべてのスペックを脱いだ裸の友部は、一人の人間として、案外、孤独で、さびしい思いをしているのかもしれない。
最初に比べれば、友部自身も友部を取り巻く状況もずいぶん変わったと思う。少なくとも、生徒会のみんなは、俺を含めて友部のことがみんな大好きで、仲間だと思っている。友部は生徒会にいるとき、とても生き生きして楽しそうだ。それでも、友部は、まだ、入学当初のさびしさから抜け出していない気がする。
もしかして、後台先輩もそう思っているのかもしれない。俺と友部の写真を酒出が撮ろうとしていた時、後台先輩が俺の手を友部の肩においたのは、俺のためよりも友部に対する配慮だったのかもしれない、とも思う。
まあ、こんなことは、すべて、俺の勝手な解釈なのかもしれない。俺ときたら、いろいろと妄想してしまう癖があって困る。
友部に話したら大笑いされてしまうかもしれないな、と心でつぶやく。社会的地位が天と地ほども違う俺と友部が、同じ悲しみを共有しているなんて、そして、勝手にシンパシーを感じて、強く抱きしめたりして、とんだ迷惑野郎かもな。だとしたら、申し訳ありませんでした。
那加は、友部の悲しみを知っていたのだろうか? だから、無理やりデートを企画したのだろうか。あの時の友部の無邪気さこそ、友部の望んでいたものかもしれない。いろいろなものから解放された無邪気さ。嫌いな俺とのデートだからこそできた無邪気さ……
舗装されていない砂利道を進みながら、そんなことを考えていた時だった。
友部は山道を登り始めた。ふと、友部の自転車が止まった。
ドキッとする。
遠くてよくわからないが、誰か人がいるようだ。
木立の間から不意に姿を現して、友部の自転車の前に立ちふさがったように見えた。
まさか、こんなところで! 俺の胸は急に早鐘のように鳴り出した。




