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第110章 ジラが送り狼になる話1

部屋の窓から俺を見送ってくれた青柳に手を振って俺は家に戻った。

 自分の部屋に入って、ベッドの上に寝転がる。

 去年まで散らかり放題だった部屋は、那加の命令で、それなりにきれいにしている。

 棚には、去年、友部と無理やりデートした時に、友部があてたゲーム機が置いてある。「あげる。売ればデート代が出るでしょう」と言って、俺にくれたものだ。あの時の友部は、俺と歩いているところを見られたくないといわんばかりの、マスクにサングラスという姿だったが、あの、はしゃぎようはかわいかったなと思う。

 一〇〇メートルを走った時の友部の姿を思い出す。少しきつめのユニフォームは胸と腰を覆っただけの露出度の高いものだった。均整のとれた抜群のプロポーションだった。今、静は、友部のまったくの裸を目にしているわけだ。きっと美しい裸なんだろうな。

 俺は静が小学生のころは一緒に風呂に入っていたし、さらに、低学年の時は青柳とも入ったことがあるので、女の子の裸は、結構、見なれている。もちろん、高校生の友部は、小学生の女の子とは違うだろう。たぶん胸は膨らんで、あそこには毛も生えていたりするんだろうな。

 あの、絶対美少女が、何も身につけない裸になった時、あの秘密の場所に、普通というか、みんなと同じ、他の女の子と同じものを隠しているのだと思うと、俺は、ちょっとどきどきしながらも、何か、少し、悲しみめいた感情に襲われた。すべての装飾を脱いだ時、あの完璧な友部もまた、一人の弱い人間に過ぎないという思いが、俺をせつなくした。たぶん、裸の友部は、本当に見たら、神々しいぐらいに美しいだろう。天使に見えるかもしれない。

「それでも、天使ではない」と俺は心でつぶやいた。

 そこにいるのは、無防備な、裸の一人の人間だ。空も飛べなければ、魔法も使えない。そんな当たり前のことが、その時の俺には悲しかった。

 比類のない美しさ、抜群の頭脳と運動神経、社交性と実行力、何もかも兼ね備えた奇跡のような人!

 最初はそれを鼻にかけている嫌な奴と思っていたが、実際の彼女は違っていた。俺から見たら、欲しいものをすべて一人占めしているように見えるのに、それでも、必ずしも幸せでないらしいと知った。

 昔、俺たち三流グループを嫌っていたのは、自分を見ているようで腹が立つからだと言っていた。つまり、あのころの友部は、自分を俺たちと同類に分類していたことになる。同類の俺が嫌いということは自分が嫌いということに他ならない。あのころの友部は、間違いなく不機嫌だった。その理由も、今なら、おぼろげながら想像がつく。

 ありあまる才能を持ちながら、こんな田舎の高校で俺みたいな三流と同じ教室で同じ授業を受ける。前の日にちょこちょこっと勉強すれば、それだけでダントツの一番だ。練習なんかしなくても、陸上部のどんな女子よりも速く走れる。だが友部ほどの才能にとって、そんなことを喜べるはずがない。こんなところは自分のいる場所じゃないと思うだけだろう。

 しかし、たぶん、友部を本当に苦しめていたのは、もう少し別のことだったような気がする。友部を本当に苦しめていたのは、そんなことを不満に思ってはいけないという気持ちだったのではないか。友部は、どんな一流の高校でも入ろうと思えば入れた。しかし、不器用で、まじめな友部には、それはできなかった。友部家を支えるための、家計が苦しかったからだ。もと使用人の袋田さんが、逆に働いて、やっと家計を支えているのだ。二人は、きっと、行きたい高校へ行くように、と勧めたろう。しかし、友部は、(最も経済的負担の少ない)大大地高に行くと言った。そして、「どんな高校でも頑張るのは自分次第だから」と言った。か、どうか、もちろんわからない、俺の想像だが、ありそうなことだ。そして、がんばるつもりで、この高校へ来た。だが、おそらく、何を頑張ればいいかわからなくなってしまったのだ。頑張らなくても簡単に何でも一番だった。そして頑張りたくても、何も頑張れないまま日々が過ぎていくことに我慢がならなかった。そして、そういう境遇を不満に思う自分がいやだった。だから、「不満があるくせにへらへら笑いでごまかして努力しようとしない」俺たちに我慢がならなかったのだ。努力しない俺たちを見て、自分と重ねるのは不器用すぎると思うが、それほど思い詰めていたということなのかもしれない。

 今はずいぶん違う。とにかく、那加は俺を使って友部をそこから救い出した。俺という強力なライバルの登場が、友部にとって勉強する意味を作り出した。今、思うと、あの無理やりデートでさえ、友部を一瞬でも呪縛から解放するための那加の配慮だったのかもしれない。そして、生徒会の仕事が、おそらくその価値と困難さとが、友部に努力する目標を見つけさせてくれた。あらためて考えると、生徒会で何と言っても働いているのは友部だ。彼女に任せておけばたいていのことはうまくいくし、面倒な仕事というと友部が買って出てくれる。友部は先輩たちのみんなのために働きたいという気持ちに感動した、といつか言っていた。だが、友部のその言葉にうそはないとしても、誰よりもみんなのためになりたいと思っているのは友部自身のような気がする。たぶん、そんなふうに、意味のある目標に向かって忙しく働くことが、今の友部には幸せなのだ。

 相変わらず、俺のことは嫌いだという。だが、その言い方は前のようにきつくはない。俺が嫌いということは、今でも自分が嫌いということなのかもしれない。でも、前よりは、ずっと、嫌いでなくなっているように思う。

 俺は目を閉じたまま両手を空中に差し出し、そこにいない友部を、あの時のグラウンドでそうしたように空中で抱きしめた。

 委員長、と俺は心の中で呼びかけた。俺はあなたが愛しい。あなたのように光り輝く人と鼠色の俺とを比較するだけでも一種の妄想に過ぎないかもしれないが、すべてのスペックを衣服のように脱ぎすててしまったとき、裸の一人の人間としてのあなたは、俺と同じ悲しみを共有する同類のような気がする。

 悲しみ? どんな悲しみ? 

 うまくいえないが、あの時のグラウンド、俺の中で爆発し、友部を抱きしめさせたのは、おそらくその悲しみだった。俺の妄想かもしれない。でも、友部はうれしかったと言っていた。何となく、友部もそれがわかっていたような気がする。そして、同じ悲しみを俺と共有していたような気がする。

 何が悲しいというのか。ドラマなら画面の隅っこで足しか映らないような俺が、いつも中心にいてみんなに囲まれている美少女と同じ悲しみを共有しているというのか?

 軽くノックの音がした。

 ドアを開けてみると、友部だった。後ろに静もいる。友部のまだ乾いていない黒髪が艶やかに光って、いつもと違って片側に流れている。風呂上がりのせいか肌も少し上気したように光っている。いつもは天使のように近寄りがたい美しさだが、今の友部はもっと人間的に妖艶でセクシーに見えた。腕やうなじはほんの少しピンクに染まって、石けんの香りがする。狭い廊下で体がくっつきそうなほど近くで見ていると、胸のときめきが早くなる。黒い瞳で見つめられて、あまりに魅力的で言葉が出なかった。本当に非の打ちどころのない完璧美少女だ。

「遅くなったから、帰るね。おじゃましました」

 俺が言葉もなく見つめているのをどう思ったのか、少し首を傾げて、微笑んでそう言う。

「おにいちゃん、透子様を送っていってよ。夜道は危ないよ。車で、と思ったんだけど、自転車があるから乗って帰るんだって」

「あ、もちろん。送るよ。今日はどうもありがとうございました」

「いい、いい。一人で帰れるよ」

「そうはいかないよ。送るよ」

 しかし、玄関を出ても、友部は、一人で帰ると言ってきかなかった。

「平気よ。気を使わないで、遠いから」

「でも……」

「毎日、学校へ一人で通ってるんだよ。冬の間は、けっこう暗くなってから帰ったことも何度もあるんだから」

「だって、ここからだとさらに遠いし、時間も遅いし」

「大丈夫」

 友部は、俺の顔を覗き込んで少し睨んで言った。

「ジラの送り狼のほうがよほど怖いから、やめて。大丈夫。一人で帰る……今日は、いろいろ、ありがとうございました」

 母と父に頭を下げ、静を抱きしめて、俺に手を振ると、一人で自転車に乗って行ってしまった。

 妹が俺の顔を見る。

 大丈夫、俺もそのつもりだ。

 自転車を出す。

「気がつかれない程度の距離を保って、後をついていくから……」

「おにいちゃん、送り狼にならないでよ」

「俺にそんなことできるわけないだろ」

 俺はけっこう離れてから自転車を出した。

 田舎道だし、友部の自転車の明かりが見えるので、離れていても、ついていくのにそう苦労はなかった。こんな遅くに帰らせることになったのは、申しわけなかったなと思う。もう十時をすぎた。女の子が一人で帰る時間じゃない。友部の美しさを見たら理性を失う狼がいてもびっくりしない。それでも、友部が断ったのは、おそらく、遠い家まで送らせると、俺がまた遠い距離を帰らなくてはならないからだろう。

 そういう友部の気の使い方には、時々、びっくりさせられる。変な言い方だが、一流グループの気の使い方じゃない。嫌っている俺に、ゲーセンで当てたゲーム機をくれたのにはびっくりした。いやいやデートさせられた俺にまで気を使ってくれた。俺はそれが何となくうれしくて、使う気にも売る気にもなれずとってある。いつか、友部に返したいと思いつつ、友部からもらったプレゼントのような気がして手放せず、宝物のように部屋においてある。

 嫌っている三流の俺に対してさえそうなんだから、お母さんや袋田さんに気を遣って、大大地高校に通うという選択もあたりまえのようにしたんだろうな。全く、不器用すぎるよ、委員長は。そう言えば、那加もいつかそんなことを言っていたな。

 友部の家は山奥と言ってもいい場所にあるので、当然、上り坂が多い。友部はすいすい登っていく。さすがはアスリート。不審者に出会っても、俺より委員長の方が強そうだなと思う。

 静よ、俺が送り狼になろうとしたって、俺、絶対に勝てないから。

 遠くに揺れる友部の明かりを追いながら、俺は、また、悲しみのことを考える。


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