気まずい雰囲気
硬直する私を面白いものを見るようにじーっと穴が開きそうなほど観察しているアル。
ちちち、と鳴く甲高い鳥の声がとても遠くに感じる。
見た目は天使もかくやと芸術品のように美しい少年なので、彼の悪意を感じさせない微笑は希少で、とんでもなく魅力的だった。
湿った土と青臭いの香りを払いのけるように、ふわりと漂う、柑橘系の甘い香りにくらりと脳髄が揺れる。
この時の私の状況を説明するなら、ほら、ファンタジーなゲームでいう魅了ってやつ? にかかってたのかもしれない。
魔法なんてもんが存在するのだから、そんな技が存在してもおかしくない。
現に私はアルの微笑から目をそらすことができなかったのだから。
「……戻ったか」
アルは陽光を浴びてきらきら輝く長いまつげを震わせて、伏し目がちにひそりと笑った。
肌が透き通るほど白く、この至近距離で毛穴一つ見えないくらい艶やかなせいか、対照的に薄く開いた紅唇がやけに鮮やかで視線を奪われる。
私はアルに気をとられていて今この場に居ないもう一人に人物のことをしっかり失念していた。
「……ソル、さん」
「なんです? 」
いつからそこにいたのか、少し視線をずらすとアルの斜め後ろにいつもの穏やかな笑みを浮かべてソルさんが立っていたのだ。
物音ひとつたてることなく、するりと滑るようにソルさんはアルの背後に控える。
その笑顔が何だか怖い。
「私のことはお気になさらずに。あちらで荷物をまとめておりますので」
アルはとうに気づいていたようで、一礼するソルさんを振り向きもしなかった。
「私も水浴びをしてくるとしよう。クオリお前はここで休んでいろ」
それだけ言うと空気の読めないアルはそのまま水場へ向かう。
お願いだからこんな気まずい雰囲気なのかに放置しないで欲しい。
私は別に何も悪いことはしていないはずなのだが、ソルさんを目の前にすると何だか無性に謝りたくなってしまう。
「どうしたんです、クオリ。拾い食いでもしたんですか」
私の顔を見て穏やかに言うソルさんはきっとわかっていてそんな言い方をする。
「いや、それはないけど……ソルさん、怒っていますよね? 」
「そう見えますか? 」
さらっと流すソルさんに私はむっとして唇を尖らせる。
「質問に質問で返さないで。自分の主にヘンな虫がつくのが気に食わないから怒っているんですか? 」
ソルさんはアルの部下で私はアルから僅かなりとも好意を寄せてもらっている。
自意識過剰ではないかとも思うが、思い当たるのはこのくらいだ。
「さて、どうでしょう。あなたは虫になれるような器用な人間ではないかと思っていましたが……」
彼は穏やかな表情のまま続けるが、それが帰って薄ら寒い。
「虫になる気はないんだけど、間違って駆除されたり踏み潰されでもしたら大変ですし」
空気に圧倒されつつもそこだけはしっかり答えるとソルさんは困ったような顔をする。
出かけようと思っているのに雨が降っちゃったどうしよう、そんな感じの微笑ましい困り顔で彼はとんでもないことを口にした。
「それは残念です。あなたを処分する口実が1つ減ってしまう」
「……ソルさんって私のこと、嫌いだったんですね」
冷や汗が背を伝うと同時に危険を感じた私の足が一歩後ろへと下がる。
「ええ、私はアルデンシア様以外の存在は大嫌いですから」
白髪の美しい青年は穏やかな雰囲気とは逆に随分と極端な人だった。
「アル以外の生き物って……なにそれ。自分も嫌いってこと?」
私の眉が自然と寄って厳しい顔になる。
「なぜあなたがそんな顔をするんです。ええ、嫌いですよ。でなければ呪術師なんで道は選びません。死後の安寧も約束されず、最後に待っているのは身の破滅。だそうですよ。私にしてみれば、死んだ後のことなど、それこそどうでもいいことですが 」
ソルさんの足元で踏まれた枯れ枝がぱきりと乾いた音を立てて砕ける。
先ほどの私とアルとの光景がよほど腹に据えかねたのか、今日のソルさんはやけに饒舌で、私だけでなく自分自身すら突き放してしまっているような攻撃的な雰囲気だった。
険を帯びた蒼瞳と皮肉気にゆがめられた硬質な線を描く口元、元々が中性的な美人であるだけに、怒ると肝が冷えるほど迫力がある。
美人が怒ると怖いというのは本当だったんだな、と私は頭の隅でそんなことを思った。
「それは……いや、ソルさんが選んだ道に私が口を挟んでもいいとは思わないけど……」
「ならば口を硬く閉ざし。今後、余計な干渉を試みようなどと考えないで下さい。今、あなたを処分すると面倒なことになりますから」
私とソルさんの間を一陣の風がふわりと通り過ぎる。
沈黙の中、風にゆすられてざわざわと木々が擦れ合う音と火の粉の爆ぜる音だけが耳を打つ。
高まる緊張感と歪められてなお際立つ美貌のソルさんから目をそらせない。
先ほどのあるのように心を奪われて目を逸らせないというよりは、そらした瞬間に私の首がばっさり落ちそうで、怖くて目が逸らせなかった。
が、私はあえて自分の中の恐怖を押し込め、無視することにした。
「そ、じゃあ何もいわない……ことにする」
膠着した場の雰囲気をわざと壊すように私は傍の切り株に無造作に腰掛ける。
アルとソルさんと私、出会って間もない人間が口を出していい領分ではない。
アルはどうかわからないがソルさんは確実に私より長生きしてそうだ。
年下の小娘に意見されるのも反発されるのも良しとしないだろう。
無関心を決め込んで切り株の前で踊る炎をじっと見つめていると、なにやら妙なものを見るような目でソルさんは見ていたが、やがて旅支度を再開した。
「国境を越えたら王都です。アルデンシア様がいるため正式な関所を越えられませんので険しい山脈を抜けることになります」
今のうちに休んでおくことですね、と言うソルに礼を述べるとソルさんは不意に手を止めたが、何も言わなかった。
ソルさんが私を嫌っていようと殺したかろうとそれはソルさんの自由だ。
残念ではあるがそれを怒るのは筋違い。
少なくともソルさんは嫌がらせとか本当に殺そうとしたり……は、あったかもしれないけど。
とにかく、今のところ私の困るようなことは何もしていないから。
これ以上を望むのは我が儘が過ぎるだろう。
旅支度を手伝おうとしたら断れたから、邪魔にならないように切り株の上で小さくなってあの黒い本を読んでいるとアルが帰ってきた。
「何をやっている」
「え、本を読んでいるんだけど……」
「なぜそんな妙な格好をしているのだと聞いているのだ」
妙な格好とは体育座りのことだろうか。
それとも背を丸めて地面をつま先でぐりぐりほじって小さな穴をいくつも量産していることだろうか。
どちらも流石にこの年でやるのは痛かろうが、心境的にそんな気分だったのだ。
答えると、アルは表情を変えることは無かったけど僅かに戸惑ったようだった。
「そういうもの、なのか……やはり世界の違いというものが……」
や、そこまで大げさなものではないのだけど、そんなにヘンだったのだろうか。
「まぁそれはいい。クオリ、その本のことだが」
「うん? この本がどうかしたの? 」
「得体のしれない魔術書だ。余りのめりこむな」
アルの言葉に私は面を食らった。
そもそもアルは魔術書を持っているから、魔術書の契約者であるようだから私をここまで連れてきたのではなかろうか。
それを聞くのも今更だから私は別の言葉を返した。
「得体の知れない魔術書でも、今のところいざと言うときに私の力となるのはこれだけだし。あ、でも、忠告はありがたく受け取っておくから」
ありがとう、と笑うとアルは口端を持ち上げて返す。
「言ったところで無駄か。―――好きにするがいい。制約に縛られるのも魂を奪われるのもお前だ」
アルの衝撃的な言葉に私は驚いて切り株から立ち上がる。
「えっ? ちょっと、待って! 制約とか魂ってどういうこと?! 」
「ああ……程度にもよるが普通、魔術師は己の一番大切なもの、あるいは一部、あるいは魂と引き換えに魔術書と契約を交わす。それらと引き換えに人は魔術書を読み解くことが可能となり、魔術書の知識を得ることが出来る。そして、自身が死ぬときは自らも魔術書の一部となり、その知識を永劫のものとする。例外もあるが多くの魔術書はそういうものらしい」
一呼吸置いてアルはちらりと私の手の中の黒い魔術書に視線を移す。
「その魔術書もそういう類のものかはわからないがな。だからこそ魔術師は過去の魔術師達の魂そのものといってもいい力の塊である魔術書を欲しがるし、また、魔術書に己の魂を刻むことを望み、自身を磨いて魔術教団の頂点に立つことを目標とする」
「そ、そんなに凄いものだったんだ。魔術書って……それにしても、アルって魔術書のことに詳しいんだね」
ははは、と乾いた笑顔を浮かべる私にアルは当然だというように頷く。
「創世以来、初の魔術書はトリスカトリアにあったとされているからな。ただの伝説で今となっては確認のしようもないが、今でも魔術師の人口、魔術書の数、魔術と名のつくものは他国の追随を許さない。また、トリスカトルアは神に祝福された地でもあるから大地も豊かで、王族を筆頭に総じて長命のものが多く、魔術などの研究に向いている」
「へえ、ってことはアルも魔術とか使えるの? 」
「普通の人間でないことは確かだがな。―――私の場合は、魔術というには性質が悪く呪いと変わりないが」
呪いとは穏やかではない。そういえばソルさんも呪術師とか言っていたが、何か関係があるのだろうか。
皮肉気に笑うアルを見ているとその呪いとやらを快く思っていないようだったので私はそれ以上の質問を避けた。
「ごめんなさい。嫌なこと、聞いちゃったかな」
「……ん? 謝る必要はない」
そっけなく言うアルはなぜ私が謝るのかわからないようで不思議そうだった。
「必要ないって……」
「言いたくなければ言うわけがなかろう。話してもいい、そう思ったから話しただけだ」
比類ないほどの金色の美少年に真っ直ぐ見つめられて、私の顔に血が上る。
朝に向けられた好奇心たっぷりの、面白いものを見つめる微笑とは違って、直視するのが気恥ずかしくて躊躇われるような表情。
いつも氷のような無表情かあるいは皮肉な笑みを浮かべているだけに、柔らかといってもいい笑みを浮かべるとまた別の華があり、それが自分に向けられているということを意識するとどうしていいかわからなくなる。
これまでのことを考えるにアルはその圧倒的な美貌とは裏腹に、何の気もなしに口にしたのであろうが如何せん、ただの女子大学生には威力が強すぎた。
目をそらすのがもったいないくらいだったので、今のこの光景を網膜に焼き付けておこうと凝視しているとソルさんの声に現実へと引き戻された。
「アルデンシア様、旅支度が整いました」
「ああ。……日暮れまでに山を越えたいな、急ぐとしよう。いくぞ、クオリ」
何事もなかったように颯爽と踵を返すアルの後姿を見ながら私は手にした黒い本で、自分の頭を軽くたたく。
「なにやってるんだろう、私」
風が止み、薪も消えて、静まり返った森の中、思わず呟いた言葉に私の今の心境が詰め込まれていた。




