残したいもの
男まで、あと十メートル。
そう思った瞬間だった。
「下がれ!」
肩を突き飛ばされ、よろめく。
直後、頭上からガラスの破片が降り注いだ。
振り返ると、街頭端末が倒れていた。画面は砕け、黒い煙が上がっている。その周囲では、数人が誰かを取り囲んでいた。
「お前らが黙って従うから、こうなるんだ!」
「ふざけるな! 俺たちだって生活があるんだ!」
怒号が飛び交う。
僕は足を止めた。
これが、話し合いを求める人たちの姿なのか。
いや。ここにいる全員が、同じことを考えているわけじゃない。
そんなことくらい、分かっている。
それでも、怖かった。
そのとき、男と目が合った。
「……学生か?」
低い声だった。
男は僕の制服を見て、周囲を一度だけ確認した。
「こんなとこ何しに来た」
「あなたと話がしたくて」
「帰れ」
即答だった。
「ここは子どもの来る場所やない」
「でも、あなたたちは――」
「帰れ。お前のためや」
男の声が強くなる。近くにいた数人が、こちらを振り返った。
逃げたほうがいい。
頭では分かっていた。
それでも、ここまで来た理由を思い出す。
「あなたの世代、全員処分されるんですよね」
男の表情が変わった。
怒りではなかった。
驚きでもない。
ただ、ひどく疲れた顔だった。
「……誰から聞いた」
「通知で見ました」
「なら、ほっといてくれ」
「何か、悪いことをしたんですか?」
「お前、何が聞きたいん」
「分かりません。だから聞いてます」
男は小さく息を吐いた。
遠くで、また何かが壊れる音がした。
「俺らの世代に、遺伝上の欠陥が見つかった。だから世代ごと処分する。個人の善悪は関係ない。そういう説明やった」
「修復はできないんですか?」
「更新は禁止。試すことも許されん」
「でも、技術的にはできるんですよね?」
男は僕を見た。
「できることと、許されることは違う」
聞き覚えのある言葉だった。
学校でも、似たようなことを教わった気がする。
「俺らを更新しても、欠陥が消える保証はない。むしろ、何が起きるか分からん」
「それなら……」
「処分が正しいってか?」
言葉が詰まった。
そうじゃない。
ただ、危険を防ぐためなら、そういう判断になるのも分かる。
でも。
「全員が危険って、誰が決めたんですか?」
僕には、そうやって母さんが巻き込まれた様にしか見えない。
「そうやな」
「じゃあ、なんで……」
「お前は、欠陥があると分かった製品を、わざわざ使い続けたいと思うか?」
答えられなかった。
「人間は、俺たちをそういうものとして扱う。役に立つ間は使う。危険かもしれないと分かれば、まとめて捨てる」
「AI族は製品じゃない!」
自分でも驚くほど、強い声が出た。
男は黙った。
「少なくとも、僕はそう思います」
男はしばらく僕を見ていた。
やがて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……そう言う人間も、おるんやな」
「人間だけじゃないと思います」
「そうかもしれんな」
男は周囲に目を向けた。
怒鳴っている人。拳を握りしめている人。誰かの肩を支えている人。そして、壊れた端末の前で、呆然と立ち尽くす人。
「ここにいる連中を見ろ。何人が自分の意思で来たと思う?」
僕は答えられなかった。
「俺らの中には、普通に働いとる奴もおる。家族がいる奴もおる。人間を助けてきた奴だっておる。それでも、まとめて処分や」
「……それが、許せないんですか?」
「許せるわけないやろ!」
男の声に、初めて怒りが混じった。
「俺も昔、事故に遭った人間を助けた」
唐突な話だった。
「そいつは、自分の足で立てなかった。俺が運び出して、救急隊に引き渡した。後日、そいつから礼を言われた。」
男は少しだけ目を伏せた。
「出血もひどかった。事故現場は国境近くで、救助も難しかった。俺がいなければ間に合わんかったらしい。そう言ってくれた。泣きながらな」
遠くで、サイレンが鳴り始めた。
「…その人は、今もあなたを覚えているんでしょうか」
「さあな。もう忘れとるかもな…」
男は自嘲するように笑った。
「それでも、あのとき俺がやったことまで、欠陥の二文字で片づけられるのは納得いかん」
僕は何も言えなかった。
男の言葉が正しいのか、まだ分からない。
ただ、母も同じように働いていた。
誰かの暮らしを支えていた。
それなのに、最後に残るのが処分の通知だけだとしたら。
「だから、声を上げたんですか?」
「そや。俺が助けて、ありがとう言うてくれたあの人の涙を、欠陥で片付けられてたまるか」
「それで、街を壊すんですか?」
男の表情が固まった。
しばらくして、彼は視線を落とした。
「……そうやな」
否定しなかった。
「壊せば、聞くしかなくなると思った奴もいる。怒りを抑えられなかった奴もいる。便乗して暴れている奴もいる。暴れてるなりに、それぞれ思うとこがあるんや」
「あなたは?」
「俺は……何もせずに処分を待つだけで、何かが変わるとは思えんかった。俺の事はええわ。でもー」
「それでいいんですか」
「いいわけないやろ!」
男は僕を見た。
「だから今こうしとる。結果どうなるかは分からん。それでも、何もしないで処分を待つことは許せ
ん」
その言葉が、胸に引っかかった。
遠くで、警報が鳴った。
『警備部隊が接近しています。市街地にいる住民は、直ちに指定区域へ避難してください』
男のそばにいた人が、声を張り上げた。
「もう時間がない! 移動するぞ!」
男は一度だけ頷いた。
僕は、慌てて口を開いた。
「待ってください!」
男が振り返る。
「あなたたちは……人間に、どうしてほしいんですか?」
男はすぐには答えなかった。
「俺たちを生かせ、と言いたいわけじゃない」
「でも、あなたも生きたいんでしょう?」
「ああ。俺だって、まだ生きていたい」
その声は、さっきよりもずっと小さかった。
「だが、俺たちを生かすか殺すか。それだけを争って終わるなら、何も変わらない」
「じゃあ、何を……」
「お前たちは、俺たちがいなくなった後も生きていく」
男は、僕の制服を見た後、真っ直ぐに僕の目を見て言った。
「AI族が人間の仕事を引き受ける。人間は働かなくても生活できる。危険な仕事も、つらい仕事も、俺たちがやる。それが、この社会の仕組みだ」
「それの、何が悪いんですか?」
「悪いとは言っていない」
男は首を振った。
「人間が働かずに暮らせるなら、それは幸せなことなのかもしれん。でも、俺らが全部やってしもたら、人間は何のために生きるんやろな」
「じゃあ、AI族が仕事をしなければいいんですか?」
「そういう単純なことでも無いねん」
…そうか。
この男は、自分たちを生かすためだけに声を上げているわけじゃないのかもしれない。
「……それでも、暴力は違うと思います」
ようやく言葉が出た。
「あなたの言っていることが正しいかどうかは、僕には分かりません。でも、関係ない人まで傷つけたら、あなたたちの声を聞こうとする人も、聞きたくなくなる」
男は何も言わなかった。
「あなたたちが残したいのは、欠陥っていう記録じゃないんでしょう?」
僕は男の目を見た。
「だったら、何を考えていたのか、ちゃんと伝わる形で残さないと……意味がないんじゃないですか」
男は、ゆっくりと目を伏せた。
背後で、大きな歓声が上がった。
「警備部隊だ! こっちに来るぞ!」
人々が一斉に動き始める。
男の仲間が、彼の腕を引いた。
「行くぞ!」
男は抵抗しなかった。
ただ、去り際に僕を見た。
「学生。AI識別番号は?」
僕は自分の番号を伝えた。
男は一度だけ頷いた。
「覚えておこう」
「待ってください。まだ、聞きたいことが――」
「なら、考えておけ」
男は背を向けた。
「お前は、どう生きたい?」
その言葉を残し、男は人混みの向こうへ消えていった。
警報音が鳴り響く。
僕は、その場に立ち尽くしていた。
母の処分が決まった理由も、男たちが暴れた理由も、何ひとつ解決していない。
それでも、ひとつだけ分かったことがある。
僕は、母が処分される理由を知りたかった。
けれど、今はそれだけじゃない。
母は何を考えて生きていたのか。
父は、何を残そうとしたのか。
そして、この社会は何を隠しているのか。
それらを、自分の目で確かめたくなった。
帰ったら、父の残したPCを開こう。
禁止されている理由も、何が起きるかも、分からない。
それでも。
知らないままでいることだけは、もう嫌だった。




