経験値
寮に戻った。
「つかれたぁ…」
思わず声に出す。
たった一日働いただけなのに、身体が重い。
疲れないロボットが羨ましい。
いや、燃料切れを起こしたロボットも、疲れたと言えるのだろうか。
筋肉の疲労についても、エネルギーの消費についても知識はある。
身体の仕組みだって理解している。
でも、実際に自分の身体で経験するのは初めてだった。
なるほど。
これは確かに、疲れる。
そんなことを考えながら、ベッドに横になった。
*
翌日。
昨日と同じように現場へ向かい、仕事を始めた。
仕事の内容自体は難しくない。
必要な知識も、手順も頭に入っている。
だからこそ、僕は自分の担当作業を効率よく終わらせた。
予定されていた作業時間よりも、かなり早く終わった。
しかし、周囲の作業がまだの為、僕の任されている工程がこれ以上進まない。
結果として、僕は何もせずに待つことになった。
「おい、何突っ立っとる!」
ある先輩がこちらに歩いてきた。
「担当作業は終わっています」
「そういう話じゃねえよ。他にやることがあるだろ!」
「ですが、僕の工程がこの先に進むには他の方の作業が完了しないと取り掛かれないので…」
「お前な……」
先輩は少し呆れたように息を吐いた。
「現場はお前一人で動いてるんじゃねえんだよ」
その後も、いくつか注意を受けた。
僕の作業そのものに問題があったわけではない。
ただ、周囲の進捗や次の工程を考えず、自分の作業だけを優先していた。
言われていることは理解できる。
終わったなら他に何か手伝えないか考える。
自分に何ができるか分からないなら先輩に聞きに行く。終わりましたと指示を仰ぐ。
それがチームだ、と。
でも、どうにも腑に落ちない部分があった。
全員がそれぞれの作業を最速で終わらせれば、全体の作業も早く終わるのではないだろうか。
そんな疑問を抱えたまま、その日の仕事を終えた。
*
終業後、帰ろうとしていた僕に現場責任者、例の暴動で会った先輩に声をかけられた。
「おい、ちょっといいか」
「はい」
「昼間のことなんだけどよ」
また怒られるのだろうか。
「お前、仕事自体はできるんだよ。覚えも早いし、手際も悪くない。」
「ありがとうございます」
「褒めてんじゃねえ。最後まで聞け」
先輩は苦笑した。
「自分の作業を早く終わらせることと、現場全体を早く終わらせることは違うんだよ」
「……違うんですか?」
「そりゃそうだろ。自分が早く終わったあと、他の奴の仕事が終わるのをただ待って突っ立ってたら、一番遅いやつのペースでしか『全体』の仕事は進まなくなっちまう。それはお前が早く終わらせて生み出した時間を、お前が無駄にしているんだ。」
なるほど。
あの叱責はそういう意味だったのか。
ただ、実際にどのタイミングで何をすればいいのだろうか…
「…まあ、最初から全部できる奴はいねえよ。慣れていけば分かる」
「経験ですか」
「そういうことだ」
先輩は軽く笑った。
「飯でも食って帰るか?」
「いいんですか?」
「別にいいだろ。俺も腹減ってるしな」
そうして、僕たちは現場近くの飲食店に入った。
適当に注文を済ませ、食事を始める。
しばらくは仕事の話をしていたが、いくつかどうしても気になることがあって、質問してしまう。
「先輩は、『ゲンさん』と呼ばれていましたよね?」
「ああ、お前も家族くらいからは名前呼びされてただろう?」
そうだ。僕の名前は。
「…律です」
少し照れくさい。
AI識別番号で自己紹介することの方が、AI族には多いからだろうか。
「リツか。俺のことも名前でいいぞ。建設現場は些細な油断が命に直結する。だから他のヤツらも名前呼びで声をかけあって連携するんだ。慣れてきたら他の先輩の名前も覚えた方がいいぞ」
なるほど、合理的だな…そりゃ棒立ちは怒られるわけだ。
「分かりました、ゲンさん」
しばしの沈黙のあと。
「ゲンさんは、3ヶ月後に処分されるんですよね」
先輩の箸が一瞬止まった。
「ああ。そうだな」
「それなのに、どうして普通に働けるんですか?」
「どうしてって?」
「自分が処分されることを分かっていて、毎日仕事をするのは、どんな気分なんだろうと思って」
ゲンさんは少し考えてから、口を開いた。
「別に、納得してるわけじゃねえよ」
「そうなんですか」
「当たり前だろ。俺だって死にたくねえよ」
水を一口飲んだあと、ゲンさんは続けた。
「家族もいるしな。帰ったら嫁も子どももいる。まだ一緒にいたいに決まってんだろ」
「……そうですよね」
「まあ、だからって今日の仕事を適当にやるわけにもいかねえけどな」
「どうしてですか?」
「ここで働いてる奴らだって、俺がいなくなった後も仕事を続けるんだ。途中で投げ出すわけにはいかねえだろ」
そう言って、また箸を動かした。
僕には、その言葉のすべてを理解することはできなかった。
自分がいなくなると分かっていても、誰かのために仕事を続ける。
それは、合理的な判断なのだろうか。
「リツ、お前はどうなんだ?」
「僕ですか?」
「処分について、どう思ってる」
「……まだ、よく分かりません」
「そうか」
ゲンさんはそれ以上、何も聞かなかった。
少し沈黙が続いた後、ゲンさんは僕の顔を見た。
「ところで、お前。片目どうした?」
「片目?」
「そっちの目だよ」
「ああ。生まれつきです」
「……やっぱりな」
ゲンさんはそう言うと、自分の目を指差す。
「俺もだからな」
そう言って、先輩は自分の目に指を入れ-
「ちょ!!目触ったら危ないですよ!!!」
思わず声が大きくなった。
ゲンさんの手が止まる。
「は?」
「いや、目!目ですよ!そんな直接触ったら危ないでしょう!」
「ああ、これか」
先輩は何事もなかったように、目から薄いレンズを取り出した。
……コンタクトレンズ。
焦った。
コンタクトレンズを入れられる人の神経が分からない。
怖いって、まじであれ。
「お前、コンタクト知らねえのか?」
「知識としては知っていますけど……。実際に目に入れるなんて、考えただけでも恐ろしいです」
「ははっ!大げさだろ」
ゲンさんは笑いながら、取り出したレンズをケースにしまった。
「休みにAI国に帰ったら、眼科に行ってこい。ハーフ向けのカラコンを処方してもらえるぞ」
「眼科ですか……」
「そうだ。人間社会で働くなら、目の色は隠しておいた方がいい」
なるほど。
そういう方法があったのか。
次のミッションは、コンタクトレンズを入れに眼科に行くことか……。
こんなことがなければ、一生行かないつもりだったのに。




