第93話 条件付き滞在
ルクス・ヴァルキュリア第一会議室。
そこは、戦艦の中にある部屋とは思えないほど整っていた。
壁面には地球統合軍との共有用に調整された大型スクリーンが設置され、中央には長い会議卓が置かれている。艦内の照明はいつもより少し明るく、空気清浄系の音だけが静かに響いていた。
だが、その場に流れる空気は穏やかではなかった。
席に着いているのは、ルクス側の代表者達。
ジン艦長。
カイル。
通称レイヴン。
カイト。
ユイ。
ミオ。
タツヤ。
そして、地球統合軍中央監査局から派遣された黒瀬誠司監査官と、その監査チームだった。
黒瀬は会議卓の端に立ち、淡々と資料端末を操作した。
スクリーンに、一つの文書が表示される。
《ルクス・ヴァルキュリア地球滞在に関する暫定管理条件》
カイトはその文字を見て、無意識に背筋を伸ばした。
滞在に関する条件。
言葉としては理解できる。
だが、そこには歓迎という響きはなかった。
だが、それはつまり、ルクスがまだ自由に動ける立場ではないということでもあった。
黒瀬が口を開く。
「まず、前提を確認します」
その声はよく通った。
大きくはない。だが、曖昧さを許さない響きがある。
「地球統合軍は、ルクス・ヴァルキュリアを敵性艦とは認定しません。現時点では、協力可能な独立戦力として扱います」
カイトは少しだけ息を吐いた。
敵ではない。
その一言だけでも、少し救われた気がした。
しかし、黒瀬の言葉はそこで終わらなかった。
「ただし、友軍艦としての完全承認にも至っていません」
会議室の空気が、わずかに重くなる。
「本艦は、帝国由来技術、未登録兵装、保護対象パルスティア個体群、ならびにネメシス・レクイエム残骸を保有しています。したがって、地球滞在中は暫定監査下に置かれます」
ジン艦長は黙って聞いていた。
カイルも腕を組んだまま、表情を変えない。
だが、カイトだけは少しだけ眉を寄せた。
黒瀬はそれに気づいたのか、視線だけをカイトに向けた。
「不満がありますか」
「……不満というか」
カイトは言葉を探した。
自分がここで感情的になるべきではないことは分かっている。
だが、それでも口に出さずにはいられなかった。
「ここにいる人達は、地球を守るために戦ってきました。ユイも、カイルさんも、みんなも。危険なのは分かります。でも、そこまで疑わなくても――」
「疑わなければ、地球を守れるのですか」
黒瀬の返答は早かった。
鋭い。
だが、怒鳴っているわけではない。
事実を確認する声だった。
カイトは言葉を詰まらせた。
「それは……」
「あなた達が戦ってきたことは、記録上確認しています。巨大要塞攻略、ルクス・ヴァルキュリア奪取、パルスティア個体群の保護、帝国戦力への抵抗。それらを軽視するつもりはありません」
黒瀬は一度、全員を見回した。
「ですが、功績があることと、危険がないことは同じではありません」
その言葉に、カイトは反論できなかった。
正しい。
あまりにも正しかった。
だからこそ、胸の奥が少し痛んだ。
ユイが静かに口を開いた。
「黒瀬監査官の判断は妥当です」
「ユイ?」
カイトが振り向く。
ユイは落ち着いた表情で黒瀬を見ていた。
「私は帝国側にいた存在です。セラも、レータも、イリスも、ナユも、帝国技術の中で造られました。ルクスには帝国の兵器もあります。ネメシス・レクイエムの残骸もあります。警戒されるのは当然です」
ユイの声に揺らぎはなかった。
だが、それが平気だからではないことを、カイトはもう知っていた。
「信用しろとは言いません」
ユイは静かに続けた。
「確認してください」
黒瀬は、しばらくユイを見ていた。
「あなたは、それでよいのですか」
「よいかどうかではありません。必要なことです」
「自分達が管理対象として扱われることになっても」
「はい」
ユイは頷いた。
「それでも、逃げるよりはいいです」
会議室に沈黙が落ちた。
カイトは、ユイの横顔を見つめた。
彼女は強い。
だが、強いから平気なのではない。
怖さを知ったうえで、それでも逃げないだけだ。
そのことが、カイトには痛いほど分かった。
黒瀬は小さく頷き、資料を次へ進めた。
「では、具体的な条件に移ります」
スクリーンに、最初の項目が表示された。
《第一条件:兵装制限》
黒瀬は説明を始めた。
「ルクス・ヴァルキュリアの主砲、大型対艦兵装、広域制圧兵装、および帝国由来の高出力兵器は、地球統合軍の許可なく使用を禁止します」
カイルが片眉を上げた。
「敵襲時はどうする」
「緊急防衛時は例外とします。ただし、使用後は即時報告。使用理由、照準対象、出力値、被害範囲を提出していただきます」
「要するに、勝手に撃つなということか」
「その通りです」
黒瀬は淡々と答えた。
「地球の空の上で、所属不明の超大型艦が主砲を撃つ。通常なら、それだけで敵性行動と判断されます」
「まあ、否定はできないな」
カイルは肩をすくめた。
ジン艦長が静かに頷く。
「兵装制限については受け入れる。こちらとしても、地球周辺で不用意な戦闘行動を取るつもりはない」
「確認しました」
黒瀬は次の項目を表示した。
《第二条件:航行制限》
「ルクス・ヴァルキュリアは、監査終了まで地球統合軍指定宙域内に停泊。大気圏内への単独降下、衛星軌道上での独自移動、ならびに無許可ワープ航行は禁止します」
ミオが小さく息を吐いた。
「つまり、自由には動けないということね」
「そうです」
黒瀬は即答した。
「この艦が無断で移動すれば、地球側は追跡も迎撃も困難です。位置を把握できない戦力を、味方とは呼べません」
「厳しいですね」
ミオの声には皮肉が少し混じっていた。
黒瀬は表情を変えない。
「必要な厳しさです」
カイトは拳を握った。
言い方は冷たい。
だが、また反論できない。
もし自分が地球側の人間で、巨大な未知の艦が空にいたら。
たしかに、怖い。
そのことを想像してしまったからだ。
黒瀬は続けた。
《第三条件:工廠監査》
「ルクス内部工廠で進行中の機体改修、兵装再調整、帝国由来部品の使用状況について、地球統合軍技術監査官が確認を行います」
タツヤが口を開いた。
「監査対象はどこまでですか」
「登録済みの全機体、未登録機体、改修中の機体、保管兵装、帝国由来部品。すべてです」
「全部か……」
タツヤは顔をしかめた。
当然だ。
工廠には、まだ整理しきれていないものも多い。
アルタイル・ノヴァへの改修案。
ルナ・スケイル・リフレクト。
フェンリオン・リサイト。
ヴァナルガンド。
ヴァルクレイド。
クロウヴェイル・ノア。
そして、まだ凍結すべき危険な構想。
ノクス・レクイエム。
黒瀬はタツヤの表情を見て、言った。
「隠すものがあるなら、今のうちに申告してください」
その言葉に、会議室の空気が少し硬くなった。
タツヤは黒瀬を見返す。
「隠すつもりはありません。ただ、危険すぎて簡単に公開できないものはあります」
「それも含めて監査します」
「……でしょうね」
タツヤは諦めたように息を吐いた。
ジン艦長が言った。
「工廠監査は受け入れる。ただし、機密情報の扱いについては事前協議を求める」
「認めます。地球側も、帝国技術の取り扱いには慎重であるべきと考えています」
黒瀬は次の項目へ進んだ。
《第四条件:ネメシス・レクイエム残骸の隔離管理》
その文字が表示された瞬間、室内の空気が明らかに変わった。
カイトは、無意識にユイを見た。
ユイは目を伏せていない。
ただ静かに、画面を見ていた。
「ネメシス・レクイエム残骸は、地球統合軍およびルクス側の共同管理対象とします。無断解析、無断起動、無断移送、無断改修を禁止。封印区画への出入りは、双方の承認を必要とします」
黒瀬の声は、これまで以上に硬かった。
「これは譲れません」
ジン艦長も、同じだけ重い声で答える。
「こちらとしても、あれを軽く扱うつもりはない」
「軽く扱っていないことを確認するための条件です」
カイトは、思わず口を開きかけた。
だが、その前にユイが言った。
「受け入れます」
「ユイ」
カイトが小さく呼ぶ。
ユイは彼を見ずに続けた。
「レクイエムは危険です。私も、それは理解しています」
「あなたが使用する可能性があると聞いています」
黒瀬の言葉に、カイトの肩が強張った。
会議室の視線がユイへ集まる。
ユイは静かに答えた。
「可能性の話です。今すぐ使うつもりはありません」
「必要になれば?」
「その時は、必要かどうかを判断します」
「誰が」
黒瀬の問いは鋭かった。
ユイは一瞬だけ沈黙した。
カイトは、その沈黙が苦しかった。
「私だけではありません」
ユイは答えた。
「カイト達と、ルクス側と、地球側が判断するべきです」
黒瀬は、ユイの目を見た。
「その言葉を記録します」
「構いません」
黒瀬は端末に何かを入力し、次へ進めた。
《第五条件:パルスティア個体群の行動記録》
カイトの表情が曇った。
予想していた項目だった。
だが、実際に文字として表示されると、やはり胸の奥がざわついた。
「保護対象パルスティア個体群について、艦内外の行動範囲、外出許可、面談記録、医療・心理評価の実施状況を記録します」
「監視、ですか」
カイトの声が少し低くなった。
黒瀬は彼を見た。
「記録です」
「言い方を変えただけに聞こえます」
「そう聞こえるのは理解します」
黒瀬は否定しなかった。
「ですが、対象者の自由を不必要に制限するつもりはありません。目的は拘束ではなく、安全確認です」
「本当に?」
「本当に、です」
黒瀬の声は揺れなかった。
「ただし、危険が確認されれば制限します」
カイトは奥歯を噛んだ。
分かっている。
それが当然だということは。
でも、イリスやナユが監視対象として扱われることを、すぐには飲み込めなかった。
ユイが、静かにカイトの方を見た。
何かを言うわけではない。
ただ、その目が言っていた。
今は耐えるしかない、と。
カイトは深く息を吐いた。
「……分かりました」
その声は、自分でも納得しきれていないものだった。
だが、それでも飲み込んだ。
黒瀬は次の項目を表示した。
《第六条件:情報共有》
「帝国技術、他の地球に関する航路情報、アースコード、帝国占領地に関する記録について、地球統合軍への一部開示を求めます」
カイルが口を開いた。
「一部、というのは?」
「全開示を求めるつもりはありません。現時点で地球防衛に必要な情報に限定します」
「誰が必要かどうか判断する」
「まずは双方で協議します。ただし、地球への直接的脅威に関わる情報は優先的に提出していただきます」
カイルは少しだけ笑った。
「ずいぶん都合がいいな」
「地球を守る立場ですので」
「なるほど。正直ではある」
カイルはそれ以上追及しなかった。
黒瀬は最後の項目を表示した。
《第七条件:クロウヴェイル・ノア再出航審査》
その文字を見て、カイルの目がわずかに細くなった。
「来たか」
「クロウヴェイル・ノアは、現時点で通常艦ではありません。クロウヴェイルとアーク・ノアの統合改修艦であり、ルクス・ヴァルキュリアの技術支援を受けています。再出航には、追加審査を必要とします」
「つまり、俺達が勝手に出て行くことはできないと」
「そうです」
「独立艦隊としては、あまり面白くない条件だな」
「地球周辺に停泊している間は、地球側の安全保障下にあります」
「地球の許可がなければ動けない艦隊は、独立艦隊とは言いにくい」
「ならば、地球から離れる前に、地球へ危険を残さない証明をしてください」
黒瀬の言葉に、カイルは少しだけ目を伏せた。
そして、静かに笑った。
「嫌な言い方だが、正論だ」
ジン艦長が全体を見回した。
「条件は以上か」
「現時点では以上です。細部については各担当者間で協議します」
黒瀬は端末を閉じた。
「これらの条件を受け入れられない場合、ルクス・ヴァルキュリアの地球滞在許可は見直されます」
会議室は静まり返った。
その場にいる全員が、この条件の重さを理解していた。
受け入れれば、自由は制限される。
拒めば、地球との関係が壊れる。
ジン艦長は目を閉じ、短く息を吐いた。
そして言った。
「ルクス・ヴァルキュリアは、地球統合軍の暫定管理条件を受け入れる」
カイルも頷いた。
「クロウヴェイル・ノアについても、審査を受ける。だが、必要な時は出る。その時の交渉はまた別だ」
「記録しておきます」
黒瀬は短く答えた。
ユイも続いた。
「パルスティア個体群の行動記録について、私からも説明します。彼女達に、監査の意味を伝えます」
「お願いします」
黒瀬は一瞬、ユイを見た。
「ただし、彼女達自身の反応も確認します。あなたの説明だけでは判断しません」
「はい。それで構いません」
カイトは、そのやり取りを黙って見ていた。
納得できない部分はある。
悔しい気持ちもある。
だが、ユイが逃げずに受け入れている。
なら、自分だけが感情で反発するわけにはいかなかった。
会議が終わった後、カイトは通路でユイに追いついた。
「ユイ」
ユイが振り返る。
「はい」
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫、とは言い切れません」
ユイは正直に答えた。
「でも、必要なことです」
「監視されるんだぞ」
「記録されるだけです」
「言い方の問題じゃなくて」
「分かっています」
ユイは静かに言った。
「でも、カイト。私達は今まで、疑われることすら許されませんでした」
「え?」
「帝国にいた頃、命令に従う限り、私達は確認されませんでした。考えているかどうかも、望んでいるかどうかも、誰も問わなかった」
ユイは通路の窓へ視線を向けた。
「でも今は違います。疑われる。問われる。確認される。それは苦しいことです。でも、自分の意思がある存在として見られているからでもあります」
カイトは言葉を失った。
そんな見方を、自分はしていなかった。
疑われることは、ただ嫌なことだと思っていた。
でもユイにとっては、それすら帝国にはなかったものなのだ。
「……強いな、ユイは」
「強くはありません」
ユイは小さく首を振った。
「怖いです」
その言葉は、静かだった。
だからこそ、重かった。
「でも、逃げたくありません」
カイトは少しだけ視線を落とした。
「ごめん。俺、また勝手に怒りそうになってた」
「怒ってくれるのは、少し嬉しいです」
「え?」
「でも、今は大丈夫です」
ユイは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「一緒に確認してもらいましょう。私達が何者なのか」
カイトは、ゆっくりと頷いた。
「ああ」
一方、監査チームの控室では、黒瀬が会議記録を整理していた。
三島が横から声をかける。
「監査官。ルクス側、条件をほぼそのまま受け入れましたね」
「受け入れるしかない条件を提示した」
「かなり厳しい内容でしたが」
「厳しくしなければ意味がない」
黒瀬は端末に視線を落としたまま答えた。
「ただし、予想より冷静でした」
「ユイのことですか」
「ああ」
黒瀬は記録を開いた。
そこには、ユイの発言が残されている。
《信用しろとは言いません。確認してください》
黒瀬はその一文をしばらく見ていた。
「自分が危険視される理由を理解している。反発よりも、証明を選んだ」
「それは、良い傾向ですか」
「良いとも悪いとも言えない」
黒瀬は端末を閉じた。
「従順すぎる反応は、命令系統の残滓とも見える」
三島は少し驚いたように黒瀬を見る。
「そこまで疑いますか」
「疑うのが仕事だ」
黒瀬は立ち上がった。
「だが、疑うだけでも仕事にならない」
「では、次は」
黒瀬は会議室の外へ視線を向けた。
その先には、ルクスの深部へ続く長い通路がある。
工廠区画。
機体が眠り、兵器が整備され、帝国技術と地球技術が混ざり始めている場所。
あの艦の力が、最も露骨な形で現れる場所。
黒瀬は低く言った。
「次は工廠だ」
三島が頷く。
黒瀬は続けた。
「あそこに、この艦の本質がある」
その言葉とともに、監査チームの次の行き先が決まった。
ルクス・ヴァルキュリアは、地球に受け入れられた。
だが、それはまだ、信頼ではない。
条件付きの滞在。
監査下の自由。
疑いの中で始まる共存。
その最初の一歩が、静かに踏み出されようとしていた。




