第94話 工廠監査
ルクス・ヴァルキュリアの工廠区画は、艦内でも特に異質な場所だった。
居住区画のような生活の匂いはない。
医療区画のような清潔な静けさもない。
そこにあるのは、金属音、駆動音、冷却装置の低い唸り、そして整備用アームが動くたびに響く警告音だった。
巨大な格納フレームには、いくつもの機体が固定されている。
地球製のルミナス・フレーム。
帝国製のグレイブ・ドール。
そのどちらとも言い切れない改修機。
そして、まだ形になっていない計画の残骸。
黒瀬誠司は、その光景を無言で見上げていた。
隣には三島、技術監査官、兵装管理官、情報保全官が控えている。
彼らの前に立つのは、ルクス側の整備責任者であるタツヤ・グレンだった。
さらにその横には、腕を組んだグリッド・ハックボルトと、表情の薄いアシュがいる。
地球側と、ラスト・オーダー側と、元帝国技術側。
異なる技術者達が、同じ工廠に立っていた。
それは協力体制であると同時に、互いの技術を監視し合う場でもあった。
タツヤは端末を操作しながら言った。
「ここから先が工廠区画だ。現在稼働中の整備ライン、封鎖ライン、保管区画、危険物隔離区画に分かれている」
黒瀬は視線を動かさずに尋ねる。
「未登録兵装は」
「ある」
タツヤは即答した。
三島がわずかに顔を上げる。
タツヤは肩をすくめた。
「隠しても仕方ないだろ。帝国の艦を奪ったんだ。倉庫を開ければ、こっちの規格にないものはいくらでも出てくる」
「それらはすべて管理されていますか」
黒瀬が問う。
「管理しようとしている、が正確だな」
「完全ではないと」
「完全だったら、あんたらを呼ぶ必要もない」
グリッドが横から低く笑った。
「この艦はな、綺麗な軍港で整備された新造艦じゃねぇ。拾ったもの、奪ったもの、壊れたもの、使えるものを全部突っ込んだ戦場帰りの化け物だ」
「化け物、ですか」
黒瀬はその言葉を繰り返した。
グリッドは悪びれずに頷く。
「ああ。だが、飛ぶ。戦える。人も守れる。それで十分だ」
「十分かどうかを確認するために、我々が来ています」
「だろうな」
グリッドは鼻を鳴らした。
「好きに見ろ。ただし、触る時は言え。下手に動かすと、工廠ごと吹っ飛ぶやつもある」
三島の顔が引きつった。
黒瀬だけは表情を変えなかった。
「では、順番に確認しましょう」
最初に案内されたのは、地球側LFの改修ラインだった。
整備フレームの中央に、白と青を基調とした機体が固定されている。
まだ外装の一部は外され、内部フレームと追加配線が露出していた。
だが、その姿には、以前のアルタイル・カスタムとは明らかに違う印象があった。
重い追加装甲で無理やり性能を引き上げていた機体ではない。
細く、鋭く、そして整っている。
カイトはその前に立ち、少しだけ落ち着かない様子で機体を見上げていた。
黒瀬が端末を見る。
「LF-X04 アルタイル・ノヴァ」
タツヤが頷いた。
「カイト用の再設計機だ。元のアルタイル・カスタムは、正直かなり無理をしていた。出力不足を追加装甲とブースターでごまかしていたからな」
「危険な改修だったと」
「危険だった。だが、あの時点では必要だった」
タツヤは機体を見上げる。
「今回は違う。カイト本人の反応速度、戦闘経験、操縦癖に合わせて、フレームから見直している。重装化じゃなく、最適化だ」
技術監査官が端末に記録を入れる。
「帝国由来部品の使用率は」
「直接の中枢部には使っていない。センサー補助と姿勢制御の一部に、ルクス側で解析した技術を反映している程度だ」
黒瀬の目が細くなる。
「程度、という表現は曖昧です」
「なら数値で出す。後で提出する」
「今後は最初からそうしてください」
「はいはい」
タツヤは雑に返事をした。
カイトは思わず苦笑する。
だが、黒瀬は気にした様子もなく、アルタイル・ノヴァを見上げた。
「この機体は、地球側規格として扱えるのですか」
「扱える。少なくとも、帝国製GDよりはずっと地球側に近い」
「では、カイト機の正式更新案として記録します」
黒瀬は端末に入力した。
カイトはその言葉を聞き、少しだけ背筋を伸ばした。
正式更新案。
それは、この機体がただのその場しのぎではなく、次に進むための機体だと認められたということだった。
次に向かったのは、支援機改修ラインだった。
そこには、薄藍と真珠色の装甲を持つ機体が固定されていた。
ルナ・スケイル・リフレクト。
ミオの支援用LFである。
機体の背部には、鱗のような防御パネルが何枚も重ねられ、その縁に淡い金色の反射ラインが走っている。
ミオはその前に立ち、地球側技術者に説明していた。
「この機体は、単独撃破を目的としたものではありません。通信中継、防御支援、電子妨害の中和、味方機の生存率向上が主な役割です」
黒瀬が問いかける。
「戦場全体を支える機体、ということですか」
「はい」
ミオは穏やかに頷いた。
「特に今後は、地球側LF、ルクス側改修機、ラスト・オーダー系機体、PT専用機が混成で動く可能性があります。その場合、通信規格や防御制御がずれると危険です」
技術監査官が感心したように画面を見る。
「この反射パネルは?」
「防御フィールドの局所展開と、敵電子妨害の反射補助です。ただし、反射というより中和に近いです」
タツヤが補足する。
「派手な火力はない。だが、こいつがいると前線の生存率が上がる。カイトみたいな突っ込み癖のある奴には必要な機体だ」
「ちょっと待て」
カイトが反応する。
「誰が突っ込み癖だ」
「お前だ」
タツヤ、ミオ、グリッドの声が重なった。
カイトは何も言えなくなった。
三島が小さく笑いかけて、慌てて表情を戻す。
黒瀬はそのやり取りを見ていたが、すぐに端末へ視線を落とした。
「LF-PT-M01R ルナ・スケイル・リフレクト。広域支援機として記録します。監査上の危険度は中。理由は、電子戦能力が高いため」
ミオは少しだけ苦笑した。
「支援機でも危険扱いですか」
「通信を支配できる機体は、戦場を支配できます」
黒瀬は即答した。
「火力だけが危険ではありません」
その言葉に、ミオは静かに頷いた。
「その通りです」
続いて、格納庫の奥にある別ラインへ移動した。
そこには、砂白と白磁の装甲を持つ細身のGDが固定されていた。
フェンリオン・リサイト。
セラの機体だった。
以前のフェンリオンと大きく形は変わっていない。
だが、頭部と砲撃ユニットのセンサー光は、かつての金色ではなく、青緑に変わっていた。
セラは機体の前に立っていた。
腕を組み、少し不機嫌そうに見える。
だが、それが緊張を隠すための表情だと、カイトには分かり始めていた。
黒瀬が記録を読む。
「GD-PT-S01R フェンリオン・リサイト。帝国製パルスティア専用高機動狙撃機の再調整型」
セラの肩がわずかに動く。
黒瀬は続ける。
「変更点は、帝国命令系統の除去、照準補助AIの再調整、セラ本人の判断を優先する発射制御への変更」
タツヤが頷いた。
「火力を上げたわけじゃない。むしろ制御を重くした。以前のこいつは、命令があれば撃てる機体だった。今は、本人が撃つと決めなきゃ撃てない機体にしている」
「兵器としては反応が遅れるのでは」
兵装管理官が尋ねる。
セラが口を開いた。
「遅れていい」
全員の視線がセラへ向く。
セラはフェンリオンを見上げたまま続けた。
「前は、撃てと言われたら撃った。迷う前に照準が合って、命令の通りに引き金を引けた」
彼女の声は硬かった。
「でも、それでは駄目だった」
黒瀬は静かに聞いていた。
セラは続ける。
「この機体は、私が撃つための機体。命令が撃つ機体じゃない」
しばらく沈黙が落ちた。
黒瀬は端末に記録を入れた。
「発射判断の主体を、搭乗者本人へ移行。確認しました」
セラは少しだけ意外そうに黒瀬を見た。
「何か言わないの?」
「言うべきことはあります」
黒瀬はセラを見返した。
「その判断が本当にあなた自身のものか、今後確認します」
セラは一瞬だけ目を細めた。
だが、反発はしなかった。
「……好きにすれば」
「そうします」
黒瀬は短く答えた。
その隣のラインには、鉄灰と黒紺のフレームを持つ機体が置かれていた。
LF-PT-R01 ヴァナルガンド。
レイ用の高機動近接機である。
まだ完成状態ではない。
腕部や脚部には仮組みの装甲が多く、姿勢制御系の調整も終わっていない。
だが、そのシルエットは、既に獣のような鋭さを持っていた。
レイは無言で機体を見ていた。
リンも少し離れたところから、それを見つめている。
黒瀬は両者を一瞥した。
「同じR系列ですか」
ミオが答える。
「はい。レイはPT-Rオリジナル。リンは量産型PT-R系列です」
ミオは一拍置いて、補足した。
「同じR系列ではありますが、同一個体ではありません。レイは原型、リンはそこから作られた量産・派生側です」
「機体の関係は」
タツヤが説明する。
「ヴァナルガンドはレイ用。ガルム・カスタムの戦闘データと、レヴァン由来のPT対応技術を一部流用している。近接戦特化だが、帝国GDではなくLF側の設計に寄せる」
黒瀬はリンを見る。
「リンのヴァイス・リッパー・リビルドとは別系統ですか」
「別だ。あっちは帝国製処分部隊用高速追撃機を、ラスト・オーダー側で作り直したもの。こっちは地球側LF系をベースに、PT-R用へ新造する方向だ」
グリッドが横から口を挟む。
「同じ速い機体でも、思想が違う。ヴァイス・リッパーは追い詰めて狩る機体。ヴァナルガンドは、前線で噛み砕く機体だ」
「物騒な表現ですね」
三島が言った。
グリッドは笑った。
「実際、物騒だからな」
レイが低く言う。
「使いこなす」
その短い言葉に、リンがわずかに反応した。
黒瀬はそれも記録していた。
同系統のオリジナルと量産型。
似ているが、同じではない。
機体もまた、それを示している。
次の区画では、暗赤と黒鉄を基調とした機体の設計データが表示されていた。
RVN-PT-L01 ヴァルクレイド。
レータ用の指揮・分析系機体である。
機体そのものはまだ完全な形にはなっていない。
現在は、クロウヴェイル側の格納データと、ルクス工廠の部品を組み合わせた改修案として管理されていた。
レータは端末を覗き込みながら、なぜか自分の機体の説明を真剣に聞いていた。
三島が少し不思議そうに尋ねる。
「搭乗者本人ですよね」
「はい」
レータが頷いた。
「ですが、私もまだ全仕様を把握していません」
「自分の機体なのに?」
「私用に調整される予定の機体です。予定は未来です。未来は未確定です」
三島は返答に困った。
ミオが小声で補足する。
「レータは、たまにこういう言い方をします」
「たまに?」
カイトが小さく言う。
「結構いつもじゃないか?」
レータは真面目な顔で振り返った。
「カイト、それは誤解です。私は必要な時にだけ論理的です」
「自分で言うのか……」
少しだけ空気が緩んだ。
黒瀬はそのやり取りを見ていたが、表情は変えなかった。
タツヤが説明を続ける。
「ヴァルクレイドは、直接火力より指揮・分析・戦場統括に寄せる。レータはコマンダータイプだ。単機で暴れるより、複数機を動かす時に価値が出る」
「指揮機は危険です」
黒瀬が言った。
「乗り手次第で、戦場全体を変える」
レータはその言葉に頷いた。
「その評価は正しいです」
「自覚はあると」
「あります。だからこそ、私には監査が必要です」
黒瀬は少しだけレータを見た。
彼女は真面目だった。
真面目すぎるほどに。
「記録します」
黒瀬は端末に入力した。
次に案内されたのは、艦艇改修ブロックだった。
そこには、機体ではなく、巨大な艦体構造図が表示されていた。
クロウヴェイル。
アーク・ノア。
そして、それらを統合改修する計画。
クロウヴェイル・ノア。
ジン艦長とカイルが、この区画では同席していた。
黒瀬は図面を見つめる。
「クロウヴェイル・ノア計画。クロウヴェイルとアーク・ノアの統合改修艦」
カイルが頷いた。
「まだ完全な統合ではない。クロウヴェイルを基礎に、アーク・ノアの通信系、指揮系、地球側規格を残す形だ」
ジン艦長が続ける。
「アーク・ノアの通信機能は、当面維持する。地球上層部との連絡、統合軍との情報共有、帰還時の識別にも必要だ」
「独立運用と地球側連絡機能の両立、ですか」
黒瀬が言う。
「その通りだ」
ジン艦長は静かに答えた。
「ルクスが外宇宙へ出るなら、完全に地球と切り離されるわけにはいかない。だが、地球の指揮下だけでは動けない場面も出る」
カイルが肩をすくめる。
「つまり、中途半端な艦だ」
「便利な艦とも言える」
ジン艦長が返す。
カイルは少し笑った。
「まあな」
黒瀬は二人のやり取りを見た後、図面へ視線を戻した。
「再出航には追加審査が必要です」
「分かっている」
カイルはすぐに答えた。
「ただし、救難信号や帝国の動きが確認された場合、判断は早くしてもらう」
「早く判断するために、今確認しています」
黒瀬は淡々と言った。
「クロウヴェイル・ノアは、ただの艦ではありません。地球側、ラスト・オーダー側、ルクス側の技術と指揮系統が混ざる。混ざったものは強い。ですが、壊れ方も予測しづらい」
カイルはその言葉を否定しなかった。
「そうだな」
ジン艦長も頷く。
「だからこそ、今のうちに整理しておく必要がある」
黒瀬は記録を更新した。
「クロウヴェイル・ノア計画。再出航前追加審査対象として継続監査します」
工廠監査は、次第に深部へ進んでいった。
そこから先は、空気がさらに重くなる。
量産型GD保管区画。
厚い隔壁の向こうに、帝国製のグレイブ・ドールが並んでいた。
GD-01 モルテム。
GD-02 セレネ。
GD-03 ラメント。
GD-04 リリス。
GD-05 グラディウス。
GD-06 バリスタ。
GD-07 ヴェイル。
GD-08 ヴェス。
GD-09 カタコンベ。
GD-10 ノクターン。
GD-11 ファランクス。
GD-12 エレジア。
GD-13 オブスクラ。
GD-14 カロン。
GD-15 オルトロス。
GD-16 アビス。
GD-17 ノワール。
そのすべてが完全稼働状態というわけではない。
損傷機もある。
部品取り用もある。
封印されたままの機体もある。
だが、それでも、番号が揃っているという事実には重みがあった。
三島は思わず息を呑む。
「これだけの数が……」
グリッドが低く言った。
「全部動くわけじゃねぇ。だが、部品は使える。直せるやつもある。敵が使っていたものでも、こっちが生き残るには必要になる」
黒瀬は一機ずつ視線を動かした。
「再利用する予定は」
タツヤが答える。
「すぐに前線へ出す予定はない。だが、防衛用、部品取り、解析用として使う可能性はある」
「帝国命令系統は」
アシュが初めて口を開いた。
「残っているものもある」
全員の視線がアシュへ向いた。
アシュは表情を変えない。
「完全に消せたと断言する方が危険だ。特にノワール、アビス、オブスクラは、隠密・電子系の残滓が残りやすい」
黒瀬はアシュを見る。
「あなたは元帝国研究側でしたね」
「ああ」
「信用してよい情報ですか」
「信用しなくていい。検証すればいい」
アシュは淡々と返した。
「俺の言葉を信じる必要はない。だが、疑うなら、疑う手順を間違えるな」
三島が少し眉を動かす。
黒瀬は、しばらくアシュを見ていた。
「合理的な意見です」
「そうか」
「あなたも監査対象です」
「知っている」
アシュはそれだけ言って、また黙った。
黒瀬はGDの列へ視線を戻した。
いずれも、現時点では封印管理および解析対象だった。
実戦投入ではなく、命令系統の残滓、構造情報、対抗策の確認が優先される。
「これらは兵器ではない」
その言葉に、タツヤがわずかに眉を上げる。
黒瀬は続けた。
「正確には、兵器であると同時に、未来の選択肢です」
格納庫の空気が静まる。
「選択肢?」
カイトが聞き返した。
黒瀬はGDの列を見つめたまま言った。
「地球は、この技術を使うこともできる。封じることもできる。破壊することもできる。解析して対抗策を作ることもできる」
彼の声は冷たかった。
だが、ただ切り捨てる声ではなかった。
「ですが、選択肢は間違えれば災厄になる」
カイトは言葉を失った。
黒瀬の視線の先にあるGD達は、沈黙している。
ただ並んでいるだけだ。
だが、それらがかつてどれほど多くの戦場で使われたのかを思うと、ただの機械には見えなかった。
工廠のさらに奥。
そこには、通常の監査チームすら立ち入りを制限される区画があった。
ネメシス・レクイエム残骸保管区画。
厚い隔壁には、三重の認証ロックがかけられている。
照明は暗く、空気は冷たい。
入室したのは、黒瀬、三島、技術監査官、タツヤ、グリッド、アシュ、ユイ、カイト、そしてジン艦長だけだった。
隔壁が開く。
その先にあったのは、巨大な黒い残骸だった。
漆黒の外殻。
赤黒い脈動光を失った、骨のような機械フレーム。
ところどころに残る骨白の装甲片。
それはもはや完全な機体ではない。
だが、死んだとも言い切れない存在感があった。
カイトは喉の奥が乾くのを感じた。
ユイは静かにその残骸を見つめている。
黒瀬が低く言った。
「これが、ネメシス・レクイエム残骸」
タツヤが頷く。
「現状では起動不能。出力炉は分離済み。暴走原因と見られる人工知能パーツも一部封印している」
「一部」
黒瀬は即座に反応した。
「すべてではないのですか」
アシュが答えた。
「すべてを取り外せば、機体構造そのものが崩れる可能性がある。レクイエムは通常のGDとは違う。制御系と構造材が深く結びついている」
「危険ですね」
「ああ」
アシュは短く答えた。
「危険だ」
黒瀬は残骸を見上げた。
「これを改修する計画があると聞いています」
室内の空気が一段重くなった。
タツヤはすぐには答えなかった。
グリッドも黙っている。
ユイが一歩前に出た。
「計画案です」
ユイはすぐに付け加えた。
「理論案です。接続試験も、出力試験も、まだ行っていません」
黒瀬の視線がユイへ向く。
「名称は」
ユイはわずかに息を吸った。
「ノクス・レクイエム」
その名前が、暗い区画に静かに落ちた。
三島が端末を握る手に力を入れる。
黒瀬は表情を変えない。
「内容は」
タツヤが答えた。
「ネメシス・レクイエムの外殻、高出力機関、変形構造を一部再利用する。暴走原因となる人工知能パーツは除去、または封印。中核操縦ユニットとして、ユイのノクス・リリスを組み込む」
黒瀬の目が鋭くなる。
「ノクス・リリスを、ですか」
「そうだ」
「それは、ユイを制御装置として使うという意味ですか」
カイトが反射的に顔を上げた。
「違います」
ユイが言った。
その声は静かだったが、はっきりしていた。
「私は制御装置ではありません」
「では何です」
「搭乗者です」
黒瀬はユイを見つめた。
ユイは逃げなかった。
「ノクス・リリスは、私が帝国側で使用していた機体です。操縦系統も、同期系統も、私に合わせられています。それを中核にすれば、レクイエムの危険な制御系を減らせる可能性があります」
「可能性」
「はい。確実ではありません」
ユイは認めた。
「だから、今すぐ使うべきではありません」
カイトはユイの横顔を見た。
彼女は、この機体を恐れている。
だが、必要なら向き合うつもりでもいる。
それが分かった。
黒瀬は技術監査官へ視線を向ける。
「評価は」
技術監査官は苦い表情で答えた。
「理論上は、成立する余地があります。ただし、危険性が高すぎます。出力系、変形構造、残存AI、搭乗者負荷、暴走時の停止手段。問題が多すぎる」
「停止手段は」
タツヤが答える。
「中核部のノクス・リリスを強制離脱させる構想がある。外殻を捨てる形だ」
「離脱できなければ」
沈黙。
その沈黙が答えだった。
黒瀬は端末を閉じた。
「これは承認できません」
カイトが顔を上げる。
黒瀬は続けた。
「少なくとも今は」
ユイは反論しなかった。
ただ静かに頷いた。
「分かっています」
「本当に分かっていますか」
黒瀬の声が少しだけ厳しくなる。
「これは切り札ではありません。現時点では、制御不能の災厄候補です」
カイトは思わず一歩前に出そうになった。
だが、ユイが手で制した。
彼女は黒瀬を見たまま言う。
「その評価は正しいです」
黒瀬は沈黙した。
ユイは続ける。
「だから、封印してください。監査対象にしてください。私一人の判断で起動できないようにしてください」
カイトは息を呑んだ。
「ユイ……」
「必要になるかもしれません」
ユイは残骸を見上げた。
「でも、必要だと思った時ほど、誰かに止めてもらう必要があります」
黒瀬の目がわずかに動いた。
その言葉は、予想外だったのかもしれない。
ユイは静かに言った。
「私は、自分が正しいと信じすぎるのが怖いです」
その一言で、区画の空気が変わった。
カイトは、胸の奥が締めつけられるのを感じた。
黒瀬はしばらくユイを見ていた。
そして、低く言った。
「ノクス・レクイエム計画は凍結。ネメシス・レクイエム残骸は、地球統合軍とルクス側の共同封印管理対象とします」
タツヤが頷く。
「妥当だな」
グリッドも渋い顔で言った。
「今動かすもんじゃねぇ」
アシュは残骸を見上げたまま、短く呟いた。
「動かさずに済むなら、それが一番いい」
黒瀬はその言葉を記録した。
*
監査終了後。
工廠区画の出口で、カイトはユイに声をかけた。
「本当に、よかったのか」
ユイは振り返る。
「ノクス・レクイエムのことですか」
「うん。あれ、ユイの機体になるかもしれないんだろ」
「はい」
「なのに、自分で封印してくれって」
ユイは少しだけ考えた。
「カイト。力は、欲しいと思った時ほど危険です」
カイトは黙った。
「今の私達には、強い力が必要です。帝国と戦うには、きっと足りないものが多い。でも、足りないからといって、何を使ってもいいわけではありません」
ユイは工廠の奥を見た。
「レクイエムは、そういう力です」
「怖いのか?」
「はい」
ユイは正直に頷いた。
「怖いです。ですが、必要になった時に逃げたくもありません」
「……難しいな」
「はい」
ユイは小さく息を吐いた。
「とても」
カイトは少しだけ笑った。
「じゃあ、その時は俺も止める」
「止めるのですか」
「必要なら」
ユイはカイトを見た。
その目に、少しだけ驚きが浮かぶ。
カイトは続けた。
「ユイが無理しそうになったら止める。でも、本当に必要なら一緒に考える。勝手に背負わせない」
ユイはしばらく黙っていた。
そして、ほんの少しだけ微笑んだ。
「ありがとうございます」
その言葉は小さかったが、工廠の騒音の中でもカイトにははっきり聞こえた。
同じ頃。
監査チームの記録室では、黒瀬が工廠監査の一次報告をまとめていた。
三島が横に立ち、端末を確認している。
「監査官。危険度評価、かなり高めになりますね」
「当然です」
黒瀬は淡々と答えた。
「アルタイル・ノヴァは地球側規格で管理可能。ルナ・スケイル・リフレクトは支援機として有用。ただし電子戦能力に注意。フェンリオン・リサイトは搭乗者意思の確認継続。ヴァナルガンドとヴァルクレイドは完成前監査継続。クロウヴェイル・ノアは再出航前審査必須」
「ノクス・レクイエムは」
「凍結」
黒瀬は即答した。
「現時点で承認する理由がありません」
「ですが、必要になる可能性は」
「あります」
三島が少し驚く。
黒瀬は端末に記録を打ち込みながら言った。
「だから破棄ではなく凍結です」
「封じるけれど、捨てない」
「そうです」
黒瀬は画面を閉じた。
「この艦にあるものは、どれも危険です。だが、危険だからすべて捨てれば、次に来る脅威に対抗できない」
三島は工廠の方角を見た。
「難しいですね」
「難しいから監査が必要です」
黒瀬は立ち上がった。
「兵器は分かりやすい。撃てるか、飛べるか、壊せるかで評価できる」
彼は通路の向こうに視線を向けた。
そこには、工廠から居住区画へ戻っていくユイ達の姿が小さく見えた。
「問題は、それを使う者です」
三島は黒瀬を見る。
「次は、やはり」
「PT個体群の観察に移ります」
黒瀬は言った。
「工廠で、この艦の力は見た」
そして、少しだけ声を低くする。
「次に見るべきは、その力を持つ者達が、何を望んでいるのかです」
ルクス・ヴァルキュリアの工廠には、未来の戦力が眠っていた。
地球を守るための力。
帝国へ対抗するための力。
そして、一歩間違えれば、すべてを壊す力。
そのすべてを抱えたまま、ルクスは地球の空の下に留まっている。
信頼には、まだ遠い。
だが、隠さずに見せた。
それだけは、確かな一歩だった。




