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第92話 監査官

 地球統合軍中央監査局。

 その会議室には、戦場とは違う種類の静けさがあった。

 銃声もない。警報もない。爆炎もない。

 あるのは、厚い防音壁と、淡く光る記録端末。そして、机の上に並べられた膨大な資料だけだった。

 黒瀬誠司は、無言で画面をスクロールしていた。

 表示されているのは、第九十一回臨時審査会議の記録である。

 対象は、超大型艦ルクス・ヴァルキュリア。

 分類は、暫定的に「友軍協力艦」。

 ただし、備考欄には赤字でこう記されている。

《完全承認には至らず。継続監査対象》

 黒瀬は、その一文をしばらく見つめた。

 当然だ、と彼は思った。

 あの艦を、ただの協力者として扱うには危険が大きすぎる。

 ルクス・ヴァルキュリア。

 帝国技術を内包した超大型秘匿都市艦。

 本来は移民都市艦に近い構造を持ちながら、帝国によって軍事転用されかけた巨大艦。

 多数のパルスティア個体を保護し、帝国製兵器を収容し、ネメシス・レクイエムの残骸すら保管している艦。

 さらに、クロウヴェイル・ノアへの改修計画まで進んでいる。

 味方ならば、これ以上ない戦力だ。

 だが、もし敵に回れば。

 もし内部から制御を奪われれば。

 もし保護対象とされているパルスティア達が、再び帝国の命令系統に接続されたなら。

 その時、地球は本当に対処できるのか。

 黒瀬は、資料の次の項目を開いた。

《ユイ。帝国研究区画由来のオリジナル・パルスティア。現在は地球側に協力》

《カイル。通称レイヴン。独立艦隊指揮官。ルクス側主要人物》

《イリス。記録・観測型パルスティア》

《セラ。射撃特化型パルスティア。帝国命令系統除去済み》

《レータ。指揮・分析型パルスティア。過去に帝国より離脱》

《ネメシス・レクイエム残骸。危険度、最大級》

 黒瀬は小さく息を吐いた。

「……信用したい者がいるのは理解できる」

 誰に聞かせるでもなく、彼は呟いた。

「だが、信用と安全確認は別だ」

 それが、黒瀬誠司という男の判断基準だった。

 善意を否定するわけではない。

 ただ、善意だけで艦も兵器も保護対象も扱えないと知っている。

 その時、会議室の扉が開いた。

 入ってきたのは、監査局の副官である三島だった。手には新しい資料端末を抱えている。

「黒瀬監査官。ルクス・ヴァルキュリア側から提出された追加資料です」

「内容は」

「居住区画、工廠区画、医療区画、保管兵器リスト。それと、パルスティア個体群の暫定行動記録です」

「全部か」

「はい。向こうはかなり協力的です」

 三島の声には、わずかな安堵が混じっていた。

 黒瀬はそれを聞き逃さなかった。

「協力的であることと、安全であることは違う」

 三島は口をつぐんだ。

「失礼しました」

「責めているわけではない」

 黒瀬は端末を受け取り、資料を開いた。

「むしろ、協力的だからこそ慎重に見る必要がある。敵意を向けてくる相手より、善意で危険を持ち込む相手の方が判断は難しい」

「善意で危険を、ですか」

「そうだ」

 黒瀬は画面に映るルクス・ヴァルキュリアの全体図を見た。

 巨大な艦体。

 その内部に、人が住み、機体が眠り、技術が蓄積され、兵器が封印されている。

「あの艦は、避難船であり、兵器庫であり、研究施設であり、戦艦でもある。どれか一つなら対処できる。だが、すべてが一つに集まっている」

 黒瀬は淡々と言った。

「危険でないはずがない」


 同じ頃。

 ルクス・ヴァルキュリアの居住区画には、久しぶりに少しだけ柔らかな空気が戻っていた。

 地球への降下。

 審査会議。

 暫定的な滞在許可。

 すべてが終わったわけではないが、それでも艦内の緊張は一段階だけ緩んでいた。

 カイトは食堂区画の窓際に座り、手元の端末を見ていた。

 表示されているのは、地球統合軍から送られてきた通達だった。

《ルクス・ヴァルキュリアの地球滞在について》

《本艦は地球統合軍の暫定監査下に置かれる》

《監査終了までの間、兵装使用、独自航行、工廠稼働、外部通信には一部制限を設ける》

 カイトは小さく眉を寄せた。

「……やっぱり、簡単にはいかないか」

 向かいに座っていたミオが、カップを置いた。

「当然よ。むしろ、よくここまで認めた方だと思う」

「そうなのか?」

「そうよ。あれだけの艦が地球に降りてきたのよ。しかも帝国技術入り。普通なら、近づける前に包囲されてもおかしくないわ」

「それは……まあ、そうだけど」

 カイトは視線を落とした。

 理屈では分かる。

 だが、今のルクスにはユイがいる。イリスがいる。セラやレータ達もいる。

 彼女達を危険物のように扱われるのは、やはり気持ちのいいものではなかった。

 そこへ、ユイが静かに歩いてきた。

「カイト」

「あ、ユイ」

 ユイはカイトの隣に座ると、端末の画面を見た。

「監査通達ですね」

「うん。これから色々見られるみたいだ」

「当然です」

 ユイの声は落ち着いていた。

 あまりにも落ち着いていたので、カイトは少し驚いた。

「怒らないのか?」

「怒る理由がありません」

 ユイは静かに答えた。

「私は帝国側にいた存在です。ルクスには帝国の兵器もあります。レクイエムの残骸もあります。地球側が警戒するのは当然です」

「でも、ユイはもう――」

「それを証明する必要があります」

 ユイはカイトの言葉を遮るように、けれど穏やかに言った。

「私は、自分が変わったと思っています。カイト達を裏切るつもりもありません。ですが、それは私の中の話です。地球側から見れば、確認しなければならない事実です」

 カイトは何も言えなかった。

 ユイの言葉は正しかった。

 正しすぎて、反論できなかった。

「信用しろとは言いません」

 ユイは、端末に表示された通達を見つめた。

「確認してください。そう言うしかありません」

 ミオが、少しだけ目を伏せた。

「ユイ……」

「大丈夫です」

 ユイは小さく首を振った。

「怖くないわけではありません。でも、ここで逃げれば、もっと疑われます」

「……そうだな」

 カイトは端末を閉じた。

「なら、俺も付き合う」

「カイト?」

「監査に全部付き合えるかは分からないけど、必要なら俺も説明する。ルクスのことも、ユイ達のことも」

 ユイは少しだけ驚いたようにカイトを見た。

 そして、ほんのわずかに表情を緩めた。

「ありがとうございます」

 その声は、小さかった。

 だが、カイトには十分だった。


 監査局の会議室では、黒瀬が監査チームの編成表を確認していた。

 参加者は、軍務監査官、技術監査官、医療監査官、心理評価官、兵装管理官、情報保全官。

 通常の艦艇監査としては、明らかに過剰な人数だった。

 だが、黒瀬はそれでも足りないと考えていた。

「監査対象を区分する」

 黒瀬は集まった職員達へ向けて言った。

「第一。艦体機能。ルクス・ヴァルキュリアそのものの航行能力、兵装、エネルギー系統」

 画面に艦体図が表示される。

「第二。工廠区画。現在改修中の機体、帝国由来部品、クロウヴェイル・ノア関連計画」

 次に、機体リストが表示された。

 アルタイル・ノヴァ。

 ルナ・スケイル・リフレクト。

 フェンリオン・リサイト。

 ヴァナルガンド。

 ヴァルクレイド。

 そして、黒塗りされた項目。

《ノクス・レクイエム計画》

 その文字を見た数人が、表情を強張らせた。

 黒瀬はあえて説明しなかった。

 まだ、彼らに全容を知らせる段階ではない。

「第三。保管兵器。量産型GD、帝国兵装、ネメシス・レクイエム残骸」

 部屋の空気が重くなる。

「第四。パルスティア個体群」

 画面に、ユイ達の画像が並んだ。

 ユイ。

 イリス。

 セラ。

 レータ。

 ナユ。

 リン。

 レイ。

 ほか、保護対象個体。

「彼女達を物として扱うつもりはない」

 黒瀬は最初にそう言った。

 それを聞いて、何人かの職員がわずかに顔を上げる。

「だが、人として扱うならば、なおさら確認が必要だ。意思があるのか。命令系統から独立しているのか。自分の判断で行動しているのか。危機時にどう反応するのか」

 黒瀬は淡々と続けた。

「兵器として危険なのではない。意思ある存在として、どこまで信用できるかを見なければならない」

 心理評価官の女性が、静かに手を挙げた。

「監査官。対象者への接触方針は」

「尋問ではない。観察と面談だ」

「強制は」

「しない」

 黒瀬は即答した。

「強制すれば、結果は歪む。怯えさせても、反発させても、本質は見えない」

「では、彼女達の自然な行動を確認する形で?」

「そうだ」

 黒瀬は資料を閉じた。

「見るべきものは戦闘記録だけではない。日常の反応、選択、会話、沈黙。そういうものの中に、命令ではない意思が出る」

 会議室が静まり返る。

 黒瀬は最後に言った。

「我々の仕事は、彼らを信じることではない」

 その声は冷たかった。

 だが、冷酷ではなかった。

「信じてもよい状態かを確認することだ」


 ルクスの格納庫では、整備員達が慌ただしく動いていた。

 監査の通知を受け、工廠区画では各機体の登録情報や整備履歴の整理が進められている。

 タツヤは端末を片手に、整備記録を確認していた。

「アルタイル系はこっち。帝国由来パーツの混入率を明記。クロウヴェイル・ノア関連は、アーク・ノア側の通信系統を別項目に分けておけ」

 グリッドが工具を肩に担ぎながら顔をしかめる。

「ずいぶん細かいな」

「細かくしないと止められる」

「まあ、そりゃそうか」

 グリッドは格納庫の奥へ視線を向けた。

 そこには、封鎖された区画があった。

 ネメシス・レクイエム残骸保管区画。

 厚い隔壁と複数の認証ロックに守られたその場所は、格納庫の中でも異様な存在感を放っていた。

「……あそこも見せるのか?」

 グリッドが低く尋ねる。

 タツヤは少し間を置いてから答えた。

「見せないと、余計に疑われる」

「見せたら見せたで問題になるぞ」

「分かってる」

 タツヤは端末を閉じた。

「でも、隠せるものじゃない。あれはもう、こっちの問題だけじゃない」

 グリッドは返事をしなかった。

 その沈黙が、答えのようなものだった。

 少し離れた場所では、セラがフェンリオンの前に立っていた。

 機体の外装は一部が開かれ、照準補助AIの再調整が進められている。

 以前のフェンリオンは、命令に従って撃つための機体だった。

 だが今は違う。

 撃つかどうかを、セラ自身が決めるための機体へ変わろうとしている。

 セラはその機体を見上げ、静かに拳を握った。

「……また見られるのね」

 隣にいたナユが首を傾げる。

「監査、嫌?」

「嫌というより……落ち着かない」

「どうして?」

「自分が何者なのか、他人に確認されるみたいだから」

 ナユは少し考えたあと、ぽつりと言った。

「でも、セラはセラ」

 セラは目を瞬かせた。

 ナユは表情を変えずに続ける。

「たぶん、それを見せればいい」

「簡単に言うわね」

「難しい?」

「……少し」

 セラは苦笑した。

 その表情を、格納庫の監視カメラが静かに記録していた。


 黒瀬の端末に、ルクス内部の映像が送られてくる。

 まだ正式監査前の予備記録だった。

 工廠で慌ただしく動く整備員。

 食堂で会話するカイトとユイ。

 訓練区画で立ち止まるセラ。

 記録端末を抱え、廊下の案内板を真剣に見つめるイリス。

 補給物資を前に、なぜか菓子袋を分類しているナユ。

 黒瀬は映像を無言で見ていた。

 三島が横から言う。

「……普通に見えますね」

「普通、か」

「少なくとも、記録上の帝国兵器には見えません」

「だからこそ難しい」

 黒瀬はイリスの映像で画面を止めた。

 イリスは案内板を見たあと、記録端末に何かを入力している。

 その横を通りかかった地球側の技術員が、迷っているのかと声をかける。

 イリスは一瞬驚いたように振り返り、それから小さく頭を下げる。

 画面に音声はなかった。

 それでも、彼女が礼を言ったのだと分かった。

 三島は少しだけ表情を和らげた。

「……本当に、普通の子みたいですね」

「普通の子が、戦場で機体制御や戦術記録をこなすか」

「それは……」

「彼女達は危険だ」

 黒瀬は言った。

「だが、危険だから排除する、という判断もまた危険だ」

 三島は黒瀬を見た。

 黒瀬の表情は変わらない。

 けれど、その声にはわずかな重みがあった。

「あの艦には、兵器として造られた者達がいる。だが、彼女達が今も兵器なのか。それとも、兵器として造られただけの人間なのか」

 黒瀬は画面を閉じた。

「それを見誤れば、我々は帝国と同じことをする」

 三島は息を呑んだ。

「監査官……」

「勘違いするな。私は彼女達を守るために監査するわけではない」

 黒瀬は立ち上がった。

「地球を守るためだ」

 その言葉に嘘はなかった。

 だが、その中に含まれる意味は一つではなかった。


 ルクスの展望区画。

 カイトは、窓の向こうに見える地球を眺めていた。

 青い星。

 戦争の中でも、遠くから見れば静かに見える。

 だが、その上では多くの人が暮らしている。

 守らなければならない場所。

 帰るべき場所。

 そして今、ルクスを疑っている場所でもある。

「ここにいたんですね」

 背後から声がした。

 ユイだった。

「少し、考え事」

「監査のことですか」

「うん」

 カイトは苦笑した。

「頭では分かってるんだけどさ。やっぱり、気分は良くないな」

「私もです」

 ユイは静かに隣へ並んだ。

「え?」

「怖くないわけではないと言いました。でも、平気という意味ではありません」

 カイトはユイを見た。

 ユイは地球を見つめたまま、続ける。

「監査されるということは、疑われるということです。疑われることは、痛いです」

「……ユイ」

「でも、必要な痛みです」

 ユイの声は静かだった。

「帝国にいた頃、私達は疑われませんでした。命令に従う限り、確認される必要がなかったからです」

 カイトは何も言えなかった。

「でも今は違います。疑われる。確認される。自分の意思を問われる」

 ユイは、ほんの少しだけ目を伏せた。

「それは、怖いことです。でも……たぶん、自由に近いことでもあります」

 カイトは、ゆっくりと息を吐いた。

「自由って、もっと明るいものだと思ってた」

「私もです」

 ユイは小さく微笑んだ。

「でも、自由は選ばなければなりません。選ぶには、責任があります。責任があるから、確認されます」

「……大変だな」

「はい」

 ユイは素直に頷いた。

「とても」

 その返事があまりに真面目で、カイトは少しだけ笑った。

 ユイも、わずかに表情を緩める。

 その瞬間、展望区画の扉が開いた。

 ミオが顔を出す。

「二人とも、いた。監査チームの到着時間が決まったわ」

「いつ?」

「明朝。まずは代表者面談。その後、艦内区画の確認に入るそうよ」

 カイトは表情を引き締めた。

「いよいよか」

 ユイも静かに頷く。

「はい」


 翌朝。

 ルクス・ヴァルキュリアの接続ゲートに、地球統合軍の小型連絡艇が接舷した。

 艦内に短い電子音が鳴る。

《地球統合軍監査チーム、到着》

 ゲートの前には、ジン艦長、カイル、カイト、ユイ、ミオ、タツヤが並んでいた。

 空気は重い。

 敵を迎えるわけではない。

 だが、完全な味方を迎える空気でもなかった。

 やがてゲートが開く。

 先頭に立っていたのは、黒い軍服を着た男だった。

 黒瀬誠司。

 地球統合軍中央監査局所属、特別監査官。

 彼は一歩ルクスの床を踏みしめると、艦内を見回した。

 その視線は鋭い。

 だが、敵意はなかった。

 敵意よりも冷たいもの。

 職務としての警戒。

 それが彼の全身から伝わってきた。

 ジン艦長が口を開く。

「ようこそ、ルクス・ヴァルキュリアへ。黒瀬監査官」

「受け入れに感謝します。ジン艦長」

 黒瀬は短く敬礼した。

 そして、カイル、カイト、ユイへと視線を移す。

 ユイと目が合った時、黒瀬はわずかに沈黙した。

「あなたが、ユイですね」

「はい」

 ユイはまっすぐに答えた。

「ユイです」

「あなたについては、多くの記録を読みました」

「そうですか」

「ですが、記録だけでは判断できません」

「分かっています」

 ユイは静かに言った。

「確認してください」

 その言葉に、黒瀬の目がわずかに細くなった。

 予想していた答えだったのか。

 それとも、予想以上だったのか。

 カイトには分からなかった。

 黒瀬は一度だけ頷いた。

「そのつもりです」

 そして彼は、ルクスの奥へ視線を向けた。

「本監査を開始します」

 誰も言葉を挟まなかった。

 黒瀬は端末を開き、最初の監査項目を表示する。

 そこには、工廠でも兵装でもなく、こう記されていた。

《第一監査対象:パルスティア個体群の生活・意思反応》

 ジン艦長がわずかに眉を動かす。

 カイルも意外そうに黒瀬を見た。

「兵装からではないのか?」

 カイルが尋ねる。

 黒瀬は静かに答えた。

「兵装は後で確認します」

 彼は、ルクスの廊下の奥を見つめた。

 そこでは、遠くからイリスとナユがこちらを覗いていた。

 ナユはすぐに隠れたが、イリスは記録端末を抱えたまま、じっと黒瀬を見ている。

 黒瀬はその姿を見て、低く言った。

「まず確認すべきは兵器ではありません」

 全員が彼の言葉を待った。

 黒瀬は続けた。

「兵器として造られた者達が、なぜ笑っているのかです」

 その一言で、場の空気が変わった。

 冷たい監査が始まる。

 だが、それは単に疑うためのものではない。

 信じるために、疑う。

 守るために、確認する。

 ルクス・ヴァルキュリアが地球に受け入れられるかどうか。

 その本当の審査は、ここから始まろうとしていた。

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