第91話 審査会議 ~side Kaito~
地球統合軍沿岸補給基地、中央会議棟。
そこは、ルクス・ヴァルキュリアの艦内とはまるで違う空気だった。
艦内には、油の匂いがある。
金属の擦れる音がある。
誰かが怒鳴り、誰かが走り、どこかで工具が鳴っている。
だが、この会議棟は静かだった。
清潔すぎる廊下。
無機質な照明。
壁に並ぶ監視カメラ。
入り口ごとに立つ警備兵。
ここでは、戦闘の音はしない。
代わりに、別の種類の緊張があった。
カイトは、会議室前の待機スペースで息を吐いた。
「……戦闘前より緊張するんだけど」
隣にいたユイが、少しだけ首を傾げる。
「敵はいません」
「そうなんだけど」
「武装した兵士はいます」
「それが緊張する原因の一つだよ」
ユイは周囲を見る。
地球統合軍の兵士達。
会議棟職員。
監査官らしき人物。
そして、ルクスから同行してきた者達。
橘ジン。
カイル。
ミオ。
ユイ。
カイト。
さらに、エルとクロエが情報補佐として控えている。
レイやセラ、ナユ達はルクス内待機だった。
今回は、全員を連れてくるには危険すぎる。
それでも、ユイだけは同行を命じられた。
理由は明確だった。
パルスティア・オリジナルワン。
ノクス・リリスの登録者。
ネメシス・レクイエム残骸の改修案に関わる存在。
地球側からすれば、確認せずに済ませられる相手ではない。
「ユイ、大丈夫?」
カイトが小声で聞く。
「大丈夫です」
「本当に?」
「分かりません」
「正直だな」
「ただ、逃げません」
ユイは短く言った。
その言葉は、地球を見下ろしていた時と同じだった。
逃げない。
それは彼女にとって、簡単なことではないはずだった。
会議室の扉が開いた。
中には、長い机が置かれていた。
その向こう側に、地球統合軍上層部の面々が並んでいる。
年配の将官。
若い参謀。
技術監査官。
情報部の士官。
医療・倫理委員会の代表。
そして、昨日の休暇中にカイト達を監視していた情報部の士官もいた。
カイトは、思わずそちらを見る。
情報部の士官は表情を変えない。
視線だけが、こちらを確認している。
敵意ではない。
だが、好意でもない。
昨日の監視と同じ、何かを測るような目だった。
カイトは、その視線がルクスそのものへ向けられていることを理解した。
「着席を」
中央に座る年配の将官が言った。
「地球統合軍本部審査局、臨時査問会を開始する」
その言葉に、カイトは少しだけ肩に力を入れた。
査問会。
響きが重い。
戦場なら、敵の位置も、攻撃の方向もまだ分かる。
だがここでは、何をどう判断されるのか分からない。
その分だけ、息が詰まった。
ジンは表情を変えずに席へ着いた。
カイルも、いつもの軽さを少しだけ消している。
ユイは静かに座る。
ミオは端末を置き、淡々と前を見た。
カイトも椅子に座る。
会議室の空気は、硬かった。
「まず確認する」
年配の将官が言う。
「ルクス・ヴァルキュリアは、現在地球統合軍の正式管理下にはない」
「はい」
ジンが答える。
「だが、地球周辺宙域への侵入及び降下を暫定承認した以上、本部は同艦の安全性を確認する義務がある」
「承知しています」
「よって、本会議では以下を審査する」
画面に項目が表示された。
一、ルクス・ヴァルキュリアの艦体安全性。
二、アーク・ノア及びクロウヴェイル統合計画。
三、搭載機及び量産型GD群の管理状況。
四、ネメシス・レクイエム残骸の隔離状態。
五、パルスティア及び元帝国関係者の扱い。
六、今後の地球滞在許可範囲。
カイトは、項目を見ただけで少し疲れた。
「全部、問題しかないですね」
「小声でも聞こえます」
ミオが隣で言った。
「すみません」
「ですが、事実です」
そこは否定しないらしい。
最初に説明したのは、エルとクロエだった。
ルクス・ヴァルキュリアの艦体状況。
外殻損傷。
工廠区画の稼働率。
生命維持設備。
居住区画。
医療区画。
格納庫封鎖。
武装管制の一時封印。
画面には、ルクスの断面図が表示されている。
「現在、主砲及び大規模火器は地球側との取り決めに従い封印状態です」
エルが淡々と説明する。
「外部監視コードを受け入れています。ただし、艦内中枢への直接干渉は拒否しています」
「なぜ拒否した」
情報部の士官が鋭く聞く。
エルは表情を変えない。
「ルクス中枢系統には、地球側の規格外の制御層が存在します。外部から強制干渉すれば、逆に安全性が低下する可能性があります」
「つまり、こちらには中枢を見せられないと?」
「現時点では、限定開示が妥当です」
会議室の空気が少し重くなる。
クロエが横から補足した。
「隠したいからじゃないよ。触ったら壊れる可能性があるから」
「言い方を選べ、クロエ」
カイルが小さく言う。
「選んでこれ」
「なら仕方ないな」
そのやり取りに、上層部の何人かが眉をひそめた。
ジンは軽く咳払いする。
「要するに、ルクスは現状、完全に理解された艦ではありません」
「我々自身も、解析を進めながら運用しています」
「そのような艦を地球上空に留めること自体が危険ではないのか」
技術監査官が言った。
「危険です」
ジンは即答した。
会議室がわずかに静まる。
「ですが、宇宙空間に放置する方がさらに危険です」
「現在、同艦には多数の生存者、難民、医療対象、及び隔離すべき危険物が収容されています」
「管理可能な範囲に置くべきと判断しました」
将官はしばらくジンを見ていた。
「その判断の責任を、君が取ると?」
「はい」
ジンの声に迷いはなかった。
次の議題は、アーク・ノアとクロウヴェイルの統合計画だった。
画面に、二隻の艦体モデルが表示される。
アーク・ノア。
クロウヴェイル。
そして、その二つを統合した仮設構想。
《クロウヴェイル・ノア》
仮称として表示されたその名に、会議室の数名が反応した。
「アーク・ノアの艦体を解体するつもりか」
将官の一人が低く言う。
その声には、わずかな感情があった。
アーク・ノアは地球側の艦だ。
ただの部品として扱われることに抵抗があるのだろう。
ジンは静かに首を振った。
「完全解体ではありません」
「アーク・ノアの通信中枢、指揮管制系、地球軍認証系は残します」
「クロウヴェイルの機動系、航行補助系、外宇宙対応ノウハウと接続し、ルクス内で再構成する計画です」
技術監査官が資料を見る。
「アーク・ノアの通信系を残す理由は?」
「地球との正式な連絡窓口を維持するためです」
「ルクス本体の通信では不足か」
「信用の問題です」
ジンは言った。
「ルクスは地球側から見れば所属不明艦です。しかし、アーク・ノアの認証は地球統合軍のものです」
「今後も上層部との連絡、補給申請、収容者情報の共有には必要になります」
将官は小さく頷いた。
「妥当だ」
カイトは少しだけ安心した。
アーク・ノアは、まだ死んでいない。
その言葉が、第81話でジンが言った意味のまま残っている。
ただの残骸ではない。
地球とルクスを繋ぐ声。
その役目が、ここでも認められた。
だが、別の参謀が言った。
「クロウヴェイル側の人員、つまりラスト・オーダーについてはどう管理する」
「彼らは地球統合軍所属ではない」
「傭兵、あるいは無所属武装勢力と判断すべきではないか」
カイルが目を細める。
「言い方は嫌いじゃないな」
「カイル」
リノヴァがいれば止めていたかもしれない。
だが、今ここにいるのはカイト達だけだ。
カイルは姿勢を正す。
「ラスト・オーダーは、ルクス内の遊撃・外宇宙航路対応を担当している」
「地球に敵対する意思はない」
「ただし、地球統合軍に編入されるつもりもない」
会議室の空気が硬くなる。
「それは、命令系統に従わないという意味か」
「違う」
カイルは軽く笑った。
「協力はする。だが、俺達は俺達の判断で動く」
「それが問題だと言っている」
「命令に従うだけの艦なら、たぶんここまで生き残ってない」
その言葉に、何人かが不快そうな顔をした。
だが、ジンは止めなかった。
むしろ、それがカイルの本音だと分かっているのだろう。
「ラスト・オーダーは管理対象ではなく、協力勢力として扱うべきです」
ジンが言った。
「彼らの判断で救われた者も多い」
「地球側の規定に完全には収まらない。ですが、排除すべき相手でもありません」
将官はしばらく黙った。
「保留とする」
「ただし、地球圏内での単独行動は禁止する」
「妥当だな」
カイルは短く答えた。
その表情は軽い。
だが、目は笑っていなかった。
次の議題は、搭載機と量産型GD群だった。
画面に機体名が並ぶ。
アルタイル・カスタム。
レイヴン・ハウル。
ルナ・スケイル。
ガルム・カスタム。
フェンリオン。
ヴァルクレイド。
ロス・セレネ。
ヴァイス・リッパー・リビルド。
ネヴァ。
ノクス・リリス。
量産型GD群。
カイトは、その一覧を見て改めて思う。
多い。
そして、怪しい。
地球側が警戒するのも分かる。
「これらのうち、地球統合軍正式登録機はどれだ」
技術監査官が尋ねる。
タツヤがいれば嫌な顔をしたかもしれない。
だが、ここではエルが答えた。
「アルタイル・カスタムのみ、地球側LF系列として登録可能です」
「ただし、現在修理中です」
「その他は?」
「レイヴン・ハウル、ネヴァ、ヴァルクレイドはラスト・オーダー管理機」
「ルナ・スケイル、ガルム・カスタム、フェンリオン、ロス・セレネ、ヴァイス・リッパー・リビルドはPT及びオリジナル関連機体」
「ノクス・リリスは特殊封印機」
「量産型GD群は未運用、封印中です」
会議室が静まる。
「封印中という言葉が多すぎるな」
参謀の一人が言った。
カイトは心の中で頷いた。
本当に多すぎる。
「ノクス・リリスについて説明を」
技術監査官が言う。
その視線はユイに向けられていた。
ユイは、少しだけ手を握った。
カイトは隣で気づく。
だが、何も言わなかった。
ユイは前を向く。
「ノクス・リリスは、以前私が使用した機体です」
「帝国正式登録機ではありません」
「私個人の認証で封印していました」
「なぜ報告しなかった」
「解体、あるいは再利用される可能性があったためです」
会議室の空気が冷える。
「つまり、君は危険機体を独断で隠していた」
「はい」
ユイは逃げなかった。
「必要になる可能性があると判断しました」
「その判断を誰が許可した」
「誰も」
「重大な問題だ」
その言葉に、カイトは思わず口を開きかけた。
だが、ジンが先に言った。
「その責任は、現在ルクス側指揮下に置いた私が引き受けます」
「橘艦長」
「過去の独断については問題があります」
「ですが現在、ノクス・リリスは封印され、監視下にあります」
「起動許可は出していません」
技術監査官は納得していない顔だった。
「今後の扱いは?」
「調査対象。起動禁止。解体は保留」
「なぜ解体しない」
「構造が不明であり、強制解体にリスクがあるためです」
そこへ、あの男が初めて口を開いた。
以前、カイト達を見ていた男。
「起動者が彼女本人である以上、封印解除の可能性は残る」
低い声だった。
「パルスティア・オリジナルワン。ユイ=竜奈=羽崎=クレスケンス」
「君が望めば、ノクス・リリスは動くのか」
ユイは男を見る。
「可能性はあります」
「否定しないのか」
「嘘をつく場ではないと判断しました」
男は少しだけ目を細めた。
「では、君自身をどう管理すべきだと思う」
「……」
カイトの胸がざわつく。
それは、問いかけというより。
試すような言い方だった。
ユイはしばらく黙った。
そして、静かに答えた。
「管理対象として扱うなら、私は反発しません」
「ですが、それだけでは危険は減りません」
「私は、情報を共有します」
「独断で隠したことは、今後繰り返しません」
男は言う。
「信じろと?」
「いいえ」
「では?」
「確認してください」
ユイの声は、少し震えていた。
それでも、視線は逸らさなかった。
「私は、信じてもらえるとは思っていません」
「でも、確認する機会は必要です」
「それを拒否するつもりはありません」
会議室が沈黙する。
カイトは、ユイを見ていた。
逃げていない。
隠してもいない。
信じろとも言っていない。
ただ、確認してほしいと言った。
それは、今の彼女が出せる精一杯の答えだった。
――――――。
次は、ネメシス・レクイエム残骸だった。
画面に隔離区画の映像が表示される。
黒く焼けた残骸。
拘束アーム。
複数の封印。
温度、反応値、内部エネルギー残量。
数値が並んでいる。
だが、数値だけではあの圧は伝わらない。
カイトは映像を見ただけで、少しだけ背筋が冷えた。
「なぜ破棄しない」
将官の一人が言う。
何度も出た問いだった。
「破棄処理そのものがリスクになるためです」
エルが答える。
「残骸内部には未知の制御系とエネルギー残留反応があります」
「外部破壊を行った場合、反応が拡散する可能性があります」
「ならば地球へ持ち込むべきではなかった」
「宇宙空間で管理不能になるよりは、安全です」
クロエが言った。
「少なくとも、今はルクスの隔離区画で監視できてる」
「それが安全だと?」
「安全じゃない。管理できてるってだけ」
その言葉に、会議室がまた重くなる。
技術監査官が資料をめくる。
「報告書には、レクイエム残骸の改修利用案が記載されている」
「誰の提案だ」
一瞬、視線がユイへ向いた。
ユイは短く答える。
「私です」
「目的は」
「将来的な専用機への改修」
「正気か」
その言葉は、かなりはっきりしていた。
カイトは思わず拳を握る。
ユイは目を伏せない。
「正気です」
「ネメシス・レクイエムは、多くの被害を出した危険兵器だ」
「分かっています」
「それを自分の機体にするというのか」
「そのまま使うわけではありません」
「言葉の問題ではない」
「はい」
ユイは一度、息を吸った。
「だから、今すぐ使うつもりはありません」
「でも、あれを完全に否定して破棄すれば、同じ技術が別の場所で再利用された時に対抗手段を失います」
「残骸から何を抜き出し、何を捨て、何を封じるか」
「それを決める必要があります」
技術監査官は黙った。
ミオが静かに補足する。
「ユイの提案は危険です」
「ですが、完全に非合理ではありません」
「レクイエム系技術に対抗するには、内部構造の理解が必要です」
「ただし、起動実験は当面禁止すべきです」
「私も同意します」
ジンが言った。
「レクイエム残骸は、隔離保管を継続」
「解析は地球側監査官立ち会いのもと、ルクス技術班と共同で実施」
「改修計画は凍結ではなく、保留」
「段階審査制とします」
将官はしばらく黙り、それから言った。
「……保留を認める」
「ただし、無断解析、無断起動、無断改修が発覚した場合、ルクスの地球滞在許可を取り消す」
「承知しています」
ユイは小さく頷いた。
カイトは、少しだけ息を吐いた。
認められたわけではない。
許されたわけでもない。
ただ、破棄されなかった。
それだけでも、今は大きかった。
会議は、さらに続いた。
パルスティアの扱い。
元帝国関係者の制限。
量産型GD群の封印。
難民の地上移送。
医療検査。
地球側監査官のルクス常駐。
一つ一つが重い。
特に、PT達については意見が割れた。
「兵器として管理すべきだ」
「いや、個体意識が確認されている以上、単なる兵器とは扱えない」
「だが危険性は変わらない」
「保護対象と戦力対象の線引きが必要だ」
「外部接触を許すのは早すぎる」
「昨日の基地内行動では、問題行動は確認されていない」
「ゲーム機の景品を大量取得した件は?」
「それを問題行動に含めるのか?」
「含めるべきではないが、異常な精度ではあった」
「議題から外れている」
カイトは、思わず顔を伏せた。
ユイの景品事件が、上層部会議の資料に入っている。
隣のユイは、少しだけ不満そうだった。
「問題行動ではありません」
「小声でも聞こえます」
ミオが言った。
「ですが、収集傾向として記録される可能性はあります」
「不本意です」
「事実です」
カイトは、笑いそうになるのを必死でこらえた。
だが、その空気はすぐに重く戻る。
例の男が資料を閉じた。
「昨日の行動観察では、PT達に敵対行動は見られなかった」
「ナユは売店で買い物を行い、地球側職員と接触」
「セラは射撃訓練中の兵士へ助言」
「イリスは休暇行動を観測」
「リンとレイは周囲への警戒反応が強いが、暴発はなし」
「ユイは娯楽施設で過剰な景品取得を行ったが、取得物は他者へ配布」
淡々と読み上げられると、かなり妙だった。
「結論として、短時間の管理区域内行動に限れば、危険性は制御可能」
「ただし、長期的な社会接触については不明」
「特に、外部からの刺激、敵意、あるいは政治的利用に対してどう反応するかは未知数」
その言葉に、カイトは顔を上げる。
政治的利用。
嫌な言葉だった。
「どういう意味ですか」
ジンが尋ねる。
男は答える。
「パルスティアを危険視する者もいれば、逆に利用価値を見出す者もいるということです」
「元帝国兵器、未知技術、レクイエム残骸、量産型GD群」
「これらは軍事的にも政治的にも、極めて大きな意味を持つ」
「ルクスを保護する者だけが、彼女達に近づくとは限りません」
会議室が静まる。
カイトは、その言葉に嫌な現実を感じた。
ただ警戒されるだけではない。
利用しようとする者もいる。
それはたぶん、帝国だけではない。
地球側にも、いるかもしれない。
「君達は、敵を外にだけ見ていればよい段階を過ぎた」
男は言った。
「ルクス・ヴァルキュリアは、今や戦力であり、避難船であり、政治的な火種でもある」
最終的に、審査結果が出された。
一、ルクス・ヴァルキュリアの地球滞在を暫定延長。
二、指定海域上空からの無断移動は禁止。
三、武装管制封印を継続。
四、地球側監査官をルクスへ常駐。
五、アーク・ノア通信系は正式連絡窓口として維持。
六、クロウヴェイル・ノア計画は設計段階のみ承認。
七、PT及びパルスティアの艦外行動は許可制。
八、元帝国関係者の艦外移動は禁止。
九、ネメシス・レクイエム残骸は共同監査対象。
十、量産型GD群、ノクス・リリスは封印継続。
条件付き。
制限付き。
監視付き。
だが、拒絶ではなかった。
ジンは静かに立ち上がる。
「承知しました」
「ルクス・ヴァルキュリアは、地球統合軍の監査条件に従います」
カイルも立ち上がる。
「協力はする」
「ただし、うちの連中を物扱いするなら、その時は話が変わる」
会議室の空気が一瞬硬くなる。
ジンが横目でカイルを見る。
「言い方」
「かなり抑えた」
「……そうか」
将官は少しだけ目を細めたが、何も言わなかった。
ユイも立ち上がる。
「私は、情報共有に協力します」
「ですが、PT達を解体対象や実験対象として扱うなら、拒否します」
その声は静かだった。
だが、芯があった。
情報部の士官がユイを見る。
「拒否できる立場だと?」
「はい」
ユイは答えた。
「それだけは、拒否します」
カイトは、隣で少しだけ息を呑んだ。
ユイは震えていない。
逃げてもいない。
第80話で、名前を覚えると言った彼女が。
今、自分以外のPT達のために、拒否すると言った。
男はしばらくユイを見ていた。
そして、初めて少しだけ口元を動かした。
「覚えておこう」
それが何を意味するのか。
カイトには分からなかった。
会議が終わった後、カイト達は会議棟の外へ出た。
夕方の風が吹いている。
遠くの海上には、ルクス・ヴァルキュリアが浮かんでいた。
巨大な箱舟。
監視灯に照らされ、静かに存在している。
「疲れた……」
カイトは思わず呟いた。
「戦闘より?」
「別方向に」
「同感です」
ミオが珍しく同意した。
ユイはルクスを見ていた。
「滞在は、認められました」
「うん」
「でも、監視されます」
「うん」
「信用は、されていません」
「そうだね」
カイトは隣に立つ。
「でも、拒絶もされなかった」
「はい」
ユイは小さく頷いた。
「それなら、次は確認してもらうだけです」
「ユイが言ってたこと?」
「はい」
「信じろじゃなくて、確認してほしい」
「はい」
カイトは少し笑った。
「いいと思う」
「そうですか」
「うん。たぶん、今はそれが一番正直だ」
ユイは少しだけ目を伏せた。
「正直でいるのは、難しいです」
「だろうね」
「でも、隠すと後で怒られます」
「それはそう」
「特にタツヤに」
「かなり怒られるね」
二人は少しだけ笑った。
だが、その穏やかさは長く続かなかった。
会議棟の上階。
窓の向こうから、誰かがこちらを見ていた。
第90話でカイト達を見ていた男。
そして、今日の会議で発言していた男。
彼は、手元の端末に何かを入力していた。
画面には、いくつかの文字が並んでいる。
《ルクス・ヴァルキュリア暫定審査報告》
《PT個体群、社会接触反応:観察継続》
《ユイ=竜奈=羽崎=クレスケンス:要注意》
《ネメシス・レクイエム残骸:利用可能性あり》
《クロウヴェイル・ノア計画:監視対象》
《内部協力者候補、選定継続》
男は端末を閉じる。
その表情は変わらない。
「箱舟、か」
誰に言うでもなく、彼は呟いた。
「ならば、中に何を乗せるかで価値が決まる」
窓の外では、カイト達がルクスへ戻る連絡橋へ向かって歩いている。
彼はその背中を見送った。
そして、静かに言った。
「監視を続けろ」
「特に、ユイとレクイエム残骸だ」
部屋の奥にいた部下が頷く。
「了解しました。黒瀬監査官」
黒瀬と呼ばれた男は、もう一度ルクス・ヴァルキュリアを見た。
夕暮れの海に浮かぶ巨大な艦。
戦力。
避難船。
危険物の檻。
そして、未来の火種。
その周囲で、監視灯が一つ、また一つと灯っていく。
ルクス・ヴァルキュリアは、地球に降りた。
だが、それは帰還ではなかった。
審査の始まりだった。




