第87話 降下許可 ~side Kaito~
ルクス・ヴァルキュリア、通信管制区画。
そこは、普段の艦橋とは少し違う空気に包まれていた。
戦闘前の緊張ではない。
出撃前の慌ただしさでもない。
もっと静かで。
もっと重い。
これから撃つのは、砲撃ではない。
送るのは、通信だ。
だが、下手をすれば。
それは砲撃よりも危険なものになる。
カイトは、通信卓の前に並ぶ面々を見て、そう思った。
橘ジン。
エル。
クロエ。
リノヴァ。
カイル。
そして、少し離れた場所にユイ、ミオ、レイ、セラ、レータ、ナユ、リン、アシュ、イリス達がいる。
全員が前に出ているわけではない。
けれど、誰も無関係ではいられない。
これから行うのは、地球統合軍上層部への正式通信。
ルクス・ヴァルキュリアの降下許可申請だった。
これは受け入れを求める通信ではない。
少なくとも、ジンはそう考えていた。
こちらが危険物を抱えていることを隠して許可を得るのではなく、危険だからこそ監視下へ置いてもらうための通信だった。
地球側が認めるとしても、それは隔離海域と監視体制を条件にした降下許可になる。
ルクスを自由に降ろす話ではなかった。
「アーク・ノア通信系、起動準備完了」
エルが端末を確認しながら言った。
「識別コード、照合。地球統合軍正規認証、残存率八十七パーセント」
「八十七って、大丈夫なのか?」
カイトが思わず尋ねると、クロエが苦笑した。
「戦闘であれだけ壊れて、八十七パーセント残ってるなら上出来だよ」
「上出来なんですか」
「少なくとも、偽物扱いで即座に遮断される確率は下がる」
「即座に遮断される可能性はあるんですね」
「あるよ」
あっさり言われた。
カイトは少しだけ胃が重くなる。
ジンは通信卓の前に立っていた。
背筋は伸びている。
いつも通り、落ち着いた声で指示を出している。
だが、その横顔には普段より深い緊張があった。
無理もない。
これから彼が説明しなければならないのは、単なる帰還報告ではない。
アーク・ノアは生き残っていた。
その生存者は、正体不明の巨大艦ルクス・ヴァルキュリアに収容されている。
艦内には地球軍、ラスト・オーダー、パルスティア、帝国由来の技術者や保護対象、難民、量産型GD、ノクス・リリス、そしてネメシス・レクイエムの残骸まである。
どこから説明すればいいのか分からない。
それが、カイトの正直な感想だった。
「地球側は、受け入れてくれるでしょうか」
ミオが静かに言った。
その声に、カイトは振り返る。
ミオの表情は落ち着いている。
けれど、わずかに硬い。
「分からない」
ジンが答えた。
「少なくとも、簡単にはいかない」
「ですよね」
カイトが呟く。
レイは壁にもたれたまま、短く言った。
「当然だ」
「当然?」
「正体不明艦が地球に降りる。中には敵性技術と元帝国関係者。警戒しない方がおかしい」
言い方は冷たい。
だが、間違ってはいない。
セラも視線を伏せたまま言う。
「私達は、地球から見れば危険物です」
「セラ」
ユイが小さく呼ぶ。
セラは首を振った。
「事実です」
「……でも」
「分かっています。敵ではないと言いたいのでしょう」
「はい」
「でも、それを地球側が信じる理由はまだ少ない」
ユイは黙った。
カイトは何か言おうとして、言葉を飲み込む。
その沈黙を破ったのは、カイルだった。
「だからジン艦長が話すんだろ」
「……カイルさん」
「ルクスの通信じゃなく、アーク・ノアの通信を使う。地球側の正規艦長が、自分の声で説明する。それ以上に筋の通ったやり方はない」
カイルはいつもの調子で軽く言った。
だが、その声には確かな重みがあった。
「それで駄目なら?」
「その時は、その時だ」
グリッドがいないのに、似たような言い方だ。
カイトは少しだけ苦笑しそうになった。
だが、笑えなかった。
その時は、その時。
その言葉の先にあるものが、軽くないと分かっていたからだ。
「通信回線、開きます」
エルの声が響いた。
室内の空気が一段重くなる。
モニターに、アーク・ノアの識別コードが表示される。
古い通信系。
戦闘で傷つき、何度も応急修理された正規回線。
それでも、地球と繋がるための最後の声。
「送信開始」
ノイズが走った。
画面が何度か乱れる。
低い通信音。
認証待機。
照合。
再照合。
カイトは息を止めていた。
数秒が、妙に長い。
やがて、画面に文字が浮かんだ。
《地球統合軍本部通信網、応答》
エルが小さく息を吐く。
「繋がりました」
「映像は?」
「復旧中です。音声、先に通ります」
ジンは一歩前に出た。
「こちらアーク・ノア艦長、橘ジン」
「地球統合軍本部へ、緊急通信」
しばらく、返答はなかった。
ノイズだけが響く。
そして、低い声が返ってきた。
『……アーク・ノアだと?』
その声には、明らかな驚きがあった。
『識別コードを再送しろ』
「了解。アーク・ノア正規識別コード、再送」
エルが操作する。
『照合中……待機』
また沈黙。
カイトは拳を握った。
画面に映像が入り始める。
まだ粗い。
ノイズで顔ははっきりしない。
だが、複数の人物が通信の向こうにいるのが分かった。
軍服。
管制官。
上層部らしき人物。
その中の一人が、険しい声で言った。
『アーク・ノアは消息不明とされていた』
「その認識で間違いありません」
『では、現在位置を報告しろ』
「地球周辺宙域。現在、ルクス・ヴァルキュリアに収容されています」
その言葉の直後、通信の向こうがざわついた。
『ルクス・ヴァルキュリア?』
『識別不能艦のことか』
『観測班、映像を出せ』
『待て、質量が大きすぎる』
カイトの背筋がわずかに冷える。
やはり、地球側はすでにルクスを観測していた。
当然だ。
これほど巨大な艦が地球周辺に近づけば、隠しきれるはずがない。
『橘艦長』
別の声が入る。
年配の男の声だった。
落ち着いている。
だが、警戒は隠していない。
『その艦は何だ』
「我々の現拠点です」
『地球統合軍所属艦ではないな』
「はい」
『帝国艦か』
「違います」
ジンは即答した。
迷いはなかった。
「ただし、艦内には帝国由来の技術も含まれています」
『……どういう意味だ』
「説明します」
ジンは静かに言った。
「アーク・ノア生存者は、戦闘後、ルクス・ヴァルキュリアへ収容されました。現在、同艦内には地球側生存者、レイヴン率いるラスト・オーダー、パルスティア、難民、元帝国技術者が混在しています」
『元帝国技術者?』
『パルスティアだと?』
『待て、今ラスト・オーダーと言ったか?』
通信の向こうで声が重なる。
カイトは思わず肩に力を入れた。
無理もない。
これだけ聞けば、混乱する。
だが、ジンは続けた。
「現在、我々は修理、補給、収容者保護のため、地球への降下許可を申請します」
『許可できると思っているのか』
即座に返ってきた声は、硬かった。
『所属不明の巨大艦だ。帝国由来の技術を積み、元帝国関係者を収容し、正体不明のパルスティアまで乗せている』
『そのような艦を、地球へ降下させろと?』
「はい」
ジンは短く答えた。
カイトは、思わずジンを見る。
その返答は、あまりにもまっすぐだった。
『橘艦長。状況を理解しているのか』
「理解しています」
『ならば、なぜそこまでして降下を求める』
「宇宙空間での修理・補給には限界があります。負傷者、難民、保護対象のPTもいます。医療、食料、資材、居住環境の安定が必要です」
『PTを保護対象と呼ぶのか』
「はい」
その返答に、室内の空気がわずかに動いた。
ナユが顔を上げる。
リンは腕を組んだまま黙っている。
イリスは、何かを記録するようにジンを見ていた。
『それは兵器だ』
「いいえ」
ジンの声が、少しだけ強くなる。
「この艦にいる彼女達は、名前を持っています」
『橘艦長』
「ナユ、リン、レータ、セラ、イリス。その他、まだ名前を決めていない者もいる」
「彼女達はすでに兵器ではありません」
「少なくとも、私は保護対象として扱います」
通信の向こうが静まり返った。
カイトは息を呑んだ。
それは、ただの説明ではなかった。
ジン艦長の立場表明だった。
地球側の軍人として。
アーク・ノア艦長として。
そして、ルクスにいる者達を守る者として。
『……元帝国関係者についてはどう説明する』
「監視下に置いています」
『信用しているのか』
「信用ではなく、必要性です」
「彼らの知識がなければ、現在の艦内戦力と危険物の管理は不可能です」
『危険物?』
カイトは嫌な予感がした。
ジンは隠さなかった。
「量産型GD群。特殊機ノクス・リリス。ネメシス・レクイエム残骸」
「いずれも隔離・監視下にあります」
通信の向こうが、再びざわついた。
『レクイエムの残骸だと!?』
『なぜ破棄していない!』
『危険すぎる!』
その反応は当然だった。
カイトも、最初に聞いた時はそう思った。
今も、安全だとは思っていない。
だが、破棄すれば済む話でもない。
ジンは表情を変えずに言う。
「破棄にはリスクがあります。構造解析と封印処理が必要です。現時点で無理に処分すれば、逆に被害が出る可能性があります」
『では、地球へ持ち込むつもりか』
「管理下に置いたまま降下します」
『危険を地球へ持ち込むと言っているのと同じだ』
「危険を宇宙に放置するより、管理可能な場所へ移すべきです」
その言葉に、通信の向こうは黙った。
理屈としては正しい。
だが、納得できるかは別問題だ。
カイトは、地球側の気持ちも分かる気がした。
いきなり現れた巨大艦。
中には、危険物と元敵と名前を持った兵器達。
それを受け入れろと言われても、簡単に頷けるはずがない。
『橘艦長』
年配の男の声が、再び響いた。
『君は、その艦の全責任を負えるのか』
「はい」
『簡単に答えるな』
「簡単ではありません」
ジンは静かに答えた。
「ですが、答えは変わりません」
通信室が静かになる。
「この艦には、地球の人間だけが乗っているわけではありません」
「過去に敵だった者もいます」
「作られた者もいます」
「戦うしかなかった者もいます」
「逃げる場所を失った者もいます」
ジンの声は、淡々としていた。
だが、カイトには分かった。
その言葉の一つ一つが、艦内の誰かを指している。
ユイ。
セラ。
レータ。
ナユ。
リン。
イリス。
アシュ。
アイナ。
カイル達。
アルベルト。
レオニス。
カナデ。
リクト。
そして、まだ名前も決まっていないPT達。
「彼らをすべて切り捨てれば、我々は一時的に安全になるかもしれません」
「ですが、それでは何も変わらない」
「帝国が兵器として扱ったものを、我々も兵器としてしか見ないのなら」
「我々は、帝国と何が違うのか」
誰も言葉を発しなかった。
カイトは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
ジン艦長は、感情的に叫んでいるわけではない。
理想だけを語っているわけでもない。
現実を見た上で。
危険を分かった上で。
それでも、責任を取ると言っている。
「ルクス・ヴァルキュリアの降下許可を申請します」
「収容者の保護、艦艇修理、補給、危険物隔離処理」
「すべて私の責任下で行います」
通信の向こうは沈黙した。
長い沈黙だった。
やがて、別の声が入る。
『条件がある』
カイトは息を止める。
『降下地点は地球統合軍指定区域。民間居住区から離れた旧外洋演習海域上空』
『降下後、ルクス・ヴァルキュリアは指定高度で停止』
『武装管制は封印』
『搭載機の無断発進は禁止』
『元帝国関係者及びPTの艦外移動は、当面許可しない』
『レクイエム残骸、量産型GD群、ノクス・リリスは地球軍監視対象とする』
条件は厳しい。
だが、拒否ではなかった。
ジンは短く頷く。
「受け入れます」
『橘艦長』
「はい」
『これは許可ではない。暫定承認だ』
「承知しています」
『本部は君達を歓迎しているわけではない』
「理解しています」
『だが、アーク・ノアの生存者を見捨てるわけにもいかん』
「感謝します」
その言葉に、カイトは少しだけ力が抜けた。
完全な許可ではない。
信頼されたわけでもない。
むしろ、疑われたままだ。
それでも。
降りられる。
地球へ。
『降下開始までの準備時間を送る。指定航路から外れた場合、迎撃態勢に入る』
「了解」
『橘艦長』
「はい」
『君の判断が、地球にとって誤りでないことを祈る』
その言葉を最後に、通信は切れた。
通信室に沈黙が落ちた。
誰もすぐには話さなかった。
やがて、クロエが大きく息を吐く。
「……いやあ、胃が痛い」
「お前が言うのか」
カイルが苦笑する。
「かなり厳しい条件ですね」
エルが端末を確認しながら言う。
「でも、降下は可能です」
「暫定承認、か」
ジンが静かに呟いた。
その声には安堵もあった。
だが、それ以上に責任の重さがあった。
ユイが一歩前に出る。
「ジン艦長」
「何だ」
「……ありがとうございます」
短い言葉だった。
けれど、その声は少し震えていた。
セラも、レータも、ナユも、リンも、イリスも。
何も言わなかった。
だが、全員がジンを見ていた。
ジンは少しだけ表情を緩める。
「礼を言うのは早い」
「降りてからが本番だ」
「はい」
ユイは頷いた。
カイトはその横顔を見て、少しだけ安心した。
彼女達は、まだ完全に受け入れられたわけではない。
だが、拒絶されなかった。
それだけでも、今は大きかった。
「カイト」
レイが声をかける。
「はい」
「安心するな」
「……分かってます」
分かっている。
地球に降りることは、終わりではない。
むしろ始まりだ。
地球側上層部との交渉。
ルクス内部の監視。
元帝国関係者への不信。
PT達への視線。
レクイエム残骸の扱い。
量産型GD群の封印。
ノクス・リリスの存在。
何も解決していない。
ただ、次の場所へ進む許可が出ただけだ。
「でも」
カイトは小さく言う。
「それでも、降りられるんですね」
「ああ」
ジンが答えた。
「地球へ降りる」
降下準備は、すぐに始まった。
ルクス・ヴァルキュリア全域に警告灯が灯る。
《全区画へ通達》
《本艦はこれより、地球統合軍指定航路に従い大気圏降下準備に入る》
《非戦闘員は居住区画へ移動》
《工廠区画、全機固定確認》
《医療区画、重力変動対策開始》
《格納庫、発進システム封鎖》
艦内が一気に慌ただしくなる。
工廠では、タツヤとグリッドが怒鳴り合っていた。
「固定ボルト確認! アルタイルの支持具、もう一本増やせ!」
「クロウヴェイル側のフレームが揺れるぞ! 補助アームを噛ませろ!」
「ネメシス・レクイエム隔離区画、温度変化監視!」
「量産型GD倉庫は全ロック二重化!」
「ノクス・リリスの封印確認、ユイ以外近づけるな!」
カイトはその声を聞きながら、通路を走っていた。
途中、難民区画ではアイナが子供達を落ち着かせていた。
ナユがその横で、ぎこちなくも手伝っている。
「大丈夫です」
「これは攻撃ではありません」
「降下という移動です」
言い方は少し硬い。
でも、ナユなりに安心させようとしているのが分かった。
リンは通路の端で周囲を警戒している。
セラは窓のない壁を見つめ、静かに立っていた。
レータは避難誘導の手順を端末で確認し、淡々と指示を出している。
イリスは管制席でデータを記録している。
それぞれの場所で。
それぞれが、できることをしていた。
カイトは、その光景を見て思う。
昨日までは、誰が誰なのかを確認していた。
その次は、何が残っているのかを見た。
そして今、全員が同じ艦で地球へ降りようとしている。
本当に、箱舟みたいだ。
そう思った。
艦橋に戻ると、正面モニターいっぱいに地球が映っていた。
青い星。
カイトが生まれた星。
何度も守ろうとして、何度も失いかけた場所。
その地球が、今は少し怖く見えた。
「不思議だな」
カイトが呟く。
「帰るはずなのに、緊張する」
「当然です」
ミオが隣で言った。
「帰る場所が、必ず受け入れてくれるとは限りません」
「……そうですね」
ユイは少し離れた場所で地球を見ていた。
彼女にとって、地球は何なのだろう。
逃げ込んだ場所。
隠れていた場所。
玲奈と出会った場所。
カイトと出会った場所。
そして今、もう一度戻ろうとしている場所。
カイトには、その全部を分かることはできない。
でも、隣に立つことくらいはできる。
「ユイ」
「はい」
「大丈夫?」
「分かりません」
正直な答えだった。
「でも、逃げません」
「うん」
ユイは地球を見たまま言う。
「前に降りた時は、逃げるためでした」
「今は?」
「戻るため、だと思います」
「……そっか」
カイトは小さく頷いた。
戻るため。
その言葉は、少しだけ温かかった。
「降下航路、地球統合軍指定ルートと一致」
エルが報告する。
「外部監視衛星、複数機が本艦を捕捉」
「地上防衛網、一部ロック反応」
「予想通りだ」
ジンは淡々と言った。
「こちらから逸脱しなければいい」
「了解」
カイルが艦橋の端で腕を組む。
「随分と歓迎されてるな」
「砲口付きの歓迎ですね」
クロエが苦笑する。
リノヴァは航路データを見ながら言った。
「大気圏突入角、許容範囲内」
「ルクスの質量だと、補正を間違えたら大惨事です」
「怖いこと言うな」
「事実です」
カイトは手すりを握る。
ルクス・ヴァルキュリアが、ゆっくりと地球へ向きを変えた。
艦全体が低く震える。
巨大すぎる船体が、重力に捕まっていく。
《全区画、衝撃に備えてください》
《大気圏降下まで、十秒》
カイトは息を吸った。
隣でユイが、静かに地球を見つめている。
《九》
《八》
《七》
工廠では、アルタイル・カスタムが固定具に支えられて眠っている。
レイヴン・ハウルも、フェンリオンも、ルナ・スケイルも、ガルム・カスタムも、ロス・セレネも、ヴァイス・リッパー・リビルドも、ネヴァも、ヴァルクレイドも。
そして、ノクス・リリスも、レクイエムの残骸も。
すべてを抱えたまま。
《六》
《五》
《四》
難民達が手を取り合う。
PT達が目を閉じる。
整備員達が最後の固定確認を叫ぶ。
ジンが前を見る。
《三》
《二》
《一》
ルクス・ヴァルキュリアが、大気圏へ入った。
画面の外縁が赤く染まる。
艦体を包む摩擦光が、炎の翼のように広がった。
カイトは息を呑む。
巨大な箱舟が、青い星へ降りていく。
それは帰還だった。
けれど、凱旋ではない。
それは避難だった。
けれど、敗走でもない。
壊れた者達を乗せた艦が。
まだ名前を持ち始めたばかりの者達を乗せて。
もう一度、地球へ降りていく。
「……始まるんですね」
カイトが呟いた。
ジンが静かに答える。
「ああ」
「ここからが、本当の交渉だ」
ユイは何も言わなかった。
ただ、地球を見つめていた。
その瞳に、赤い降下光と青い星が同時に映っている。
ルクス・ヴァルキュリアは、炎をまといながら降下を続けた。
地球へ。
まだ、受け入れられるかも分からない場所へ。
それでも、帰るために。




