第84話 箱舟の街 ~side All~
ルクス・ヴァルキュリア中央居住区。
数週間前まで無人だったそこは、今や少しずつ“街”になり始めていた。
通路には人がいた。
荷物搬送、食料運搬、修理作業。
子供の声、笑い声、そしてどこかで誰かがまた怒鳴っている。
巨大な十キロ級艦は、ようやく本来の役割を思い出し始めていた。
中央食堂区画。 朝、既に騒がしかった。
配給カウンター前には列ができていた。
地球軍、ラスト・オーダー、難民、PT。
全部が混ざっている。完全にカオスだった。
「グリッド!」
「また工廠用資材を勝手に持っていったでしょ!」
クロエの怒鳴り声、その向こうでは。
グリッドが普通に朝食を食べている。
「使うから持ってっただけだ」
「それを盗難って言うの!」
コウタが苦笑する。
「今日も平和ですね……」
タツヤが即答する。
「平和じゃねぇ」
その横では、ナユが真剣な顔でパンを見ていた。
「……まだ温かい」
アイナが笑う。
「焼きたてだからね」
ナユは少し考える。
「焼きたては強いですね」
「何の感想!?」
リンが頭を抱える。レータは真顔で頷いた。
「温度は重要です」
「お前まで乗るな」
その様子を見ながら、イリスが少しだけ笑う。
本当に微かに。しかし、以前より自然だった。
一方、ルクス居住ブロック。ここもかなり変わり始めていた。
空いていた区画には、難民用居室、仮設店舗、医療補助区画、学習スペースなどが次々と作られている。
本当に小さな街みたいだった。
その一角。第三居住区画前では、レイが端末を片手に人の流れを整理していた。
難民用の荷物。地球側から運び込まれた生活物資。仮設ベッド。
それらが通路に積まれ、何度も人が立ち止まる。
レイは短く指示を出す。
「医療確認が済んだ者は右。家族単位は同じ区画へ回す」
「地球側の一般居住者は、いきなり話しかけすぎるな」
「相手は兵士じゃない。難民だ」
その声は乱暴ではなかった。
ただ、迷いが少ない。だから人が動いた。
地球側の女性が、不安そうに尋ねる。
「あの……PTの子達も、同じ区画に?」
「ああ」
「危険はないんですか」
周囲の空気が少し止まる。
レイはその女性を見た。
怒らなかった。ただ、静かに言う。
「怖いなら、怖いままでいい」
「でも、あいつらを兵器として扱うな」
「ここでは、全員が保護対象だ」
女性は言葉に詰まる。
その横で、荷物を抱えた小さなPTが立ち止まっていた。
どうしていいか分からない顔だった。
レイはその子へ視線を向ける。
「お前は第三区画。そこの人と同じ列だ」
「……一緒でいいのですか」
「いい。分からない事があれば聞け」
「誰に」
「近くの大人に。それでも駄目なら私を呼べ」
その言葉に、地球側の女性が少しだけ表情を緩めた。
「じゃあ、私が案内します」
「頼む」
レイは短く頷いた。
それだけだった。
けれど、その短いやり取りで、通路の空気が少し変わる。
地球側の一般人と、帝国から逃げてきた者達。
その間にあった見えない線が、ほんの少しだけ薄くなった。
カナデは新設医療区画を歩いていた。
その横では、PT達用神経安定装置が並んでいる。
帝国医療技術、だが今は、兵器運用ではなく治療へ使われていた。
カナデが小さく呟く。
「……やっと本来の使い方ね」
その時、医療補助区画奥。 イリスが小さな子供へ本を読んでいた。
少しぎこちない、でも真剣。 カナデが少し止まる。
以前のイリスなら、絶対やらなかった。
その時、子供が聞く。
「イリスお姉ちゃん、 難しい言葉多い」
イリスが止まる、数秒考える。
「……すみません」
周囲が少し笑う、イリスは少し困った顔をする。
その反応自体、もう以前と違っていた。
学習区画、ここでは簡易授業まで始まっていた。
難民の子供、若い整備員。 PT達。
皆同じ空間にいる、エルが大型モニターを操作する。
「これは現在の航路図です」
その横では。 レータが真面目にノートを取っている。
ナユも、リンは嫌そうだった。
「何で俺まで……」
レータが即答する。
「知識は重要です」
「お前最近教師みたいになってきたな」
その時、後方席。 ユイがその光景を静かに見ていた。
少し不思議だった、帝国では、 PT=兵器。
教育も任務用、感情不要。 そう教えられてきた。
でも今ここでは、 勉強して、笑って 食事して。
雑談している、普通だった。 その時。
カイトが隣へ座る。
「どうした?」
ユイは少し目を細める。
「……変な感じ」
「何が?」
ユイは少し考える、そして小さく言った。
「生き残った後の事なんて、 考えた事なかったから」
カイトは少し黙る、その言葉が重い。
ユイだけじゃない、ここにいる多くがそうだった。
戦争、逃亡。 生存、それだけだった。
しかし、 今は違う、その時。 ルクス内部放送が響く。
《第三居住区画開放完了》。 《追加移住受け入れ可能》。
工廠側では大型建造アームが動く、医療区画では新しい患者を受け入れる。
食堂ではまた誰かが騒いでいる、ルクス・ヴァルキュリア。
帝国が作った巨大箱舟、だが今は。
地球でも帝国でもない、傷付いた者達が、
もう一度生き直す場所になり始めていた。
そしてそれは、新しい物語の始まりでもあった。




