第64話 観測者 ~side Yui~
グラン・ネメシス内部深層。 第零研究区画。
そこは要塞の中でも特に異様な場所だった。
白い壁。 無機質な照明。 長い通路。
静かすぎる。 まるで病院みたいだった。
しかし、 時折見える。 ガラス越しの培養槽。
拘束されたPT。 解体中のGDパーツ。
脳波モニター。 神経接続装置。 この場所は、
兵器を“作る”場所だった。 人間ではなく。
命を。 その通路を、イリスは静かに歩いていた。
白い観測用コート。 端末。 無表情。
研究員達が横を通っても、誰も彼女を見ない。
いや。 “人”として見ていない。 観測装置の一部。
それが今のイリスだった。 その時。
通路奥。 小さな部屋の中で、複数のPTが並ばされていた。
同じ顔。 同じ髪。 同じ目。 量産型。
PTシリーズ。 研究員が淡々と報告する。
「感情反応低下を確認」
「記憶領域整理完了」
「戦闘同期率向上」
まるで部品確認だった。 PT達は誰も喋らない。
ただ立っている。 空っぽみたいに。
イリスはその光景を静かに見ていた。
何も言わない。 しかし、 ほんの少しだけ。
視線が止まる。 その頃。 別区画。
ユイは急ぎ足で通路を進んでいた。 監視が増えている。
時間がない。 レータ達を長く潜伏させるのも危険だった。
角を曲がる。 薄暗い整備区画。 そこへ既にカイル達が待機していた。
クロエが低く言う。
「巡回パターン変わってる」
「完全に警戒態勢」
ユイは短く頷く。
「もう隠しきれてない」
その時。 後方通路からイリスが現れる。
静かな足音。 レータが振り返る。 イリスも止まる。
数秒。 二人は無言で互いを見る。 同じオリジナル。
だが状態が違いすぎた。 レータは静かに近付く。
「……イリス」
イリスは小さく首を傾げる。
「L系列オリジナル」
「識別一致」
その声には感情がほとんどない。 レータの表情が少し曇る。
「ここから出ましょう」
イリスは数秒黙る。 そして静かに聞いた。
「……命令ですか?」
空気が止まった。 ナユが小さく目を伏せる。
ユイも何も言えない。 レータだけが静かにイリスを見る。
「違います」
「お願いです」
イリスは少しだけ目を瞬かせる。 理解できていない。
“お願い”という概念が遠い。 その時。
遠くで警報音が響いた。 《深層実験区画接続開始》。
《ネメシス・レクイエム同期試験準備》。
空気が冷える。 イリスが小さく呟く。
「また始まります」
「最近、回数が増えています」
ユイが視線を向ける。 イリスは静かに続ける。
「移送経路も変わりました」
「通常ルートではありません」
クロエが僅かに眉をひそめる。
「どういう意味?」
イリスは数秒だけ沈黙した。
「工廠側権限コードを確認」
「研究区画命令ではありません」
ユイの表情が変わる。
工廠権限。
つまり建造側上層が直接イリス移送へ介入している。
「誰が……」
ユイが小さく呟く。
「識別不能」
「複数回、経路改ざんを確認」
イリスの声は淡々としていた。
だが、その内容だけで十分異常だった。
「失敗すると人が減ります」
「PTも」
淡々としていた。 だがそれが逆に怖い。
感覚が麻痺している。 研究員達も。
イリスも。 この要塞そのものが。 その時。
レータの視線が研究区画奥で止まる。
巨大ガラス壁。 その向こう。 無数の培養槽。
PT量産ライン。 未完成個体。 神経同期試験。
さらに。 破損したPTが解体されている。
部品みたいに。 レータが小さく息を呑む。
「……ここまで」
ユイが低く言う。
「グラン・ネメシスは兵器工場なの」
「要塞でも、都市でもない」
「全部消耗品」
その声には疲労が滲んでいた。 カイルは静かに周囲を見る。
巨大要塞。 帝国。 ネメシス思想。
ここはもう、まともな場所じゃない。
その時だった。 イリスが突然立ち止まる。
その視線が深層方向へ向く。 微かに震えていた。
「……起きています」
全員が止まる。 イリスは虚空を見る。
観測能力。 感知。 それが何かを捉えていた。
「大きいです」
「苦しいです」
「ずっと叫んでいます」
ユイの顔色が変わる。 ネメシス・レクイエム。
まだ起動前。 なのに。 既に何かがおかしい。
遠くで再び重低音が響く。 グラン・ネメシス全体が微かに震える。
まるで要塞そのものが、何か巨大な悪夢を抱えているみたいだった。




