第60話 接近 ~side Yui~
巨大だった。
《グラン・ネメシス》。
それはもはや“要塞”ではない。
一つの世界だった。
宇宙空間へ広がる超巨大構造体。
幾重にも重なる装甲層。
無数の接続ブロック。
艦隊ドック。
生産区画。
都市区画。
内部工廠。
外周だけでも小型艦隊が丸ごと駐留できる。
その全てがゆっくり動いていた。
まるで巨大な生物みたいに。
要塞内部。
中央連絡通路。
無数の帝国兵と整備員が行き交っている。
警報。
搬送ドローン。
武装輸送。
大型GD移送。
以前より明らかに空気が違った。
慌ただしい。
緊張している。
戦争前夜の空気だった。
その通路を、ユイは静かに歩いていた。
黒い軍用コート。
帝国士官証。
だが表情には疲労が滲んでいる。
もう数日まともに寝ていない。
監視も増えた。
視線を感じる。
通路角。
警備兵。
上層監視ドローン。
以前より明らかに数が多い。
ユイは気付かないふりをして歩く。
その時。
後方から静かな声。
「……ユイ」
ユイが振り返る。
白い髪。
淡い銀色の瞳。
イリスだった。
以前よりさらに無表情になっている。
だがユイを見る目だけは少し違った。
ユイは僅かに息を吐く。
「……無事だったんだ」
「はい」
短い返答。
イリスは少し視線を下げる。
「最近、監視が増えています」
「知ってる」
「ユイへの追跡も」
その時、ユイの端末へ短いノイズ通信が入った。
医療診断ログに紛れ込ませた、極短時間の偽装通信。
表示された発信元を見て、ユイの表情が僅かに固まる。
《もう長くは隠し切れない》
アルベルト・ルーメンからの短通信だった。
通常の通信ではない。
医療診断の定期ログに偽装し、数秒だけ表示される警告。
《ヴァイス側が内部監視を強化している》
《気を付けろ》
それだけの短い警告。
だが、その内容だけで十分だった。
ユイは答えない。
答えなくても分かる。
限界は近い。
その時。
通路全体へ警報音が響いた。
《艦隊接続シークエンス開始》。
《第七外周ドック開放》。
《輸送艦隊誘導開始》。
通路壁面モニターが起動する。
そこへ映し出された光景に、周囲の兵士達ですら少し息を呑んだ。
帝国艦隊。
無数。
戦艦。
輸送艦。
GD母艦。
補給艦。
その全てが、グラン・ネメシスへ集まり始めていた。
まるで宇宙そのものが動いているみたいだった。
イリスが小さく呟く。
「……増えています」
「全部ここへ来る」
ユイはモニターを見る。
嫌な予感しかしない。
ネメシス思想直属。
グラン・ネメシス。
ネメシス・レクイエム。
全部が急ぎすぎている。
その時。
背後から低い声。
「壮観だろう」
空気が変わる。
周囲の兵士達が一斉に姿勢を正す。
レグナートだった。
長い黒コート。
鋭い視線。
その男が立つだけで空気が冷える。
ユイは静かに振り返る。
「……レグナート司令」
レグナートはモニターを見る。
帝国艦隊。
集結する戦力。
その目には迷いがない。
「時代が変わる」
静かな声。
「この要塞が完成すれば、帝国は次の段階へ進む」
ユイは無言。
レグナートは続ける。
「君もそう思わないか?」
試すような口調。
ユイは少しだけ視線を伏せる。
「……命令に従います」
レグナートは数秒ユイを見る。
その視線だけで、背筋が冷える。
やがて彼は小さく笑った。
「疲れているな」
「少し休め」
レグナートが去ったあと。
再び端末へ、医療ログを装った小さな通信が届く。
《顔色が悪い》
《ちゃんと休んでいるのか》
アルベルトだった。
ユイは思わず小さく息を吐く。
《今さら心配?》
短く返す。
《今だからだ》
《お前は昔から無理を隠す》
その文面を見て、ユイは少しだけ目を伏せた。
優しい言葉だった。
だが逆に怖い。
イリスが僅かにユイを見る。
レグナートは去っていく。
周囲の空気がようやく戻った。
ユイは小さく息を吐く。
イリスが静かに言った。
「……気付かれていますか」
ユイは否定しない。
「まだ確信じゃない」
「でも時間の問題」
短い沈黙。
その時。
遠くで重低音が響いた。
巨大搬送ブロック移動。
外周装甲展開。
要塞全体がゆっくり動いている。
巨大すぎる。
もはや都市規模。
イリスはその振動を感じながら小さく呟く。
「……壊れそうです」
ユイが視線を向ける。
イリスはモニターを見る。
巨大要塞。
増え続ける戦力。
無理矢理積み込まれる兵器。
そして。
要塞内部深層。
そこから時折、異常な反応が漏れている。
「急ぎすぎています」
「この要塞……正常ではありません」
ユイも分かっていた。
ネメシス思想はもう止まらない。
そして自分も。
もう長くは隠れられない。
その頃。
グラン・ネメシス最深部。
超大型隔壁の向こう。
無数の拘束ケーブルに繋がれた巨大な黒い影が、 静かに眠っていた。
《ネメシス・レクイエム》。
まだ目覚めていない。
しかし、その巨体は確かに、ゆっくり脈動を始めていた。




