第43話 帰還 ~side Yui~
暗い通路だった。
白い照明。金属床。無機質な壁。
懐かしい。
そう思った瞬間、ユイは自分で少しだけ嫌になった。
ユイは歩き続けた。 帝国中央軍港レグナリア。
巨大艦艇群が並ぶ帝都防衛拠点。その最深部にある中央管理区画を、ユイは一人で進んでいた。
規則正しい足音が響く。 すれ違う兵士達は敬礼だけを返し、余計な言葉は口にしない。
視線だけが刺さる。
観察、警戒、値踏み。
戻ってきた裏切り者。
表向きにはそう処理されていない。
だが、空気は違った。 ユイは表情を変えないまま歩く。
やがて巨大扉の前で止まった。 認証音。
扉がゆっくり開く。 中は異様なほど静かだった。
円形の作戦室。中央ホログラムには複数の星系図。
赤い光点がいくつも浮かんでいる。 その奥。
長い黒衣を纏った男が立っていた。 レグナート。
振り返る動作すら静かだった。
「……戻ったか」
「命令に従っただけです」
ユイは短く答える。 レグナートは数秒黙ったままユイを見る。
その視線には感情がない。
まるで、機械を点検するような目だった。
「ベヒモス実験は失敗した」
「申し訳ありません」
「構わん」
即答だった。 そこに怒りはない。 逆に、それが不気味だった。
レグナートはホログラムへ視線を戻す。
赤い光点がゆっくり移動している。
「地球側戦力は予想以上だった。特にLF運用速度が早い」
「……」
「だが収穫もあった」
ユイは何も言わない。 言葉を選ぶ必要があった。
この男は僅かな反応でも見逃さない。 レグナートが静かに続ける。
「適性反応も確認できた」
その瞬間だけ、ユイの指先が僅かに止まる。
レグナートは気付いている。 だが何も言わない。
代わりにホログラムが切り替わった。
巨大な建造施設。 宇宙空間に浮かぶ異常な質量。
無数の作業艦。 巨大フレーム。 未完成の装甲帯。
ユイは一瞬だけ視線を細める。 レグナートが口を開く。
「お前には次の任務へ移ってもらう」
「……新型艦ですか」
「観測任務だ」
ホログラムが拡大される。 その巨大構造物は、まだ骨格しか完成していない。
しかし、それでも異常だった。 戦艦ではない。
要塞。 それも惑星攻略級。 ユイは内心だけで警戒を強める。
こんな規模の建造計画は知らされていなかった。
レグナートが静かに言う。
「極秘計画だ。正式名称は《グラン・ネメシス》」
空気が少しだけ重くなる。 ユイは無表情を維持した。
だが心臓だけが嫌な音を立てていた。
レグナートはさらに表示を切り替える。
巨大構造物の中枢、赤い主砲区画のコードだけが別枠で表示された。
《ネメシス・レクイエム》。
「中核兵装だ」
その短い説明だけで十分だった。
あの要塞と、この兵装は別物ではない。
グラン・ネメシスという怪物の心臓として、ネメシス・レクイエムが組み込まれている。
レグナートは続ける。
「お前には外周警備隊へ入ってもらう」
「了解しました」
「内部への立ち入り権限は後日付与する」
つまりまだ信用されていない。 当然だった。
しかし、それで十分でもある。 内部へ近付ける。
ユイは静かに息を吐いた。 レグナートがこちらを見る。
「ユイ」
「はい」
「お前は帝国へ戻ってきた」
短い沈黙。
「ならば、もう迷うな」
ユイは答えない。 答える必要がなかった。
レグナートもそれ以上は言わない。 やがてユイは部屋を後にする。
扉が閉まった瞬間、ようやく小さく息を吐いた。
冷たい汗が背中を流れている。 あの要塞は危険だ。
理屈ではなく、本能がそう告げていた。 通路を歩きながら、ユイは視線を上げる。
巨大窓の向こう。 無数の建造艦が動いている。
鋼鉄の骨組み。 異常な熱量。 増設され続ける砲塔。
まるで巨大な怪物だった。 ユイは小さく目を細める。
「……何を作ってるの」
その呟きは誰にも届かない。 しかし、その瞬間。
遠く離れた暗い作業ブロックで、一つの小さな光が点滅した。
識別コード。 《PT-A》。 ユイはまだ、その意味を知らない。
その直後、ユイの端末が短く震えた。
通常回線ではない。 医療区画の補助回線を経由した、匿名通信だった。
通常の監視網に残りにくい、古い管理系統の信号だった。
『監視記録はこちらで調整しておく』
差出人は表示されない。
だが、帝国式の管理権限を持つ者でなければ、こんな通信は送れない。
ユイは一瞬だけ足を止め、それから何も見なかったように端末を閉じた。




