第42話 帰還者 ~side Yui~
黒い輸送艇が静かに進路を変える。
窓の外では、帝国艦隊の残光が遠ざかっていた。
ベヒモス事件は終わった。
しかし、空気は少しも落ち着いていない。
艦内ブリーフィングルーム。 モニターには帝国宙域外縁部の航路図が映し出されていた。
「ここから先は帝国監視網に入る」
カイルが淡々と言う。
「俺達も長くは同行できない」
ユイは静かにモニターを見る。
戻る。
自分で選んだ事だ。 だが実際に帝国宙域が近づくと、胸の奥が少しだけ重くなる。
セラが壁へ寄りかかったまま口を開いた。
「正直、今さら戻って大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない」
ユイは即答する。
「多分、もう疑われてる」
ベヒモス事件。
地球側との接触。
ラスト・オーダーとの行動。
レグナートが気づいていないはずがない。
その時、前方モニターへ帝国領の巨大構造物が映る。
人工要塞都市。 無数の艦影。 そして、その中心で輝く白銀の塔。
帝都ネメシア。 ユイは小さく目を細めた。
懐かしいとは思わない。 しかし、自分がここで生まれた事だけは確かだった。
輸送艇内部が静かになる。 その時、カイルが一枚の端末を差し出した。
「潜伏ルートだ」
ユイが受け取る。 帝都下層区画、軍用搬入経路、旧研究ブロック。
端末に記された情報は、あまりにも詳細だった。
ユイが視線を上げる。
「……なんでこんなの持ってるの」
カイルは短く答える。
「昔、使ってた」
それ以上は語らない。 ユイも深くは聞かなかった。
まだ、この男の正体は分からない。 だが少なくとも、帝国内部を知りすぎている。
その時だった。 艦内通信が開く。
『帝国側巡回艦接近』
『識別照合開始』
空気が変わる。 ラスト・オーダーの整備員達が一斉に動き始めた。
カイルは静かに振り返る。
「ここで別れる」
短い言葉だった。 セラが顔をしかめる。
「本当に大丈夫?」
ユイは少しだけ黙る。 そして小さく笑った。
「大丈夫じゃなくても行くしかない」
それが今の役目だった。 オリジナルナンバー。
PT計画。
レグナート。
全部、まだ帝国内に残っている。
逃げるわけにはいかない。 やがて輸送艇後部ハッチが開く。
その向こうには、小型潜入艇が待機していた。
ユイはゆっくり歩き出す。 その時、カイルが低く言った。
「気を付けろ」
ユイが振り返る。 カイルは壁へ寄りかかったまま続けた。
「レグナートは、もう次を始めてる」
ユイの表情が僅かに変わる。
「次……?」
カイルは小さく目を細めた。
「ベヒモスは失敗作だ」
静かな声だった。
「本命は別にある」
その言葉に、艦内空気が少しだけ冷える。
ユイはゆっくり拳を握る。 やはり止まっていない。
帝国は、まだ先へ進もうとしている。
ユイは小型艇へ乗り込む。 ハッチが閉じる。
直後、小型艇が帝都下層区画へ向けて静かに降下を開始した。
同時刻。 帝国中央区画。 巨大な白い空間の中で、一人の男がモニターを見つめていた。
レグナート。 その前には、ベヒモス事件の戦闘記録が映し出されている。
暴走、崩壊、転移消失。
記録上は完全な失敗だった。
だが――。
「面白い」
レグナートは小さく呟く。 背後ではレオンが静かに立っていた。
「……あれを成功と呼ぶつもりですか」
レグナートは振り返らない。 代わりに、新たなデータ画面を開く。
そこへ表示されたのは、巨大な人型兵器のシルエットだった。
白銀の機体。 巨大な光輪状ユニット。
そして、その横へ刻まれた開発コード。
――Nemesis Requiem。
レオンの目が細まる。 レグナートは静かに笑った。
「次は、こちらだ」
その目には狂気すら宿っていた。 一方。
帝都下層区画。 暗い搬入口へ、小型艇が静かに降下する。
ハッチが開く。 ユイはゆっくり外へ降り立った。
白い照明。金属床。無機質な壁。 変わらない帝国の景色。
ユイは小さく息を吐く。 そして静かに歩き出した。
帝国潜入が、始まる。




