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第409話 出向解除とそれぞれの帰路

 翌朝。

 地球側施設内に設けられた医療区画には、妙に静かな空気が流れていた。

 静かな理由は、重傷者がいるからではない。

 全員、声を出す元気があまり残っていないからだった。

 レガロンはベッドの上で仰向けになり、天井を見つめている。

 コウタは隣のベッドで毛布をかぶっていた。

 三島は椅子に座ったまま、片手で額を押さえている。

 カイルは別の椅子に座り、状況を把握しようとしている顔をしていた。

 だが、その顔は普段よりもわずかに険しい。

 理由は単純だった。

 慰問会の後半を、あまり覚えていない。

「急性の問題はない」

 モルドが四人を順番に見た。

「単純に自業自得だ」

「医者の言葉が冷たい」

 カイルが呟く。

 カナデが穏やかに微笑んだ。

「冷たいのではなく、正確です」

 コウタが毛布の中から弱々しく言う。

「タツヤさんに合わせたのが間違いでした……」

 モルドは即答した。

「その判断が遅い」

「はい……」

 レガロンが天井を見たまま低く呻いた。

「火器なら、出力限界は分かるんだがな……」

 グリッドが入口から顔を出す。

「自分の限界も覚えろ」

「返す言葉もない」

 三島は額を押さえたまま、かすれた声で呟いた。

「黒瀬さん……本当に何で酔わないんですか……」

 黒瀬は医療区画の壁際で、いつも通り端末を確認していた。

「体質だ」

「昨日も同じ答えでした……」

「記録上も同じだ」

「その記録、見たくないです……」

 カナデが苦笑する。

「三島さんは、黒瀬さんのペースに合わせたのが原因ですね」

「合わせたつもりは……」

 黒瀬が端末から目を上げる。

「同じ間隔で飲んでいた」

「……覚えていません」

「では、イリスの記録を確認するか」

「やめてください」

 その反応だけは、かなり速かった。


 カイルは顔を上げた。

「で、俺はなんでここにいる」

 クロエが端末を開く。

「昨夜の後半記憶に欠落があるため、念のためです」

「……俺、何かやったか」

 医療区画に、妙な沈黙が落ちた。

 カイトとユイは見舞いに来たところだったが、その沈黙に足を止める。

 アイナが静かに一枚の予定表を差し出した。

「休息予定に同意しました」

「覚えてねえ」

「音声記録があります」

 クロエが続ける。

「映像記録もあります」

 イリスが入口から端末を抱えて入ってきた。

「補助記録もあります」

 カイルはゆっくりと周囲を見た。

「敵が多い」

「味方です」

 アイナは真顔で答えた。

「カイルを休ませるための味方です」

「余計に厄介だ」

 カイトが少し遠慮がちに声をかける。

「あの、昨日の言葉、ありがとうございました」

 カイルは眉を寄せた。

「何の話だ」

「戦いが終わった後の方が面倒で、でも後始末から逃げなかった人だけが帰れるって」

 カイルはしばらくカイトを見た。

 そして、クロエを見る。

「俺、そんなまともなこと言ったのか」

「言っていました」

「消せ」

 イリスが首を横に振る。

「できません。重要記録です」

「重要じゃねえ」

 ユイが静かに言った。

「私は、よい言葉だと思いました」

 カイルは少しだけ困った顔をする。

「やめろ。覚えてない時の俺を褒めるな」

 アイナが予定表を突き出した。

「その後、帰ったら一日休むとも約束しました」

「それは絶対に俺じゃない」

「音声記録があります」

「俺だとしても、酔ってたなら無効だろ」

 モルドが横から言った。

「記憶がない状態で約束したなら、今後は飲酒制限対象だ」

「俺の扱い、ネヴァに近くなってないか」

 カナデが微笑んだまま答える。

「危険管理という意味では、少しだけ近いですね」

「笑顔で言うな」

 アシュが入口の端に立っていた。

 その一言だけ聞いて、短く言う。

「ネヴァよりは危険度が低い」

「比較対象がおかしいんだよ」

 カイルは頭を抱えた。


 イリスは端末を開いた。

「帰還慰問会参加者状態記録の確認に来ました」

 カイルが嫌な顔をする。

「来なくていい」

「重要記録です」

 レガロンが天井を見たまま言った。

「……削除は」

「できません」

「そうか……」

 コウタが毛布の中で震える。

「俺の記録も、残ってますか」

「はい。整備班コウタ、タツヤの飲酒速度への追従を試みるも失敗。机上にて沈黙」

「消してください……」

「帰還慰問会記録です」

「黒歴史です……」

 イリスは少し考えた。

「黒歴史とは、本人が後日直視したくない記録のことですか」

「今まさにそうです」

「分類は昨夜追加済みです」

「追加しないでって言ったのに……」

 三島が弱々しく手を上げる。

「私の部分は……」

 イリスは端末を見る。

「三島遥。黒瀬監査官の飲酒速度への追従を試みるも失敗。記録入力速度低下後、休憩席へ移動」

 三島は両手で顔を覆った。

「覚えていないのに、状況が分かるのが嫌です……」

 黒瀬は淡々と言う。

「記録とはそういうものだ」

「今だけ説得力がつらいです」

 カナデが病室を見回した。

「安心して気が緩んだ結果ですね。悪いことではありません」

 そこで、少しだけ間を置く。

「ただし、次回は限度を覚えましょう」

 モルドが続ける。

「安心するのはいい。限度を忘れるな」

 レガロン、コウタ、三島、カイルがそれぞれ別方向を向いた。

 反省している者。

 反省したくない者。

 記憶がないため反省のしようがない者。

 全員まとめて、モルドの視線からは逃げられなかった。


 一方、PT組の休憩室では、別の意味で動けなくなっている者がいた。

 セラだった。

 彼女はベッドの上で枕に顔を埋め、完全に突っ伏している。

「セラ、生きてる?」

 ミオが声をかける。

「……死んでる」

「喋ってるから生きてるね」

「昨日の私を消して」

「無理だよ。イリスが保存したから」

「イリスも消して」

「それはもっと無理」

 セラは枕をさらに強く抱きしめた。

「嫌とは言ってないとか、近いとか、何であんなこと……」

 ミオは笑いをこらえながら、ベッドの端に座る。

「かわいかったよ」

「追撃しないで」

「でも、嫌じゃなかったんでしょ?」

「……嫌とは言ってない」

 言ってから、セラは枕の中で止まった。

 ミオがにっこり笑う。

「ほら、まだ言ってる」

「今のも忘れて」

 部屋の隅で、イリスが端末を開きかけた。

「追加記録――」

「しないで!」

 セラの声だけが、枕越しに休憩室へ響いた。

 レイは近くの椅子に座っていた。

 カナデから、反射行動多発による疲労確認のために休むよう言われている。

 本人は問題ないと主張した。

 だが、カナデに「問題ないと言える人ほど確認が必要です」と言われ、現在は休憩中だった。

 ナユがリンと一緒に見舞いに来る。

「レイ、大丈夫?」

「問題ない」

 ミオがすかさず言う。

「その問題ないは、昨日から信用が少し下がってるよ」

「なぜだ」

「考える前に手が動くって言ったから」

 レイは少し考える。

「事実だ」

「だからだよ」

 ナユは小さく笑った。

「でも、昨日は怖くなかった」

 リンが頷く。

「助けられた人も多いです」

 レイは少しだけ視線を落とした。

「なら、よかった」

 その横で、セラが枕に顔を埋めたまま呟く。

「私の記録だけ消して……」

 ミオは笑って言った。

「それも、生きて帰ってきた証拠だよ」

「その言い方、昨日も聞いた」

「便利だからね」

「便利にしないで」


 昼前。

 ラスト・オーダーの出向解除手続きが始まった。

 地球側協力部隊としての一時出向扱い。

 帰還報告。

 正式停戦協定第一段階。

 帰還慰問会。

 必要な手続きは済んだ。

 後は、それぞれの場所へ戻るだけだった。

 会議区画の小さな部屋で、黒瀬、三島、ジン、カイル、クロエが確認を行っていた。

 三島はまだ少し顔色が悪い。

 黒瀬は全く変わらない。

 カイルはそれを見て言った。

「三島、お前も黒瀬の隣にいるなら、あいつのペースを信じるな」

 三島は力なく答える。

「昨日、学びました……」

 黒瀬は端末を操作する。

「ラスト・オーダーの地球側協力部隊としての出向扱いを、本日付で解除する」

 クロエが頷く。

「ラスト・オーダー側も確認しました。帰投後の編成に変更はありません」

 黒瀬が読み上げる。

「カイル・“レイヴン”・アストラ。ラスト・オーダー指揮継続。ただし、昨夜の記憶欠落により飲酒管理対象へ追加」

「そこを正式記録に入れるな」

「医療記録として必要だ」

 モルドが隣から言う。

「必要だ」

 アイナも頷く。

「必要です」

「三方向から来るな」

 黒瀬は続ける。

「クロエ・テスア。補佐継続。カイルの記録管理、出向解除手続き、今後の医療・休息予定確認」

「了解しました」

「アイナ。生活管理、医療補助担当としてラスト・オーダー同行継続」

 アイナは小さく頷く。

「はい。帰ったら、まずカイルを休ませます」

「本人の意思は」

「尊重します。ただし、休ませます」

「尊重とは」

 カイルが呟く。

 黒瀬は無視して続けた。

「グリッド・ハックボルト。整備、危険機体管理担当」

「いつも通りだな」

「モルド・クフェン。医療責任者」

「飲みすぎた者の管理も含む」

 レガロンが少し離れた席で視線を逸らした。

「レガロン・バレック。技術、火器、整備協力。酒量管理を要する」

「そこまで読む必要があったか」

「ある」

 グリッドが笑う。

「あるな」

 黒瀬は続ける。

「リン・ヴァルネス。ナユ・レイシアの保護および同行継続」

 リンが頷く。

「はい」

「ナユ・レイシア。ラスト・オーダー保護下。記憶回復と生活安定を優先」

 ナユは少しだけ地球側施設の窓を見た。

 窓の外には、青い空がある。

 昨日よりも近い地球の空。

 そこに残響は多い。

 けれど、怖くはなかった。

「また、来てもいい?」

 ナユが小さく尋ねる。

 ジンが答えた。

「手続きさえ通せばな」

 カイルが肩をすくめる。

「だそうだ。次は遊びで来い」

 リンが静かに言う。

「その時も、先に連絡を」

「それ、俺に言ってるのか?」

「はい」

 カイルは不満そうに眉を上げた。


 アシュは、ネヴァ管理資料を受け取っていた。

 ラスト・オーダー管理下。

 危険機能封印。

 命令層残留経路確認。

 地球側への定期報告。

 彼は資料を一つずつ確認する。

 日常に馴染む者ではない。

 だが、危険なものを見張る者として、帰る場所は決まっていた。

 セラが少し離れたところから声をかける。

「行くの」

「戻る」

「ネヴァを?」

「ああ。首輪に戻さないために」

 セラは少しだけ黙った。

「……なら、見ていて」

「実験体としてではなく?」

「そう」

 アシュは短く頷いた。

「分かった」

 セラはすぐに顔を逸らした。

「それだけ」

「ああ」

「あと、昨日のことは忘れて」

「昨日?」

「忘れて」

「分かった」

 アシュはそれ以上聞かなかった。

 セラは少しだけ安心し、そして、ミオが遠くから笑っていることに気づいて顔をしかめた。

「見てないで」

 ミオは笑ったまま手を振った。


 別の窓辺では、アルベルト、レオニス、リクトが地球の空を見ていた。

 大きな式典ではない。

 派手な別れでもない。

 ただ、それぞれの役割が静かに決まっていく。

 アルベルトは、端末に保存されたPT記録の一覧を見ていた。

「彼女達の記録は、読むだけでは足りません」

 レオニスが横目で見る。

「返すのか」

「はい。本人へ返してよい記録と、保護のために封じるべき記録を分ける必要があります」

 リクトは空を見上げていた。

「地球の術式層は、静かですね」

 レオニスが眉を上げる。

「静か?」

「帝国圏では、命令層や認証網の残響が常に混じっていました。ここには、それがない。自然の揺れだけです」

 アルベルトが静かに言う。

「それは、良いことですか」

「ええ」

 リクトは頷いた。

「少なくとも、誰かに返事を強制する音ではありません」

 レオニスは息を吐く。

「なら、俺は機械側を疑う。帝国規格部品、GD端末、GF端末、命令同期残留経路。全部だ」

「私は記録を読みます」

 アルベルトが言う。

「彼女達に返すために」

「私は見えない接続を確認します」

 リクトも続けた。

 三人は地球の空を見た。

 感動だけではない。

 後悔だけでもない。

 ここから始まる後始末の重さを、それぞれが理解していた。

 それでも、命令されて戻る場所ではなく、自分で選んだ場所に立っている。

 それだけは、確かだった。


 出向解除の時刻になった。

 ラスト・オーダーの艦へ戻るための移送準備が整う。

 カイルは荷物らしい荷物も持たず、いつもの調子で歩いていた。

 ただし、その背後にはアイナが予定表を持っている。

 クロエも記録端末を持っている。

 グリッドは整備資料を抱え、モルドは医療箱を持っている。

 レガロンは少しだけ顔色が悪い。

 リンはナユの隣にいる。

 アシュは少し離れて、ネヴァ管理資料を抱えていた。

 カイトとユイは見送りに来ていた。

「厄介事があったら呼べ」

 カイルが軽く言う。

 カイトは少し笑った。

「呼ばなくても来るんでしょう」

「分かってるじゃねえか」

 ジンが横から言った。

「来る時は先に連絡しろ」

「努力する」

「信用できないな」

「艦長にまで言われた」

 黒瀬が端末から目を上げる。

「次回以降、事前連絡なしの進入は監査対象にする」

「お前は本当に容赦ねえな」

「必要な処理だ」

 アイナがカイルの横に立つ。

「帰投後、一日休息です」

「まだ言うか」

「音声記録があります」

「分かったよ」

 カイルは観念したように片手を上げた。

「休む。多分」

「多分ではありません」

「休む」

 アイナは満足そうに頷いた。

 クロエが静かに補足する。

「記録しました」

「味方がいねえ」

 カイルはため息をついた。

 それでも、表情は悪くなかった。


 ナユは最後に、地球の空をもう一度見た。

「残響が多い」

 リンが隣で尋ねる。

「怖いですか」

 ナユは首を横に振った。

「ううん。怖くない。昨日も、今日も、にぎやかだった」

「また来られます」

「うん」

 ナユは小さく頷いた。

「次は、危険じゃないものを探したい」

 アミィが近くで言う。

「平和な索敵ですか」

「うん。平和な索敵」

 レータが笑う。

「じゃあ、次は一緒に探そう」

「うん」

 リンはその会話を静かに聞いていた。

 守るためだけではない。

 隣にいるために戻る。

 それが今の自分の役目だった。


 ラスト・オーダーの移送艇が発進準備に入る。

 カイルが搭乗口で振り返った。

「じゃあな」

 軽い声だった。

 だが、それがよかった。

 重くしすぎれば、また戦場の別れになる。

 今は違う。

 これは出向解除であり、それぞれの帰路だった。

「また」

 カイトが言う。

「ええ。また」

 ユイも続けた。

 カイルは少しだけ笑った。

「名前が二つでも三つでも、返事する相手がいるなら困らねえだろ」

 ユイが目を瞬かせる。

 カイトも少し驚いた。

 クロエが横で言う。

「昨日も似たことを言っていました」

「おい、俺は今は覚えてるぞ」

「では、今回は記録します」

「するな」

 イリスが端末を開く。

「重要記録です」

「お前ら本当に容赦ねえな」

 カイルは諦めたように笑い、移送艇へ乗り込んだ。

 扉が閉まる。

 ラスト・オーダーの出向は解除された。

 彼らは彼らの場所へ戻る。

 危険技術を抱え、保護対象を乗せ、未処理の案件を追いかける移動拠点へ。

 それは平穏な帰路ではない。

 だが、命令で戻る道でもなかった。


 移送艇が離れていく。

 イリスは、その光を端末に記録した。

 ラスト・オーダー、地球側協力部隊としての一時出向を解除。

 カイル・“レイヴン”・アストラ、指揮継続。

 クロエ・テスア、補佐継続。

 アイナ、生活管理・医療補助継続。

 グリッド・ハックボルト、整備・危険機体管理。

 モルド・クフェン、医療責任者。

 レガロン・バレック、技術・火器・整備協力。酒量管理継続。

 リン・ヴァルネス、ナユ・レイシアの隣に残る。

 ナユ・レイシア、記憶回復と生活安定を優先。

 アシュ、ネヴァと共にラスト・オーダー管理下へ。

 イリスはそこまで記録し、少しだけ手を止めた。

 帰る場所は一つではない。

 地球へ残る者。

 ラスト・オーダーへ戻る者。

 後始末のために地球へ留まる者。

 まだ名前の意味を考えている者。

 それぞれが、自分で選んだ場所へ戻る。

 イリスは最後の一文を加えた。

 命令による帰投ではない。

 それぞれが、自分で選んだ帰路である。

 保存。

 画面にその文字が灯る。

 地球の空の下で、ラスト・オーダーの移送艇は小さく遠ざかっていった。

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