第408話 帰還慰問会
帰還慰問会。
地球側施設の一角に用意された会場には、その文字が控えめに表示されていた。
戦勝会ではない。
祝勝会でもない。
大きな旗も、過剰な演出もない。
ただ、長く続いた戦いから戻ってきた者達と、その戦いに協力した者達を迎えるための席が並べられている。
食事。
飲み物。
休憩用の席。
医療班の待機所。
整備班用の一角。
ラスト・オーダーの席。
PT組の席。
その配置は、黒瀬と三島の確認を何度も経た結果、妙に隙のないものになっていた。
「念のため確認する」
会場入口で、黒瀬が端末を見ながら言った。
「本会は戦勝会ではない。正式終戦協定はまだ結ばれていない。これは、帰還者、協力者、保護対象を迎え、休ませるための帰還慰問会だ」
ジンが隣で頷く。
「騒ぐなとは言わない。だが、怪我をしない範囲にしろ」
カイトが苦笑した。
「最初に言うことがそれなんですね」
「戦闘後の宴席で負傷者を増やすほど馬鹿らしいことはない」
黒瀬は平然と答えた。
三島が端末を確認する。
「未成年者、PT組、アイナさん、保護対象へのアルコール提供は禁止。提供記録も確認済みです」
アイナがラスト・オーダー側の席から手を上げた。
「ラスト・オーダー側も確認しました。カイルの飲酒量、食事量、休息予定、明日の検査予定も管理します」
「おい、俺を酒類と同列で管理するな」
カイルが嫌そうに言う。
クロエが淡々と答えた。
「管理対象としては近いです」
「近くねえ」
ジンがわずかに口元を緩める。
「始まる前から通常運転だな」
黒瀬は会場を見渡した。
「繰り返す。これは戦勝会ではない」
少しだけ間を置く。
「だが、帰ってきた者が休む場ではある。許される範囲で、休め」
その言葉で、会場の空気が少しだけ緩んだ。
最初に戸惑ったのは、アミィだった。
彼女はレータの隣に座り、目の前に置かれた皿と、周囲の賑やかな声を交互に見ていた。
「レータさん」
「うん?」
「これは、何を達成すれば成功ですか」
レータは一瞬だけ目を瞬かせた。
それから、優しく笑う。
「達成しなくていいよ」
「達成しなくていい」
「うん。食べて、話して、疲れたら休む。楽しかったら笑う。それでいいんだと思う」
アミィは真剣な顔で考え込んだ。
「楽しかったら、笑う」
「無理に笑わなくてもいいよ」
「無理ではなく、分かった時に笑います」
「それでいいと思う」
アミィは、皿の端に置かれていた小さな菓子を見た。
白いクリームと果物が乗っている。
「これは」
「甘いものだね」
「食べてもよいのですか」
「もちろん」
アミィは両手で菓子を持ち、慎重に口へ運んだ。
少しだけ噛む。
そして、考える。
「甘いです」
「うん。甘いね」
「でも、嫌ではありません」
「じゃあ、好きってことでいいんじゃないかな」
「好き、ですか」
アミィはもう一度、小さく口に運んだ。
今度は先ほどよりも少しだけ迷いが少なかった。
「はい。これは、好きです」
レータは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、次に見つけたら覚えておこう」
「覚えるのですか」
「うん。アミィが好きなもの」
アミィは少しだけ目を瞬かせた。
「命令ではないのに、覚えるのですか」
「命令じゃないから覚えるんだよ」
その言葉に、アミィは手元の菓子を見つめた。
「では、私も覚えます」
「何を?」
「レータさんは、温かい飲み物を飲む時、少し笑います」
レータは自分のカップを見下ろした。
「えっ、そう?」
「はい。記録ではなく、覚えました」
レータは照れたように頬をかいた。
「そっか。じゃあ、お互い様だね」
アミィは頷いた。
「はい。お互い様です」
少し離れた席で、ミオがその様子を見て笑っていた。
「アミィ、もう好きなもの見つけたんだ」
「はい。甘いものです」
「いいね。地球には甘いもの、たくさんあるよ」
ナユが横から顔を出す。
「じゃあ、探しに行く?」
「探す、ですか」
「うん。危険な残響じゃなくて、おいしいものを探す」
アミィは少し考えた。
「それは、索敵ですか」
ナユは真面目に頷く。
「たぶん、平和な索敵」
ミオが笑った。
「それなら私も参加する。支援管制じゃなくて、案内役で」
レータが手を上げる。
「私も。アミィが好きなもの、増やしたいし」
アミィは四人を順番に見た。
戦闘配置ではない。
防壁でも、支援網でも、残響索敵でもない。
ただ、次に何を食べるかを話している。
「では、お願いします」
アミィは小さく頭を下げた。
「平和な索敵を、してみたいです」
ナユは少しだけ笑った。
「うん。怖くない残響を探そう」
リンが隣で皿を差し出す。
「まずは、これを食べてからですね」
ナユは皿を見る。
「リンも食べる?」
「はい」
「護衛じゃなくて?」
「今は、一緒に食べる時間です」
ナユはしばらくリンを見た後、小さく頷いた。
「うん。それがいい」
別の席では、セラが微妙に落ち着かない様子で座っていた。
目の前の飲み物は、当然アルコールではない。
だが、周囲の空気に当てられたのか、普段よりも少しだけ言葉の棘が柔らかい。
ミオが隣に座る。
「セラ、楽しんでる?」
「別に」
「嫌?」
「嫌とは言ってない」
「じゃあ、楽しい?」
「そうとも言ってない」
ミオはにこにこと笑った。
「でも、隣に座るなとは言わないんだ」
セラは顔を少しだけ逸らした。
「近い」
「離れる?」
「……そこまでしろとは言ってない」
ミオは笑いをこらえた。
セラはその表情を見て、眉を寄せる。
「何」
「ううん。セラ、かわいいなって」
「その評価を撤回して」
「しない」
「ミオ」
「はい」
「今の会話、記録しないで」
少し離れたところで、イリスが端末を持ったまま動きを止めた。
セラが振り向く。
「イリス」
「はい」
「今の、記録してないでしょうね」
イリスは一拍置いて答えた。
「帰還慰問会参加者状態記録として、検討中です」
「検討もしないで」
ミオがとうとう笑った。
「大丈夫だよ。命令記録じゃないから」
「だから余計に嫌なの」
レイは静かに座っていた。
座っていたはずだった。
だが、誰かの皿が傾いた瞬間、彼女の手はもう伸びていた。
皿を受け止める。
飲み物が倒れそうになる。
別の手で支える。
後ろを通ったコウタが椅子の脚に引っかかる。
レイは振り向く前に、その襟首を掴んでいた。
「うわっ、すみません!」
「問題ない」
レイは真顔で答えた。
カイトはその一連の動きを見て、思わず声をかける。
「今、見てから動きました?」
レイは少し考えた。
「分からない。手が動いていた」
ミオが横から言う。
「普段は考えてから斬ってるみたいな顔してるのに」
「考える前に動くと危険だから、普段は止めている」
セラが小さく呟く。
「それ、かなり危険な人の発言じゃない?」
レイは真面目に頷いた。
「だから止めている」
カイトは少しだけ納得した。
戦場で、レイが刃を下ろして待ったこと。
斬らずに判断を保ったこと。
それは、彼女にとって自然なことではなかった。
むしろ、かなり努力していたのだ。
その横で、また誰かのフォークが落ちかけた。
レイの手が伸びる。
無音で受け止める。
「……すごいですね」
ユイが呟いた。
カイトも頷く。
「うん。すごいというか、ちょっと怖い」
レイはフォークを持ち主に返しながら言った。
「問題ない。今は斬っていない」
「そこが基準なんですね」
ラスト・オーダー側の席では、アイナが異様なほど忙しそうに動いていた。
飲んでいない。
間違いなく、飲んでいない。
だが、その管理テンションは会場内でもかなり高い。
「カイル、食事はそれだけですか」
「食ってるだろ」
「野菜がありません」
「肉も食ってる」
「野菜がありません」
「二回言うな」
アイナは端末に入力する。
「カイル、食事偏りあり。後で補正」
「補正って何だ」
「明日の食事です」
クロエが静かに頷いた。
「妥当です」
「お前も敵か」
グリッドが近くで笑う。
「お前は管理されてるくらいでちょうどいい」
モルドも席から言う。
「医療検査は明日だ。逃げるな」
「誰も逃げるとは言ってねえ」
アイナがすかさず言う。
「発言記録、逃走否定。明日確認します」
「お前、一番酔ってないか?」
「飲んでいません」
「知ってるよ」
カイルはため息をついた。
それでも、表情は悪くない。
軽口を叩きながらも、どこか肩の力が抜けている。
カイトが近くを通ると、カイルは片手を上げた。
「よう、地球の主人公」
「その呼び方やめてください」
「いいじゃねえか。帰ってきたんだろ」
「はい」
カイルは少しだけ静かになった。
「戦いが終わった後の方が面倒なんだよ」
カイトは足を止める。
カイルは飲み物を軽く揺らしながら続けた。
「でも、面倒を投げ出さなかった奴だけが、ちゃんと帰れる。書類でも、証言でも、後始末でもな」
「……はい」
「だから、逃げるなよ」
「カイルさんもですよ」
「俺は逃げるのが仕事みたいな時もある」
「今は違います」
カイルは少し笑った。
「言うようになったな」
そのやり取りを、少し離れたところでイリスが記録していた。
整備班席では、別の意味で危険な状況が進んでいた。
コウタは最初、かなり慎重だった。
自分は若手だ。
周りはベテランだ。
だから無理はしない。
そう思っていたはずだった。
「大丈夫ですって。俺も整備班ですから」
そう言った時点で、すでに判断を誤っていた。
エルが横から淡々と言う。
「整備班は酒量の単位じゃない」
「分かってます」
「分かってない顔をしている」
タツヤは表情一つ変えず、普通の水でも飲んでいるかのような顔でグラスを空けていた。
コウタはそれを見て、対抗心を出した。
「タツヤさん、全然変わらないですね」
「普通だ」
「それ、普通じゃないです」
エルが自分のペースを崩さずに料理を取る。
「タツヤに合わせるな」
「大丈夫ですって」
十分後。
コウタは机に突っ伏していた。
レイがその頭が皿に落ちる前に、片手で支えた。
「落下しかけた」
「俺を落下物扱いしないでください……」
机に伏したまま、コウタが弱々しく言う。
グリッドが近くを通り、呆れたように笑った。
「若いな」
黒瀬が確認する。
「コウタは成人扱いで間違いないな」
三島が端末を見て答える。
「確認済みです」
カイトがぼそりと言った。
「成人でも、こうなるんですね」
ジンが静かに返す。
「なる者はなる」
タツヤは平然と料理を食べていた。
エルも限度を守ったまま、次の皿へ手を伸ばしている。
コウタだけが、整備班席の机に沈んでいた。
少し離れた席では、レガロンが静かに飲み物を手に取っていた。
重火器担当。
面制圧管理。
出力、射角、弾薬量、爆風範囲を正確に扱う男。
その彼が、グラスを一つ空けた。
グリッドが横目で見る。
「レガロン、それ以上はやめとけ」
「問題ない」
「前もそう言った」
「今回は違う」
数分後。
レガロンはテーブルに突っ伏していた。
ミオが目を丸くする。
「早っ」
グリッドが呆れたように言う。
「火薬の量は間違えないが、自分の酒量は毎回間違える」
ミオはレガロンを見た。
「重火器は扱えるのに、お酒は扱えないんだ……」
イリスが端末を向ける。
レガロンは突っ伏したまま、低い声で言った。
「記録するな……」
「既に保存準備中です」
「早い……」
グリッドが肩をすくめる。
「反省しろ」
「返す言葉もない……」
そのままレガロンは、静かに停止した。
黒瀬は変わらなかった。
ジンも変わらなかった。
会場の騒ぎを見ながら、二人とも普段通りの表情で飲み物を手にしている。
カイトはその様子を見て、思わず尋ねた。
「黒瀬さん、ジン艦長、本当に飲んでます?」
「飲んでいる」
黒瀬が答える。
「味は分かる」
ジンも頷いた。
「酔わないわけではない。表に出にくいだけだ」
「それを酔わないって言うんじゃ……」
三島は黒瀬の隣で、最初は冷静に記録を取っていた。
アルコール提供記録。
未成年者確認。
PT組への提供なし。
保護対象への提供なし。
ラスト・オーダー席の提供量確認。
整備班席の注意記録。
ただ、黒瀬が淡々と飲むものだから、三島もいつの間にか同じペースでグラスを進めていた。
そして、終盤。
三島の端末入力速度が、明らかに落ちた。
「三島」
黒瀬が呼ぶ。
「はい……」
「記録が止まっている」
「止まって……いません……」
「止まっている」
三島は端末を見つめ、何か入力しようとして、指を止めた。
そして、ぼそりと呟く。
「黒瀬さん……何で酔わないんですか……」
「体質だ」
「ずるいです……」
そのまま三島は、静かに椅子の背にもたれた。
黒瀬は表情を変えず、三島の端末を受け取る。
「三島、休憩。記録は引き継ぐ」
カイトが唖然とした。
「そこも普通に処理するんですね」
「業務継続に必要だ」
ジンが少しだけ笑った。
「黒瀬のペースに合わせる方が悪い」
「それ、先に言ってあげてください」
黒瀬は三島の状態を確認し、医療班へ短く連絡した。
「三島、軽度酩酊。休憩席へ」
モルドの声が通信で返る。
『また一人増えたか』
「問題は軽微だ」
『明日の病室が賑やかになりそうだな』
リクトは、少し離れた場所でPT組の様子を見ていた。
セラの照れ隠し。
レイの反射行動。
アミィの戸惑い。
ナユの穏やかな反応。
どれも戦闘時とは違う。
だが、命令層干渉に似た集団反応ではないか、一応確認していた。
カイトがそれに気づく。
「リクトさん、何か問題ですか」
「いえ。命令層残滓の反応はありません」
「そこを疑うんですか」
「一応、確認しました。集団的な緊張解除反応と、場の同調による行動変化です」
ミオが首を傾げる。
「つまり?」
黒瀬が横から答えた。
「場酔いだ」
リクトは頷く。
「はい。術式層・命令層の干渉ではなく、安心と緊張解除による場酔いです」
セラがむっとする。
「その説明、必要?」
「記録上は必要です」
「必要じゃない」
イリスが端末を開く。
「場酔い、記録項目に追加します」
「追加しないで」
会場の端では、アシュが一人で端末を見ていた。
ネヴァ管理資料。
ラスト・オーダー側保管手続き。
危険機能封印項目。
地球側との共有範囲。
周囲の騒ぎから少し離れた席。
そこにセラが近づいた。
「参加しないの」
アシュは端末から目を上げる。
「向いていない」
「でしょうね」
「否定しないのか」
「しない」
セラは会場を見る。
ミオが笑っている。
レイがまた何かを受け止めている。
アミィが甘いものを慎重に選んでいる。
レガロンは沈んでいる。
コウタも沈んでいる。
三島も静かに運ばれている。
セラは少しだけ息を吐いた。
「でも、見ていればいいと思う」
「何を」
「実験体じゃない人達が、どう騒ぐのか」
アシュは返事をしなかった。
ただ、端末を閉じた。
「もう、実験体としては見ない」
セラはアシュを見た。
「努力じゃなくて?」
「努力では足りない」
短い沈黙。
セラは視線を逸らす。
「なら、見ていて」
「ああ」
「変な意味じゃなくて」
「分かっている」
「本当に?」
「たぶん」
「そこは断言して」
アシュは少しだけ困ったような顔をした。
セラはそれを見て、ほんのわずかに笑った。
カイトとユイは、会場の少し外れからその騒ぎを見ていた。
セラがミオに言い返し、レイがまた皿を受け止める。
レガロンは動かない。
コウタも動かない。
カイルは普通に軽口を叩いている。
アイナは飲んでいないのに誰より忙しい。
黒瀬は三島の記録を引き継ぎながら、平然と飲み物を置いた。
ユイは小さく呟く。
「……すごいですね」
「何が?」
「誰も命令されていないのに、こんなに動いています」
カイトは少し笑った。
「それ、たぶん普通なんだと思う」
「普通」
「うん。たぶん、こういうのが普通なんだ」
ユイはしばらく会場を見ていた。
戦闘配置ではない。
命令待機でもない。
誰かの承認を待っているわけでもない。
それぞれが勝手に話して、勝手に失敗して、勝手に笑っている。
「では、覚えておきます」
「記録じゃなくて?」
「はい」
ユイは少しだけ微笑んだ。
「覚えておきます」
慰問会が終わりに近づいた頃、カイトはイリスが端末を開いていることに気づいた。
「イリス、何を記録してるんだ?」
「帰還慰問会参加者状態記録です」
「……状態記録?」
イリスは画面を見せた。
レガロン・バレック。
アルコール摂取後、短時間で沈黙。テーブル上にて一時停止。
コウタ。
整備班席にてタツヤの飲酒速度への追従を試みるも失敗。机上にて沈黙。
三島遥。
黒瀬監査官の飲酒速度への追従を試みるも失敗。記録入力速度低下後、休憩席へ移動。
カイトは思わず三島が運ばれていった方向を見た。
「三島さんまで……」
黒瀬は平然と答えた。
「本人の判断だ」
「黒瀬さんのペースが基準になってません?」
「合わせろとは言っていない」
イリスは次の項目を表示した。
カイル・“レイヴン”・アストラ。
外見上の変化は軽微。ただし発言内容に通常比で情緒増加を確認。翌日再確認推奨。
「おい、待て。最後のは何だ」
カイルが顔をしかめる。
「重要記録です」
「重要じゃねえ」
「翌日確認用に保存します」
「嫌な予感しかしねえ」
アイナが静かに頷く。
「保存してください」
「お前は保存側に回るな」
イリスはさらに続ける。
セラ・フェンリス。
場酔い反応。照れ隠し、否定、接近拒否未遂を複数確認。
「削除して」
セラが即座に言った。
「できません」
「なぜ」
「帰還慰問会記録です」
「命令ではないなら、消せるはず」
「命令ではないため、誰か一人の命令では消せません」
「ひどい」
ミオが隣で笑いをこらえていた。
「セラ、かわいかったよ」
「それも記録しないで」
イリスは次の項目を表示した。
レイ・ガルディア。
反射行動増加。落下物、飲料、皿、転倒しかけたコウタを捕捉。
レイは真顔で画面を見た。
「コウタも落下物扱いか」
「分類上、落下しかけた対象です」
「そうか」
コウタが机に伏したまま小さく呻いた。
「そこは否定してください……」
イリスは続ける。
アイナ。
飲酒なし。管理行動過多。カイルへの休息指示を複数回実施。
エル。
飲酒速度高め。自己制御範囲内。
タツヤ。
変化なし。原因、体質。
ジン。
変化なし。
黒瀬誠司。
変化なし。監査継続。
カイトは思わず黒瀬を見た。
「これ、本当に残すんですか」
黒瀬は端末を確認し、静かに答えた。
「未成年者、PT組、アイナ、保護対象へのアルコール提供がなかった証明にもなる。残しておけ」
「そこですか」
「そこも重要だ」
ジンが少しだけ口元を緩める。
「戦闘記録よりは、ずっと平和だ」
レガロンが突っ伏したまま低く言った。
「……削除は」
「できません」
イリスが答える。
「そうか……」
コウタも弱々しく手を上げた。
「俺のところだけでも……」
「できません」
「黒歴史です……」
イリスは少し考えた。
「黒歴史とは、本人が後日直視したくない記録のことですか」
「今まさにそうです」
「分類を追加します」
「追加しないでください!」
会場に、笑いが広がった。
イリスは端末を抱え直した。
「これは命令記録ではありません」
会場の声が少しだけ静かになる。
「戦果記録でもありません」
イリスは、眠そうなレガロンと、机に沈むコウタと、休憩席へ運ばれた三島の空席と、まだ何も覚えていそうな顔をしているカイルを見る。
それから、セラとミオ。
レイとナユ。
リンとアミィ。
レータとユイ。
カイトと、ジンと、黒瀬。
ここにいる者達は、命令で笑っているわけではない。
命令で失敗しているわけでもない。
安心したから、少し崩れた。
帰ってきたから、力が抜けた。
その結果として、いくつかの黒歴史が生まれた。
イリスは端末に最後の一文を加える。
命令記録ではない。
戦果記録でもない。
これは、帰ってきた人達が、安心して崩れた記録である。
保存。
その表示を確認して、イリスは端末を閉じた。
セラが小さく呟く。
「本当に保存した……」
ミオが笑う。
「大丈夫。生きて帰ってきた証拠だよ」
「そういう言い方をされると、消せって言いにくい」
カイルが飲み物を置きながら言った。
「まあ、いいんじゃねえか。戦闘記録よりマシだろ」
アイナが横から言う。
「カイルの発言も記録されています」
「やっぱり消せ」
イリスは首を横に振った。
「できません」
その返事に、今度こそ会場全体が笑った。
誰も命令されていない。
誰も配置についていない。
誰も、正しい反応を求められていない。
帰ってきた者達が、ただ少しだけ失敗し、少しだけ笑う。
それが、この日の帰還慰問会だった。




