第407話 正式報告と停戦協定
地球統合軍の中央会議区画は、静かだった。
ルクス・ヴァルキュリアが地球側の受け入れ航路へ入ってから、数時間。
艦の主要記録、監査資料、機体管理表、医療報告、帝国側通信記録は、必要な範囲で地球側へ提出された。
まだ全てではない。
全てを渡せば、PT達の人格形成記録まで無差別に開示することになる。
かといって、隠しすぎれば、帝国で何が行われたのかを証明できない。
だから、黒瀬は最初から記録を三つに分けた。
提出記録。
証拠保全記録。
本人保護記録。
その分類を、イリスが補助した。
帝国のために作られた記録を、そのまま使わないために。
会議室には、地球統合軍代表、関係機関の監査官、法務担当、技術管理官が並んでいた。
ルクス側からは、ジン、黒瀬、三島、カイト、ユイ、イリス。
説明担当として、リクト、アルベルト、レオニスも同席している。
モニターの一つには、帝国再編評議会の暫定窓口が表示されていた。
通信は遅延と監視を挟んでいる。
相手側に映っているのは、リゼル・オルブライトの代理官と、通常軍側の連絡官だった。
皇帝府からの直通ではない。
監察局からの直通でもない。
それだけでも、帝国の内部構造が変わり始めていることは分かった。
地球統合軍代表が口を開く。
「では、正式報告を始めます。ルクス・ヴァルキュリア、帰還後第一報の確認から」
ジンが静かに頷いた。
「ルクス・ヴァルキュリアは、ネメシア本国圏での戦闘停止後、暫定終戦協定に基づき太陽系地球へ帰還した。現時点で、帝国との正式停戦協定は未成立。これより、地球側承認のもと、正式停戦協定第一段階へ移行する」
黒瀬が続ける。
「報告項目は七つに分けます」
三島が端末を操作し、会議室の中央に一覧を表示した。
命令層中枢停止。
GD-NM-00 インペリウム停止。
監察局越権記録。
オルフェン拘束および証言対象化。
エルマ・ディクセンおよび監察局残党の裁定対象化。
帝国再編評議会の発足および皇帝権限低下。
PT達の保護、帝国による所有権請求放棄要求。
黒瀬はそこで一度言葉を切った。
「加えて、ノクス・レクイエム共同管理規定、ネヴァのラスト・オーダー特別管理、機体・艦艇・記録を所有権ではなく管理責任で整理する方針を提出します」
地球側の法務担当がわずかに眉を寄せた。
「所有権ではなく、管理責任ですか」
「はい」
黒瀬は即答した。
「この案件で、所有権という言葉を不用意に使うと、PT達を再び物品として扱う危険があります」
会議室が静かになる。
ユイは、膝の上で手を軽く握った。
イリスは端末に視線を落としながらも、その言葉を記録していた。
最初に説明されたのは、命令層中枢の停止だった。
リクトが立ち上がる。
「命令層中枢は、単なる通信施設ではありません。PT達の応答、反応、命令適性を測定し、本人の返事を命令へ加工するための認証空間でした」
モニターに、簡略化された構造図が表示される。
人格形成記録。
命令変換線。
再同期基盤。
照合波。
認証網。
それらが、細い線でつながっている。
リクトは続ける。
「停止時、命令層中枢は完全破壊していません。内部には、PT人格形成記録、救出対象候補記録、帝国の命令層運用記録が残っていたためです。破壊すれば証拠も、救える可能性のある記録も失われます」
地球側技術管理官が尋ねる。
「再起動の危険は?」
「あります」
リクトはごまかさなかった。
「そのため、再同期基盤は隔離。命令層接続線は切断済み。残留経路は、今後も確認が必要です」
レオニスが続ける。
「帝国規格は、見える回路だけに残るとは限りません。機械、通信層、認証層、命令同期残留経路。通常の補修部品に見えるものにも、命令層へ戻る道が残っている場合があります」
「安全化は可能ですか」
「可能なものと、封印すべきものがあります」
レオニスは静かに答えた。
「使うなら切る。直すなら、まず疑う。その前提で進めるべきです」
黒瀬が補足する。
「レオニス・ハルトは、帝国規格技術安全化担当として地球側保護下に置くことを提案します。リクトは術式層・命令層接続確認。アルベルト・ルーメンは帝国記録の読解と分類補助です」
地球側代表は三人を順に見た。
「元帝国関係者の協力を受けるということですね」
「協力であり、保護対象でもあります」
黒瀬の返答は明確だった。
「帝国へ戻せば、証拠隠滅、拘束、責任転嫁の対象になる可能性があります」
次に、インペリウム停止の報告が行われた。
ジンが説明する。
「GD-NM-00 インペリウムは、皇帝専用機ではなく、監察局専用機でもありません。帝国本国認証網、命令層残滓、中枢防衛システムを統合する最終防衛機構でした」
モニターに、黒金の機影が映る。
カイトはその映像を見て、無意識に息を止めた。
最終決戦の熱が、まだ身体の奥に残っている。
だが、今ここで必要なのは戦闘の記憶ではない。
何が危険で、何を二度と起動させてはいけないかを、言葉にすることだった。
ジンは続ける。
「起動状態では、レグナリア、カルディア・ベイ、ネメシア防衛砲台、無人艦、GD部隊を強制管制可能。PT反応照合および命令層再接続波を使用する能力を確認しました」
地球側の空気が重くなる。
技術管理官が低い声で言った。
「再起動された場合、再戦の可能性は?」
「単純な再戦では済まない」
黒瀬が答える。
「帝国本国圏そのものを命令で再統合する危険があります。正式停戦協定の条項に、インペリウム再起動禁止を入れる必要があります」
帝国再編評議会側の通信窓口が、そこで初めて口を開いた。
『帝国再編評議会準備室としても、インペリウムの再起動は現時点で承認しません』
黒瀬は画面を見る。
「現時点で、では足りません。正式停戦協定には、再起動禁止、残存機構の共同監視、関連記録の保全を明記します」
画面の向こうの代理官は、一瞬沈黙した。
『……その条項は、持ち帰り協議対象になります』
「協議対象ではなく、第一段階停戦の前提条件です」
黒瀬は淡々と言った。
「地球側は、再起動可能な状態での停戦を承認できません」
監察局越権記録の説明に入ると、会議室の空気はさらに硬くなった。
三島が記録を表示する。
通常軍への過負荷通信命令。
命令層照合波の防衛転用。
通常軍機を中継器扱いした命令。
無人機の盾扱い。
監察局端末保護のために通常軍犠牲を許容した命令。
通常軍への責任転嫁ログ。
地球側代表が眉を寄せる。
「これは、帝国通常軍側からも提出された記録と一致しています」
黒瀬が頷く。
「レオン隊が保全した監察局越権記録です。ルクス側の記録と照合済み。オルフェン拘束後の証言と合わせ、監察局単独権限の停止、または解体を正式停戦協定へ入れる必要があります」
帝国側代理官が答える。
『皇帝府は、すでに監察局単独処理を禁じています。再編評議会も、監察局権限の見直しを進めています』
「見直しでは足りません」
黒瀬は容赦しなかった。
「PT達の再同期、再分類、再制御に関わる権限は凍結。命令層技術、再同期技術、インペリウム関連技術は、停戦協定上の制限対象とします」
エルマ・ディクセンの名前が表示された。
イリスの指が少し止まる。
エルマ。
分類者。
人格機能評価担当。
彼女がPT達をどう見ていたのか、その記録も残っている。
アルベルトが静かに口を開いた。
「帝国記録の言葉を、そのまま使わないでください」
会議室の視線が彼へ向く。
「対象Y、対象M、対象A。そうした表記は、帝国側の分類です。証拠としては必要です。ですが、本人達の名前ではありません」
彼はモニターに表示された分類名を見つめた。
「PT達の記録は、本人へ返すべきものと、証拠として封じるべきものを分ける必要があります。帝国が貼った分類を、地球側がそのまま呼称として使えば、救出した意味が薄れます」
ユイは静かにアルベルトを見た。
アミィの名前を、対象Aではなくアミィ・ルミナスとして記録した時と同じだった。
記録は必要だ。
だが、記録が名前を奪ってはいけない。
正式停戦協定の第一段階案が表示された。
三島が読み上げる。
「第一条。PT達に対する帝国の所有権請求放棄」
地球側代表が頷く。
「ここは最重要条項です」
三島は続ける。
「第二条。本人意思の尊重。帰還先、所属、記録閲覧、治療、機体搭乗の可否について、本人意思を優先する」
ユイはその文言を見つめた。
本人意思。
それは、かつては簡単に奪われていたものだった。
「第三条。命令層・再同期技術の凍結。命令層中枢、再同期基盤、A系列補完制御、Y系列切断記録などの再利用禁止」
リクトが補足する。
「研究目的であっても、命令層再接続に通じる実験は禁止対象にすべきです」
「第四条。監察局単独権限停止、解体手続き、関連証拠の保全」
黒瀬が短く言う。
「監察局が自分達の記録を処理することは認めません」
「第五条。GD-NM-00 インペリウム再起動禁止。関連認証網、命令層残滓、中枢防衛接続の共同監視」
ジンが頷く。
「ここは譲れない」
「第六条。各地球・星系文明への干渉停止。再侵攻、実験、命令層干渉、PT回収作戦の禁止」
カイトの表情が少し変わった。
デッドエンド。
ヴェルデ。
フォージ。
ネオジェネシス。
カタストロフ。
ネメシス。
エデン。
これまで通ってきた場所が、頭をよぎる。
「第七条。機体、艦艇、記録の共同管理および証拠保全。所有権ではなく管理責任に基づき、地球側、ルクス側、ラスト・オーダー、帝国再編評議会の間で協議を行う」
レオニスが静かに言う。
「機体の中には、帝国由来、鹵獲、改修、現運用が混ざったものがあります。単純返還は危険です」
黒瀬が頷く。
「ノクス・レクイエム、ヴァルクレイド・セレス、ネヴァ、GF群、クロウヴェイル・ノア、インペリウム関連残骸。どれも所有権だけで処理できるものではありません」
地球側代表は、しばらく文面を見ていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「地球側は、この第一段階案を正式停戦協定の基礎文として承認します」
次に、帝国再編評議会側の確認に移った。
通信画面の向こうで、代理官が文面を受け取る。
『帝国再編評議会準備室は、第一段階停戦協定案を受理します。皇帝府、通常軍代表、再編評議会準備室の承認を経て、暫定署名へ移行します』
黒瀬が言う。
「暫定署名ではなく、第一段階正式停戦協定として扱います。正式終戦協定は後日更新。それが地球側の条件です」
『帝国側の再編が完了していないため、最終終戦協定までは時間を要します』
「承知しています」
黒瀬は頷いた。
「だから第一段階です。だが、PT所有権放棄、命令層技術凍結、インペリウム再起動禁止、監察局単独権限停止。これらは、後回しにできません」
画面の向こうで、代理官が短く息を吐いた。
『……再編評議会側も、その四項目を停戦成立条件として受け入れます』
会議室に、わずかな静寂が落ちた。
それは歓声ではなかった。
まだ終わりではない。
正式終戦協定には至っていない。
帝国の再編も、監察局の裁定も、機体の管理責任も、各地球への補償も、何一つ完全には片付いていない。
それでも。
撃ち合いで決める段階は、確かに終わりつつあった。
イリスは、協定文の記録を保存した。
第一段階正式停戦協定。
成立条件確認。
PT所有権放棄。
本人意思尊重。
命令層・再同期技術凍結。
監察局単独権限停止。
インペリウム再起動禁止。
各地球・星系文明への干渉停止。
機体・艦艇・記録の共同管理。
その文字を見て、イリスはしばらく手を止めた。
そこに、自分達の名前はない。
けれど、自分達を再び命令の中へ戻さないための言葉が並んでいる。
ユイが隣で小さく尋ねる。
「イリス?」
「はい」
「大丈夫ですか」
「はい」
イリスは端末を見つめたまま答えた。
「これは、命令ではありません」
ユイは頷いた。
「はい」
「ですが、守るための言葉です」
ユイは少しだけ目を伏せた。
「そうですね」
イリスは記録を保存する。
命令ではない。
だが、もう一度命令に戻されないための約束。
それが、停戦協定という形になった。
会議が終わりに近づいた頃、地球側代表が改めて全員へ向き直った。
「地球側は、ルクス・ヴァルキュリアの帰還を正式に受理します。保護対象、協力者、証言者、機体管理対象については、別途受け入れ手続きを開始します」
黒瀬が頷く。
「監査側も協力します」
「また、帰還者および協力部隊への慰問会を、帰還者慰問会として準備します」
カイトが少しだけ反応する。
黒瀬がすぐに確認した。
「戦勝会ではありませんね」
「はい。戦勝会ではありません。正式停戦第一段階成立を受け、帰還者と協力者を迎える場です」
三島が端末に記録する。
「未成年者、PT組、保護対象へのアルコール提供禁止も書面に入っています」
「よろしい」
黒瀬は短く答えた。
ジンがそれを聞いて、わずかに口元を緩める。
「そこまで決まったなら、少しは休めるな」
カイトが苦笑する。
「休めるんでしょうか」
「少なくとも、撃たれながらではない」
ジンの言葉に、会議室の空気が少しだけ緩んだ。
通信終了前、帝国再編評議会側の代理官が言った。
『ルクス・ヴァルキュリアへ。帝国側は、第一段階正式停戦協定を受け入れます。正式終戦協定は、再編評議会確定後、地球側との協議により更新される見込みです』
黒瀬が応じる。
「地球側も、その前提で記録します」
『なお、レオン通常軍代表部より、監察局越権記録の追加提出準備があるとのことです』
「受領します」
短い通信だった。
だが、敵味方の通信ではなく、戦後処理の通信だった。
カイトはそれを見て、少しだけ息を吐いた。
ユイが隣で尋ねる。
「カイト?」
「戦いじゃなくても、緊張しますね」
「はい」
ユイは小さく頷いた。
「でも、撃たなくても進みました」
「うん」
「それは、よかったと思います」
カイトはユイを見る。
「そうだね」
全ての確認が終わり、会議室の記録灯が消えた。
地球側代表が席を立つ。
黒瀬は最後まで文面を確認し、三島に保存を指示した。
ジンはゆっくりと息を吐く。
「撃ち合いで決める段階は終わった。ここからは、記録と証言で進める」
黒瀬が頷いた。
「課題は多い。正式終戦協定までは遠い。監察局の裁定、帝国再編、PT達の保護、機体管理、各地球への補償。どれも、まだ始まったばかりです」
それでも、黒瀬は端末を閉じた。
「ですが、戦争を終わらせる手続きは始まりました」
イリスはその言葉を記録した。
第一段階正式停戦協定、成立。
命令ではなく、証言と記録による戦後処理へ移行。
ユイは静かに目を閉じた。
終わったわけではない。
けれど、もう撃ち合いだけで決める必要はない。
カイトは隣に立っていた。
ジンは会議室の出口へ向かいながら、最後に言った。
「帰還者慰問会の前に、少し休め。次は、戦闘ではなく休むための予定だ」
黒瀬がすぐに補足する。
「ただし、正式な場です。問題を起こさないように」
カイトは少しだけ笑った。
「それ、誰に言ってるんですか」
黒瀬は答えなかった。
だが、その沈黙だけで、関係者全員に向けていることは分かった。
戦闘は止まった。
協定は結ばれた。
そして、休むための場所が、ようやく用意されようとしていた。




