第404話 地球へ行く者たち
ルクス・ヴァルキュリアの航路表示に、太陽系地球の文字が灯っていた。
まだ到着までは距離がある。
それでも、その表示は艦内の空気を少しだけ変えていた。
ネメシア本国圏。
命令層中枢。
インペリウム。
暫定終戦協定。
そのすべてを越えた先に、ようやく帰還航路が開いている。
けれど、そこへ向かう者達にとって、地球という言葉の意味は同じではなかった。
帰る場所。
遅れて帰る場所。
初めて行く場所。
見届けるために向かう場所。
そして、後始末を続けるために選ぶ場所。
黒瀬は艦内会議室の端末を開き、出席者を見渡した。
「正式な報告前に、太陽系地球へ同行する者を整理する」
そこには、カイト、ユイ、ミオ、レイ、セラ、レータ、アミィ、イリスがいた。
カナデ、リクト、アルベルト、レオニスも同席している。
三島は記録端末を開き、黒瀬の隣に立っていた。
これは出撃前の作戦会議ではない。
誰を戦場へ出すかを決める会議でもない。
誰が、どこへ向かうのか。
それを本人の意思で確認するための場だった。
三島が一覧を表示した。
「太陽系地球同行予定者。正式登録名で表示します」
端末に、名前が順番に並んでいく。
霧島カイト。
ユイ=竜奈=羽崎=クレスケンス。
ミオ・アステリア。
レイ・ガルディア。
セラ・フェンリス。
レータ・ヴェルクス。
アミィ・ルミナス。
イリス・ノアフィール。
篠宮カナデ。
鷹宮リクト。
アルベルト・ルーメン。
レオニス・ハルト。
黒瀬誠司。
三島遥。
表示された名前を見て、ミオが小さく息を吐いた。
「こうして並ぶと、結構多いね」
「報告する内容も多い」
黒瀬が答える。
「命令層中枢、インペリウム、PT人格形成記録、帝国再編評議会、暫定終戦協定。地球側に正式報告しなければならない項目は山ほどある」
リクトが頷く。
「術式層や命令層接続の説明も必要です。私も同行した方がいいでしょう」
カナデも続ける。
「PT達の心理支援も必要です。帰還後すぐに通常生活へ戻れる状態ではありません」
「その言い方だと、私達が全員問題ありみたい」
ミオが言う。
カナデは柔らかく微笑んだ。
「問題があるのではなく、支援が必要という意味です」
「うん、その言い方ならちょっと安心」
レイは一覧を見ながら、短く言った。
「私は戻る」
迷いのない声だった。
カイトがレイを見る。
「地球に?」
「ああ」
レイは頷く。
「戦闘が終わったからといって、役割がなくなるわけではない。だが、まず戻る。帰還報告も必要だ」
ミオが少し笑う。
「レイはこういう時、はっきりしてるよね」
「迷う理由がない」
「私はちょっと迷うけどね。報告とか検査とか、絶対大変だし」
「それでも戻るのだろう」
「うん」
ミオは航路表示を見る。
「戻る。疲れたけど、ちゃんと帰りたい」
ユイも、静かに頷いた。
「私も、帰ります」
その言葉に、カイトは少しだけ表情を緩めた。
ユイにとって、地球は単純な場所ではなかった。
最初から自分の場所だったわけではない。
地球名を与えられ、保護され、戦い、何度も離れかけた場所。
それでも今は、帰ると言える場所になっている。
カイトが隣で尋ねた。
「ユイ、大丈夫か」
「はい」
ユイは一度答えてから、少しだけ考え直した。
「……少し、怖いです」
カイトは驚かなかった。
「何が?」
「地球に戻った後、何を報告するのか。ノクスのことも、帝国記録のことも、私達のことも。たくさん説明しなければいけません」
「うん」
「でも、帰りたいです」
ユイは航路表示を見る。
「地球へ戻って、きちんと報告したい。もう、命令で連れて行かれるのではなく、自分で帰る場所として」
カイトは少しだけ頷いた。
「なら、一緒に帰ろう」
「はい」
そのやり取りを、アミィは静かに聞いていた。
帰る。
その言葉は、まだ自分には少し遠い。
けれど、羨ましい響きではあった。
黒瀬の視線がセラへ向いた。
「セラ。あなたの意思も確認したい」
セラはすぐには答えなかった。
会議室の空気が静かになる。
ミオも、レイも、急かさない。
セラは表示された自分の名前を見つめていた。
太陽系地球同行予定者。
セラ・フェンリス。
その文字は、帝国の記録とは違う。
命令射撃個体でも、S系列でもない。
名前として置かれている。
「私は……」
セラはゆっくり口を開いた。
「まだ、帰ると言っていいのか分からない」
ミオが少しだけ身を乗り出す。
セラは続けた。
「ユイ達と同じように脱出したわけではない。捕まって、残されて、命令を受けた。撃った。地球に戻る資格があるのか、分からない」
その声は、食堂で話した時よりも少しだけ落ち着いていた。
けれど、迷いは残っている。
ユイが静かに言った。
「セラ」
セラが顔を上げる。
「帰るのが、遅くなっただけです」
セラの目が揺れた。
ユイは続ける。
「私達も、最初から地球にいたわけではありません。逃げて、保護されて、ようやく帰る場所になりました。セラは、その道が少し長くなっただけです」
ミオも頷く。
「そうだよ。遅れただけ。席はあるって、食堂でも言ったでしょ」
レイが短く言う。
「生きて戻るなら、それは帰還だ」
セラは三人を見た。
ユイ。
ミオ。
レイ。
同じ始まりを持ち、違う時間を過ごし、今また同じ航路に乗ろうとしている者達。
「……命令ではなく?」
「もちろんです」
ユイははっきり答えた。
「誰も、セラに帰れとは命令しません。でも、帰りたいなら、一緒に帰ります」
セラは目を伏せた。
長い沈黙。
そして、小さく頷いた。
「行く」
声は小さかった。
しかし、はっきりしていた。
「まだ、帰ると言えるかは分からない。でも、地球へ行く」
ミオがほっとしたように笑う。
「うん。それでいいと思う」
イリスが端末に記録する。
セラ・フェンリス、本人意思により太陽系地球同行。
命令による帰還ではない。
セラはその文字を見て、少しだけ目を伏せた。
次に、レータとアミィの名前が確認された。
端末上には、正式登録名としてレータ・ヴェルクス、アミィ・ルミナスと表示されている。
レータは椅子の背に軽く寄りかかりながら、少し困ったように笑った。
「私は、ちょっと特殊かな」
黒瀬が頷く。
「ラスト・オーダー由来ではあるが、現状ではアミィと共に地球同行。地球側保護、ルクス協力枠、ラスト・オーダーとの関係継続。そういう形になる」
「やっぱり複雑」
「あなた自身の経歴も、機体も複雑だ」
「否定できないなあ」
レータは隣に座るアミィを見た。
「でも、私は地球へ行くよ。アミィが自分で選べるようになるまで、隣にいる」
アミィが顔を上げる。
「レータさん」
「もちろん、ずっと私が決めるって意味じゃないよ。見に行くなら一緒に行く。そこから先は、アミィが考える」
アミィは、少しだけ胸元に手を当てた。
新しい名前を受け取ってから、その仕草が増えている。
そこに名前があるか確かめるように。
「私は……」
会議室が静かになる。
アミィは、航路表示を見た。
地球。
まだ知らない場所。
自分が作られた場所ではない。
命令された場所でもない。
戻れと言われた場所でもない。
けれど、ユイ達が帰る場所。
セラが遅れてでも行こうとしている場所。
レータが隣にいてくれる場所。
「私は、地球へ行きたいです」
その声は、思っていたよりも自然に出た。
誰かが促したわけではない。
誰かに命じられたわけでもない。
自分の中から出た答えだった。
黒瀬が確認する。
「連れて行かれるのではなく、あなた自身の意思で?」
アミィは頷いた。
「はい。私は、地球を見てみたいです」
その言葉に、レータが少しだけ笑った。
カナデも静かに頷く。
イリスが記録する。
アミィ・ルミナス、本人意思により太陽系地球同行。
目的、地球を見たいため。
ミオがその表示を見て、少し笑う。
「目的がすごく素直」
「おかしいでしょうか」
「ううん。すごくいいと思う」
イリスの名前が表示される。
黒瀬が問う前に、イリスは答えた。
「私は同行します」
「理由を確認しても?」
「はい」
イリスは端末を胸元に抱えた。
「記録を地球側へ届ける必要があります。帝国記録、命令ではない記録、アミィの記録、ノクス管理規定、セラの帰還記録。これらは、正しく扱われなければなりません」
カナデが尋ねる。
「記録係として?」
イリスは少し考えた。
「それもあります。ですが、それだけではありません」
彼女は窓の外を見るように視線を上げる。
「私も、地球を見てみたいです」
アミィがイリスを見る。
「イリスさんも?」
「はい。記録としてではなく、自分の目で」
ミオが柔らかく笑う。
「じゃあ、一緒だね」
「はい」
イリスは小さく頷いた。
「記録するためだけではなく、見に行くために同行します」
黒瀬はその言葉を受け、三島に頷く。
三島が記録へ入力した。
イリス・ノアフィール、本人意思により太陽系地球同行。
記録管理および本人希望。
次に、アルベルトが確認された。
黒瀬が言う。
「アルベルト・ルーメン。あなたは帝国再編側へ残る選択肢もある」
「ありません」
アルベルトの返答は静かだったが、早かった。
黒瀬が少しだけ目を細める。
「断言しますか」
「はい」
アルベルトは、ユイ達を見た。
その視線は、研究対象を見るものではなかった。
記録番号を追うものでもない。
「私は、脱出しない者達が心配で帝国に残りました。残された個体達を見捨てられなかった。ですが、結果として守れなかったものも多い」
彼の声には、長く積もった後悔があった。
「今、彼女達が地球へ行くなら、私はもう見送るだけではいられません」
ユイは何も言えなかった。
アミィも、アルベルトを見ている。
「帝国の記録は、読む者を守るために作られていません。分類し、運用し、命令するために残されています」
アルベルトは端末を閉じた。
「だから、私が同行します。記録を読む者としてではなく、彼女達が自分の記録を取り戻すまで、そばにいるために」
カナデが静かに頷く。
「必要な役割です」
リクトも言う。
「帝国記録の読解は、地球側だけでは難しい。アルベルトさんがいることで、危険な記録と本人に返すべき記録を分けられます」
黒瀬は記録を確認し、頷いた。
「アルベルト・ルーメン。地球側保護下、技術・記録顧問として同行。本人意思あり」
「はい」
アルベルトは短く答えた。
レオニスは、アルベルトの隣で腕を組んでいた。
黒瀬が視線を向ける。
「レオニス・ハルト。あなたは?」
「帝国へ戻る理由はありません」
その返答も、静かだった。
ただし、アルベルトとは少し違う重さがあった。
レオニスは、あまり自分の過去を語りたがらない。
家族を人質に取られ、開発協力を強制された。
逃げる機会を逃し、抵抗する力を失い、帝国規格部品や量産型GD系統に関わってきた。
それは、簡単に償えるものではない。
「帝国に残してきたものはあります」
レオニスは言った。
「ですが、戻っても償いにはならない。あそこに戻れば、私はまた帝国規格の内側で仕事をすることになる」
リクトが静かに聞いている。
「なら、こちらで疑います」
「疑う?」
黒瀬が問い返す。
レオニスは頷く。
「帝国規格部品。GD/GF無人端末。命令同期残留経路。通常回路に見えるものの中に、命令層へ戻る道が残っていることがあります」
ユイが表情を硬くする。
レオニスは、彼女を不安にさせないように言葉を選び直した。
「全てが危険という意味ではありません。ですが、使うなら切る。直すなら、まず疑う。それが必要です」
黒瀬が言う。
「地球側で、帝国技術の安全化を担当するということですね」
「はい」
レオニスは短く答えた。
「私が知っている帝国規格を、こちら側で全部疑う。それが、私にできる後始末です」
グリッドがこの場にいたなら、面倒だが必要だ、と言っただろう。
実際、リクトが静かに頷いた。
「命令層残滓の確認は、私だけでは不足します。レオニスさんの知識は必要です」
黒瀬は記録を更新する。
「レオニス・ハルト。地球側保護下、帝国規格技術安全化担当として同行。本人意思あり」
レオニスは頷いた。
「異論ありません」
会議が一段落すると、表示された名前の一覧が改めて確認された。
霧島カイト。
ユイ=竜奈=羽崎=クレスケンス。
ミオ・アステリア。
レイ・ガルディア。
セラ・フェンリス。
レータ・ヴェルクス。
アミィ・ルミナス。
イリス・ノアフィール。
篠宮カナデ。
鷹宮リクト。
アルベルト・ルーメン。
レオニス・ハルト。
黒瀬誠司。
三島遥。
それぞれの名前の横に、同行理由が記されている。
帰還。
本人意思。
保護。
記録管理。
心理支援。
技術解析。
安全化。
監査。
報告。
同じ航路に乗る理由は、全員違う。
けれど、命令による移動ではなかった。
ジンから通信が入る。
『同行者一覧、こちらでも確認した。艦橋側で航路登録に反映する』
黒瀬が応じる。
「お願いします。正式な停戦交渉は、地球側への報告後になります」
『分かっている。ここで決めるのは帰還航路までだ。戦争をどう終わらせるかは、地球側の承認を通してからだ』
カイトが画面を見る。
「まだ、終わらせる手続きが残っているんですね」
黒瀬が頷く。
「戦闘は止まった。だが、戦争を終わらせるには記録と証言が必要だ。君達は、そのためにも地球へ戻る」
ユイは静かに言った。
「私達自身のためにも、ですね」
「そうだ」
黒瀬の返答は短いが、はっきりしていた。
会議が終わり、皆が少しずつ席を立つ。
セラは最後まで画面に残る自分の名前を見ていた。
ミオが近づく。
「大丈夫?」
「分からない」
「うん」
「でも、行く」
「うん」
ミオはそれ以上言わなかった。
セラが自分で言えたなら、それでよかった。
少し離れた場所で、アミィはレータと一緒に航路表示を見ている。
地球の文字は、まだ遠い。
けれど、そこへ向かう航路は確かに引かれていた。
アミィは胸元に手を当てる。
そこに名前がある。
自分で受け取った名前。
そして今、自分で選んだ航路。
「レータさん」
「なに?」
「私は、地球を見てみたいです」
レータは微笑んだ。
「うん。さっきも言ってたね」
「はい。でも、もう一度言いたくなりました」
「そっか」
レータは隣に並ぶ。
「じゃあ、何回でも言っていいよ」
アミィは窓の外を見た。
「私は、地球を見てみたいです」
その声に、今度は迷いがなかった。
誰かの命令ではない。
誰かに連れて行かれるのでもない。
本人の選択として、航路が決まる。
ルクス・ヴァルキュリアは静かに進んでいた。
帰る者と、初めて行く者を、同じ航路に乗せて。




