第403話 ラスト・オーダーの帰路
ルクス・ヴァルキュリアの一角に、ラスト・オーダー用の待機区画が割り当てられていた。
正式な作戦室ではない。
だが、カイル達が集まるには十分な広さがある。
壁際には簡易端末。
中央には古びたテーブル。
その上には、機体管理表、医療確認表、整備予定、保護対象記録が並んでいた。
戦闘は終わった。
少なくとも、今この瞬間は。
けれど、ラスト・オーダーの前に積まれた書類は、まるでそれを否定するように増え続けていた。
「……で」
カイルは椅子に深く座り、目の前の端末を見た。
「なんで戦闘が終わったのに、仕事が増えてるんだ」
クロエが隣で淡々と答える。
「戦闘が終わったからです」
「おかしいだろ」
「おかしくありません。後始末は、戦闘後に発生します」
「正論で殴るな」
カイルは片手で顔を覆った。
その向かいでは、グリッドが整備一覧を確認している。
モルドは医療記録。
アイナは休息予定表と食事管理表。
レガロンは火器・特殊端末の管理リスト。
リンはナユの隣に立ち、アシュは少し離れた壁際に立っていた。
全員がそろっている。
それだけで、ラスト・オーダーという部隊が、以前とは少し違う形になりつつあることが分かった。
クロエが端末を操作し、今後の所属整理を表示した。
「まず、ラスト・オーダーの基本体制です。カイルは指揮継続。私は補佐継続。ここは変更ありません」
「そこはいい」
カイルが頷く。
「リンは?」
リンは姿勢を正した。
「ナユの護衛を継続します」
ナユがすぐに横から言う。
「護衛だけ?」
リンが少し詰まる。
「……護衛を、継続します」
「だけ?」
ナユはもう一度聞いた。
リンは視線を少しだけ泳がせる。
カイルが面白そうに口元を歪めた。
「おいおい、リン。そこははっきりしとけ。戦後の所属整理だぞ」
「分かっています」
「なら言え」
リンは一度息を整えた。
そして、ナユの方を見ずに言う。
「ナユの隣に残ります」
ナユが小さく笑った。
「うん」
リンは少しだけ耳を赤くしたが、それ以上は言い直さなかった。
クロエは淡々と記録する。
「リン、ナユの隣に残る。護衛任務継続。ただし、本人意思による同行要素あり」
「クロエさん、そこまで書く必要ありますか」
「あります」
クロエは即答した。
「任務だけではないなら、任務だけとして記録してはいけません」
リンは返す言葉を失った。
ナユは満足そうに頷いていた。
次に、ナユの記録が表示される。
ロス・セレネ搭乗者。
残響索敵能力。
記憶欠落。
戦闘後神経負荷。
保護対象。
ナユは画面を見上げて、少しだけ首を傾げた。
「私、保護対象?」
モルドが答える。
「そうだ。少なくとも当面は、戦闘要員として扱うより、記憶回復と生活の安定を優先する」
「戦わない?」
「必要がなければな」
ナユは少し考える。
「必要があったら?」
カイルが答えた。
「その時は、俺達が先に考える。お前一人で決めさせる気はない」
「そう」
ナユは窓の外を見るように、少しだけ遠くを見た。
「私、まだ全部思い出してない」
リンが隣で静かに頷く。
「はい」
「でも、今の記録は増えてるって、イリスが言ってた」
「はい」
「じゃあ、今の私も持っていく」
ナユはカイルを見る。
「ラスト・オーダーに、戻る。リンと」
カイルは少しだけ笑った。
「ああ。戻ってこい」
クロエが記録を更新する。
「ナユ、ラスト・オーダー保護下。記憶回復と生活安定を優先。ロス・セレネは制限付き運用」
グリッドが横から言う。
「ロス・セレネも全点検だ。残響索敵系は便利だが、ナユに負荷が寄りすぎる」
「そこは私も確認する」
レガロンが頷く。
「索敵補助と火器連携は、戦闘時以外は切り離しておいた方がいい」
ナユは二人を見る。
「ロス・セレネも休む?」
「休ませる」
グリッドが短く答えた。
「乗り手が休むなら、機体も休ませる。それが整備だ」
ナユは納得したように頷いた。
次に表示されたのは、ネヴァだった。
その名前が出た瞬間、区画の空気が少しだけ硬くなる。
アシュは壁際から一歩前へ出た。
「ネヴァはラスト・オーダーで管理する」
カイルが椅子に座ったまま視線を向ける。
「その件は聞いてる。だが、正式に言え。お前はどうする」
「俺もラスト・オーダーへ戻る」
アシュの声に迷いはなかった。
「ネヴァを放置できない。地球側の通常格納に置くには危険すぎる。帝国側へ返す選択肢は論外だ」
グリッドが腕を組む。
「それは同意する。だが、お前一人に任せる気もないぞ」
「構わない」
アシュは即答した。
「自由運用は禁止。起動には複数承認。同期深度制限、整備監視、医療監視を入れる。必要なら停止装置も追加する」
モルドが端末から目を上げる。
「医療監視は必須だ。アシュ、お前自身も定期検査対象に入る」
「分かっている」
「拒否権はない」
「拒否しない」
モルドは少しだけ目を細めた。
「そう言う者ほど、後で隠す」
アシュは沈黙した。
カイルが笑う。
「信用ねえな」
「信用される側ではない」
アシュは淡々と言った。
「だから、疑う役でいい」
その言葉に、クロエの手が止まった。
アシュは続ける。
「ネヴァも、俺も、危険が残る。なら、信用ではなく管理で扱えばいい」
グリッドが小さく息を吐く。
「自分で言うなよ、面倒な奴だな」
「否定はしない」
カイルは椅子の背にもたれた。
「面倒な機体と面倒な男をまとめて預かるってわけか」
「そうなる」
「ま、仕事があるなら上等だ。暴走したら止める。それだけだ」
アシュは短く頷いた。
「それでいい」
その時、区画の入口にセラが姿を見せた。
彼女は中へ入るつもりがあるのかないのか、少しだけ迷っているようだった。
カイルが気づき、軽く手を上げる。
「どうした。迷子か?」
「違う」
セラは短く返し、視線をアシュへ向けた。
アシュも彼女を見る。
区画の中が、自然と静かになった。
完全な和解をする場ではない。
お互いに、簡単に許せるほど軽い過去ではなかった。
セラは一歩だけ中へ入る。
「あなたは、地球へ行かないの」
「行く理由がない」
アシュは答える。
「逃げる理由は?」
「それもない」
「なら、残るのね」
「ラスト・オーダーに戻る。ネヴァを放置できない」
セラはアシュの顔を見た。
表情は読みにくい。
だが、以前のように実験結果を見る目ではなかった。
少なくとも、そう見えた。
「私は、地球へ行く」
「聞いている」
「まだ、帰ると決めたわけではない。でも、行く」
「そうか」
短いやり取りだった。
セラは少しだけ目を伏せる。
それから、はっきり言った。
「もう、実験体を見る目で見ないで」
アシュはすぐには答えなかった。
空気が止まる。
カイルも、クロエも、誰も割り込まない。
やがて、アシュは静かに言った。
「……努力する」
セラは眉をわずかに動かした。
「そこは断言しないの」
「できない約束はしない」
「そう」
セラは少しだけ息を吐いた。
「でも、努力すると言ったことは記録しておく」
アシュは一瞬だけ、意外そうに見た。
それから頷く。
「構わない」
セラはそれ以上何も言わず、区画を出ていった。
完全な和解ではない。
だが、過去と同じ場所に戻らないための線だけは引かれた。
次に、アイナが端末を持って一歩前へ出た。
「私も、ラスト・オーダーへ同行します」
カイルがすぐに顔をしかめた。
「いや、そこは別に無理しなくていいぞ」
「無理ではありません。必要です」
「必要?」
「はい」
アイナは休息予定表を開いた。
そこには、ラスト・オーダー関係者全員の名前が並んでいる。
カイル・“レイヴン”・アストラ。
リノヴァ・セイル。
クロエ・テスア。
リン・ヴァルネス。
ナユ・レイシア。
アシュ。
グリッド・ハックボルト。
モルド・クフェン。
レガロン・バレック。
そして、アイナ自身。
「ラスト・オーダーには、戦闘後に休む仕組みが足りません」
「……」
「ナユさんの経過観察が必要です」
「それはモルドがいる」
「アシュさんとネヴァの同期負荷確認も必要です」
「それもモルドが――」
「医療だけでは足りません。食事、睡眠、生活リズム、服薬、検査予定、整備予定との衝突調整が必要です」
カイルは少しだけ椅子に沈んだ。
グリッドが横から言う。
「諦めろ。正論だ」
モルドも頷く。
「私一人では医療判断しかできん。生活を回す者がいる」
レガロンも端末を見ながら言う。
「火器管理と整備予定も、生活予定と噛み合わせる必要がある。無茶な出撃を減らすには有効だ」
カイルは三人を順番に見た。
「お前ら、全員そっち側か」
クロエが静かに言う。
「私も同意します」
「お前もか」
「はい。カイル一人に任せると、休息予定が破綻します」
アイナが真顔で続ける。
「特にカイルさんは、必要な時に休まない可能性が高いです」
「最後の一つ、余計じゃないか?」
「一番重要です」
区画に、少しだけ笑いが起きた。
カイルは頭をかき、深く息を吐いた。
「分かった。同行を認める」
「ありがとうございます」
「ただし、休息予定表を武器みたいに突きつけるのはやめろ」
アイナは少し考えた。
「必要な場合は突きつけます」
「そこは譲れ」
「譲れません」
カイルは諦めたように天井を見上げた。
グリッドは整備担当として、改めて一覧を開いた。
「俺はレイヴン・ハウル、ヴァイス・リッパー・リビルド、ロス・セレネ、ネヴァの点検を引き受ける。危険機体の起動系には、全部監視を噛ませる」
レガロンが続く。
「火器、重装備、面制圧装備の管理は私が見る。ルナ・ドール・リンク関連で得たデータも、ミオ側と共有する」
モルドが端末を閉じる。
「医療責任者として、全員の定期検査を実施する。拒否は認めない」
カイルが小さく呟く。
「ラスト・オーダーというより、移動病院と整備工場と危険物保管庫だな」
クロエが即座に訂正する。
「危険技術、特殊機体、保護対象、戦後未処理案件を扱う移動拠点です」
「言い方を整えても中身は大して変わらねえ」
「その方が正式報告に使えます」
「使うのかよ」
クロエは頷いた。
「使います」
カイルは笑った。
少し疲れたような笑いだったが、嫌そうではなかった。
「まあ、傭兵部隊なんて名乗るより、今の俺達には合ってるかもしれないな」
リンが静かに言う。
「戦うだけではない、ということですか」
「ああ」
カイルはテーブルの上に置かれた資料を指で弾く。
「戦闘だけなら、終わったら解散で済む。でも、こいつらは残る」
ネヴァの管理表。
ナユの保護記録。
ロス・セレネの索敵負荷。
リンの護衛記録。
アイナの生活管理表。
グリッドの整備予定。
モルドの検査表。
レガロンの火器管理。
その全てが、戦闘後に残ったものだった。
「なら、後片付けも仕事だ」
整理が一段落した頃、ナユがカイルを見た。
「カイル」
「なんだ」
「ラスト・オーダーは、帰る場所?」
その問いに、カイルは少しだけ黙った。
冗談で流してもよかった。
いつもの調子なら、仕事場だ、飯が出る場所だ、面倒が集まる場所だ、とでも言えた。
だが、ナユは真面目に聞いていた。
リンも静かにカイルを見ている。
カイルは椅子の背にもたれ、少しだけ視線を上げた。
「少なくとも、戻ってきて怒られる場所ではある」
ナユは首を傾げた。
「怒られる?」
「無茶したらモルドに怒られる。寝なかったらアイナに怒られる。機体を雑に扱ったらグリッドに怒られる。火器を適当に扱ったらレガロンに怒られる。書類を放置したらクロエに怒られる」
「カイル、たくさん怒られる」
「主に俺がな」
ナユが笑った。
カイルも少し笑う。
「でもまあ、帰ってきて怒る奴がいるなら、それは帰る場所なんだろ」
リンは静かに頷いた。
「なら、ナユをそこへ連れて帰ります」
「違う」
ナユがリンを見る。
「一緒に帰る」
リンは一瞬だけ言葉に詰まり、それから頷いた。
「はい。一緒に帰ります」
クロエが最後の確認を始めた。
「戦後体制、暫定整理。正式登録名で記録します」
端末に項目が並ぶ。
カイル・“レイヴン”・アストラ。
ラスト・オーダー指揮継続。
リノヴァ・セイル。
操舵・艦内運用補佐継続。
クロエ・テスア。
情報整理・補佐継続。
リン・ヴァルネス。
ナユの隣に残る。護衛任務継続。
ナユ・レイシア。
ラスト・オーダー保護下。記憶回復と生活安定を優先。
アシュ。
ネヴァと共にラスト・オーダー管理下。定期医療検査・同期深度制限対象。
アイナ。
生活管理・医療補助・休息計画担当。
グリッド・ハックボルト。
整備・危険機体管理担当。
モルド・クフェン。
医療責任者。
レガロン・バレック。
技術・火器・整備協力。
クロエは記録を保存した。
「以上です」
カイルはそれを見て、深く息を吐いた。
「気づけば結構な大所帯だな」
グリッドが鼻で笑う。
「お前一人に任せたら三日で艦が壊れる」
モルドが続ける。
「人間の方も同じだ」
アイナが真面目に頷く。
「ですので、生活管理も必要です」
カイルは三人を見た。
「お前ら、今日やけに連携いいな」
「必要だからだ」
グリッドとモルドがほぼ同時に言った。
アイナも同じように頷く。
カイルは諦めたように笑った。
会議が終わり、各自が席を立ち始める。
リンはナユと一緒に医療区画へ戻る。
アシュはネヴァの管理データをグリッドへ渡す。
レガロンは火器管理リストを確認し、クロエはそれを正式記録へ移す。
アイナは休息予定表を抱えたまま、カイルの前に立った。
「カイルさん」
「今度は何だ」
「この後の予定です」
カイルは嫌な予感がして、視線を落とした。
そこには、きれいに整理された休息予定表があった。
検査。
食事。
睡眠。
通信制限。
書類処理時間。
再検査。
余白がほとんどない。
「……おい」
カイルの表情が、ようやく少しだけ歪んだ。
「仕事は終わった。で、後片付けが山ほど残った。いつも通りだな」
クロエが隣でため息をつく。
「いつも通りにしないための予定表です」
アイナが休息予定表を差し出す。
「まず、休んでください」
カイルはその紙を見た。
敵の防衛線よりも厄介そうな表だった。
グリッドが笑い、モルドが腕を組み、ナユが小さく手を振る。
リンはそれを見て、少しだけ微笑んだ。
ラスト・オーダーは、まだ終わらない。
戦うためだけではなく。
危険なものを抱え、保護すべき者を連れて、後始末を続けるために。
彼らはまた、自分達の帰路へ戻っていく。




