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第401話 ノクス管理規定

 ノクス・レクイエムは、格納区画の奥で静かに沈黙していた。

 主駆動系は落ちている。

 切断系統も、グリッド達の処理によって低出力待機状態まで沈められていた。

 それでも、機体の前に立つ者達の表情は軽くなかった。

 ただの停止機体ではない。

 命令層を切った機体。

 返事を命令から取り戻した機体。

 そして、使い方を誤れば、取り返しのつかないものまで切ってしまう機体。

 ユイは、ノクスの前に立っていた。

 隣にはカイトがいる。

 少し離れて、ジン、黒瀬、三島、カナデ、リクト、アルベルト、レオニスが集まっていた。

 モルドは医療区画から通信で参加している。

 正式な会議ではない。

 けれど、ここで決めることは、これから先のユイに深く関わる。

 ノクス・レクイエムをどう扱うのか。

 封印するのか。

 使い続けるのか。

 それとも、そのどちらでもない形を選ぶのか。


 投影卓に、ノクス・レクイエムの機体情報が表示される。

 主系統。

 切断系統。

 命令層接続解析補助。

 干渉波遮断機構。

 起動記録。

 中枢戦での使用履歴。

 画面の中には、ユイが一人で背負ってきたものが数字と項目に変換されて並んでいた。

 黒瀬が最初に口を開く。

「ノクス・レクイエムの扱いについて、暫定管理規定を作る」

 ユイは静かに頷いた。

「封印、ではないんですね」

「封印だけでは足りない」

 黒瀬は即答した。

「危険だから閉じる、という判断は簡単だ。だが、ノクスがなければ救えなかった場面がある。命令層や再同期技術が再び使われた場合、それを切れる手段を完全に失うのは危険だ」

 ジンが続ける。

「かといって、自由運用は認められない。艦長権限だけでも足りない。ユイ一人に判断を任せるのは論外だ」

 その言葉に、ユイの肩がわずかに揺れた。

 論外。

 厳しい言葉だった。

 だが、責められているわけではない。

 むしろ、もう一人で抱えさせないという意味だった。

 カイトが、隣で静かに言う。

「ユイだけが決める形にはしない」

 ユイはカイトを見た。

「はい」

 その返事は、以前より少しだけ素直だった。


 リクトが投影卓の項目を切り替える。

「まず、技術的な前提です。ノクスの切断機能は、命令層接続や再同期経路に対して有効です。ただし、本人反応が確認できていない対象へ使うと、命令と本人の境界を誤認する危険があります」

 アルベルトが頷く。

「帝国記録上でも、命令層は本人の反応を完全に消していたわけではありません。返事を加工し、命令へ変換していた。だからこそ切断できた。しかし、本人反応が読めない状態で切れば、救うべきものまで傷つける可能性があります」

 レオニスが補足する。

「加えて、命令同期残留経路は、見た目が通常制御と区別しにくい場合があります。切る前に、技術判定が必要です。帝国規格の端末やGF群に残っているものも同じです」

 ユイは画面を見つめた。

 ノクスを使えば切れる。

 そう思っていた。

 けれど、切れるからこそ、見極めなければならない。

 カナデがユイの表情を見て、静かに言う。

「心理面でも条件が必要です。ユイさん自身の負荷が大きすぎる時、ノクスは使えません。判断が鋭くなることと、追い詰められて一つの選択しか見えなくなることは違います」

 ユイは少しだけ目を伏せる。

「私は、追い詰められると……切るしかないと思うことがあります」

 カナデは頷いた。

「それを自覚できているなら、規定に入れる意味があります」

 通信画面の向こうで、モルドが言う。

『身体負荷も同じだ。神経反応、視界、吐き気、腕の感覚。一定以上の異常があれば起動禁止にする。本人が大丈夫と言っても認めん』

「……はい」

 ユイは素直に頷いた。

 その様子を見て、カイトは少しだけ安心した。


 三島が端末に規定案を入力していく。

「では、暫定規定として整理します」

 投影卓に項目が並ぶ。

 一つ目。

 本人反応不明対象への使用禁止。

 二つ目。

 命令層切断以外の目的使用禁止。

 三つ目。

 主砲級火力との連動禁止。

 四つ目。

 起動には複数承認を必要とする。

 五つ目。

 ユイ単独判断での起動不可。

 六つ目。

 カナデによる心理確認。

 七つ目。

 モルドによる身体負荷確認。

 八つ目。

 リクト、アルベルト、レオニスによる技術判定。

 九つ目。

 黒瀬による監査承認。

 十項目目。

 ジンによる艦長判断。

 最後に、カイトの名前が表示される。

 現場戦術支援・対象反応確認。

 ユイはその項目を見て、カイトの方を見た。

「カイトは、承認者ではないんですね」

「俺は監査官でも技術者でもないからな」

 カイトは少しだけ笑った。

「でも、現場で見ることはできる。ユイが無理してないか、対象の声が残っているか、切った後を誰が受け取れるか。そこは確認する」

 黒瀬が頷く。

「現場でしか見えないものがある。カイトの役割は、起動を許可することではなく、起動すべき状況かどうかを現場から報告することだ」

「つまり、止めることもあるんですね」

 ユイが言う。

 カイトはすぐに頷いた。

「ああ。止める」

 その返答に迷いはなかった。

「ユイが一人で切ろうとしたら、止める。切った後を誰も受け取れないなら、止める。使わなくていい場面なら、止める」

「……はい」

「でも、必要なら一緒に確認する」

 カイトはノクスを見上げた。

「もう使うな、とは言わない。あれで救えた人がいるから」

 ユイは黙った。

 胸の奥に、少しだけ痛みが走る。

 それは恐怖ではなかった。

 救えたものがあると、誰かに認められたことへの痛みだった。


 黒瀬は規定案を確認しながら、少しだけ声を低くした。

「ここで一つ確認しておく。ノクス・レクイエムは、兵器としての運用を認めない」

 グリッドが整備デッキ側から声を飛ばす。

「今さらだが、見た目はどう見ても兵器だぞ」

「機体構造の話ではない。運用目的の話だ」

 黒瀬は続ける。

「ノクスの切断機能は、敵を破壊するためではなく、命令層と本人反応を切り分けるためのものとする。敵戦力の撃破、拠点破壊、制圧には使用しない」

 ジンも同意する。

「主砲級火力との連動禁止は絶対条件だ。ノクスを艦砲の延長にするつもりはない」

 リクトが小さく頷く。

「命令層切断機能と大規模破壊を結びつければ、帝国がやっていたことと変わらなくなります」

 ユイは、その言葉を静かに受け止めた。

 帝国は、機能を役割へ変えた。

 役割を命令へ変えた。

 命令を存在の理由にした。

 ノクスをそうしてはいけない。

 ユイ自身も、そうなってはいけない。

「私は……」

 ユイが口を開く。

 全員が彼女を見る。

「ノクスを、怖いと思っています」

 誰も否定しなかった。

「でも、封印して見ないふりをしたいわけではありません。命令層や再同期技術がまた誰かを縛るなら、切れる手段は必要です」

 ユイはノクスを見上げる。

「でも、私一人で持つものではありません」

 カナデが微かに微笑む。

 アルベルトも、静かに目を伏せた。

「必要な時は使います」

 ユイは言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。

「でも、一人では使いません」

 その言葉が、格納区画に落ちた。

 命令ではない。

 誓いとも少し違う。

 自分を閉じ込めるためではなく、孤立しないための言葉だった。


 規定案の最終確認が進む。

 三島が読み上げる。

「ノクス・レクイエム暫定共同管理規定。第一版。地球帰還後、正式報告資料に添付。停戦協定後、共同管理体制へ移行予定」

 黒瀬が頷く。

「正式な運用規定は地球側承認後だ。ただし、艦内ではこの時点から適用する」

「つまり、今からユイ単独で近づくのは禁止か」

 グリッドが言う。

 ユイが少し困ったように顔を上げる。

「見るだけでも、ですか」

「一定距離までは許可する。触るな」

「……はい」

 カイトが隣で小さく笑った。

「俺も見張る」

「カイトまで」

「規定だからな」

 ユイは少しだけ頬を膨らませかけた。

 だが、すぐに表情を緩めた。

 それは、嫌ではなかった。

 見張られる、というより、隣で確認してもらえる。

 そう思えたからだった。

 ジンが投影卓の記録を保存する。

「これで、ノクスは封印機ではなく、共同管理機として扱う」

 黒瀬が続ける。

「危険性は残る。だからこそ、隠さず、独占せず、記録に残す」

 アルベルトが静かに言う。

「帝国がしなかったことです」

 レオニスも頷いた。

「危険なものほど、管理者を複数置くべきです。誰か一人の意思に依存させてはいけない」

 ユイは、その言葉を自分の中へ落とし込んだ。

 誰か一人。

 それは、自分のことでもあった。


 会議が終わった後、ユイは少しだけノクスの近くに残った。

 もちろん、触れられる距離ではない。

 規定で決められた線の手前。

 床には、グリッドが即席で貼った黄色い警戒ラインがある。

 ユイはその前で立ち止まり、ノクスを見上げていた。

 カイトは隣に立つ。

「大丈夫か」

「はい」

 ユイは少し考えてから言い直した。

「少し、怖いです」

「そっか」

「でも、前よりは怖くありません」

「どうして?」

 ユイは視線をノクスから外さずに答えた。

「鍵が、私一人の手にないからです」

 カイトは黙って聞いた。

「前は、私が切らなければと思っていました。切れるのは私だから、私が持たなければいけないと」

「今は?」

「今は……」

 ユイは自分の手を見た。

 命令層を切った手。

 カイトに支えてほしいと言えた手。

「私が持つのは、全部ではありません。起動キーを持っていても、判断は一人ではしません。切った後も、一人で抱えません」

 カイトが頷く。

「うん」

 ユイは腰のホルダーから、ノクスの起動キーを取り出した。

 小さな鍵。

 けれど、その重さは変わっていない。

 ユイはそれを両手で包み込むように持った。

「これは、封印じゃない」

 静かに言う。

「私が一人で持たないための鍵です」

 カイトはユイの隣で、同じようにノクスを見上げた。

「なら、隣で確認する」

 ユイは顔を上げた。

 その言葉は、守るという言葉よりも近かった。

 止める時は止める。

 支える時は支える。

 使うべき時は一緒に見る。

 それは、ユイにとって必要な距離だった。

「はい」

 ユイは小さく頷いた。

「お願いします、カイト」

「ああ」

 格納区画の奥で、ノクス・レクイエムは静かに沈黙している。

 封印されたわけではない。

 自由にされたわけでもない。

 誰か一人に背負わせるのではなく、皆で見て、止めて、必要なら使うために。

 黒い機体は、初めて管理される場所を得た。

 そしてユイもまた、初めてその重さを一人で持たない場所を得た。

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