表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
401/412

第399話 食堂に戻る

 食堂の照明は、医療区画よりも少し明るかった。

 戦闘時の赤い警戒灯は、もうどこにもない。

 代わりに、調理区画から温かい湯気が上がっている。

 椅子が並び、食器が置かれ、誰かが座るのを待っていた。

 それだけの光景なのに、ミオは入口で足を止めた。

「……食堂だ」

 ぽつりと呟く。

 レイが横から見る。

「見れば分かる」

「そういう意味じゃなくて」

 ミオは少しだけ笑った。

「戻ってきたなって思ったの」

 レイは答えなかった。

 ただ、食堂の奥へ視線を向ける。

 警戒が解けたわけではない。

 それでも、ここで刃を構える必要はなかった。

 そのことを、レイも理解していた。

「皆さん、順番に座ってください」

 調理区画の前で、アイナが声をかける。

「検査後の食事なので、刺激の強いものはありません。量もこちらで調整しています」

 ミオが少しだけ肩を落とした。

「刺激の強いもの、ないんだ」

「ありません」

「甘いものは?」

「少しだけあります」

「それでいいです」

 ミオは素直に席へ向かった。


 レータとアミィは、並んで席を選んだ。

 誰かに指定されたわけではない。

 空いている席の中から、アミィが少し迷い、窓に近い方を選んだ。

 レータはその隣に座る。

「ここでいい?」

「はい」

「窓の近くがいいの?」

「外が見えるので」

「そっか」

 レータはそれ以上聞かなかった。

 アミィは椅子に座ってから、目の前の食器を見つめた。

 食事。

 命令ではない。

 補給でもない。

 検査の一部でもない。

 ただ、食べるためのもの。

 アイナがトレイを置く。

「アミィさんは、消化に負担の少ないものにしてあります。足りなければ追加します」

「追加しても、いいんですか」

「はい。体調を見ながらですが」

 アミィは少し考えた。

「では、食べてから考えます」

「それで大丈夫です」

 アイナは穏やかに頷き、次の席へ向かった。

 レータは自分のトレイを見て、小さく息を吐いた。

「私も同じか」

「レータさんも、負荷が大きかったので」

 アイナの声が飛んでくる。

「今日は重いもの禁止です」

「聞こえてた」

「聞こえるように言いました」

 レータは苦笑した。

 アミィはそのやり取りを見て、少しだけ不思議そうに目を瞬かせた。

 注意されているのに、怖くない。

 それもまた、アミィにとっては新しいことだった。


 イリスは席に着くと、すぐに記録端末を取り出した。

 食堂の配置。

 出された食事。

 各員の着席位置。

 会話開始時の表情。

 戦闘後の心理反応記録として残すべき項目は多い。

 端末を起動したところで、向かいのミオが半眼で見た。

「イリス」

「はい」

「今は食べよう」

「ですが、食堂への帰還記録は重要です」

「重要だけど、食べながらでも残せるよ」

「食べながら記録精度を維持するのは難しいです」

「じゃあ、先に食べよう」

 イリスは少しだけ考えた。

 その隣で、ナユが小さく笑う。

「イリス、食べる記録も必要」

「食べる記録」

「うん。食べなかったら、食堂に戻った記録にならない」

 イリスは端末を見た。

 それから、目の前の食事を見る。

 セラが静かに言った。

「命令ではない記録なら、食べる方が先でもいいんじゃない」

 イリスは少し驚いたようにセラを見た。

 セラは視線をそらす。

「……ただの意見」

「了解しました」

 イリスは端末を閉じた。

「では、先に食べます。その後、食べた記録を残します」

 ミオが笑う。

「それでいいと思う」


 レイは食堂の入口が見える席に座っていた。

 背中を壁に近づけ、視線は自然と出入口を追っている。

 完全には警戒を解いていない。

 リンも似たような位置取りをしていたが、ナユに袖を引かれて、少しだけ席をずらしていた。

「リン、そこだと遠い」

「ですが、入口を確認するには」

「今日は入口より、ごはん」

「……はい」

 リンはナユの隣へ座り直した。

 レイはその様子を見て、少しだけ目を細める。

「護衛役は大変だな」

「レイも似たような座り方してるよ」

 ミオに言われ、レイは黙った。

「これは癖だ」

「リンもそう言うと思う」

「……」

 レイは食器を手に取った。

 反論しないということは、ある程度認めているのだと、ミオは判断した。

 セラは少し離れた席に座ろうとして、迷っていた。

 空席はある。

 誰かが拒んでいるわけでもない。

 それでも、自分がそこに座っていいのか、すぐには分からなかった。

 ミオが気づいて手を振る。

「セラ、こっち空いてるよ」

「……いいの」

「駄目な理由ある?」

 セラは答えられなかった。

 帝国側に残った。

 捕まった。

 命令され、撃った。

 途中まで敵として立っていた。

 そういう理由なら、いくつも出せる。

 けれど、今ここで席に座ってはいけない理由としては、どれも少し違っていた。

 レイが静かに言う。

「座れ」

 セラが視線を向ける。

「命令?」

「違う」

 レイは少し考えた。

「席が空いている」

 ミオが笑いそうになった。

「レイらしい言い方」

 セラは一瞬だけ目を伏せ、それから空いている席に座った。

 誰も咎めなかった。

 それだけで、食堂の音が少し遠く感じた。


 食事が始まると、最初は誰もあまり話さなかった。

 食器が触れる音。

 スープをすする音。

 誰かが小さく息を吐く音。

 それらが食堂にゆっくり広がっていく。

 ミオは一口食べて、力が抜けたように肩を下ろした。

「……あったかい」

 アイナが少し離れた場所で頷く。

「温度は少し下げてあります。疲労時に熱すぎるものは負担になりますから」

「そういう意味じゃないんだけど……でも、ありがと」

 ミオはもう一口食べた。

 それを見て、アミィも自分のスプーンを手に取る。

 ゆっくりと口へ運ぶ。

 味を確かめるように、しばらく黙っていた。

 レータが隣で聞く。

「どう?」

「温かいです」

「うん」

「食事は、こういうものなんですね」

 その言葉に、周囲がほんの少しだけ静かになった。

 アミィは気づかず、もう一口食べる。

「命令がなくても、食べていいんですね」

 レータはスプーンを置きそうになった。

 けれど、置かなかった。

 代わりに、いつも通りの声で答える。

「うん。食べていい」

 ミオも続ける。

「おかわりも、体調が大丈夫ならしていいよ」

 アイナがすぐに補足する。

「量はこちらで確認します」

「そこは管理されるんですね」

 アミィが真面目に言う。

 ナユが小さく笑った。

「食堂の命令?」

「違います」

 アイナが即答する。

「健康管理です」

 その言い方があまりに真面目で、今度はミオが笑った。

 食堂に、小さな笑い声が戻ってきた。


 しばらくして、話題は自然とこれからのことへ移った。

 誰が切り出したわけでもない。

 だが、避けて通れない話だった。

 ミオがスプーンを置き、少しだけ真面目な顔になる。

「この後、地球に戻るんだよね」

 レイが頷く。

「ああ。カイト達の地球へ戻る」

「ユイも」

「当然だ」

 レイの返答は迷いがなかった。

 ミオは少し笑う。

「レイ、そういうところは迷わないよね」

「帰る場所だ」

 短い言葉だった。

 けれど、重かった。

 ユイ、ミオ、レイ。

 彼女達にとって、太陽系地球は脱出後に保護された場所であり、今では戻る場所でもある。

 それを聞いて、セラは手元の食器に視線を落とした。

「……私は」

 声が小さくなる。

 ミオが見る。

「セラ?」

「私は、帰っていいの」

 食堂の空気が静かになった。

 セラは続ける。

「一緒に出たわけじゃない。途中で捕まって、帝国に残った。命令も受けた。撃ったこともある」

 彼女の声は淡々としていた。

 だが、淡々としているからこそ、迷いが見えた。

「それでも、地球へ帰ると言っていいの」

 ミオはすぐには答えなかった。

 レイも黙っていた。

 けれど、その沈黙は拒絶ではなかった。

 言葉を選ぶための沈黙だった。

 やがて、ミオが言う。

「遅れただけだよ」

 セラが顔を上げる。

「遅れた?」

「うん。私達より、帰るのが遅くなっただけ」

 レイが続ける。

「脱出に成功した者だけが帰還者ではない」

 セラはレイを見る。

 レイの表情は変わらない。

 けれど、その言葉ははっきりしていた。

「生きて戻るなら、それは帰還だ」

 セラはしばらく何も言えなかった。

 ミオが少しだけ笑う。

「だから、帰っていいんじゃなくて、一緒に帰ろう」

「……命令ではなく?」

「もちろん」

 ミオは頷く。

「お願いでもないかな。選んでいいこと」

 セラは手元のスプーンを見つめた。

 その指先が、少しだけ震えている。

 けれど、銃を構える時の震えではなかった。

「考える」

「うん」

 ミオはそれ以上急かさなかった。

「でも、席はもうあるから」

 セラは小さく息を吸った。

 そして、ほんのわずかに頷いた。


 アミィは、今の会話を静かに聞いていた。

 地球。

 それは何度も聞いた言葉だった。

 カイト達の場所。

 ユイが戻る場所。

 ミオやレイにとっての帰る場所。

 セラが遅れて帰るかもしれない場所。

 けれど、アミィにとっては、まだ何も知らない場所だった。

「地球……」

 アミィが小さく呟く。

 レータが隣で聞いた。

「気になる?」

「はい」

「怖い?」

 アミィは少し考えた。

「分かりません」

「そっか」

「でも、レータさんが行くなら、私も見てみたいです」

 レータは少しだけ目を丸くした。

「私が行くなら?」

「はい。私は、まだ一人で知らない場所へ行くのは怖いです。でも、レータさんが隣にいるなら、見てみたいです」

 レータは何かを言おうとして、少しだけ詰まった。

 それは守られる言葉ではなかった。

 頼られている言葉だった。

 そして、隣にいてほしいという言葉だった。

「うん」

 レータは柔らかく頷いた。

「一緒に見に行こうか」

 アミィは少しだけ安心したように頷く。

「はい」

 イリスはその会話を聞きながら、閉じていた記録端末に手を伸ばしかけた。

 しかし、ミオの視線に気づいて、手を止める。

「……後で記録します」

「うん。今は食べよう」

「はい」

 イリスはもう一度、食事へ向き直った。


 食事が半分ほど進んだ頃、ナユがアミィを見た。

「アミィは、地球に行ったら、名前どうするの」

 アミィはスプーンを止めた。

「名前、ですか」

「うん。地球で呼ばれる名前」

 リンが少し慌てる。

「ナユ、その聞き方は急では」

「でも、気になった」

 ナユは首を傾げる。

「アミィはアミィ。でも、帝国の記録には違う名前で書かれてた。地球に行くなら、どう書くのかなって」

 食堂が再び静かになる。

 ナユの問いは無邪気だった。

 だが、鋭かった。

 アミィは目を伏せた。

 対象A。

 A系列。

 代替指揮支援個体。

 それらは名前ではない。

 けれど、アミィという名前だけでいいのか。

 医療区画でも考えたことが、また胸の中に浮かんだ。

「……まだ、分かりません」

 アミィは正直に答えた。

「私は、アミィです。それは、分かります。でも、これからどう名乗るのかは、まだ分かりません」

 レータは隣で静かに聞いていた。

 ミオも、セラも、レイも、急かさない。

 イリスが静かに言う。

「記録名は、本人の応答を待つべきです」

 その言葉に、アミィが顔を上げる。

「本人の応答」

「はい。帝国記録のように、外部が先に分類するべきではありません」

 イリスは少し考えて続ける。

「アミィが、どう記録されたいか。それを決めてから、記録します」

 アミィは、その言葉をゆっくり受け取った。

 どう記録されたいか。

 それは、命令ではなかった。

 分類でもなかった。

 問いだった。

「……考えます」

 アミィは小さく言う。

「はい」

 イリスが頷いた。

「記録は待てます」

 ミオが小さく笑う。

「イリスがそれ言うと、すごく重いね」

「重要なことなので」

「うん。大事だね」


 食事が終わる頃、食堂の空気は少しだけ軽くなっていた。

 全員が元気になったわけではない。

 疲労は残っている。

 迷いもある。

 これからのことも、まだ決まっていない。

 けれど、誰かに命じられて座っていたわけではない。

 誰かに命じられて食べていたわけでもない。

 それぞれが席を選び、言葉を選び、食事を終えようとしていた。

 アミィは窓の外を見た。

 ルクス・ヴァルキュリアの外には、まだ遠い星々が広がっている。

 そのどこかに、地球がある。

 カイト達の地球。

 ユイが帰る地球。

 ミオとレイが帰る地球。

 セラが遅れて帰るかもしれない地球。

 そして、自分が初めて見に行くかもしれない場所。

 アミィは窓に映る自分の顔を見た。

 対象Aではない。

 アミィ。

 でも、これからどう名乗るのかは、まだ決まっていない。

「地球は……どんな場所ですか」

 小さな問いだった。

 だが、食堂にいた者達は、全員その声を聞いた。

 すぐに答えられる者はいなかった。

 地球は、優しいだけの場所ではない。

 安全なだけの場所でもない。

 帰る場所であり、問題の多い場所でもあり、これから向き合う場所でもある。

 だから、誰も簡単には答えなかった。

 けれど、誰も「行くな」とは言わなかった。

 レータが隣で、静かに言う。

「見に行ってから、一緒に考えよう」

 アミィは窓の外を見たまま、ゆっくり頷いた。

「はい」

 食堂の明かりは、変わらず温かかった。

 命令で戻った場所ではない。

 けれど、戻ってきた者達が、次にどこへ行くかを考え始めるには、十分な場所だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ